たからもの (オンリー・ワン・ワールド)〔1〕
イルニーフェがリアの名を呼びながら近づいてきたのは、リアがユズハと回廊のタイル模様をたどっていたときだった。
日差しはすっかり秋の金色をしている。リアが顔をあげると、真っ白な白輝石のタイルを敷き詰めた回廊の真ん中に、鉄色の髪に灰色の私服を着たイルニーフェが黒い影のように立っていた。
色石模様の探検をひとまず中止して、リアは立ちあがる。一緒にしゃがみこんでいたユズハも無表情でそれにならった。
真っ白な王宮の回廊は、真っ白なタイルでできている。そのタイルは、芝生との境の部分にだけ別の色石がはめこまれていて、うねうねと模様を連ねているのだ。回廊ごとに使われている色石の種類が違い、模様も違う。それは鳥だったり花だったり、リアにはよくわからない幾何学模様や、母から手ほどきをされている魔道文字だったりした。
いったい、いくつ回廊があるんだろう。そして、こんなにたくさんの模様の種類をよく思いつけたものだ。きっとひとりじゃ無理だったに違いない。リアがチェックした限りでは、同じ模様は今のところ、ひとつたりとてなかった。
それでも、きっとどこかに同じ模様の廊下がひとつぐらいはあるだろう。
そう考えて、王宮に滞在するようになってからずっと、リアは自分の足で歩けるだけの回廊をたずねまわってタイルの模様を調べているのだが、それでも全然まだまだだった。いつだったか、歩き疲れてひと休みしようと、ユズハと一緒におやつをもらいに顔を出した厨房で聞けば、王宮はリアが進入を許されていない場所のほうが多くて、馬車でいかなければならない離宮などもあるのだという。
そんなのむり、ぜんぶいけっこない。
早々にリアは王宮の全探索をあきらめたが、許可の出ている場所だけでも開けきれない宝箱のようだった。母の友人である王女は、リアに鍵がかかっているところと、人が番をしているところ以外は、みんな自由に歩きまわっていいと許可を出してくれた。いくつもの部屋にいくつもの扉。たくさんの人。みんなリアとユズハに親切で、いろんなことを教えてくれる。
「ニーフェさん」
「こんなところにいたのね」
いつもは白が基調の女官のお仕着せを不機嫌そうに身につけている少女は、リアのもとまでやってくると、少しうんざりしたように息を吐いた。
「あなたたち、どこまで行くつもりなの。おかげであたしはこれからお休みなのに、変なところで時間をとられちゃったわ」
リアと両親が王宮に滞在するようになって、もう一年にもなる。だから王女の傍仕えをしている彼女がこの色の服を着ている日は、お仕事じゃないお休みの日なのだと、リアはもうとっくに知っていた。
イルニーフェを見あげ、リアはいままで指でなぞっていた色石に視線を落とした。
「ニーフェさん、ここの廊下だけ、石じゃなくてえのぐ」
「………あら、本当ね」
青と金泥の塗料で鳥と花蔦を描き、ところどころに緑の石で花蔦とは違う曲線の唐草模様があしらってある。
イルニーフェは足下に視線を落とし、リアの発見を認めてくれた。よく怒るし、つっけんどんで怖いが、リアの話をきちんと聞いてくれるお姉さんなのだ。
「たしかこの回廊は、王宮の改築前から残されている比較的古いものだったはずよ。昔は石じゃなくて塗料で模様を描いていたのかもしれないわね。この角石の七宝の色はなかなか出ない色だから」
小難しいイルニーフェの答えを聞いて、リアはふうんと、首を傾げた。母とよく似たしゃべりかたをするので、イルニーフェの言っていることがわからないということはないが、さすがに知らない名詞はお手あげだ。テッセラって何だろう。
「えっと、ニーフェさんは、なにかリアにご用?」
「ええ、リナ=インバースがあなたを呼んでいるわ」
イルニーフェはいつも、リアの母のことをわざわざ名前と名字で呼ぶのだ。父のほうは「ガウリイさん」と名前にさん付けだけで呼ぶので、不思議に思ってたずねたら、ちょっと怒ったように「だってリナ=インバースはリナ=インバースだもの」と答えが返ってきた。さっぱりわからなかったが、母の名前がリナで姓がインバースなのは事実だった。
その後すぐに「それに名前だけで呼んだら、あなたと呼び間違えるわよ」と言われて、リアはそれで納得した。リアの名前は母親と音がよく似ていて、いままで何度も聞き間違いや呼び間違いをひき起こしている。
「かーさんが呼んでるの?」
「りなが、りあを? りあも一緒?」
途端に、イルニーフェが顔をしかめた。
「ユズハ、相当ややこしいからやめてちょうだい」
「だって、りなはりな。りあはりあ。りあも、りあ。ゆずは間違ってナイ」
「間違ってはいないけれど、ややこしいのよ」
「ややこしくナイ。明朗会計」
「会計じゃないわ! あなたまた何の本読んだのよ!」
叫びかけ、不毛さに気づいたのかイルニーフェは、はったと口をつぐんだ。
イルニーフェはよく怒る。おもにユズハに向かってよく怒るのだが、ユズハはときどき、年下のリアに対してもとんちんかんなことを言うので、リアよりも六つは年上のイルニーフェに怒られるのも無理はないとリアは思う。
リアだって、ときどき母に顔をしかめられることがあるのだ。
(―――ごめんリア、言ってることがよくわかんないわ、もう一度別の言いかたであたしに教えてちょうだい)
そう言われるとリアは、いっしょうけんめい別の言葉をさがして考える。ユズハもそうすればいいのにと思って、リアは前に一度そう言ったのだが、いっこうに改善の気配はない。だから、やっぱり怒られてもしかたがないと思うのだ。
ユズハはリアの王宮探検仲間だ。リアが父と母に連れられてこのセイルーン王宮にやってきたときから、ここにいた。母親の友だちの王女さまが旅先から連れ帰ってきて、そのまま王宮に住まわせているというハーフエルフ。耳が半月をさらに半分に割ったような形をしていて、髪のあいだからひゅんと尖った先っぽを覗かせている。ときどき、ぴくっと動くのが面白い。
最初は変ないきものだと思ったが、言葉をかわしていくうちにすぐに慣れた。いまでは最高の遊び相手で、何をするにもずっと一緒にいる。ユズハは髪の色と目の色がリアとよく似ていて、ふたりで厨房やメイドのたちの休憩室などにお菓子をもらいに行くと、きれいね、可愛いね、お人形さんが並んでいるみたいと、ちやほやされた。ユズハはリアのお菓子まで食べようとするので、いつもリアは注意して、ユズハより先に食べてしまわなければならない。
「ニーフェさん。かーさん、どこ?」
「どこにいますか、よ」
イルニーフェは自分だってまだ十四ぐらいのくせに、こういうことにとってもうるさい。
「………かーさん、どこにいますか?」
「子ども部屋よ。ひとりで戻れるわね?」
リアはちょっと考えて、うなずいた。この回廊までやってきたのは初めてだったが、道順は憶えている。もう一年もいるのだ。毎日行き来する道も、そうでないところも、すっかり暗記してしまった。
子ども部屋への道なんて、きっと目をつぶってたって行ける。………自分と両親が寝泊まりしている部屋から、なら。
何にせよ、ひとまずその区画まで戻らなければ。
「ありがとう。リア、行くね」
リアはイルニーフェがやってきた方向へと走り出した。ユズハが後をついてくる気配がする。気をつけないと転ぶわよ、と背後から声が追いかけてきた。
―――直後、ユズハがべしっと転び、イルニーフェが何やら盛大にわめいた。
王宮にはたくさんの部屋がある。
家具のすべてに埃よけの布がかかった薄暗い部屋。鎧戸がすべて閉められていて、重たげで分厚いカーテンはぴくりとも動かない。大理石の乙女像と一角獣、四竜王を織りだした壁飾りがある広間。乙女と一角獣の足下には石の蔓薔薇が咲き、タペストリは絵画のように幾枚も壁にかかっている。ふかふかのカーペットが敷いてある小さな暖炉のある部屋は冬に使う予定で、居心地良く準備を整えられていた。
たくさんの部屋と、それらをつなぐいくつもの扉。扉だって部屋に負けていない。濃い茶色の地に目の詰まった木目が上品に浮かびあがり、磨かれて艶々と光っているもの。白く塗られて縁にびっしりと金の飾りがついているもの。黒っぽい木でできていて、リアのはるか頭上で大きく色硝子をはめこまれているものと、本当に色々だ。扉の代わりに綺麗な刺繍のほどこされた戸布がかかっている部屋は夏用で、いまは風も通らずひっそりとしている。鉄の縁取りがなされ、分厚いかんぬきがとりつけられている扉はたいてい外へと通じていて、昼間は開け放たれていて、夜になると閉められた。
ユズハと一緒にそれらの近道を次々通り抜け、リアは子ども部屋のある廊下にぱっと飛び出した。
見慣れた扉の前に立つ見知った顔の衛兵が、リアを見つけ、にっこりと笑って扉を開けてくれる。子ども部屋の扉は白く塗られた飾り気のないもので、ぴかぴか光る真鍮の丸いノブがついていて、とても軽く、リアが押しただけですうっと動く。だから本当は開けてもらう必要などないのだが、この若い衛兵はリアが来ると、いつも魔法仕掛けのように扉を開いてくれた。
「ありがとー」
お礼を言って、リアは子ども部屋のなかへと入った。
かぎなれた、どこかほっとするような匂いがリアを包む。王宮のどの部屋からも漂ってくる古い落ち着いた香りと、赤ちゃんがよく眠れるという香草の薫り、そして甘いミルクの匂いだ。
明るい色のカーテンは共布で編まれたタッセルで巻きとられて、大きくとられた硝子窓の向こうから、金色の日射しが差しこんでいた。風はもう冷たいので、窓そのものは開けられてはいない。この子ども部屋の持ち主が風邪でもひいたりしたら一大事だ。
日が直接あたらないところに置かれた大きな揺りかごのそばには、ふたりの中年の侍女がいた。リアを見て、やはりにっこりと笑いかけてくる。リアも笑い返した。このあいだから揺りかごの主の世話をするようになった者たちだ。
視線をぐるりとめぐらせて、リアはすぐに母の姿を見つけだした。だが母以外にも見知った人物の顔を見つけて、ちょっと驚く。
母の友人であるアメリア王女がいることには驚かない。この部屋に母がいるときは王女もたいてい一緒にいる。王女がお願いしたから、両親と自分は一年近く王宮で暮らしているのだ。
リアが驚いたのは、そこに王女の旦那さんもいたからだ。いつもこの時間帯は執務とかでいないのに。それに最近はとくに忙しいと聞いていた。
「ゼルさん?」
「なんだ」
深い紺のシャツを身につけた相手が無愛想にそう返事をした。ぴんときれいに立っている襟にかかる黒髪が、動きにあわせてかすかに揺れる。
そっけない低い声だが、リアはひるまない。もともとこんな言いかたをする人で、リアは黒髪になる前のこの人には、たくさん遊んでもらった。剣の稽古だってつけてもらったのだ。
「どーしてここいるの?」
「たまたまだ」
「そっかー」
リアはそれで納得して、母親のほうに向きなおった。
「かーさん、リアのこと呼んだ?」
「呼んだけど………。たまたまで納得するんかい」
「だって、たまたまお仕事じゃないんでしょ?」
リアの答えを聞いて、アメリア王女がくすくすと笑う。こちらは白に金の飾り模様の入ったゆったりした上下を着ていた。白い袖に包まれたその腕のなかにはリアの弟がいる。
リアは再び驚いた。だって王女には、きちんと別に抱きあげる相手がいるのだ。それもふたりも。いつも腕の数が足りないぐらいだから、弟を抱いていることはあまりない。
「アメリアさん、どーしてティルだっこしてるの。セアと、ユアは?」
「アセリアとユレイアは揺りかごのなかにいますよ。眠ってますから起こさないようにしてくださいね」
弟のぽわぽわの金茶色の髪を指ですきながら、アメリア王女は何でもないことのようにそう告げた。弟は相変わらずちょっとぽやんとした顔で王女の指の動きを目で追いかけている。最近ちょっとだけ、髪の毛の色と目の色が濃くなってきた。リナと同じ「くりいろ」になりますね、とはアメリア王女の言。母親のやわらかくて艶々した栗色の髪が大好きなリアは、それが少しうらやましかった。でも別に、自分の髪の色がイヤというわけではない。だってリアの髪は大好きな父と同じ色だ。
揺りかごのところまでやって来たリアは、侍女の顔を見て目で合図してから、そばにあった椅子によじのぼり、そっとなかを覗きこんだ。甘い匂いが強くなる。
特別あつらえの大きな揺籃のなかでは、そっくり同じ顔をした赤ん坊がふたり、しあわせそうに眠っていた。こっちも髪の色が濃くなってきていた。きっと両親譲りの真っ黒な髪になるだろう。
起こさないように静かに離れ、リアは弟のもとまで戻った。姉の姿を認めたティルトが、あーうーと声を出して笑う。しーっ、と言いながら、その頬をちょんとつつくと、指を追いかけて掴まえようとする。リアはくすくす笑って、しばらく弟と遊んだ。
「―――ちょっと出かけることにしたんだけど、リア、あんたどうする?」
突然そう言われ、リアはまばたきして母を見あげた。
どうやら、それが自分が呼ばれた用件らしい。
「とーさん、まだ帰ってきてないよ?」
父は数日前から用事でちょっと遠出しているのだ。
「だからそのガウリイんとこ行くのよ。合流して、それから動くの」
ということは、行く先は―――セイルーンの街の外だ!
理解して、リアのちいさな心臓は飛びはねた。旅をする、と母は言っているのだ!
一年前、ここセイルーンまで旅をしたときのことを思いだす。それから、以前住んでいた家から祖父母や伯母のいるゼフィーリアまで、両親といま目の前にいるゼルガディスと一緒に旅をしたことも。
以前は、もっと頻繁に旅をしていた。リアにとって、家にいることと旅をしていることは同じぐらい当たり前のことだった。弟が生まれてからは旅をやめていたが、父と母はそのうちまたリアと弟をつれて旅に出るのだと、ごく普通にそう思っている。
どきどきしていたリアは、ふと大事なことに気づいた。母親のかたわら、椅子に座っている王女に抱かれた弟を見る。弟はこのあいだの冬に生まれたばかりだ。まだまだ小さくて、旅に出るには早いような気がする。
「ティルは?」
「アメリアたちに預かってもらうわ。だからあんたはどうする? ティルとここで留守番してる? あたしと一緒に行く?」
「行くっ!」
リアは即答して、母に飛びついた。母と旅をして父のところまで行くのだ。絶対に絶対に連れていってもらう。
王宮はたしかに遊びきれない無数のオモチャが詰まった宝箱のようで際限なく楽しいが、それでもそろそろ飽きてきた。それにリアはこのあいだまで―――といっても、もう三ヶ月も前のことだが、熱を出してずっとベッドにこもりきりだったのだ。どこか思いきり遠くまで行ってみたかった。
「だいじょうぶですか、リナ。リアまで連れていくなんて」
「ま、今回それほど危険ってわけでもないし、平気でしょ。いざとなったら宿でひとりで待てるわよ、この子。ちょっと王宮で怠けすぎだしね」
ひとりで待てると言われて、リアは内心誇らしかった。母に信頼されているかと思うと、うれしくてたまらない。
「じゃ、りあは、りあのトコからさよなら?」
淡々としたユズハの声に、リアは母に抱きついたままふり返った。
「さよならじゃないよ。だってティルがおるすばんしてるから、リアまたここ帰ってくるよ」
「てぃる、は、りあのトコ残ル?」
「そうだよ」
「うむ。わかっタ」
リアとユズハの会話を聞くともなしに聞いていたゼルガディスが呟いた。
「………聞いてるこっちの頭が痛い」
ユズハは、リアのこともアメリア王女のことも、どちらも「りあ」と呼ぶ。本人はきちんと呼び分けているつもりだし、話しかけられるほうも普段はどうにか聞き分けているのだが、ふたりともその場にいる時にユズハが「りあ」と呼んでくると、さすがにどっちを呼んでいるのかわからなくなるときがあった。
ただでさえ、リアの名前は母と音がよく似ている。親子三人で暮らしているときは何の不便もなかったが、人がたくさんいる王宮だと、その事実はちょっと面倒な事態になった。よっぽど近くでこちらの目を見て言われない限り、母とリアのどちらを呼んでいるか、わからないのだ。
母から呼ばれればさすがにわかるし、父が呼ぶ場合もどういうわけか不思議と聞き間違えたことはないが、母もリアも呼び捨てるアメリア王女とゼルガディスの場合、どうにも聞き違えることが多い。
「それなんだけどね、ゼル」
言いながら、母の手がリアの頭を撫でる。
「この際だから、愛称でもつけようかと思って」
「リアにか?」
「そう。いくらうちのねーちゃんがつけてくれた名前とはいえ、あんまりややこしいからね。そのほうが、あんたたちも便利でしょ」
リアはびっくりして頭を撫でられているのも忘れて、母の顔を見あげた。
「もうすぐ七歳だし、もういっこぐらい名前あってもいいんじゃないの」
「いや、歳は関係ないだろう。それに、普通はないぞ」
「あら、わたしはありますよ」
「そりゃお前は王族だからだろうが………」
リアはアメリア王女の名前を思いだそうとした。たしか、一度聞いたきりだが、とても長かった。アメリア以外にも、ウィル何とかかんとかと続いて、最後にセイルーンと国の名前が入るのだ。国の名前が最後にくるのは、王族だかららしい。ゼルさんにはないの? と聞いたら、おれにはないと、やたらきっぱりした口調で言われたのを憶えている。
「リアも、アメリアさんみたいに名前が長くなるの?」
それはちょっと困るな、とリアは思った。
だって、ただでさえリアには姓がふたつあるのだ。母の姓と父の姓。どっちでも好きなほうを名告りなさいと言われているのだが、リアにはとても決められない。だってどっちも大好きなのだ。大きくなってから決めたらいいとも言うので、いまのところ実際にだれかに向かって姓を名告ったことはない。
そんなふうに姓がふたつあるところに、名前までふたつになったら、とっても大変だ。
頭上で母がくすくす笑った。
「違うわよ。もちろん、あんたがそうしたいならそうしてもいいけどね。ゼルガディスのことを、あんたもゼルって呼ぶでしょ。それみたいなもんよ」
「リアの名前、もうリアより短くならないと思うよ?」
ゼルガディスは名前が長いから短くしてそう呼べるが、リアの場合はもうこれ以上どうしようもない。まさか、一文字だけにするのだろうか。
リアがそう疑問を述べると、アメリア王女とゼルガディスが小さく吹きだした。
「あんたの言うとおり、もうこれ以上短くしようがないわよ。だから別の名前にしようと思うの。あんたのリアって名前は、うちのねーちゃんからだから、あたしからもひとつあげるわ………どう?」
問われて、リアは考えこんだ。
いま、母とリアはよく名前を間違えられている。たしかにそれはリアからしても由々しい問題で、ましてユズハの場合はアメリア王女まで「りあ」なので盛大にごっちゃになっている。
だから不便を感じている母が、別にもうひとつリアに名前をあげようと言う。なんだか拾い猫に名前をつけるみたいな感じで妙な気分だが、リアもゼルガディスのことを「ゼルさん」と短く呼んでいるのだから、それと同じだと言われると、それもそうかという気もしてくる。
それに、リアの名前は伯母のルナがつけてくれたものだ。少なくともそう聞かされている。だが、弟のティルトの名前は母がつけた。ゼルガディスが「崩霊裂からか?」と大真面目な顔でたずねて、母にぶん殴られていた。
その母が、自分にもうひとつ名前をくれるという。これさえあれば、ゼルガディスから呼ばれてもユズハから呼ばれても、自分の名前を聞き間違えることはない。自分は伯母からも母からも名前をもらえる。何も悪いことなんか、ひとつもない。
「―――うんっ、もらう!」
リアは顔をあげて、勢いよくうなずいた。
「いまくれるの?」
「あんたねー、犬猫じゃないんだから。もうちょっと考えさせなさいっつーの。いまは出かけるほうが先よ」
そうだった。王宮を出て、父のところまで行くのだ。ひさしぶりの………一年ぶりの旅!
「今日でかけるの?」
「明日よ、だから仕度しなさい。ひとりでできるわね?」
言われて、リアはむくれた。自分はそんなに小さな子どもではない。まだまだ手のかかる、おむつのとれない弟とは違うのだ。ひとりで戻れるかと聞かれるのとは全然別の問題である。王宮は大人でも迷うぐらい広いから、イルニーフェがそう聞くのは当たり前だが、ひとりで仕度できるかと母に聞かれるのは、信用されてないからだ。さっきはひとりで待てるから大丈夫と言ってくれたのに! 熱を出してベッドに寝ていたあいだに、赤ちゃんに戻ったと思われているらしい。
「できるもん!」
むきになったリアが大声で言うと、途端に揺りかごのほうで、ふぇっと双つの泣き声がした。いけない、忘れてた!
リアがあっという顔をすると同時に、頭上から母の拳骨がふってきた。あまり力は入っていないので、ちょっとしか痛くないが、目の前のゼルガディスが呆れた顔をしているのがものすごく恥ずかしい。
思わずリアは、口をへの字に押し曲げた。
―――だって、母さんが変なこと聞いてくるから悪いんだもん!

