Ria and Yuzuha's story : Last wish 【All standard is you】〔3〕
「―――何ですか、それ。あり得ません」
リナから事情を聞き、アメリアは開口一番にそう言った。眉間に皺がよっている。
隣りではゼルガディスが、まったく同様の表情を浮かべていた。
不信感もあらわな友人二人の顔を眺めやり、リナは疲れた表情でひらひらと手をふる。
「あたしも真っ先に言っちゃったわよ同じコト」
「そうしたらどうなった?」
「キレられたわ。まあ、話せっつったのこっちなのに、言った途端に否定されりゃ普通ぷっつんくるわよね」
「キレましたか、クーンが」
アメリアは溜息をつき、茶を啜った。
本来ならアメリアが話を聞いたところでどうなるというものでもないのだが、今回リナを呼んだのはアメリアだった。
何かしらあるたびに、夫婦揃って顔を突っこんでいるような気がしないでもないが、もともとアメリアとゼルガディスは、リナに多大な借りがある。ことあるごとに返す機会を狙っているのだが、なかなかその機会が訪れない。向こうがこちらの詮索を拒まないなら、できることはないか積極的に首を突っこんでおきたかった。―――まあ、そんな堅苦しい理由づけをしなくとも、要はただのお節介というか、昔のよしみとしての理由が大部分だが。
それとはまた別に、今回は双子が泣きついてきたせいもある。
すでにセイルーンの結界問題からは数ヶ月が過ぎ、何もかもが落ち着いたかのように見えた矢先のことだった。
いまよりひと月ほど前から、リアがよく王宮に顔を出すようになった。以前はほとんど顔を出さず、来てもすぐ帰るという具合だったから双子は素直に喜んだらしいのだが、それも最初のうちだけだった。
様子が変だおかしい何とかしてくれと泣きつかれ、よくよく話を聞いてみると、どうも最近やたらかまってくれるわりには元気がないという。
そういえば話題の某彼はどうしたのだと思って訊いてみても、それにもちゃんと答えてくれないからわからないというし、自分たちには話してくれないから母さまから訊いてくれと言われ、アメリアも困った。
ゼルガディスが何か知らないかとも思って訊いてみたが、手合わせは以前の暴走試合以降していないと言われ、逆に夫婦揃って首を傾げることになった。
仕方ないので少々職権を使って治療院側のほうから情報を集めてみると、治療は成功したものの、どうも何かあったらしい。
さてはそれが原因かと見当はついたが、迂闊に首を突っこむのもためらわれ、結局リナを呼びだして詳しい事情を聞くことにしたのだ。
しかし聞いてみたら聞いてみたで、とうてい信じられるものではない。
カップをテーブルに戻し、アメリアはもう一度リナに問いただす。
「本当なんですか? クーンだけ見えていないっていうのは」
隣りでゼルガディスが「信じられん」と付け足した。たしかに到底、信じられることではない。
普通、見えないときは視界全体が見えないはずで、見えるときは視界全体が見えるはずだ。
左上や右部分だけといった、視界の特定の一部分だけが見えなくなる場合もあるが、その場合だって見えなくなるのは「範囲」であって、特定の「もの」だったりはしない。
どんな状況下においても、その「もの」だけが見えないというのはあり得ない。
万人が見ても見えないもの―――たとえば精神世界面の魔族などが相手なら話は別だが、今回は「もの」が「もの」だった。見えないはずがないのだ。
リナは頭痛をこらえるように、こめかみに指をあてた。
「あたしだって信じられないわよ。でも、本当じゃなかったら演技ってことになるでしょ。かなり悪質な」
それは多分ない、とリナは言った。
「そんなことする理由がわからないわ。もしうちの娘が死ぬほど嫌いだったとしても、手間がかからなくて、もっと効果的で陰険なやり方がそれこそ他に幾らでもあるわよ。………それに、それ以前の問題で、ンなことやりそうな感じしなかったのよね―――」
「最近会ったんですか?」
「いや、前の掃除のときに一度だけよ。あんたもそれは知ってるでしょ」
「だが、フリじゃないとしたら、何だってそんなことが起きるんだ?」
「それはあたしだって知りたい。魔法医だってわかんないことを、あたしがわかるわけないでしょ。これはあたしの専門分野外だわ―――レゾならわかったかしらね?」
皮肉の効いた軽口をたたいたリナに、ゼルガディスが無言で顔をしかめた。
「治療の経過と結果は順調。というか、完璧だったはずですよね? 治療院からはそう聞いています」
もともと彼の病は長年根治が不可能とされてきたもので、確立されたばかりの治療法に彼が被験者として協力する形で治療が行われた。幸い経過も良好で、成功だと研究専門の魔法医たちは喜んでいるという。ただ一点のこの奇妙な現象をのぞいては。
だから、ますますわけがわからないのだ。
それはつまり、視覚には何も問題がないということであり、それ以外の別の部分が問題だということになってくる。
やがてアメリアが言いづらそうに口を開いた。
「やっぱり、あれですか? 見たくないものは見えないっていう………」
「それにしたって完全に知覚から排除できるはずがないだろう。実際にいるんだから。声は聞こえているんだろう?」
「そう聞いてるわ」
ますますもって不可解だった。
「頭部に傷害を受けた人が、ある特定の文字だけ読めなくなったってレポートなら読んだことはあるけどね。それでも、読めないだけで見えてはいるわけだし………」
「頭でも打ったか?」
「そんな話は聞いてない」
身も蓋もないゼルガディスを、リナは半眼で睨みつけた。
「でも、特定のものだけ見えなくなったっていうのは、実際目に映らなくなったというわけじゃなくて、そのものだけ認識できなくなったってことなんじゃないんですか? でないと、特定のものだけ見えないだなんて、そんなこと本当にあり得るはずがないです」
「でしょうね。でもそれだと、声が聞こえているのはおかしな話なのよ。認識できない、したくないなら、それこそ存在丸ごとでしょうから」
リナはげんなりした表情で、行儀悪くそのまま長椅子に寝そべった。いまにはじまったことでもないので、アメリアもゼルガディスもとがめない。
「見たくないものが見えてないだけなら、楽なんだけどね。さっさと国帰れで叩き出せばすむし、こっちには悪い夢だと思って忘れろですむから」
そうでないから自体は複雑というわけか。
三人揃って溜息をついた。
まったくもって、わけがわからない。
これではリアが王宮に入り浸りなのもわかる気がする。避難場所として当てこまれているのはどうかと思うが、一緒にいるのは互いに苦痛だろう。
考えこんでいたゼルガディスが口を開いた。
「視覚以外はほぼ問題がないんだな?」
「そう聞いてるわ。聞こえるし、触れるそうよ」
「クーンが見えないということは、クーンに附属している物も見えないということで、その背後にある、本来ならクーンの体に遮られて見えないはずものは見えているということだな?」
「附属しているもの?」
アメリアの疑問にはリナが答えた。
「着ている服とか、手に持っているものとかよ。でしょ?」
「ああ」
たしかに理屈でいうなら、それ自体はリア本人ではないから見えてしかるべきものではある。
そこまで考えたアメリアが当然ながら思いついた疑問を口にする前に、同じことをゼルガディスが尋ねた。
「わかっているということは、試したのか?」
「らしいわよ。魔法医たちがね。しかもけっこう詳しく。本人たちは苦痛だったでしょうね」
リナは溜息混じりにそう言った。
「結論から言うと、リアが手に持った瞬間に持った物も消える。リアが手を離せば、また見える。それなりに大きいものも同様らしいわ。ただ、どれもその『瞬間』が曖昧らしいの。消える瞬間も見える瞬間も、勝手に頭のほうが映像を処理してるんでしょうね。触れているだけで、持ちあげたりしていない場合は消えないらしいわ。これは扉も一緒ね。誰もいないのに開いたように見えるってわけ」
「何ですかそれは !?」
アメリアは思わず声をあげていた。めちゃくちゃだ。いったいどういう条件下で認識が働いていたらそんなものの見え方がするのだ。
「それなりの大きさのものとは何だ?」
「椅子とか、一人で持てるぐらいのテーブルとかよ。さすがに厳密にその『瞬間』を調べようとはしなかったみたいだけど」
それはそうだろう。苦痛でしかないうえに、無意味に近い。見えていないことに変わりはないのだから。
不意にあることを思いついて、アメリアは尋ねた。
「ユズハは?」
ゼルガディスがあっけにとられた顔で、アメリアを見た。
「ユズハだと?」
「よく抱きあげるでしょう、クーン。ユズハはクーンが持ちあげても消えないんですか?」
「ユズハは見えるそうよ。これはあたしの推測だけど、ユズハはあきらかにリアじゃないからじゃないかしら。もともと宙に浮いててもおかしくないしね、ユズハは」
アメリアは顔をしかめた。
これでは本当に認識の問題だ。
だとしたら、先ほどもリナと話したように、声が聞こえているのはおかしな話だ。
存在を完全に意識の外に閉めだすには、そこにいないふりをすればいい。見えないし、聞こえない。呼吸に必要な空気と一緒で、在ることに気づかない存在になるまで、その認識の程度を下げてしまえばいい。それは完全なる無視だ。
しかしいまの場合、そうではない。だからこそ、ひどくやっかいで複雑なのだ。
あまりにも中途半端すぎる。
「クーンはどうしてるんですか?」
「どうもこうも。わかりやすい子だもの。ゼフィを避けまくってるわよ」
「そのゼフィアさんのほうは?」
「さあ………。向こうも向こうで悩んでるみたいだけど。自分の視覚が信じられないって、かなり気持ち悪いと思うわよ」
リナは冷めてしまった香茶を手に、何度目かわからない溜息をついた。
期待した方向に進展もしくは後退するどころか、おそろしく迷走しかかっている。どちらにしろ、原因がわからないことにはどうしようもない。もし原因不明のまま事態が好転しないとしたら、どうなるか想像もつかなかった。
手っ取り早い解決方法を知ってはいたが、問題は当人たちがそれを選ぶかということだ。
難しい顔をしているアメリアに目をやって、リナは苦笑した。もともと彼女たちがこんなに深刻に悩む必要もないというのに、年下の親友はいつも親身になって一緒に考えてくれる。
「うちのが迷惑かけててごめんね。何なら追いだしてもいいから」
「別に王宮に遊びに来るのはかまわないんですけどね。クーンはもともと感情の浮沈が激しいですから、そのせいでアセリアとユレイアが不安がるのがちょっと………。クーンが話さないものを、勝手にわたしたちのほうからあの子たちに話すわけにもいきませんし」
リナは額に手を当てて、短くうめいた。
「あ〜の馬鹿娘ッ。年下に心配されてどうすんのよもう〜」
「ユレイアとアセリアが聡すぎるだけですよ。クーンはちゃんとしてますって。わかりやすい子ではありますけど、ひた隠しにする子でもありますから」
物の見事に見抜かれている。リナは苦笑した。
「それについてはちょっと説教しとくわ。あんまり気にしないでって言っといて。何かあったらまた教えるから」
「力になれることがあったらいつでも言ってくださいね。約束ですよ」
リナがふっと肩の力を抜いて笑った。
「そのときはアテにしてるわ」
「ええ、ぜひそうしてください」
二十年来の戦友は互いの顔を見合わせて微笑した。
廻りだした歯車は、それに噛み合った幾つもの歯車をもまた廻し―――。
そして、やがて刻が来る。