たからもの (オンリー・ワン・ワールド)〔11〕

「水質の浄化と地力を回復させる魔法陣―――?」
 リナから話を聞いて、アメリアは目を丸くした。
 雲がのんびりと行き交う、秋晴れの良い天気だ。窓の外からは、人々の働く音やおしゃべりの声、石畳を踏む(わだち)の音など、常と変わらない街の音が聞こえてくる。子どもたちの遊ぶ声も遠くに混ざっているが、この近辺からは聞こえてこない。というのも、このあたりの子どもたちは先日の事件のせいで、のきなみ親から大目玉を食らって、おとなしくさせられているからだろう。リアとガウリイは、宿屋の少年の案内でその子どもたちの家を訪ねてまわっている最中だという。
 地震による崩落騒ぎの翌日。プライアム・シティから連絡を受けたアメリアが、被害視察という名目ですっ飛んできた。
 子どもがひとり、行く先もわからない地下水脈に落ちたのだ。常識からいって助からないと判断した行政官からの連絡はおのずと物騒なものになり、アメリアをはじめフィリオネルまで顔を青くしたのは言うまでもない。
 すっとんで来てみれば何のことはない、リアはすっかり元気を取りもどしているし、リナもガウリイもけろりとした顔でアメリアを出迎えてくれたので、彼女はほっと胸を撫でおろした。場合によっては遺跡の破壊も辞さじ、とリナが宣言したと聞いているが、どうやらこちらも奇跡的に壊れずにすんだようである。彼女はやると言ったら本気でやる。
 とりあえず無事を確認したアメリアはもろもろの公務や雑事をすませてから、その日の午後、あらためてリナたちの滞在している宿を訪れた。さすがにひとりきりでひょいと顔をのぞかせた巫女装束の女性をこの国の王女だとは思わなかったらしく、宿の者たちは誰もアメリアの正体には気づかなかったようである。
 この頻発している地震が終息するまで調査は中止―――というリナの意見に異存はない。お茶を飲みながらアメリアがうなずくと、リナは遺跡内部の魔法陣について冒頭のように告げたのだった。
「そ。ぱっと見た限りと、あたしの推測からするとね。汚れた水質を浄化して送りだすとともに、取りのぞいたその不純物は―――水にとっては不純物でも、大地にとっては肥料になるものってのも多いしね。そっちのほうは土地に還元しようってことなんじゃないかしら。ほら畑って連続して作物つくると、ある程度休ませないといけないでしょ?」
「それって、いまも可動してるんですか?」
 アメリアの目の色が変わった。解析して技術を応用できれば上水・下水と休閑地の問題が一気に片づく。
 俄然食いついてきたアメリアの反応を予想していたらしく、リナは小さく笑いながら首を傾げた。
「どうかしらね。さすがにもうあちこち魔法陣欠けてたし。そもそもこんな便利な設備が忘れられて遺跡になってるってこと自体が、そんなに役には立たなかったってことなんじゃないかしら」
 リナは苦笑する。
「だってさ。フツーに考えたら、水質の浄化はともかく地力の回復なんて、魔法陣ひとつでどれぐらいの面積まで効果があるかっていう問題もあるわけだし。莫大な費用をかけて魔法陣を開発して維持するより、穴掘って肥だめと腐葉土槽作るほうがどんだけ手っとり早いかって話でしょ? どっちもタダなんだし」
「肥だめ………」
 ミもフタもないリナの言いように、がっくりとアメリアは肩を落とした。
 たしかにリナの言うとおりで、王宮にも数ヶ所に腐葉土槽があり、広大な敷地内で発生する大量の落ち葉はそちらに全部集められ、腐葉土に作りかえられている。王宮に限らず、堆肥作りはそれこそ至るところで行われていて、いちばんコストがかからず手っとり早い方法であるのは間違いないのだが、そこまで言い切るのもどうかと思う。
「と、ともかく地震がおさまったら本格的に調査を入れてみます。ありがとうございます、リナ」
「こればっかりは偶然よ。リアがそこにいただけだから」
 肩をすくめたリナに、アメリアはひとつ息をついた。
「今回はすいませんでした。何はともあれ、リアが無事で良かったです」
「―――ま、あたしに似て悪運だけは強いんじゃないかしら」
 リナの答えは素っ気なかったが、アメリアはそれを聞いてごくわずかに目を細めた。
 唇の端をわずかに持ちあげ「このお茶美味しいですね」と、ただそれだけを言う。宿の者に頼んで用意してもらったのだが、どういうブレンドなのか、かすかに花の香りがする。
 ここに来る途中、通り沿いのパン屋で売っていたカボチャのパイと、具だくさんのプディングが美味しそうだったので、見舞いと詫びの意味もこめて大量に買い求めてきた。プディングのなかには栗に無花果(いちじく)にクルミにレーズン―――というように、砂糖とスパイスで煮た幾種もの干し果実がどっさり入っている。リナはひとまずこれで手を打っときましょーか、と笑ってそれを受けとった。
「………それにしても『分けて考えなさい』、ですか」
 アメリアはくすりと笑う。リナは無言で眉を動かした。
 彼女が呟いたのは、先程リアに説教していたときのリナの言葉の一部分だった。
 その部分だけ聞こえてきたので前後の関係はよくわからないが「泥棒がいいことしたら、その人が物を盗んだってことはチャラになるの? こういうことはきっちり分けて考えなさい」などと説教していたので、アメリアは扉の前で思わず吹きだしそうになってしまった。
「思いっきり自分のことを棚上げしてますね。盗賊を成敗して金品を巻きあげてる盗賊殺し(ロバーズ・キラー)のセリフとも思えません」
「悪人に人権はない」
 きっぱりと言い切り、リナは軽く肩をすくめた。
「それに、棚上げしてるつもりもないわよ? あたしはわかったうえで無視してんだから。常識を知っとかないと、無茶もできないし建前にもできないでしょーが。知ってるうえで無視してるのと何も知らないのとでは大違いよ。まっとうなことは早いうちに教えておかないとね。知ったうえで大きくなってから建前に使おうが無視しようが、それはあたしの知ったことじゃないし」
 アメリアはこめかみに指をあてて嘆息した。
「………リナ、あなたの教育方針はかなり問題があると思いますよ」
「ガウリイがやかましいからちょうどいいんじゃないの?」
 たしかにアメリアが見聞きしている限り、本来なら母親が言うような注意を常日頃リアに言い聞かせているのはガウリイのほうだ。リナはかなり無頓着で、この点に関しては完全に父親と母親の立場が逆転している。
「まあ、人の家の事情に口を挟む気はありませんけどね………」
 常識を叩きこむ気があるだけ、まだマシなほうだろう。実際リアは良い子だ。アメリアは話題を自身が気になっている点へ軌道修正することにした。
「ところでリナ。魔法陣に話は戻るんですけど、直下となるのは場所的にはどのあたりなんです?」
「そうね。だいたいでいいなら、街から出て南のね、えっと―――」
 プディングを飲みこんだリナが立ちあがって、アメリアから預かっていたこのあたり一帯の地図を持ってくる。説明を聞きながら額を押さえて記憶をたどっていたアメリアは、やがて溜息とともに頷いた。
「なるほど。道理であのときカロンの花がやたら生えてたわけですか」
「カロンの花?」
 独り言のように呟かれたアメリアの言葉に、リナの片眉が勢いよく跳ねあがった。
 青白い蝶の翅のような薄様の花弁を持つこの花は、果実に強い毒性を持つ。魔道薬の原料にもなるが、むしろ麻薬の原料としてその名は有名だった。どこの国でもその栽培は色々な形で規制されている。当然ながら、このセイルーンでも。
「―――以前この街で麻薬密売をしていた商人を摘発したことがあるんですけどね、密売だけじゃなくて原料の栽培もやってたんですよ。ちょうどリナさんがいま言ったあたりでこっそり栽培されてて。で、カロン。あれ、ものすごく肥料食いで栽培効率が悪いはずなのに、摘発したときにはあたり一面お花畑だったらしいんですよね」
「麻薬密売って………こんな王都に近いお膝元で、よくそんなことやってたわね」
「領主ぐるみだったんですよ」
「はあっ?」
 唖然としたリナに、アメリアは涼しい顔で香茶を口に運ぶ。
「ちょうど暇でお忍びやってたわたしが成敗して事無きをえたんですけど」
「あんたら親子ときたら………。だからこの街、領主の城はあるのに直轄領になってるわけ?」
「そうです。最近接領のひとつなので、前々からお祖父さまはここを直轄領にしたかったみたいなんですよね。ちょうど良い機会だったらしくて」
 さらりと言ったアメリアに、リナは呆れて小さく肩をすくめただけだった。
「ふーん。でも、エルドラン王が提案した、ゼルにあげようとしてた土地って、たしかここじゃなかったっけ?」
「そうですよ。ゼルガディスさんが一蹴したので白紙ですけど」
「で、断られたから今回の大修理ってわけ?」
「そういう考えのようですね。こちらは父さんからお祖父さまへの提案だと思いますけど。でもわたしもこのほうがゼルガディスさんの性格にあっていると思いますし、ゼルガディスさん自身もそう考えてこのあたりで手を打ったんでしょう」
「ま、たしかに領地を拝領するよりは絶対にゼル向きだわねー。こっちのほうが何倍も大変だけど」
 頬杖をついたリナがにやりと笑って、箔の付け方にも色々あるわよね、と言った。
「で、その旦那さまは二度目の地震でいまごろ大忙しなんじゃないの? こんなところでお茶してていいのかしら奥さまー?」
 からかわれて、アメリアはぷうっと頬をふくらませた。
「そのゼルガディスさんからも行ってこいと言われたからいいんです! ゼルガディスさんだって報告聞いて青くなってたんですよ?」
「そりゃまあ、合成獣のころからリアが懐きまくってるしねえ………」
「そういえば………愛称をつけるって話でしたけど、決まりました?」
 アメリアに問われ、頬杖をついたリナはどこか遠くを見るように目を細めた。
 その視線の先で、陽射しは午後の飴色を濃くしている。やがて薔薇色の落日へと変わるだろう。
 廊下のほうがふと騒がしくなった。リアとガウリイの声がする。
 やがてリナはぽつりと呟いた。
「―――うん、決まったわ」



 リアが目を覚ますと、そこは青の空間ではなくごく普通の宿屋の一室だった。
 傍らで本を読んでいた母から笑顔でおはようと言われ、いつも通りに挨拶を返し、あれは夢だったのだろうかと思わず首を傾げたが、そんなことはなかった。ベッドから降りて履こうとしたブーツはおろしたてのはずなのに泥だらけだったし、マントとケープは見当たらなかった。母に尋ねたら一言「洗濯」と返ってきたので、やはりあの青い光は夢ではない。
「リアがねてるあいだに、かーさんたちがリアつれてかえってきてくれたの?」
「そうよ」
「マークたちは?」
「みんな無事よ。ただし、いまはみんなおしおき中みたいね。朝ご飯食べなさい?」
 淡々とした母の言葉にリアはぎくりとした。これはかなりの危険信号だ。
 すでに日はかなり高く、一人分の朝ご飯が部屋のテーブルに用意されていた。リアがそれを食べ終わると、にっこり笑って母は読んでいた本を閉じた。どこに行っていたのか父も戻ってきて、目を覚ましたリアに笑いかけて頭を撫でてくれたが、少し怖い。
 そんなわけで、午前中いっぱいかかってリアは昨日のできごとを一から十まで報告させられ、続いて懇々と両親から説教をくらった。普段リアが何か怒られるようなことをしたときにお説教をするのは父の役目なのだが、今回は母も一緒だったので、それでどれだけマズいことをしたのかということがわかってしまった。
 だが、とっさに封気結界呪(ウィンディ・シールド)を唱えたことは褒められた。だったらこんなに怒らなくてもいいのにと思っていると、そんな考えをお見通しだったらしい母が片眉をあげて「泥棒がいいことしたら、その人が物を盗んだってことはチャラになるの? こういうことはきっちり分けて考えなさい」とさらに怒られた。
 お説教が終盤にさしかかったところで、セイルーンにいるはずのとっても忙しいアメリア王女が扉を蹴破らんばかりにやって来たので、さすがにそれでリアもどれだけ大事になっているかを理解したのだが、アメリア王女の来訪でひとまずお説教がうやむやになったので、それはありがたかった。
 だがそれもやはり見透かされていたらしく、にっこり笑った母から思いきりこめかみをぐりぐりされて、リアはとうとう泣きだした。しかしそれがお説教終了の合図で、アメリア王女と母が会話している傍らで、しばらくべそべそやっていたリアを父が苦笑しながら抱きあげてくれた。
 リアがマークたちのところに行きたいと主張したのは、お説教も終わった午後に入ってからだった。母が言った「きっちり分ける」をリアなりに考えた結果、「迷子札」のことで結果的に嘘をついてしまったことを謝らなければならないと思ったからだ。あのときティムに責められて、リアは思わず違うと首をふったし、マークたちを助けることで挽回しようと思ったけれど、母が言うとおりなら、それはそれ、これはこれで別のことで、やったことや選んだことは消えはしないし、足し算引き算できるものでもない。
 最初、難色を示していた父だが、リアの訴えを聞いて、そういうことならとオーケイを出してくれた。もうこれ以上ひとりはダメだから父も一緒にという条件がつけられたが、もちろんそれに文句はない。父がマークの両親にかけあってくれて、部屋に閉じこめられていたマークを案内役として外に出してくれた。だから、最初の「ごめんなさい」はマークだった。ひとりひとりにリアは「ごめんなさい」を言いに行き、同じ数だけ「助けてくれてありがとう」とお礼を言われた。
「今回だけにしろよ。もうやんなよ」
 玄関まで出てきたティムはぼそぼそとした口調でそう言い、それからばつが悪そうな顔になった。
「………おれも悪かったから。ごめんな。助けてくれてありがとう」
 道中、父は案内役のマークに何やら安全な秘密基地の見つけ方と作り方を伝授していて、マークのほうも真剣な顔でその話を聞いていた。宿に帰ってきてから「お前の父ちゃんカッコいいな」とささやかれ「うん。カッコいいでしょ!」と勢いよく頷いたら、少し悔しそうな顔をされた。なぜだろう。
 アメリア王女はその日のうちに、とんぼ返りでセイルーンへと帰っていってしまった。「冒険の話、あとでわたしとゼルガディスさんに聞かせてくださいね」とリアに耳打ちしながら。
 遺跡の調査は中止になったらしい。
 母からそう聞いて、明日にでも聖王都へ帰るのかとちょっとがっかりしていたら、なぜかもう一日いることになった。大喜びしたリアは、マークたちと日が暮れるまで思う存分遊んだ。たくさん色んな遊びを教えてもらったので、弟たちがもうちょっと大きくなったら一緒にやりたい。
「また来いよ。いつでも仲間に入れてやるから」
 明日の朝にはここを発つと告げたとき、そう言ったのはティムだった。リアがもう帰ってしまうことに対して少し怒ったような口調だった。
 ―――王都へ帰る日も、やはりよく晴れた天気だった。
 行きは母と二人だったが、今度は父もいる。並んで歩く父と母のあいだがリアの定位置だ。リアの右にいるのが父で、左にいるのが母。弟が歩けるようになったら、きっとリアの右か左に並ぶのだろう。はやく手をつないで一緒に歩けるようになりたい。
「たくさん遊んだか?」
 父を見あげると、その背後に透きとおるような青空があった。父はとても背が高いから、すぐ隣りを歩いているときは、うんと見あげないといけない。
「うん。あのね、たくさん遊びかたおしえてもらったの。ティルやユアやセアがおっきくなったら、リアがおしえてあげるの」
「そっか、よかったな」
 父の手がいつものようにリアの頭をくしゃっと撫でる。
 思わず首をすくめているうちに自然と歩みが遅くなり、父からも母からも遅れてしまった。するりと両側から馴染んだ気配が遠ざかっていく。だが不安はない。
 両手で髪を撫でつけながら顔をあげると、少し先で母と父が揃って立ち止まり、リアを待っていた。
 行く先から風が吹く。
 雲を流し、草をそよがせ、道端の花を揺らしながら、金の髪と栗色の髪をもつれあうように風になびかせて―――リアのもとまでたどりつく。
 風にひそむ母と父の気配がリアを包みこみ、背中を押した。鮮やかさとさりげなさ。いつだって傍にいてくれる。吹きつける風に思わず目を閉じてしまったが、それでもたしかに感じとれる。
 道の先で母が笑った。
「あんたの名前、決まったわ。セイルーンに帰ったら教えてあげる!」
 光がさんざめいて弾け散る。
 リアは思いきり駆けだした。走って走って追いつくと、両手でそれぞれの手をつかんでぶら下がる。父の笑い声と母の悲鳴が左右から降ってきて、リアの体は振り子のように勢いよく上へと伸びあがった。
 父は屈託なく笑って軽々と、母は「あんた重いのよ!」と苦情を言いながらもしっかりと、リアの体を持ちあげていた。空が近くなって遠くなって、また近くなる。
 体の奥からとても幸せなものが溢れだして、このまま膨らんで弾けてしまいそうだ。
 不意にぐんっと体に弾みがついた。空が近づいたそのときが解放の瞬間。世界が広がる。果てなく無限に。リアの歓声に重なる母と父の声。それは鮮やかに弧を描く。
 たからものは、いつだって目の前にある。ただひとつのこの世界に。
 風を切って、クーンは前へと飛びだした。
 


 Fin.