たからもの (オンリー・ワン・ワールド)〔2〕

 翌朝、朝食がすむと言われたとおり、リアはひとりで用意をした。
 王宮でいつも着ている服よりも、もっと厚く織られた上着を着てズボンをはくと、その上から暖かい毛織りの子供用のローブをかぶる。普段と違うかっちりしたつくりのブーツをはくと、何だか足が窮屈な感じがした。
 マントを羽織って肩で留める。それからさらに、アメリア王女が去年の誕生日に贈ってくれたフードつきのケープを上にまとった。羽根のように軽くて薄くて、とびきり手触りがいい。ユズハと色違いのお揃いで、紺色の地に銀糸で刺繍がほどこしてある。
 ひととおり仕度を終えると、最後に腰に小さな革のポーチをくくりつけた。中に入っているのは薄紙に包まれた飴玉と薔薇色の岩塩。………どっちがどっちだったっけ。あとでこっそり舐めてみよう。包帯にもなるきれいな麻の布と貝殻に入った傷薬。小さく折りたたまれている裏打ちされた布の袋は、広げて紐を結びつけるとナップザックになる。火打ち用の鉄板と石英。鞘に収められた小刀は、持たせてもらえるよう父親を説得するのにとても骨が折れた。―――それから、絶対になくすんじゃないわよと母親から念を押されて与えられた、金貨が一枚と銀貨が三枚。ポーチの蓋の裏側に、そっと押しこめられている。
 あとは、リアが旅の途中で見つけた小鳥の形をした小さな翡翠色の石と、猫の形をしたすべすべした黒い石、ちょっと変わった色の木の実がいくつか。
 何か忘れものはないだろうか? 姿見の前でぐるりとまわって点検し、リアはそれから着替えの入った荷物を持って部屋を出た。―――が、すぐに慌ててひき返してきた。
 枕元のテーブルに置かれた、母親お手製の宝石の護符(ジュエルズ・アミュレット)を首にかける。これを忘れると大変だ。リアがそれこそ赤ん坊だったころから身につけさせられているもので、通称「迷子札」。迷子と言われるのは大変不本意なのだが、母や父の指示でふたりから離れるようなことあっても、これさえ身につけていれば、どれだけリアが遠くへ行っても母は必ず魔法で自分を見つけだす。
 小さいころには、もっと別のごつりとした灰色の台座におさまっていたのだが、最近それにはリアが見たこともないような赤黒い石がはめこまれ、母の胸元と両腕、腰のベルトを飾っている。似合わないとリアが素直に感想を述べると、母は憮然とした顔で「知ってるわよ」と言った。似合わないと知っているのに、どうして四つも身につけているのか、リアにはさっぱり理由がわからなかったが、リアの迷子札とて似合う似合わないで身につけているわけではないので、きっと同じような理由なのだろう。―――もちろん、母が迷子になるはずはないが。
 ケープの上から首にかけた護符を、なかば無理やり服のなかに落としこんで、リアは今度こそ部屋を後にした。



 来るように言われた子ども部屋へ行くと、すでにそこには仕度を終えた母と公務用のドレス姿のアメリア、藍の上着を着たゼルガディスがいた。それぞれ手にはティルトと双子を抱いているが、ゼルガディスの手つきは子どものリアから見ても危なっかしい。ユア落しちゃわないかな、とリアはちょっぴり心配になった。
「来たわね」
 魔道士姿の母がリアを見て、ごくわずかに目を細める。リアはわずかに緊張した。―――何か、忘れているだろうか。もし何か忘れていて、それがとても大切なことで、一年も旅をしていないからやっぱり気が抜けている、怠けていると思われたらどうしよう。いまから留守番なんてことになったら。
 だが母は苦笑すると、ティルトを双子の侍女に預けてリアを手招きし、しゃがみこんでそのマントを引っぱりだした。
「子どもってすぐ大きくなるのね〜。新しいマント買ってあげなくちゃね」
 言われて、リアはおのれが羽織ったマントを見下ろした。さっきは気づかなかったが、そう言われれば、このマントを仕立ててもらったときマントの裾はリアの(すね)まであったような気がする。いまでは膝下近くまで丈が短くなっていた。
「リア、背伸びた?」
「伸びてるわよ、お嬢さん」
 母が笑って、リアをぎゅっと抱きしめる。そういえば、母はもう自分を抱きあげてくれなくなった。リアがすっかり重くなって、もう母では長い時間持ちあげていられなくなってしまったから。
「―――さて、じゃあそろそろ行きますか。アメリア、悪いけどティルトのことよろしくね」
「こっちが調査をお願いしたんですから、ティルのことは任せてください。リナのほうこそ、リアもいるんですし、気をつけて」
「わかってるわよ。いくらあたしでも遺跡のなかまで連れてかないって。こないだの地震で地盤がもろくなってるかもしんないしね」
「ガウリイにもよろしく言っといてくれ」
「みやげ、よろしう」
 最後はもちろん、言うまでもなくユズハだ。
 リアは双子の頭を撫でようとして、赤ちゃんの頭に触っちゃいけないと言われていたのを思いだし、ふくふくの頬にそれぞれキスをした。弟のほっぺにもしてやり、いい子でねと言い聞かせる。
「ユズハ、行ってくるね」
「ン、行ってくるがヨシ」
 ユズハが抱えた白猫の前肢を持ちあげて、ばいばいとリアに手をふった。



 アメリア王女の厚意により、セイルーンの外壁門までは大陸橋を馬車で一気に通過した。
 聖王都の巨大な六紡星はそれ自体が城壁でもあり陸橋でもあり、都市内の交通の大動脈としても利用されている。現在は一時的に通行止めになっているので、リアたちの馬車は特別待遇だった。
 転落事故があっては大変なので、陸橋の左右は見通しの悪い石壁になっている。子どもの座高では窓から外を覗いても、たいしたものは見えやしなかった。リアはおとなしく母親の隣りに座って、ごとごと振動に体を揺らす。
 ふと、母の横顔を見あげる。
 バンダナをまいて額のところで押さえてある髪はリアとは違う栗色だが、リアとよく似た癖を持って、立てたマントの襟から溢れ、背中に流れている。途中までは比較的ストレートなのだが、終わりの毛先のほうがちょっとゆるく巻いているのだ。リアの肩までの金髪もちょうどそんな癖が出てきていて、あっちこっちに跳ねていた。
 影の下では赤味の強い茶褐色をしている目は、ふとした拍子に瞳の奥底まで光線が透ると、ルビーのような真紅に輝く。その瞬間を見るのが、リアはとても好きだった。
 自分も同じ色の瞳をしているが、母とはあまり似ていない。リアははっきりと父親似で、母の生き生きと動く大きな目や、ツンと上を向いた小さな鼻、きりっとした濃い色の眉や、伏せたときに影を落とす栗色のまつげなどは、どれもリアが持っていないものだった。
 すっと引き結ばれた唇は普段はよく動き、とんでもない早口でしゃべって値切って食べるが、いざとなったら歌うようになめらかに呪文を紡ぎだす。
 子どものリアの目から見ても、母は他の周囲のおとなたちよりも小さく、ほっそりと華奢に思えたが、見た目よりも力が強くすばしっこくて、呪文だけでなく剣も巧みに操った。母よりも強い人物など、女はおろか男にだってそうはいないことをリアは知っている。
 ―――母は強い戦士で、名の通った魔道士なのだ。色んな人が母の名を聞くと目をみはり、態度が変わる。なかには名前を聞くなり謝ってくる人もいる。そういう人物はたいてい直後に、母の呪文で吹っ飛ばされた。母はよく色んなものを呪文で吹っ飛ばす。
 リアの視線に気づいた母がこちらを見て、どうしたと目で問うてくる。
 ふるふると首を横にふって、リアはうつむいた。
 母があんまり綺麗で、くっきりと周囲から浮かびあがっているようで、ちょっとまぶしくなったのだが―――そんなことを口には出せなかった。



 衛兵たちに見送られながら門をくぐって白魔術都市の外に出ると、青空が視界いっぱいに広がった。
 秋の空は弟の目の色そっくりの青をしている。夏の空よりも色がほんの少しだけ淡くて、代わりにうんと高い。魚の群れみたいな細かな雲が、空の海をゆったりと泳いでいた。
 母はすっと背筋を伸ばして、まっすぐに街道を歩いていく。白いブーツの足取りは迷いなく、一歩、一歩、しっかりと大地を踏みしめて先へと進む。ときおり風がマントをはためかせ、少し古びたショルダー・ガードの縁をかすめて、かすかな唸りをあげた。
 リアの歩みが遅れると母はぴたりと足を止め、ふり返って娘が追いついてくるのを待つ。リアが追いついてくると、さっと前を向いてまた歩きだす。決してリアを置いていきはしないが、必要以上に待っていてもくれない。母のお荷物になるのが嫌で、リアは懸命に足を速めた。
 本当は、母はもっと速いのだ。そして母よりもずっと父は速いのだ。父の一歩はリアの二歩も、三歩もある。ぐんぐん進んで、あっという間に距離を稼ぐ。そんな父だが、いつもは母にあわせて一緒に歩く。そして母はリアにあわせるから、必然的に親子の歩みはぐっと遅くなった。
 早く、もっと大きくなって、一緒に並んで歩けるようになったらいいのに。そうしたら待たせずにすむ。ああでも、今度は自分が弟にあわせてあげる番だ。そうなると、もっと遅くなってしまわないだろうか。
 そんなことを思いながら、リアは久しぶりの街道を歩いた。
 だがお昼も過ぎたころになると、両足の裏とかかとにぴりぴりとした痛みが奔りはじめ、リアの歩みは自然と遅れた。―――きっとマメができている。そう思うと泣きたくなった。やっぱり王宮暮らしですっかり足を甘やかしていたらしい。
 先を行く母が立ち止まり、リアをふり返った。
「休憩しよっか?」
 リアは黙ってぶんぶん首を横にふった。休んだら、きっともう立ちあがりたくなくなってしまう。マメは原則治癒(リカバリィ)禁止なので、しばらく休憩したからといって治るわけではない。
 母はしばらく何か言いたげにリアを見つめていたが、やがてひとつうなずくとまた先になって歩きはじめた―――が、すぐにリアのところまで戻ってくると、その左隣りにならんだ。
 手袋に包まれた母の右手が、リアの小さな手をとる。
 リアが見あげると、母はにっこり笑って何も言わず手をつないで歩きだした。リアにあわせて、ゆっくりと。
 手袋越しの母親の体温が、リアの手のひらにじんわりと伝わってくる。―――なんだか急に、足の痛みが軽くなったような気がした。
 しばらくそうやって母と娘は街道を歩いた。やがて行商人の幌馬車が背後からやってきて、交渉ののちにその荷台へと乗せてもらう。リアは黙って口をひき結び、足が痛いなどとは一言も言わなかったが、行商人夫婦はまだ幼いリアが一人前にせっせと街道を歩いていることにほだされたらしく、二つ返事で母娘を馬車に乗せてくれた。
 リアは足の痛みから解放されてほっとしつつも、馬車から降りたとき、またきちんと歩きだせるだろうかとても心配だった。だがほどなく、馬車の振動と昼の陽射しの誘惑に勝てず、夢の世界へと足を踏み入れる。
 うとうとしていると、ふと体が抱きよせられた。装備の皮革や手入れ油の臭いに混じって、太陽と野の花が混じりあったようないつもの母の匂いがした。行商人の奥さんと世間話をしていた母が、マントを広げてリアを内側に抱き入れてくれたのだ。
 もっと幼いころは、母のマントのなかに入れてもらうのが大好きだった。大きくてたっぷりしたマントはリアの姿をすっぽりと隠し、狭い天幕のような空間は世界でいちばん安心できる場所だった。
 風を通さない目の詰んだマントのなかは母の体温でぬくめられていた。ふんわりと暖かな空気がリアを包みこみ、秋の冷気をさえぎると、よりいっそう眠りが深くなる。―――あんまりぐっすり寝ちゃ、ダメなんだけどな。起きてまた歩かなくちゃいけないのに。思いながらも誘惑に抗えない。
「………この強情っぱり」
 小さく笑う母の声がして、手袋をはずした指が髪を撫でていく感触がした。