たからもの(オンリー・ワン・ワールド)〔10〕
宿から戻ってきたリナの手には、携帯用の方位球と宝珠が握られていた。
すでに日は落ちている。かすかな残照が残るだけの藍の空から舞い降りたリナは、大地の精への支配を解くと、土人形を土へと戻す。
見守っていたガウリイに目配せすると、彼は小さく頷き、子どもたちに帰宅をうながしてから、陥没した斜面を身軽に滑り降りてきた。
集まった親たちの再三の叱責をふりきってこの場に居残っていた子どもたちは、リナとガウリイの後ろ姿を見送ると、今度こそ親に手を引かれて、ふり返りふり返り家路に着く。
「―――どこにいる?」
救助のために集った人々をいっさい無視して無言で地下通路に降りたったリナに、ガウリイがそう声をかけた。
「こっからだとちょっと距離がある南よ。地下水脈がどこをどう流れているのか検討もつかないから、ちょっと荒っぽい手段だけど直接潜るわね」
それだけを言うと、リナは宝珠と方位球をマントの隠しにしまい、抜きはなったショート・ソードの剣尖にライティングをかけた。
足早に通路を通り抜け、問題の穴のところまでやってきて―――リナとガウリイは思わず唸った。
「………こりゃあ、おれは通れんぞ」
いや、ガウリイだけでなくリナも通れないだろう。落ちるのは子どもか猫だけ―――というような幅の狭い亀裂が、黒々とそこに横たわっていた。リナとガウリイからすると、ここを飛び越して向こう側の通路へ渡るよりも、ここに落ちるほうが逆に難しいというような亀裂である。
―――いったん戻って、昼に潜った穴から降りるか?
そうガウリイが問おうとしたとき、リナはいきなり亀裂手前の石床へ手のひらを押しあてた。
「地精道っ!」
問答無用で真下に向かってきれいな正円の穴があく。それからリナはライティングのかかった剣をガウリイに預けると、肩あての裏側から薄刃のナイフをとりだし、そちらにも魔力の明かりを灯した。こちらはショート・ソードにかけたものより、かなり明るい。
「行くわよ、ガウリイ。翔封界で行くから、しっかりつかまって」
ことさらに事務的そう口にする。
「憶えてないかもしんないけど、昔やったことあるでしょ。場合によっては思っきし揺れるから覚悟してね」
「………リナ?」
「なに?」
リナはちらりとガウリイを見あげた。ガウリイはしばらく何も言わなかったが、やがてぽんとひとつマント越しに背中を叩く。
「いや、行こうぜ」
リナは目をすがめたが、やはりこちらも何も言わないまま、増幅の呪文を唱えると、続けて呪文の詠唱に入った。
ふわりと足が大地を離れ、闇のなかへと沈み行く。
風をまとっていくらも降りないうちに、ぐんっと横へと強く引っぱられた。結界の底面が水流に触れたのだ。重い抵抗をものともせず、リナは水中へと結界を突っこませる。
突入した先はあきらかに人の手の加わった水路だった。充分な深さと幅はあるが流れは思ったより速い。だが、以前の無謀な川下りよりははるかに落ち着いた水中行だった。
結界にからみつき、戯れかかるような水の流れを時折いなしつつも、リナはほとんど結界の操作をしなかった。ただ流れにまかせて闇のなかを漂い行く。
結界をコントロールするリナの代わりに、ガウリイが明かりを掲げて水中を照らした。―――だが、手元に明かりがあるとかえって闇は深さを増す。結界周辺のごく狭い範囲しか見えない状態に、ガウリイはやがてショート・ソードを鞘におさめた。リナもナイフを肩当ての内側に戻す。こちらは鞘がないので光が湾曲したショルダー・ガードの内部に籠もり、淡い輝きがぽうっと洩れだした。
「これぐらいがちょうどいいな」
ガウリイが言い、あたりに目をやる。
結界にさえぎられ水音ひとつ聞こえない沈黙のうちに、リナとガウリイは先へと進んだ。お互いの存在と周囲の闇以外の知覚が消失したような、奇妙な錯覚。まるで闇のなかを飛翔しているようだった。
―――こいつの髪、明るいわね。
かすかな光を反射する相手の髪を見てふとそんなことを思い、リナは苦笑する。
そして同じ色の髪が行く先に見えないことを祈った。………沈んでいたら。そう考えるだけで腹のあたりに重たいしこりが生じる。
指先がふるえていることに気づいて、リナは拳を握りしめた。つとめてさりげなくやったつもりだが、きっと傍らの彼は気づいている。
「どれくらいこのまま進むんだ?」
「あたしたちが地上に出てきてから、探索で護符の場所を突きとめるまでにかかった時間分、よ。だいたいだけど、この肩当てんとこのライティングが消える頃ね」
ライティングのアレンジに慣れていて、光量と持続時間の関係を把握していれば、こういった逆算的な使いかたもできる。あくまで勘と経験則によるものなので、多少の誤差はしかたがないが。
「どういうことだ?」
「マークっていったっけ? その子が言ってたでしょ。余震で足を滑らせて落ちたって。余震が起きたのはちょうどあたしたちが地下通路から地上に戻ったころだった。そして、あたしはその後、探索であの子の宝石の護符の反応を確認して、それが動いていないことを確かめた。つまり、あの子が流されていた時間は余震からあたしの探索が発動する時間までってことよ。あたしたちはあの子が落ちたところから捜索を開始したから、同じように流されていけば同じところにつく可能性が高いわ」
整然と言いながら、リナは結界内の空気がひんやりと冷たくなってきたことに気づいた。水温が下がっている。おそらく別の水脈と合流したのだ。
………地下水であるぶんまだマシとはいえ、季節柄水温は低い。リアはまだうまく泳げなかった。水を怖がらないし、浮くことはできるからパニックに陥ることはないだろうが、水気術も使えない。丸暗記で発動する呪文のひとつではあるが、リナがこの呪文を滅多に使用しないからだ。リアの呪文のレパートリーは日頃リナがよく使用するものが多かった。子どもはすぐに親の真似をする。
低い温度の水中に長時間いるのは危険だ。水温が低ければ低いほど、生存可能な時間は減っていく。落ちた時に気を失っていてくれれば、それほど水を飲むことはないだろうが―――
集中が乱れ、結界が揺れた。
ガウリイが小さく息を呑む。
これ以上はムリだ。リナはそう判断して勢いよく浮上した。派手な水飛沫が周囲に生じるが、その音は聞こえない。風の結界にまとわりついた水は瞬く間に散っていく。がぐんっ、という衝撃とともに結界の上部が天井をこすった、思った以上に低い。
水上はヒカリゴケのおかげでぼんやりと明るかった。手近なところに岩場を発見すると、リナはそこで結界を解く。それが限界だった。必死に吐き気をこらえ、両手で顔を覆った。
―――もし失ったら。
そう考えるだけで、肺腑が縮んだ。理性がたやすく灼き切れそうになる。圧倒的な恐怖感が足元を揺らがせる。落ちつけ。落ち着かないと冷静な判断は下せない。その判断が生死を分けるかもしれないのだ。
流れる水のせせらぎよりも己の心臓の音がうるさく、何も聞こえなかった。奈落がすぐそばで口を開いている。
―――もし失ったら。
自分は『彼』とどう向き合えばいい。あのとき、世界と決別することを望んだ彼に―――
「―――リナ!」
突然、両手を顔からひき剥がされた。
ガウリイが険しい顔でこちらを見ていた。天井が低いせいで少し身をかがめるようにしている。いつもより顔が近い。苦しさをこらえるような、厳しい表情。そこに怒りの色はない。よく似た色合いの気遣いと懸念があるだけだった。紙一重の差だが、リナは見誤らない。わかっている。彼だってたまらなく不安なのだ。彼はリアの父親でリナの相棒だった。あのときから変わることなく、ずっと。
しばらく凝然と見つめあい、やがて視線をついと外したのはリナのほうだった。大きく息を吐きだし、呼吸を整える。
「………ごめん。行きましょ」
ガウリイに一度だけ軽く抱きついてから離れ、リナは方位球と宝珠を取りだした。ショート・ソードは預けたままにしておく。
本格的な探索は宿ですでに行った。この宝珠はその探索の結果を反映させたものだ。簡単な呪文によって起動し、一定時間、目標の魔力波動がある方角を指し示す。オーブに魔力波動を覚えこませられるのは一回きりで、その度ごとに使い捨てとなる高価な魔法の道具だが、いまはそんなことなど言ってられなかった。
リナの呪文に呼応して水晶球がゆっくりと明滅する。覗きこんで、リナはわずかに顔をしかめた。すかさずガウリイが反応する。
「どうした?」
「いや………何かちょっと、さっきより反応がズレているような………」
「移動してるってことか?」
「ほんのちょっとだけどね」
それがどういうことを意味するのかは、まだわからない。単純にリアが無事で、歩いて移動しているならそれがいちばんいいのだが、この探索の呪文が指し示しているのはリア本人ではなく、あくまで彼女が身につけている宝石の護符だ。護符だけ何らかのトラブルでリアの手元を離れていた場合、リナたちはまるで見当違いの方向を探していることになる。
悪い方向にばかり傾こうとする思考を、リナは軽く頭をふって追いやった。
「念のため、ちゃんとあたりも見てて」
「わかってる」
岩場は細長く伸びていた。並んで歩けないほどではないが、並ぶと少々狭い。リナが先に立ち、ガウリイが後に続く。
通路は低くところどころ浅く水中に没しているところもあった。水を蹴散らす足音と両脇の水路がたてる流れの音が混ざりあい、壁や天井に反響して鼓膜の内側を占領する。壁のヒカリゴケは黄緑色の燐光ででたらめな模様を壁や天井に描き、ときおりリナたちに距離感を見誤らせた。
途中、いくつかの分岐があった。リナは方位球で方角を確認しながら水晶球を覗きこみ、路を選びとる。早めに水からあがっておいて良かったかもしれない。路の分岐は水路の分岐であり、あのまま水中にいたら、まったく違うところへ流されていた可能性もある。手元のオーブは先刻から、変わらぬ位置を示し続けている。
リナが見る限り、水路も通路も地震による目立った被害は見当たらなかった。地震というものは、どういうわけか地下のほうが揺れが小さい。大地の精自体が外に向けて力を開放する分、むしろ地下は逆に干渉が小さいのだという説を唱える魔道士もいるが、本当のところはどうかわからない。
ガウリイは天井に手をやって、ひどく窮屈そうに歩いていた。ときおり、ごんっと音がして小さなうめき声が聞こえ、リナはこんな時とはいえ忍び笑いを洩らした。リナ自身はまったく歩くのに支障がないため、少々悔しい。―――リアも、きっと不自由していないだろう。この先どうなるかはわからないが、いまはまだまだ小さいから。
かつて自分も同じ子どもであったというのが信じられないぐらい、理不尽に小さい手足。不思議だ。あれだけ小さいのに、目も鼻も指も爪も心臓も―――何もかもちゃんと兼ね備えて、そっくりそのままきちんと生まれてくる。そんな当然のことが、リナには不思議でたまらない。当たり前のことなのだが、不思議なのだ。
足下にまとわりついて、こちらを見あげて。ちょっとしたことで泣いて、かと思うと馬鹿みたいに笑って。必死に追いつこうと後をついてくるその姿。時々ものすごくこそばゆくて照れくさくなる。
リアを得たことがわかったときは、自分でも驚くほど淡々としていた。
もちろん感慨はあったが実感はわかず、逆に周囲の反応がうるさいぐらいで、腹が目立ってきてからも特に何かあるわけでもなかった。
ただある日の昼下がり、何気なく窓を開けて―――ああ、あの日もこんなふうにひどく穏やかに晴れた日だったな、と。
ふとそう思いだしたとき、まるで狙ったように胎内から合図があった。あのとき、彼が濡れた頬に手を伸ばしてきたように―――
気がつけば、ひどく静かに泣いていた。
それはあのとき流した涙の続きだった。状況も違う、持つ意味も違う、感情も違う。それでも間違いなくふたつの涙はひと続きの同じもので、時の糸に連ねられた、分かちがたいひとつの流れのもとにあるものだった。
彼を手にかけて選んだ世界。多くのものを滅ぼして切り捨てて歩き続けた道の果て。あのときには世界のどこにも存在していなかったいのち。リナが過去のどこかで違う選択を為していれば、生を得ることすらなかった無からの発生。
時計の砂は落ち続けている。時を刻んで世界はたしかに生きているのだと、理解してしまった瞬間がそのときだった。―――ルークとミリーナが喪われた世界だからこそ、この娘は生まれてくるのだと。
リナが臨んで対峙し続けて手にした世界の形がそこにはあった。
失うわけにはいかなかった。いま傍らにいる存在とともに。それは彼を再び手にかけるようなものだった。
探索行の途中で、炎の矢の痕跡を発見した時、リナは安堵のあまり膝から力が抜けそうになった。実際少しよろめきかけ、ガウリイが無言で腕をつかんで支えてくれた。
苦笑して礼を言うと、ぽんと頭に手がのせられる。とうに慣れてしまったその行為。軽く相手の腕を叩いてそれに応え、リナはオーブを覗きこんだ。反応はすぐ近くまできている。
通路を境として逆流する水路の不自然さにはリナも気づいていたが、いまはそれを気にしている余裕はなかった。肩当てのライティングはいつの間にか消えていた。
そしてゆるやかに湾曲する長い通路の先に青い光が閃いたとき―――リナとガウリイはほぼ同時に駆けだしていた。
「リア! いるなら返事して!」
名前を呼びながら走り、そういえば愛称をつける約束をしたんだっけ、とちらりと思考が流れる。
答えは返らず、青い光のなかへと飛びこんだのはリナが先だった。だが、空間一杯に広がる魔法陣に一瞬絶句したところで、ガウリイが動く。無言で弾かれたように。リナが彼以上に狼狽していたため、敢えて表には出さずにいた焦燥がそのとき顔を覗かせた。
たどりついた先にうずくまる同じ色の髪を目にした途端―――リナの心臓が跳ねた。動けない。駆けよりたいのに、根が生えたように足が動かない。息をするのがひどくつらい。
抱きあげた子どもの具合を確認していたガウリイが深々と息を吐いて、立ちすくんでいるリナをふり向いた。複雑すぎる感情がとりあえず笑みの形をとったような、何とも言えない微妙な顔をしている。
「―――寝てる」
「…………」
今度こそ、リナはその場に座りこんだ。
両腕で体を抱えてうずくまっているところに、ガウリイが戻ってくる。腕のなかには小さな体躯。両腕を伸ばしたリナへ、ガウリイがリアを手渡した。
抱きとった腕に子ども特有の高い体温を感じた途端、リナは肺が空になるような息を吐きだした。眩暈がした。張りつめた糸が一気に切れる。すさまじい疲労感が視界をかすませ、どれだけ自分が気を張っていたのか、それでわかってしまった。急激な精神バランスの変化にくらりと意識が遠のきかけ、慌てたガウリイの腕が背中へとまわされる。
「おいおい、リア抱えたままひっくり返るなよ。水に落ちたらどうすんだ」
「マジで勘弁してよもう………」
ぐったりと脱力したままリナはうめいた。リナ=インバースともあろうものが、迷子の我が子を見つけたぐらいで安堵のあまり指一本動かせないなど、我ながら信じがたい。昔の自分が聞いたら、絶対に笑い飛ばして本気にしないだろう。
リナは溜息をついてリアを抱きなおした。その頬にかかった金髪をどけてやる。一度濡れて半端に乾いた髪はぱさついて束になっていた。頬や腕には擦り傷がある。買ってやったばかりのマントはあちこち汚れてくしゃくしゃで、ブーツも泥まみれだった。だが寝顔は何ともあどけなく安らかだった。
「ほんとに寝てるだけだわ、こんちくしょー………」
何度目かの溜息が体の奥底からわき起こり、リナはがっくり肩を落とした。立ちあがる気にもなれず、そのままガウリイに体を預けて肩に頭をもたせかける。
ゆらゆらと世界は青い。幾重もの青い光に包まれて、しばらく黙って水の音だけを聞いていた。
「………よかったな」
「ん、そうね」
それだけを言って、再び沈黙が降りる。
不意にリナの腕にぽつんと水滴が落ちてきた。それでやっと他のことに意識を向ける余裕が生まれ、リナは濡れた腕を拭いつつ、水中の魔法陣に視線を向けた。均衡の六紡星が見てとれるが、それだけでは何の魔法陣かはわからない。光そのものは魔力によるものではなさそうだ。塗料か、青い光石か、発光性の藻類か。何百年もこの状態だったかもしれないことを考えると、光石を象眼してあるのかもしれない。
魔法陣から発された青い光は水によってその量を増し、浸食するようにあたりに満ちて、呼吸する息まで青く染まっているような気分になる。―――まるで話に聞いたことのある琅玕洞のようだ。
波の静かな断崖絶壁に穿たれた、水面間際の小さな入口と広大な内部空間を持つその洞窟は、水底まで届いて反射した陽光が水面へと抜けて海の色を透かし、洞窟の空間全体がえもいわれぬクリスタルブルーに輝くのだという。
「で、ここは何なんだ?」
リナが意識を魔法陣に向けたことに気づいていたのか、ややあってガウリイが小声でそう尋ねてきた。なぜ小声なのかと疑問に思い、リナは腕のなかの高い体温に気づいて呆れた。ここまで疲れ果てて熟睡している子どもは、耳元で歌を唱おうが起きるまいに。
だがリナはそのことには触れず、とりあえず質問の答えのみを返す。
「さあね。まあ、ぱっと見たところ、水を浄化する魔法陣みたいね。でも大地の精も組みこまれてるみたいだし、ちょっと不思議な構造してるから、詳しく調べてみないとわかんないけど………」
「詳しくって、またここに来るつもりなのかよ !?」
「さあね。当面はもうこりごりだけど。とりあえず頭ンなかに入れとくわ」
笑みを浮かべ、リナはよっと体を起こした。ガウリイが立ちあがり、リナの手から娘を受けとる。
リナは座りこんだまま、相手を見あげた。碧い瞳に青い光が射しこみ、空とも水ともつかない炯々とした色に輝いている。きっと、ここでしか見られない目だ。なんとなくリアが先ほどの通路ではなく、ここで眠りこんでいた理由がわかったような気がする。
「どうした………?」
怪訝そうに問うてくる相手に少しだけ笑い、リナは立ちあがるとうんと伸びをした。
「あー、お腹減った。こんな辛気くさいとこにいつまでもいないで、さっさと帰りましょ」
「どうやって帰るんだ?」
「さあ? とりあえず歩きましょ。いざとなったらテキトーなところで呪文で穴開けるからだいじょーぶよ。ここそんなに深くないし」
ガウリイの肩にくてっと頭を預けているリアの頬をつまむと、当人ではなく抱えているほうから文句がきた。つねられているほうはといえば、起きる気配もない。
ふとそれぞれの視線があたりに揺らめく光へと投げかけられる。
「青いわね」
「青いなあ」
「帰りましょ」
「ああ」
―――たどりついた地上でも、やはり月が硬貨のように白々と丸く、世界に青い影を落としていた。