Ria and Yuzuha's story : Last wish 【All standard is you】 前編 〔21〕
(永久と無限をたゆたいし、すべての心の源よ)
(折れることなき精神の薄刃よ)
(我が身なり ならざる力よ)
リアの指が便箋を繰るたびに、左手の鈴が、ちりん、と鳴った。
袖の下にはめているにもかかわらず、音はくぐもらずに澄んでいる。綺麗な白い羽根の飾りが付いているが、いまは隠れていて見えない。この飾りのおかげで袖口が詰まったものを着られないが、自分が何を着るかということにあまり興味がないリアにはどうでもよかった。むしろ制約が生じることで服装にこだわりができたようで、実はささやかに嬉しかったりする。
「ミレイは何と―――?」
声だけこちらに寄越してくるゼフィアに答えず、リアは便箋を折りたたんで封筒に戻した。彼は彼で返事がなかったことを特に気にする様子もなく、アーウィスからの手紙を読んでいる。徐々にその眉間に皺が寄っていく。いったい何が書かれてあるのやら。
夏の初めに出した手紙の返事が今頃届いていた。返事が遅かったのは、折り返しの配達便を逃したせいらしい。半島の端と端だから、一回便を逃すだけでとんでもない時差がついてしまう。季節はもう冬の入口だ。
「サイラーグで待ってるって」
リアは泣きそうな顔で微笑した。
見えはしないが、それでも何らか気配を感じたのか、ゼフィアが顔をあげる。
「あたし、ミレイに謝らなきゃ」
「どうしたんです」
「うん、内緒」
リアの答えを聞いたゼフィアの眉間に再び思いきり皺が寄った。その様子にリアは笑い、立ちあがる。
「ちょっと、家に戻るわ。今日中にまた来るから」
「家に?」
昨日のことを思いだし気遣わしげな顔をするゼフィアを安心させようと、リアはその手をとった。
ミレイに謝らないと。
彼女が寄せる彼への想いと自分への好意を、同時に侮り踏みにじることになる。そして、どれだけ狡くて最低でも、それでも自分はやるだろう。
その銀灰の双眸が自分の姿をとらえることがないと知っているからこそ、リアは微笑して告げた。
「ティルにも、会ってくるわ」
すぐに戻ってくるから。
そう言って、リアはゼフィアの手を離した。
空間を渡って出現した存在と、後を追うように具現した己の部下の姿に、獣王は軽く舌打ちした。
「愚か者め」
「むしろ褒めてくださいよ。ここまでお連れしたんですから」
情けない顔でゼロスがそう言った。その傍らで黒髪の美女が婉然と微笑する。
「顔を見ようと思ったのだけれど、ゼロスがあまりにうるさいものだから、仕方なく。あなたの顔を立てに来たの」
それほど機嫌が悪いわけでもなさそうだった。
精神世界面で会話を交わせばよいのだが、腹心同士、互いに手のうちを見せるなどまっぴらごめんと考えているため、会う必要が生じたときにはこうして物質界に具現化する。
以前にリナ=インバースを待ち受けたときと同じく蒼いドレス姿の海王は、扇を手にこう告げた。
「じきに覇王も来るでしょう。もはや冥王と魔竜王も亡きいま、我らが協力して事にあたらねば、北の御方にも顔向けができないことになるのではないのかしら」
海王が覇王にも情報を流したと知って、獣王はさらに苦虫を噛み潰したような顔になった。
「お前は単に面白そうだと思っただけではないのか?」
「まあ、そんな貴女と貴女の部下のようなことは言わなくてよ」
わざとらしく扇の影から目を見張り、海王はそう言った。
それから扇をたたみ、素っ気なく告げる。
「どちらにしても潮時ではないの? そういつまでも、わたくしたちに隠しおおせると思ったわけでもないでしょう。そちらの満足行く段階まで秘匿できたかは、わたくしの与り知らぬこと」
「もっともだな」
獣王は肩をすくめた。
むしろ、こちらに話を通しに来ただけまだマシと言わねばならない。先の覇王の計画で獣王と海王が事の次第を知ったのは、覚醒が成された後だった。計画自体が失敗し、計画とはまったく関係ないところで覚醒が起きたせいでもあるが、にしても依り代の存在を覚醒するまで知らされなかったことには、さすがに二人とも腹に据えかねていた。―――計画が杜撰だからと、そう真剣に斥候を出さずにいたのはこちらの失態だとしても。
やがて空間を渡って、最後のひとりが群狼の島に現れた。
「―――獣王よ。いままで我と海王にこの事実を隠匿してきた理由、しかと説明できるのであろうな」
具現すると同時に放たれた覇王の言に、獣王は面倒くさそうに答えた。
「気が進まなかっただけのこと」
「なに?」
途端に覇王をとりまく気配が剣呑なもの変わる。
「いずれにしても話してもらわなくては、此方とて要らぬ勘ぐりをしたくなるというもの―――」
海王が微笑して覇王を眺め、控える獣神官を一瞥し、最後に獣王を見据えた。
「一度に二つの欠片の所在が判明するなど、いままでにないこと。リナ=インバースの娘とゼフィア=セフィロトという人間について、話していただけるかしら」
「了解した」
獣王は溜息をついて、顔をあげた。
「怪しいですよね」
「怪しいな」
執務室でアメリアとゼルガディスは互いにそう呟き、揃って頷いた。
「ユレイア、昨日から変ですよね」
「どうも何かを隠しているな」
「あなたに似て、隠しごとをすると覿面に食欲がなくなるんですよね」
「………アセリアはお前に似て極端に口数が多くなるな」
反論ともいえない反論を呟くゼルガディスには答えず、アメリアは窓の外に目をやった。
灰色の空が寒々しい。あとひと月もしないうちに雪が降りだすだろう。
「昨日、クーンが尋ねてきていたようですね」
アメリアから向こうの姉弟の不和について聞いていたゼルガディスは顔をしかめる。
「………どうも何か気に入らんな」
「あなたもですか。わたしもなんです。クーンとティルトがというわけじゃなくて、どうも全体的に、何かがおかしい気がするんです」
溜息をついて、アメリアは椅子から立ちあがった。
「ゼルガディスさん、わたし、一応巫女なんです」
唐突にそう話しだしたアメリアに、ゼルガディスは無言で話の続きを待った。
「シルフィールさんみたいに巫女体質ってわけじゃなくて、王族の女子だから任されてたようなものなんですけど。まあ一応、巫女で」
アメリアは再び溜息をついた。
「そのせいかどうかはわかりませんけど、それなりに勘働きが良かったりするわけです。まあ、リナもですけど」
「それは知っているが?」
「どうも今朝から、うなじのあたりがちりちりするんですよね。何ででしょう?」
己の首の後ろに手をやり、アメリアは顔をしかめて言った。
「どうにも嫌な予感がします。気をつけてください」
「わかった」
ゼルガディスが厳しい顔で頷いた。
頷き返したアメリアは扉のほうへと歩きだした。
「着替えてきます。別にドレスじゃなくても公務はできますし」
やがて戻ってきたアメリアは、白の上下に、同じく白の金糸で縁取られた袖無しの法衣という恰好だった。袖もゆるやかに長く、以前の巫女服と同じというより、むしろ父親やいまは亡き従兄の出で立ちに近い。
「これなら別に、執務をしていてもおかしくないでしょう?」
「ブーツが蹴打用じゃなければな」
呆れたようなゼルガディスの指摘に、アメリアは唇の端を持ちあげて微笑した。
本当にただの予感でしかなかった。
獣王の話を聞き終え、海王はやや呆れた顔で軽く肩をすくめた。
「迂遠と言わねばならないわね。酔狂もいいところ」
「私もそう思う」
淡々とそう応じた獣王に、何とも言えない微笑が向けられる。
「でもまあ、良いわ。その酔狂さが気に入ったわ。しばらくはお手並み拝見といきましょう」
そう言って海王は事態の静観を表明したが、覇王のほうは不審を隠そうとはしなかった。
「そのような不確実な方法でなんとする」
海王が扇の影で失笑する。
「そのようなこと、ゼラスも貴方だけには言われたくないでしょうに」
ころころと笑う海王に激昂しかけた覇王は、獣王の冷ややかな一瞥に思いとどまざるをえなかった。しかたなく忌々しげな視線を向けただけにとどめ、無言を貫く。
「―――覇王よ。過日のあの方の覚醒の一件、よもや忘れたわけではあるまい」
腕を組んだ獣王は、表情ひとつ変えずにそう言った。
「器となった人間の意識が、否応にも覚醒後のあの方に影響を与える。過日の一件ではそれに加えて、北の御方との齟齬が原因でとりかえしのつかぬ事態となった。もはや人間の意識を些末事などと言って無視してもおれぬ。この際、我らの嗜好などどうでもいいのだ」
「………承知した。気は進まぬがな」
不承不承、覇王が頷いた。
これで海王、覇王ともに、獣王の計画を了承したことになる。獣王自身も含め、覇王も海王も癖が強い。他者の計画に頷かず、三者三様、好き勝手に介入をすることにでもなったらどうしたものかと内心懸念していた獣王は、少しばかり拍子抜けした。
すると、それを見透かしたように海王が首を傾げる。
「―――ところで、ゼラス」
「………何だ」
ちらり、と獣王が視線を投げると、海王は獣王を上から下まで眺め、おもしろそうに告げた。
「見れば、あまり興が乗らない様子。理由をうかがってもよろしくて?」
「ダルフ―――」
「わからないとでも思ったのかしら」
嫣然と目を細め、海王は楽しげに笑う。媚態の匂う、何とも美しい微笑だった。
「これほどの僥倖、おそらく二度はない。それなのに貴女の態度は如何にも不自然なこと。興が乗れば、わたくし以上に愉しむ貴女でしょうに」
険しい覇王の視線が向けられてくるにあたって、獣王は軽く舌打ちした。まったくやりづらい。
「因果律の動的均衡だ」
嫌そうにそう答えた獣王に、海王と覇王が無言で先をうながした。
「あまりにも偏った因果が続くと不審も起ころうというもの。今回の一件、危険すぎる―――」
リナは溜息とともに扉のところに立ったまま、主のいない部屋を見まわした。
当然ながら帰って寝た痕跡もない。
どこに行っているのか見当はつくので行方を心配したりはしないが、別の意味で腹立たしかった。
「ったくもう………」
昨夜、二人が帰ってきたら揃って、いいからそこに座んなさいとやるつもりだったのが、片方がいつまでたっても帰ってこなかったために、しそびれてしまった。帰ってきたほうは唇をひき結んだまま会話を避け、部屋に閉じこもっている。無理に話をしようとしたら珍しく癇癪を起こされた。あら、反抗期などと思ってみるも、やはりおもしろくない。
ティルトだけ問いただすわけにもいかない。そもそも逃げっぱなしなのは、弟のほうではなく姉のほうだ。あのふらつき具合はいったい誰に似たのだか。
日の射しこむ部屋を見まわし、ふと隅に立てかけられたままの剣が目についた。
そういえば、ここしばらくこの剣がリアの腰にあるのを見ていない。最近ずっと小剣だった。セイルーンに帰ってきているからかと思い、特に気にも留めていなかったのだが―――。
リナの視線が突然険しくなった。
立てかけられている剣。その柄から鞘にかけて革紐が幾重にもかけられている。まるで、抜くのを封じるように。
リアは自身の持ち物に触られるのを極端に嫌う。
ためらったが、すぐにリナは部屋のなかに入ると剣を鞘ごと持ちあげた。
紐をほどき、柄に手をかける。
「―――ッ!」
絶句すると、リナは剣を手に居間のほうに戻った。
ふり向いた二人の顔が愕然としたものになる。
あまりにも滑らかに断たれた鋼の切り口を掲げ、リナは言った。
「斬ったのは、あんたね―――?」
それは問いではなく、ただの確認。
ティルトが無言で唇をふるわせた。
「―――気まぐれとはいえ、あの御方はあくまでもこの世界の因果の結果として天降られた。すでに世界はその事実を過去の因果のひとつとして取りこもうとしている。因果律は巨大な予定調和による働きだ。だが………いくらこの世界の『現象』としての降臨とはいえ、あの御方の存在はおよそ因果律の手に余る。言うなれば、現在の世界は冥王のしでかした宴の後始末の最中なのだ。いまだ、な」
苦々しげに獣王は吐き捨てた。
「でなければこうも立て続けにあの人間の近くに魔王さまの封印が出現するものか。そうでなくとも、結界のなかだけで三人というのは異常だろう。あの御方が降臨なさる以前、やはりあの人間の近くで半覚醒を起こした盲目の法師を勘定に入れれば、ここ数十年で四人だ」
「たしかに、ここ最近はとても騒がしいこと」
わずかに海王が眉をひそめる。
数十年などというのは魔族の感覚からすれば、数日にもならない。
「先の大戦で分かたれた魔王さまの欠片は幾つだ? 七つしかないのだ。覚醒されている北の御方を除けば、六つしかない。それがこうも立て続けに覚醒や転生を起こすのはどういう謂だ」
「知れたこと。因果律の天秤は我らの有利に傾いているということだ」
獣王の懸念を覇王が一笑に付す。
たまたま丈長く具現させていた己の金髪をもてあそぶ獣王が、鋭い瞳で覇王を見た。
「その有利に傾いた因果律のなかで、たかが人間ごときに後れをとり、あの赤毛の剣士の依り代を喪ったということか。たいした天秤の傾きようだ」
「貴様、愚弄するか………!」
「ああ、つまらないこと」
獣王と覇王の対立に水を差すように、海王が小さく欠伸をしてみせた。
「ゼラス、貴女の言いたいことはわかったわ。しかしそれを慶事ととるか、凶事ととるかで判断のわかれるというもの。違いなくて?」
「いちいち問うな。知れていよう」
顔をしかめた獣王に海王はくすくすと笑ってみせた。処女性と女の艶をあわせもつ、このうえもなく蠱惑的な笑みだ。
「冥王がもはや亡きいま、我らの力では転生の行く先を見晴るかすことなど困難。さらに言うなれば、残された魔王さまが欠片はあと四つ。対する人間の数は多すぎる。冥王でさえ、千年前に北の御方を探しだすまでどれほどてこずっていたか、よもや忘れたわけではないでしょう? それを今回、偶然とはいえ一度に二人も貴女の部下が気づいたというのは凶事ではなく、おおいなる僥倖ではなくて?」
覇王が賛同を示して頷いた。
控えたまま一言も発していない己の配下を見やり、獣王は首をふる。
「この事実だけを見るのならばな。またあの人間の近くというのが私は腑に落ちんし、気に入らんのだ」
ほう、と海王が悩ましげに息を吐いた。
「獣は慎重なものということかしら」
「好きに言うがいい。私の立場は変わらん。覚醒は万全を期さねば意味がない。そうでないなら依り代を殺して次の転生を待つほうがまだマシだ。万が一、中途半端な覚醒を起こして、魔王さまの欠片がこれ以上、輪廻の環からすら外れるようなことがあってはならない。この方針に異があるようであれば、ここで私を説得してみせるがよかろうよ」
海王が扇をざっと折りたたみ、きらめくように微笑した。
「良いでしょう。獣王が意志を海王は承認する。この一件、貴女に一任してよ―――では、わたくしはこれで失礼させていただくわ」
蒼いドレスの裾を水流のようにひらめかせ、一瞬のうちに海王はこの場から姿を消した。
「やれやれ………おとなしく静観する気などないだろうに」
呆れた顔で獣王は呟くと、残る覇王に視線を向けた。
ねじくれた鋼で作られたような銀の貌から、忌々しげな舌打ちが洩れる。
「………しばらくは様子を見よう」
続いて一瞬で変化が起こり、黒髪の精悍な壮年の顔が姿を現した。金属光沢の宿る鋼色の双眸が獣王を睨めつける。
「だが、それもそなたが策の不明があきらかになるまでだ」
身を覆うように漆黒のマントをひるがえし、覇王は空間を渡って立ち去った。
「―――ゼロス」
「御前に」
「あちらは人間にしては聡いのが多すぎる。海王と覇王の斥候にはそれを説明して丁重にご退場いただけ」
「御意」
音もなくゼロスの気配が消える。
獣王はこめかみに手をやり、瞑目した。
「どうも………いかんな」
先ほどから嫌な予感がしてしかたがない。