Ria and Yuzuha's story : Last wish 【All standard is you】〔6〕

「アセリア、どうかした?」
 護身の型を教えていたアセリアからじっと見つめられ、リアは怪訝な顔で首を傾げた。
 邪魔にならないようにと乱雑に束ねられた金色のほつれ毛が、幾筋も首筋にかかっている。あまりにも適当にまとめられているため、色っぽい以前の問題で「結いなおしたほうが………」と言いたくなるようなほどけっぷりだ。自分でも閉口したのか、首を傾げながら髪紐をうなじからひき抜く。
 最近、外で過ごすには少々寒くなってきたので、体を動かす授業も室内で行うようになっていた。宮廷大臣などの格式にやかましいお偉方に見つかると嫌な顔をされるので、場所はたいてい広く片づけたどこかの空き部屋だ。
 リアが髪を雑に手櫛でまとめているあいだにも、アセリアはじっと見つめてくる。
 やがて隣りのユレイアも護身の型をなぞるのをやめて一緒に見あげてくるにいたって、とうとうリアは閉口して両手をあげてみせた。
「なになに? いったいどうしたの二人とも」
 双子は揃って首を横にふる。
「ううん。あのですね」
「うん、クーン姉上が、ですね」
 これまた揃って似たようなことを言うと、双子は(はか)ったかのように勢いよく左右から抱きついた。
 ひっくり返りそうになり、かろうじてリアは踏みとどまった。左手にはめた細い腕輪の鈴が、ちりりと音をたてる。
「な、何。何なのあんたたち―――」
「クーン姉さまが、元気になってくれてうれしいです!」
「最近、前よりもずっともっとキレイです」
「あっ、わたしもそう思います!」
「だろう?」
 交互に好き勝手にしゃべられて、リアは面食らって聞き返した。
「は? キレイ―――?」
『そうです!』
 双子の声がきれいな二重唱となった。
 以前はあまり王宮に顔を出さず忙しくしていたリアが、最近はよく顔を見せて双子にかまってくれる。基礎体力を付けるための運動や護身術の訓練にも根気よく付き合ってくれるし、半島の地図を指差しながら旅の話も聞かせてくれる。それに泊まっていってもくれるのだ。これが嬉しくないはずはない。
 先日までは、そうしてくれつつも表情が暗く、双子は気が気ではなかったのだが、最近は時折つらそうな顔はするものの、以前よりも顔色は明るい。
 きっと母親に泣きついたのがよかったに違いない。
 背の高い相手を見あげ、アセリアとユレイアはもう一度甘えて抱きついた。
 大好きな大好きな、自分たちの姉だ。
「クーン姉上は小さい頃からとってもキレイでしたけれど、最近はそれよりももっとキレイです」
「それにいい匂いがします」
「お花の匂い。ときどき母上も使ってる匂いです」
 ユレイアがそう言うと、リアは一瞬かすかに目を見張り―――そうして見ているこちらの胸が痛くなるほど切ない表情で笑った。
 過ぎた今年の夏に再会するまで、双子は三年前の十五歳のリアしか知らなかった。
 三年の空白を経て、姉代わりの人物は少女から女性へと以前にも増してうつくしくなった。―――双子が知らない、(うれ)いと(かげ)りによって。
 胸を突かれて立ちつくす二人の目線にあわせ、リアはその場にしゃがみこむ。
「あたしはいつもどおりよ?」
 そのまま双子はしなやかな腕のなかに抱きしめられた。とてもいい匂いがした。人為的に調合された香料の匂いだった。最近になってリアから香るようになった匂いだ。
「ごめんね。二人にまで心配かけたみたいで」
「そんなことありません!」
 アセリアが強く首を横にふる。
「少しぐらいはわたしたちに姉さまを心配させてくれたっていいじゃないですか。いつもずっと、わたしたちが心配かけているんですから」
「そうです。ずるいです」
 双子にとって、リアはいつだって強くて頼りになる年長者だった。それこそ物心ついたときから、自分たちを取りまとめる立場にいるのを当たり前としてきたし、そうでなくなるなど考えたこともない。
 夏にはセイルーンの結界騒ぎでさんざん迷惑をかけたばかりで、それ以来あまり元気がないとくれば、こちらだって心配する。
「クーン姉さま、ゼフィアさんはどうしているんですか? お目が開いたとうかがっています」
 会ったのは二度ほどだが、双子は彼に好感を持っていた。物静かな感じが父親に似ていたし、優しげなところはリアの父親のガウリイにも似ている気がした。背も高くて、髪はとても綺麗な銀色だった。
 それに、声だけでアセリアとユレイアの区別がつくのだ。これは得点が高い。
 アセリアの問いにリアはいっそう目を細めて双子を見返し、かすかに笑った。本当にかすかに。
「ええ、元気よ。見えるようになってるわ。―――あたしの姿以外はね」
 あまりにも静かにそう答えられ、双子は言葉を失った。



 花の匂いと香茶の香りがゆるやかに混じりあって、部屋のなかを漂っている。
 湯気のたつカップを前に、長椅子の肘掛けに頬杖をついたアメリアは呆れた顔で口を開いた。
「なんであなたはうちの双子を泣かせてるんですか」
 立ちのぼる湯気ごしに濃紺の瞳に睨まれ、リアは曖昧に相づちをうつ。
「はあ………。まさか泣くとは思わなくて………」
 本当に泣くとは思わなかったのだ。
 あのあとショックを受けたユレイアが黙りこみ、アセリアは涙ぐみ、狼狽したリアがなだめすかしているところに、たまたまアメリアが部屋に顔を出した。
 当然、双子は母親に泣きついた。アメリアは何事かと驚いたが、事情を知ると溜息まじりに双子をなだめて部屋に帰し、それからリアをお茶に呼んだ。
「泣きますよ。あなたのことが大好きなんですから」
「はあ………」
 困った顔をしているリアに、アメリアは口を開きかけ、あきらめて何も言わずに閉じた。
「まあ、そのうち泣きやむでしょう」
 身も蓋もなくそう言ったアメリアは、ふいにいたずらっぽい顔になった。
「わたしがあげた香りですね?」
「はい」
「あなたが何か香水わけてくれって来たときには、ようやく女の子らしいことに興味が出てきたかと思ったんですけど………」
「悪臭でなければなんでもいいです。これもちょっときついんですけど」
「これですもんねぇ………」
 アメリアは溜息をついて視線を遠くへ投げた。
 さみしそうに微笑して、リアが首をふる。その指が左手首にはめた腕輪にそっと触れていた。白い羽根の飾りと小さな鈴がついた華奢な銀の輪だ。動きにあわせて、ちりりと音が鳴る。
「こういうのがあったほうが、わかるんで」
「わかってますよ。言わなくてもいいです。………結局、まだそうなんですね?」
 真紅の瞳がそっと伏せられて、直接の返答を避けた。
 そのような憂い顔を見せられると、その頭を抱いて髪を撫でてやりたくなる。香水の無心にきたときに、アメリアは実際そうした。自分の娘たちにするように。
 リナが言う手っとり早い解決方法を、結局この娘は選ばなかった。お互い他人になって離れてしまえば、何事もなく世界は平穏を取り戻すのに。
 その選択をアメリアは内心痛ましく思うと同時に喜んだ。それでこそあの二人の娘だと―――それこそ勝手に安堵した。
「あなたたちがそれを選びとったなら、わたしはそれを応援するだけです。ただ、うちの双子をあまり泣かせないでくださいね?」
「はあ。わかりました………」
「わかってないようですね、その顔だと………」
 アメリアは呆れた顔で、長椅子にもたれなおした。
「んもう。リナといいあなたといい、お人好しのくせに人の好意に鈍いというか、疎いというか………。リナとガウリイさんのときだって、シルフィールさんが一緒だったとき、わたしがどれだけ気を揉んだと思ってるんですか。人の心配をよそにあの二人は二人で勝手に………」
 親のロマンスほど、子どもが聞いて白けるというか、居たたまれなくなるものはない。―――シルフィールさんってやっぱりそうだったんですか、あたしあまり知りたくなかったんですけど。などと思いながらリアが冷や汗混じりに拝聴していると、アメリアは話しながら不満がつのってきたらしく、唇を尖らせた。
「そうですよ。リナってば全然人のこと考えないんですもん。ここでの一件だって、わたしたちの気も知らないで勝手に死んだふりなんかして………そりゃガウリイさんだって拳骨くれたくなりますよ。ああ、二十年近く前のことなのに思いだしたらだんだん腹が立ってきました。今度また文句言わなきゃ」
「死んだふり?」
 さすがにリアが聞きとがめるとアメリアは、はたと気づいた顔で彼女を見た。
「リナからは何も?」
「聞いていません。結界の件終わってから聞き出そうとしたんですけど、何のかんのいってあんまりはっきりしないし。父さんは例によってよく憶えてないとか言うし………」
「まあ、リナはあれでかなり照れ屋ですからねー」
 当人の娘を前に平然とそう言って、アメリアは笑った。
 記憶に思いをはせて楽しそうにしている相手を、リアはあらためて不思議な感慨とともに見つめなおした。
 目の前にいるのはセイルーンの世継ぎの王女だ。
 由緒正しい正真正銘の立派な王族で、本来なら自分のような身分の人間には雲上人みたいな存在で、多くは気位が高くて会話が噛みあわないような人物ばかりのはずなのに、目の前の彼女はとても気さくで屈託がない。
 まるで実の叔母のように自分に接してくれるのは、彼女と母親が親友だからだが、そもそもどうしてセイルーンの王族とゼフィーリアの商家出身の流れの旅の魔道士が親友同士になったのだろう。
 もうこのあたりからして常識の範囲外だ。
「アメリアさんは、母さんとずっと一緒に旅をしてたんですか?」
「んー、とびとびですね」
 首を傾げ、アメリアは指を折って数えだした。
「十四のときに出逢って、それから数ヶ月ほど一緒で。いったん別れたんですけど、また半年後ぐらいにひょんなことから再会して、また一緒になって。どこに行っても出逢うんだから、腐れ縁ですよねー。笑うしかないっていうか。んでもって、もう一回同じようなことをくり返して、別れて。そのあとリナとガウリイさんには、もう一騒動あったみたいですけど、そのときはわたしもゼルガディスさんも一緒じゃなかったですね。あとは、あなたが生まれてエルメキアのほうに住んだんで、手紙とか隔幻話(ヴィジョン)とかで連絡をとりあって………あら、思えばそんなに一緒にはいなかったんですかね。でもそうとは思えないぐらいとんでもない目に遭いましたし………」
 リアは良い機会だと思い腹をくくって、カップを受け皿に戻した。
「あの。アメリアさん」
「はい?」
「アメリアさんと母さんたち、いったい一緒に何をしてたんですか?」
 途端に妙齢の王女の視線が泳ぐ。
「ええと………」
「セイルーンがあたしたちによくしてくれるのは、母さんが前にここで何かやったからみたいですし、サイラーグと聞くと母さんとアメリアさんはともかくシルフィールさんまで視線を逸らしますし、あの腐れ魔族とも知り合いみたいだし………」
「おそろしいことに、概ねそれらは事実なんですが………リナから直接聞いたほうがいいと思いますよ?」
 アメリアは首を傾げながらそう言った。
「クーンが知りたいのは、あなたの母親の物語でしょう? とびとびにそれに沿ったわたしの物語ではなくて。さっきも言ったように、わたしはずっとリナと一緒にいたわけじゃありませんし、わたしと出逢う前にリナとガウリイさん、ゼルガディスさんは、すでにひとつの死地を越えています。それはわたしには語れません」
 王女は歯がゆそうに唇をひき結んだ。少しだけ悔しげな顔をしている。
 しかしすぐにその表情も消え、アメリアはリアに視線を戻した。
「同じように、わたしとゼルガディスさんがリナたちと別れてからのことも、わたしには語れません。たとえ、話を聞かされて何があったか知ってはいても。そのときわたしはわたしで、別に自分の物語を紡いでいましたから」
「アメリアさんから見た、母さんの話が聞きたいと言っても?」
 食い下がるリアを、アメリアはやんわりとたしなめた。
「それはあなたがリナから話を聞いてからでも遅くないですよ」
「だって逃げるんだもん」
 本音がこぼれ、拗ねたように唇を尖らせたリアに、アメリアが思わずといった様子で吹きだした。
「イ、イヤですねもうっ。あなたそうやって時々たまらなく可愛いんですから………!」
 リアの眉間に皺が寄る。涙をにじませるほど大笑いしている相手を軽く睨みつけると、笑いながらアメリアは目尻の涙をぬぐった。
「ああ、ごめんなさい。あんまり可愛いかったものですから」
「そういう誉められかたは、あんまり嬉しくないです」
「ああ………ほんとにごめんなさい。機嫌をなおしてください。―――でも、リナから聞いたほうがいいっていうのは本当ですよ? 本人の口から聞かないかぎり、とても信じられないことばかりやらかしてますから。一度、テルモードのほうに報告書提出したらしいんですけど、与太扱いされたらしいですからね」
 リアは思わず首を傾げていた。
「………テルモード・シティの魔道士協会、無事でしたけど?」
「あなた、自分の母親を何だと思ってるんですか………」
「あたしなりに正しく理解しているつもりですけど」
「そう言われると反論もできませんが………まあ、そのあとすぐに覇王にケンカ売ったみたいなので、それどころじゃなかったんじゃないですか?」
 愕然としてリアはアメリアを見た。
 ものすごくさらりと言われてしまったが、いま何と言った?
「―――覇王?」
「だから本人に聞きなさいと言うんですよ」
 リアの表情を見て、世継ぎの王女は苦笑した。笑いたくないのに笑うしかないという風情で、言っても信じないだろうという顔だった。
 その顔からリアは視線をそらした。
 結界騒ぎにユズハを巻きこんだあの魔族は、獣王の配下だと聞いている。
 五人の腹心。赤眼の魔王に仕える、五人の高位魔族。すでに二人は欠け、現在君臨しているのは三人だという。
 獣王、海王、そして覇王。
 単なる伝説だと思っている者も多いなかで、リアは母親から魔族に関する知識を伝授されていた。いま思えば、詳しすぎるほどの知識を。
 何をやらかしたんだろう―――とは思っていた。
 思っていたが、散らばる情報を結びあわせて真剣に考えたことはなかった。
 無意識に避けていたのかもしれない。薄々察していたからこそ、両親に気づかれることだけはあってはならないと思っていたのかもしれない。
 いま母親に関することを尋ねたところで、目の前の王女は答えないだろう。
 だから、その問いは遠回しに放たれた。
「もしかしてアメリアさんも、他のだれかに会ったことがあるんですか?」
「覇王はないですけど。まあ、二人ほど………」
 答えながらも、アメリアは言葉尻を濁した。
 窓の外では日が暮れようとしている。
 薄闇のなか、リアの恐れは強くなる。
 もはや問わずにすませることはできない。


「―――魔王にも、会いましたか?」


 アメリアは首を横にふった。
わたしは(・・・・)会っていません。―――意味はわかりますね?」
 ああ………。
 リアは瞼を閉ざした。
 いったいこれは何の冗談だ。
 いまだ語られぬ母の物語。
 これは―――。
 これは、何の因果だ。
 偶然か必然か。どっちだ。
(だから、あたしなの?)
 答えはどこからも返らなかった。