Ria and Yuzuha's story : Last wish 【All standard is you】 前編 〔20〕

 深夜、寝つけずに窓を開けたアセリアは、ユレイアの自室にまだ明かりが灯ったままであることに気づいて首を傾げた。
「まだ起きてるんですかね?」
 リアが来ていたことをどうして教えてくれなかったのかと、アセリアがユレイアを責めたのは夕食の席でのことだ。
「だってアセリア、まだ部屋に帰ってきていなかったじゃないか」
 そう言われ、アセリアは盛大にふくれっつらをしたが文句も言えなかった。
 アセリアは今日、初めて母親の公務に同席した。といっても、何があっても勝手にしゃべりだしたりしないようにと釘を刺され、母の隣りでお飾りよろしく座っているだけだったのだが、それでも充分刺激的だった。
 ユレイアとその体験を分かち合えないのだけが淋しいが、しかたがない。―――あなたが継ぐと言いましたよね? 無言で母にそう覚悟を問われているような気がした。夏の一件で双子の継承順位が定まってから初めて、母が二人の待遇に差を付けた日だった。
 これからきっと、アセリアだけに課されることも多くなるのだろう。
「………だからといって、クーン姉さまをひとりじめするのはずるいです」
 少し頬をふくらませ、アセリアはしばらく窓の明かりを見ていたが、やがていったん部屋の奥へと引っこむと、毛布をまとった姿で再び窓辺に現れた。
 その口が呪文を唱え、爪先が床を離れる。
 ―――仰天したのはユレイアだった。
 こんな夜更けに窓を叩く者がいるからだれかと思えば、双子の姉妹である。公式記録では一応向こうが姉だが、どちらが上という意識はいまのところ自分たちにはない。
 慌てて窓を開けると、毛布の塊が冷気と一緒に飛びこんできた。
「ああ、寒かった。もっとはやく開けてくださいよ」
「………セア」
「いったい、こんな時間までなにしてるんです? あんまり遅くまで起きてると体に悪いですよ。今日の夕食のときだって、ユレイア元気がなくて、お祖父さまもクリストファ大叔父さまも心配してたじゃないですか」
「………アセリア」
 とりあえず寒いからと窓を閉め、こちらに向きなおったユレイアの顔を見て、アセリアは毛布で口元を隠して小首を傾げた。
「えへ、来ちゃいました」
 がっくりとユレイアが肩を落とす。
「なんだって、廊下を歩いてこないんだ………」
 ぶつぶつ言いながらユレイアは先ほどまで座っていた椅子へと戻った。追いだす様子が見られないことにほっとして、アセリアもその後へと続く。
 たったいままで作業をしていたらしい机の上は、何とも言いがたい有様だった。
 燭台には本物の灯ではなく、ライティングの明かりがかけられている。その明かりに照らされ、鈍く輝いているのは幾つもの記録球(メモリーオーブ)だった。なかのデータの区別をつけるためにか、染料で印がつけられている。
 記録球の周囲には、アセリアには解読不能な何枚もの書き付けと、何重にも記号の書かれた楽譜。綴じられて積みあげられた羊皮紙の束は地震が起きたら、たちまち雪崩を起こすだろう。机の足元には竪琴とリュート。
 アセリアは呆れて溜息をついた。
「もうすこし整理したほうがよくありません?」
「整理しても、調べものしてるとすぐにひっぱりだして、結局こうなってしまうんだ」
 それは整理が下手なだけなんじゃあ、とアセリアは思ったが口には出さなかった。父親の部屋も似たような有様であることを思いだしたのだ。
「それで、アセリアはなんの用なんだ?」
「一緒に寝ません? 今日、母さまにつれていかれた先でのことも、まだユレイアに話してませんし。聞いてほしいんです」
「今日はまだやることがあるんだ」
 すげなく断られ、アセリアはむっとしたが、すぐに怪訝な顔になった。
「ユレイア、今日はずっと変ですよ? どうしました?」
「………どうもしない」
 きゅっと唇を噛んで、目をそらされる。
 アセリアはそっと眉をひそめたが、何も言わず傍の長椅子にすとんと腰を下ろした。
「セア?」
「じゃ、いいですよ。わたし、ここにいて邪魔しませんから、ユレイアがなにをやるのかは知らないですけど、続けててください」
 何か言いたげにユレイアは顔をしかめたが、やがて机に向きなおった。
「明日、ちゃんと話を聞くから」
「うん、そうしてください」
 アセリアはにっこり笑って、毛布にくるまった。
 互いに一言も発さなかったが、沈黙に陥ったわけではなかった。ユレイアが盛んに記録球を再生させ、ときどきは自分も口ずさんだり、楽器を鳴らして音を確かめたりするからだ。
 心地よくその音を聞きながら、いつしかうとうとしていたアセリアは何度目かの旋律に何気なく呟いていた。
「………さっきと同じ音ですね」
 物音が止んだ。
 眠いのをこらえて顔をあげると、真剣な表情をしたユレイアがこちらを見ていた。
「セア、いま何て言った?」
「………え?」
 アセリアはまだ眠気がとれず、寝惚けた顔で双子の姉妹を見た。
「いまの音が、どの音と同じだって言ったんだ?」
「ええっ? どれって言われても………」
 夢うつつに聞き流していたものだから、どれと言われても答えられない。
 アセリアが返事に窮していると、焦れたユレイアが次々と記録球を再生しはじめた。ユレイアが記録したらしい幾つもの音と旋律が溢れ、部屋のなかを満たしていく。
 何番目かの旋律が、アセリアの記憶に引っかかった。
「セア、いまの………そう、これです。多分、これがさっき聞いた音―――」
 ただ、この音とどれが同じだと感じたのかまではわからない。
 そう言おうとしてユレイアを見たアセリアは、その表情にぎょっとした。
 ユレイアが強張った顔で記録球を睨みつけている。
「あの音だ………何で? 何で気づかなかったんだ?」
 記録球を机に置くと、ユレイアはものすごい勢いで羊皮紙の束を引っかき回しはじめた。何かを探しているらしいのだが、物が散乱しているせいで見つけだせないようだ。
「音素は一緒だ………だけど、姉上のほどはっきりはしてないからわからなかったのか? 音律として並んでたなら気づくはずなんだ、絶対………」
 探しながら何やら呟いている。
「アストラルパターンそのものと、目のほうに気をとられていたから、他の音を聞き逃してたんだ―――でも何で、この音が………あった」
 ユレイアの手が取りだしたのは一枚の楽譜だった。
 興味にかられてアセリアも覗きこんだが、さっぱりわけがわからなかった。自分で理解するのは早々にあきらめ、ユレイアを見る。
 ユレイアは唇をひき結んで楽譜を睨んでいたが、不意に顔をあげてアセリアを見た。
「アストラルパターンって、似ることはあるのかな」
「はっ?」
「たぶん、私とセアのアストラルパターンは似てるんじゃないかな。調べたことはないけど。血縁とかでも似てくるんだとは思う。顔や雰囲気が似るっていうのとおなじ理屈だと思うし………」
「ユレイア、ちゃんと説明してくれないとわかりませんよ」
「私もよくわからないんだ」
 言いながら、ユレイアはライティングを唱えて部屋をより明るくすると、抜きとった楽譜をアセリアに示した。
「だから、ここと、ここの音………」
 根気よく説明されるうちに、アセリアにもだんだんとユレイアの疑問に思っていることがわかってきた。
 要するにユレイアには、リアのアストラルパターンで以前から気になっていた箇所があった。どこかで聞いたような気がする音ばかりで首を傾げていたのだが、自分の気のせいだろうと思い、特に注意を払ってはいなかった。
 ところがアセリアが、ゼフィアのアストラルパターンの音を聞きながら、その音と同じですねなどと、とんでもないことを言ったので愕然としたのだった。アセリアは知らなかったが、彼女が「さっきの音」と言ったのはリアのアストラルパターンのほうだったらしい。
 理解がすすむうちに、アセリアにもユレイアが感じているらしい漠然とした不安感が感染ってしまい、二人して怯えたように顔を見合わせた。
 こういう符合は気持ちが悪い。
「………ひとりひとり違うとは言っても、まったく似ないってこともないんじゃないんですか? 顔にだって、他人のそら似とかありますよ?」
「それはそうなんだけど、何でこの音なのかが気になるんだ。何で、よりによって私がどっかで聞いたことあるなって思う音が、二人して同じなんだ?」
「本当にユレイアがどっかで聞いたことのある音なんですか?」
「うん………ああ、どうしても思いだせなくて気持ちが悪い」
 ユレイアが顔をしかめて鳥肌立った腕をさする。アセリアは自分の毛布のなかにユレイアを入れてやった。
「ユレイアが思いだせないんなら、きっとなじみが薄い音なんですよ」
「何なんだろう。ああもうアセリアのせいだ。気になって眠れない」
「人が気づかってるのにそういうこと言いますか」
 ユレイアは小さく笑って、アセリアの肩に頭をのせた。
 持続時間が切れたライティングがひとつ、ふうっと薄れて消えたが、もうかけなおそうとはしなかった。
「明日、クーン姉上に聞いてみる」
「今度はわたしがいるときに呼んでください」
「努力する」
「………なんてひどい返事」
「今日はもう、しかたないからセアの話をきかせてくれないか」
「うわあ、さらにひどい。………でもいいですよ、話します。前にニーフェ姉さまが母さまのことを、やなぎの枝だって言ってたじゃないですか、なんとなくわかった気がするんです―――」
 話しているうちに、ライティングはすべて消えていった。
 闇のなかで、それでも二人して言葉を交わしていたが、いつしかそれも寝息へと変わる。
 そして―――夜が明けた。



 夢を見ていた。
 互いに溶けあうような、あまりにも幸せな夢。介入されていたとしても、もう何でもよかった。仕向けられたとしても、どうせ詳細な内容を作りだすのはこちらの意識だ。
 ―――これは、己の心。
 広がる平原のただなかに。手のひらにおさめてしまえそうな白く小さなセイルーン。金色の小麦の海に。
 朝日を浴びて黒く浮かびあがる山脈の稜線。地肌を削りとられた街道の白さと、きらめき蛇行する河。置かれた残雪のようなセイルーン。
 空は移り変わる夜の藍。薄闇と混じりあう菫色。
 光の金と雲の薔薇色。
 柔らかに、それでも有無を言わさずにあたりを染めていく。その光が開いたばかりの目にはまぶしすぎるのか、彼が顔の前に手をかざした。
 彼の目が見えない時も、見えている時も、同じように幾度となく世界を彩って輝かせていたこの光。
 人の思惑など与り知らぬ世界の祝福。
 あまりにも美しすぎて目が眩むような。
「………どうして、あなたが泣くんです」
 目の前の背中がふり返りもせずに、そうささやいた。
 リアは静かにかぶりをふる。 
「ふり返らないで………」
 曙光をまとう銀の髪が、風にたわんで緩やかに踊る。
「前だけ見ていて。互いの視線をあわせることはできなくても、一緒に同じものを見ることはできるわ」
 願わくば、風にさらわれてこの声が届かなければいい。そう、思いながら。
 光が薄紫の黎明に金のヴェールをかける。夜の名残を残した灰色の雲に鮮やかな光の縁取りと、より一層の陰影。
「あたしは、ここにいるから」
 雲ひとつない空でいるときよりも遙かに。圧倒的に美しく胸に迫る、途切れ途切れの雲路の果てに。
 そっと額を押しあて、目を閉じた。
 声を発するのその振動が直に伝わるほど、近く。
「傍にいるから」
 まなざしが届かなくても。
 笑顔が伝えられなくても。
 一緒にこの朝を綺麗だと思えるでしょう?

(だから、あたしを、赦してください)

 ちぎれた雲の合間からこぼれさす、光の道しるべ。
 あまりにも美しすぎて、逆に投げ棄ち踏みにじりたくなるほど心ふるわせる朝焼けの。
 崖下に突き落とされる寸前のこの幸福感。



 りん、と手首の鈴が鳴り、リアは目を覚ました。
 涙を拭う手を持たないまま、窓の外へと目をやった。
 ―――夜が、明ける。