Ria and Yuzuha's story : Last wish 【All standard is you】 前編 〔22〕

 ねえ、くり返すと言葉の価値はなくなってしまうかしら。
 それでも、何度でも言うわ。
 知らなくていい。
 聞こえなくていい。
 応えなくていい。
 愛しているわ―――。



 リアは自宅には戻らず、その足で王宮に向かった。
 来訪を告げるとすぐにユレイアが飛んできて、彼女の自室へと案内される。
「アセリアは?」
「さっきまでは一緒だったんですけど。母さまに呼ばれて行きました―――クーン姉上?」
 見あげてくるユレイアに、リアは極上の微笑を浮かべた。
「ゼフィのところに行ってきたわ」
 さっと顔を強ばらせたユレイアをなだめるように、リアの手が何度も黒髪を撫でる。
「母さんたちやアメリアさんたちを呼び集めてくれる? 場所は王宮がいいわ。結界の中心に近いほうがまだいいでしょう」
「はい」
 小さく頷いて、さっそく立ちあがりかけたユレイアは、ふと気づいたようにリアをふり返った。
 軽く首を傾げてリアは、ユレイアを見つめ返してくる。
 背が高い。すらりとした立ち姿だ。整った顔の輪郭を光の泡のように金の髪が縁取っている。母親とそっくり同じ形に巻いて肩からゆるやかに落ちる髪。真紅の双眸は透明に澄んで、落ち着いた意思を宿していた。
 そのすべてが何かの拍子に一瞬できらめき散ってしまいそうな気がして、ユレイアは訳もわからず急に泣きたくなった。―――何でこの人は、こんなに綺麗なんだろう。
「どうしたの?」
「いえ、なんでもありません。―――そうだ、クーン姉上。あとで詳しくお話ししたいことがあるんです。ゼフィアさんのアストラルパターンと姉上のアストラルパターン、同じ音がする部分があって………」
「そう………」
 リアがそっと目を細めた。
「わかったわ。お願いね。あたしはユズハを探してくるわ。家には戻らないでこのまま王宮にいようと思うから、母さんたちにはアメリアさんのほうから呼び出してもらえるように言ってくれないかしら。ゼフィの家から真っ直ぐ来たから、あたし今日はまだ母さんたちに会ってないのよ」
「はい」
 聞きようによっては不自然なリアの依頼にも、ユレイアは気づくことなく素直に頷いた。
 小さなその背を見送っても、リアの表情は変わらなかった。撫でた黒髪の感触を惜しむように、まだ目を細めている。
 やがて小さく息を吐くと、部屋のなかを見まわした。
 机の上に幾つもの記録球が置かれている。歩み寄って、そのひとつを手にとった。
 ひんやりとした感触と、ほどよい重さが手のひらに伝わってくる。
 しばらくリアはその処遇を迷うかのようにオーブを玩んでいたが、やがてそっと元あった場所に戻すとささやいた。
「もう、遅いわ。ユレイア………」
 王女の帰りを待つことなく、リアは部屋を出た。
 ごく自然なその足どりに、彼女の存在に慣れた王宮の者は誰も不審には思わない。
 幾つかの回廊を曲がったところで、リアは正面から蒼いドレスの貴婦人がやってくることに気がついた。どう見ても王宮に滞在している賓客だった。
 向こうもこちらに気づいたようで、リアは内心舌打ちをこらえた。
 いらぬ騒動のもとになるので、セイルーン王宮を訪れている貴族たちとは顔を合わせないよう普段から気をつけているのだが、ときどきこのような不測の事態も起きる。
 リアは脇へ退くと、顔を見られないようにと礼儀も兼ねて(こうべ)をたれた。
 さらさらとした衣擦れの音が近づいてくると、リアの正面で途絶える。紺碧のドレスの裾が視界に映りこんだ。打ち寄せる波のような繊細なレースが嫌でも目に入ってくる。
「お嬢さん、お顔を見せて」
 不測の事態で貴族と遭遇してしまったとき、リアは大抵こう言われた。それでもって、相手が馬鹿な男だったりすると求婚されたり手を出されそうになったりするのだ。
 今回は婦人だからそういう心配はないが、それでもわずらわしい。
 舌打ちをこらえながらも、リアは黙って顔をあげた。
 目の前に立っているのは流れるような黒髪が美しい、華奢な女性だった。品の良さがうかがえる物腰に、派手でこそないものの存在感のある装飾品を身につけ、手には扇を持っている。
 顔をあげたリアを見て、相手はとても楽しそうに微笑した。
「まあ、とても美人ね」
 何がそんなに気に入ったのか、目を細めてリアを眺めている。
「それに、とても良い目の色だわ。竜神とも同じで、とても縁起がいい色ね(・・・・・・・・・・)
「………ありがとうございます」
 仕方なくリアが礼を述べると、ふふっと笑って相手は流し目をくれた。
「また会いましょうね」
 回廊の奥へと消えていくその姿を見送り、リアは無言で眉根を寄せた。
「………変なの」
 初対面の相手の目の色を褒めるなんて。
 おまけに変な褒めかただった。
 竜神と同じ。
 それはつまり、魔王とも同じということだ―――。
 その事実に思いいたり、リアは瞳に自嘲の色を薄く刷いた。



 回廊を歩くリアの姿を窓から見かけ、アセリアは母親に断ってから急いでその後を追いかけた。
 途中、別の回廊からユレイアがやってくるのがちらりと見えたような気もしたが、声をかけているひまはなかった。早くしないと行ってしまう。
 特に用があるわけではないが、来ているのに挨拶も交わさないというのは、とても淋しいではないか。もう行き違いは嫌だ。
 最近はドレスを着ることの少なくなったアセリアが巫女服の裾をひらめかせながら走りまわる姿に、何事かと王宮の者が目を見張る。
 階段を下り、庭をまわりこんでいるうちに、目撃した回廊からリアの姿は消えていた。
「ああもう………!」
 息を切らせて立ち止まったアセリアは、正面から蒼いドレスの女性がやって来ることに気がついて、慌てて居住まいを正した。王宮には入れ替わり立ち替わり客が訪れるから、彼女が顔を見たこともない貴族の奥方が王宮を散策していたとしても不思議ではない。既にそういう区域までアセリアは飛びだしてしまっていた。
「あの、すいません。少しお聞きしたいことがあるんです」
「はい。何かしら」
 嫣然と微笑む女性は、何やらとんでもない美女だった。
「金の髪に真紅の目をした女の人を見かけませんでしたか。さっきまでこのあたりにいたと思うんです」
「ああ、あの方なら―――」
 目を細めて、相手は扇の先で回廊の奥を指し示した。
「ありがとうございます! あの、あとでお礼にうかがいますから!」
「まあ、よろしいのよ」
 ぱたぱたと足音も軽く遠ざかっていく王女を見送って、黒髪の美女はおかしそうに笑った。
 ふと虚空に視線を投げると、紅い唇を無言のままつりあげる。
「………一応、話は通してあげたでしょうに。ふふ、そう渋い顔をするものではないわ。………まあ、顔も見たことだし、ここはお前の主の顔を立てて、引き下がるとしましょうか。―――合成獣ごときに気づかれるのも、つまらないことですしね」
 さきほど王女がやってきた回廊の奥を一瞥し、水が染みこむように蒼いドレスの立ち姿はその場から姿を消していた。
 朱橙の瞳を揺らめかせ、ユズハが姿を現したのはその直後のことだった。



 油断していたわけではない。
 ただ、リアたちの動向に注意を払うより、こちらの存在を向こうに気づかせないことのほうに意識が向いていた。
 先刻から覇王や海王の斥候が、入れ替わり立ち替わり様子をうかがいに来ていたせいもある。特にかの御大は、様子をうかがいに来たところを無理やり押しとどめて主のもとに導いたこともあって、会談の直後にこれで文句はないだろうとばかりに即、行動を起こしてくれた。腹心級の魔族が結界中心部に具現化すると結界が補正する魔力量が急激に増えるため、あの合成獣が勘づいてしまう。この程度の結界など、こちらは痛くもかゆくもないのだが、結界自体に影響が出てしまうのがやっかいだ。
 計画通りに事は進んでいる。なまじ下手に勘の鋭い者が三人ほど向こうにいるため、自分たちの存在を気づかれないようにすることにばかり、気をとられていたことは否めない。
 おまけに主たちが言葉を交わしている最中は、完全に監視が外れていた。
 話の結論が出るまでは抜け駆けも何もしないという獣王の意思の表れとして、ゼロスはあの場に控えていた。よほどの非常時の場合をのぞき、互いに仲が良いとは言えない主たちの暗黙の了解のようなもので、それを受けて海王たちも精神世界側に己の将軍や神官たちを控えさせていたから、あの間だけはどの魔族の目もセイルーンに向けられてはいなかったのだ。
 そしてそれが―――致命的な一打となった。



 翔封界(レイ・ウイング)を解き、リアは家の前に降りたった。
 黄昏の光のなか、赤く染まってたたずむ自宅はひっそりと静まりかえっている。
 家族はいない。誰もいない。先ほど王宮からの至急の呼びだしを受けて、揃って家を空けた。
 そうするように彼女がし向けた。王宮ではいまごろ一悶着あるかもしれない。
 鍵をとりだし玄関の扉を開けると、リアは家のなかへと入った。
 自分の部屋へは向かわず、迷いなく母親の部屋へ入ると戸棚のひとつへと歩みよる。頑丈な鍵のかかった戸をしばらく眺め、封除(アンロック)を唱えてから引いてみた。
 当然ながら、開かない。がちゃりと無骨な音がして要求は拒まれていた。
 リアは困惑して鍵を見つめた。
 困惑していることに困惑していた。今更こんなことをためらっている自分の思考がおかしかった。
「ごめん、壊すね」
 だが決心すると後は早かった。遠慮無く振動弾(ダム・ブラス)で鍵を棚ごと破壊する。
 ずいぶん思い切ったことをやっていると自分でも思った。
 粉砕された戸棚の残骸のなかから、リアは目的のものを探しあてた。
 手のひらにのるような小さな手箱だった。六面全部に鈍い銀色に輝く薄板をはりつけてある―――オリハルコンだ。
 留め金をはねあげ、リアは箱を開いた。
 箱のなかもオリハルコンで内張りされていた。そこに入っているのは黒褐色の小石。石炭入れのなかに放りこまれると、まず区別がつかなくなるだろう。爪の先、丸薬ほどの大きさしかない。指で摘めるような貧相な石だった。
 一部分が中途半端に赤っぽく変色している。
「………ごめん、もらうね」
 リアは呟いて石を握りこむと、箱の蓋を閉じて丁寧にテーブルに置いた。さきほど何のためらいもなく戸棚を破壊したことを忘れたかのような、矛盾した扱いだった。
 不完全なる賢者の石―――。
 母親がアメリア王女から二代目の魔血玉(デモンブラッド)を譲り受ける以前、呪符の代わりを求めて苦心していた時に、手に入れていたものだった。
 結局、これは無用のものとなってしまったが、国ひとつ滅ぼしてしまえるような物だけに要らないからといって捨ててしまうわけにもいかず、母親も扱いに困ったらしかった。
 セイルーンに預けようとしたらしいのだが、アメリア王女に「一国家にこんな危険物を持たせないください」と一蹴され、仕方なくこうして保管し続けていたのだ。
 そしてそれをいま、娘が勝手に持ち出すというわけだった。
 本当は魔力容量を増幅させる呪符(タリスマン)がほしかったのだが、母親は夏の一件以来あれを片時も外さずに身につけている。あれは母の物だから、仕方がない。
「赤いやつだわね。あたしのか(・・・・・)
 石を見てどうでもよさそうに呟き、ふとリアは苦笑した。
 母親の部屋を出てきちんと扉を閉めると、今度は己の部屋へと入る。
 部屋は西日で真っ赤に染まっていた。
 自分の書き物机の前までやってくると、リアは引き出しを開け、なかから細身の短剣を取りだした。柄に繊細な細工のなされた、うつくしい品だ。十三の誕生祝いに伯母からもらったものである。
 短剣を懐にしまうと、リアは首からかけていた鎖を指にからめ、上着のなかに落としこんでいた契約の石を引っぱりだした。無造作に首から外すと、短剣の代わりのように引き出しのなかに入れ、元通りに閉める。
 机の上に並んだ数冊の魔道書に目をとめ、笑った。たったいま閉めた引き出しの奥には、幾つかの魔道のレポートと書き付けが眠っている。―――旅に出る前に構築しかけていた呪文は、旅に出た後で放り投げた。術の極端な指向性に加え、対象条件が厳しすぎて、およそ人には不可能な魔力容量(キャパシティ)が必要だとわかったからだ。おまけに効果が不完全で、自分の胸に剣を突き立てるのと何ら変わらなかった。だから放り投げた。
 ―――そんな気は、さらさらなかったから。
 引き出しの奥の羊皮紙を燃やそうかとも思ったが、すぐにどうでもよくなり、リアは引き出しに封錠(ロック)を唱えた。
「―――くーん」
 不意に名前を呼ばれ、リアは瞠目した。
 しかし、すぐに笑みを浮かべると背後をふり返る。
「ユズハ」
 空間を渡って姿を現したユズハを見て、リアはこのうえもなく嬉しそうに微笑した。
「どうしたの」
「みんな、探しテる」
「呼びに来てくれたの?」
「ン、なんか怒ってタけど」
 ユズハはそう言って、何で怒ってるんだろうとばかりに不思議そうに首を傾げた。
「誰が怒ってたの?」
「えっと、りあと、ぜると、りなと、がうりいと、あと、ゆあとせあ」
 リアは吹きだした。
「それってほとんど全員じゃないの」
「みんなじゃナイ。だって、ゆずはは、怒ってナイ。てぃるも、たぶん、怒ってナイ」
「そう………ティルも、怒ってないのね………」
 リアはそのまま手を伸ばし、小さな体を抱きあげた。
 おとなしくユズハはされるがままになっている。何の理解もしていない無垢な目だった。
「ゆずはと、行ク?」
 空間を渡るのかと尋ねられ、リアは小さくかぶりをふった。
 そして、まったく関係のないことを言った。
「ね、ユズハ。あんたがどうしてあたしといるのか、やっとわかったわ」
 無言でユズハは小首を傾げた。さらりと白金の髪がこぼれ、夕焼けの光をまとう。
 正面からその目と向き合い、リアは笑った。
「あたしがお願いしたのね。ずっと見ててって。やっと思いだしたわ」
「ン」
 くすぐったそうにユズハが目を細めた。