たからもの(オンリー・ワン・ワールド)〔9〕

 闇のなかにいた。
 目を開けているのか閉じているのかもわからない。手のひらさえ見えないような漆黒の世界。
 呼吸をするたびに闇が体内に出入りする。闇を吸いこみ、闇を吐きだす。体の輪郭さえ見えないままくり返す呼吸は、そのまま闇と一体化したような気分にさせた。
 ―――インク壺に溶けちゃったみたい。
 ふとそんなことを思う。
 不思議と怖くはなかった。以前、高熱を出したときに見ていた悪夢にそっくりだったが、そのときほどの恐怖感はない。あのときは自分が立っているのか横になっているのかもわからないまま、べったりとした闇のなかに浮かんでいたが、いまはきちんと足を着けて立っている感覚がある。闇がリアなのか、リアが闇なのか、判別できないほど真っ暗なのは変わらなかったが、少なくとも天地ははっきりとしていた。
 立っているという感覚があるということは、足があるということだ。
 そう意識した途端―――ふっと体から何かが抜けだした。
 目の前あるのは、見憶えはあるけれど見慣れない背中。だって自分の背中は自分では見られない。空色のマントをまとった小さなその背中は、リアを置いてどんどん先へ行こうとする。
 リアは慌てて足を踏みだし、手を伸ばした。
(ダメだよ。どこにいくの? リアは、リアなのに。リアはリアなんだから、リアがどっかいっちゃだめだよ)
 手をとられ、ふり返ったリアはちょっと不満げに顔を歪めたが、再度リアが手を引くと、おとなしく頷いて戻ってきた。
(リアは、ここにいるよ。どこにもいかないよ。だからはなれてっちゃダメだよ。―――リアは、リアなんだから)
 戻ってきたリアを、リアは両手を広げて抱きしめた。輪郭がぴったりと重なる。抱きしめられたリアはすぐに目を閉じたが、抱きしめたリアはしばらく目を開けて闇を眺めていた。だが、やがてゆるやかに周囲の闇が揺らめき、暖かくまとわりつきながら眠りへと誘いはじめる。
 うとうととしながら、起きなければと思う。リアは寝ちゃったけど、リアはちゃんと起きて、歩きださなくちゃ。だって―――


 ―――だって、せっかくブーツを新しくしてもらったのに。
 リアは目を覚ました。
 ほっぺが冷たい。そして痛い。あと、ものすごく寒い。
 自分が地面に直接うつぶせに寝ていることを自覚すると、リアは起きあがろうともがいた。服やマントがまとわりついてやたらとひき攣れ、手足の動きの邪魔をする。どうしてだろうと首を傾げれば、べちゃべちゃに濡れているのだった。いまも膝から下は水に浸かっている。どうにか起きあがって座りなおしたところで、髪から伝い落ちてきた水が顎からぽたぽた滴った。髪もぐしょ濡れだ。道理で寒いわけだ。
 もつれる指でケープとマントを脱ぐと、リアは力の入らない腕でそれをしぼった。布が分厚く大きすぎて、折りたたむとリアの手では到底しぼりきれず、しかたがないので蛇のように細長くたたんで少しずつしぼっていく。子どもってこういうところが損だと悪戦苦闘しながら思い、しぼったマントでとりあえず髪を拭いた。とにかく寒い。関節がこわばって思うように体が動かないのに、体の芯からふるえが起こる。
 あたりは暗かったが、群生しているヒカリゴケのおかげでそれほど見にくいわけではなかった。視線を巡らせたリアは、それほど遠くないところにリアの背丈ほどのずんぐりした岩があることに気がついた。―――母はよく石像や岩に火炎系の呪文を撃ちこんで、それで暖をとったり、料理をしたりする。
 そちらに向かって炎の矢(フレア・アロー)を唱えようとして、リアははたと思いとどまった。
 本当はこういうときは炎の槍(フレア・ランス)がいい。だがリアはまだ炎の槍は使えない。攻撃呪文を教えるのは禁止されているので、リアが使う攻撃呪文は全部母が唱えるのを見て憶えた丸暗記のものだ。火炎系は炎の矢しか憶えていない。というよりも、炎の矢を丸暗記で発動させたリアを見て、母はリアの前で攻撃呪文を唱えるのをやめてしまったのだ。
 だがいまは、岩に火炎系の呪文を撃ちこんで暖かくなりたい。とにかく寒くてたまらないのだ。火打ち石は濡れているうえに燃やすものがないので使えない。炎の矢でも目的を果たせないことはないのだが、炎の矢は通常だと複数の矢が出てしまう。
「どーしよう………そんなにいらないんだけど………」
 困惑してリアは口をつぐんだ。
 リアの炎の矢の最高記録は十八本。普段はだいたい十四〜十七本の矢を生じさせる。
 丸暗記で発動させたリアの炎の矢の本数を見て仰天した母が、リアに何度も呪文を唱えさせ、目の良い父に数えさせて調べたから間違いない。母は頭を抱えて「あたしより多い………」と唸っていたが、リアは母がまるでシャワーのような数の氷の矢(フリーズ・アロー)を出現させるのを見たことがあるので、おそらくリアの聞き間違いだろう。母はシャワーのような本数から、二、三本まで数を減らした炎の矢や氷の矢を出現させることができ、用途に合わせて自在に使いこなしていた。
 いまリアが通常版の炎の矢を目の前の岩に放てば、岩を熱するという目的は達せられるが、余波で放ったリアまで大火傷を負うだろう。寒いのも嫌だが、熱すぎるのも嫌だ。
 そっか。こーいうときにアレンジって必要なんだ。丸暗記じゃダメなんだ。
 どうして母が理論ばかり教えようとするのか、わかったような気がした。そういえば一昨日も、火炎系の精霊魔法理論を教えてもらったばかりだ。
 寒くて働かない頭を必死に回転させて、どうにか先日の理論をもとに丸暗記の呪文に修正を加えると、リアは座ったまま呪文を唱えはじめた。これで十本以上の炎の矢が出現したら、すぐそばの水のなかにでも飛びこむしかない。
「………炎の矢」
 おそるおそる唱えた力あることばは、空中に明るい五本の矢を出現させると、次々と岩にあたって弾けるような音をたてた。ややあって、心地よい熱風が苔類が焦げる臭いとともにリアのもとに吹きつけてくる。その暖かさに包みこまれ、リアは体の奥からほうっと息を吐いた。よかった、成功した。
 にじりよっていちばん具合が良い距離までやってくると、手前でマントとケープを広げて乾かし、しばらくぼんやりと体が温まるのを待った。途中少しうとうとして、やっと意識がはっきりしたころには、どうにか体のふるえはおさまっていた。服はまだ濡れていたが、耐えられないほどではない。
「そっか、リア落ちたんだっけ」
 ようやく事態の前後関係を思いだし、リアはライティングを頭上へ放り投げた。高さがわからなかったのでそうしたのだが、思ったよりも低い位置で魔力の明かりは天井にへばりつき、白々と輝きだす。先刻の地下通路よりはましだが、それでも父には少し窮屈そうな高さだ。
 明かりに照らされて見えたのは、大きな部屋ほどの空間だった。部屋は大部分が水に覆われ、ライティングの光を反射して、黒くうねりながら揺らめいている。壁からも水がにじみだしているのか、てらてらと濡れて光り、水の流れる音と滴る音があたりを静かに満たしていた。
 水の流れはそれなりに速かった。流されてきたリアは、水流が急カーブを描くところで運良く陸地に引っかっることができたようだ。
「落ちたの、リアだけだよね………?」
 眉根を寄せて記憶をたどり、おそらくそうだろうと結論づける。ならいい。一緒にいたティムまで落ちてしまったら、こんな状態ではとてもではないが探しに行けない。
 足を投げだしてぺたりと座りこんだまま、リアは背中が丸くなるぐらい大きな溜息をついた。自分ひとり落ちてしまうなんて、失敗だ。きっと父も母も心配してるに違いない。
 ………かーさんと、とーさんに会いたい。
 ふいに泣きそうになって、リアは慌てて口をへの字に押し曲げた。心細いが怖くはない。父も母も絶対にリアを探しだしてくれる。何があってもどんなときでも、母はリアを見つけだす。
 ―――もし何かトラブって、あんたがひとりになるようなことがあったら、とにかく何でもいいから生きてなさい。生きてたら、絶対あたしとガウリイが迎えに行くから。
 だからリアは、それまできちんと元気でいなくてはならない。それがリアが精一杯やらなければいけないことだ。
 大事なことに気づいたリアは、慌てて胸元の宝石の護符(ジュエルズ・アミュレット)の感触を確かめた。それから腰のポーチがあることも確かめる。ほっと安堵の息をついてポーチを腰から外すと、乾かすために広げたマントの上で中身をひっくり返した。
 薄紙に包まれた小さな玉を取りだすと、口のなかに入れ―――すぐにふぇっと顔を歪める。
「これお塩………」
 吐きだして水で洗って包みなおし、今度こそ飴玉を口にする。濡れてぽたぽたと水が滴っている麻布と布袋は、熱された岩にぎりぎりまで近づけた。瞬く間に乾いたそれで、まだちょっと濡れている箇所を拭くと、ようやく人心地がついた。リアは荷物をまとめて立ちあがると、小刀に灯したライティングをかざして、あたりを見まわす。
 リアが立っているところから、陸地は二方向にまっすぐ伸びていた。正面と右手横。リアが立っているところはちょうど通路の曲がり角にあたる部分だった。
 道幅はおとな二人が並んで歩けるほどで、直角に近いカーブの具合や直線部分の不自然なまっすぐさからして、天然の岩場に手を加えて造りだされた、あきらかな人工物だった。水面と天井をつなぐ石の柱も、いくつかが切り払われて見通しが良くなっている。
 リアは判断に迷った。
 ―――迷子になったら無闇に動いてはいけない。
 これは鉄則だ。もちろんそれは承知している。だが、いまいる場所の安全を確認するのも必要だと思うのだ。
 もし魚人なんかがいたら、さすがに困る。なまぐさいし、ちょっと怖い。目がでろーんとしてて、どこを見てるかもよくわからない。初めて見たときは思わず父にしがみついてちょっと泣いてしまった。直後、あんたがしがみついてたらガウリイが戦えないでしょーがっ、と母に引っぺがされて後ろにぺいっと追いやられてしまったのだが。
 何のことはない。人心地ついて、取りあえず命の危険はないと判断した途端、好奇心がむくむくと湧きだしてきたのである。
 いままでひとりで遺跡に入ったことなどない。危険だというのはわかっていたし、それでもときおり連れていってもらえることもあるので、それで満足していた。だからこれは滅多にない状況だった。―――怖いけれど、少し気になる。
 だが無闇に動いたら母と行き違いになる可能性もあった。母は魔法でリアの居場所を見つけるだろうが、それでもリアが移動していたら余計な手間がかかってしまう。それに危ないことをしたら怒られるだろう。………でも、と、リアは今日やったことを指折り数えてみた。
 もうフードはとってしまったし、攻撃呪文もさっき使った。『あんましとおく』どころか、どうやって帰るのかもわからないぐらい遠くへ来てしまっている。守れているのは迷子札を外していないことぐらいだ。宝石の護符は身につけていることが当たり前になっていて、結果としてマークたちに嘘をついた形になってしまったが、これだけは外すわけにはいかなかった。
 それにしても、何だかもう、あれこれ言いつけを破ってしまっている。この際、あとひとつぐらい増えてもいいような気がした。同時にそれはものすごく間違った考えだという気もしたが、せめてこの部屋にあるふたつの入口が、どこにつながっているのかぐらいは確かめておきたい。
 リアは小刀を鞘におさめ、天井の明かりだけで歩きだした。手元が明るいと周囲の闇が深くなる。母と父に連れられて旅をするうちに、自然とそのことを学んでいた。
 部屋の端までたどりつくと、穿(うが)たれた空洞の向こうをそっと覗きこむ。しばらく何も見えなかったが、目が慣れてくると同じ道幅の通路がまっすぐ奥へと伸びているのがわかった。路の両側はやはり水路になっており、水がこぽこぽ音をたてて流れている。水の黒いうねりを見ていて、ふとリアはあることに気づいた。
 右手の水路はリアがいる部屋から奥に向かって水が流れているのに、左手の水路は奥から手前に向かって流れてきているのだ。
 引き返してさっきまで自分がいた通路の角に再び立つと、やはり右の流れは正面の入口へと向かっており、左の流れは正面の入口からやってきて、右手奥の通路に向かっていることがわかった。リアが立っている石の通路をはさんで、完全に逆になっている。
 水というのは普通、高いところから低いところへ流れるものだ。こんなセイルーンの馬車通行みたいに同じところをすれ違って流れたりなんかしない。そうなると、いったいどういうことだろう。
 何だか考えるのに時間がかかりそうな気がして、リアは暖をとっていた岩のところまで戻ると再びそこに座りこんだ。ずいぶん冷めてきていたが、まだそれでも充分暖かい。
 考えられることはふたつ。右の流れと左の流れ、それぞれ別の源があって、たまたま隣り合って流れるようにしただけ。
 または、どこかに何かの仕掛けがあって流れはつながっており、リアが見ているのは途中で折り返してきたひとつの水の流れ。
 どっちだろう―――
 一度疑問に思ってしまうと、それを確かめたくてたまらなくなった。ダメだよと心の声が止めるが、それもすぐに小さくなってしまう。
 リアは通路の右側の水路―――カーブの内角に引っかかるように打ちあげられていた。その流れは、右手側の入口からやって来て、リアのいるところで急カーブして正面の入口へ。―――ということは、リアは右側の入口のほうから流されてきたのだ。どこをどうやって、どれぐらいの時間を水に流されてきたのかはわからないが、とにかく右の入口のほうがリアが滑り落ちた穴に近いに違いない。
 ふと、頭上のライティングが弱くなった。持続時間が切れる前兆だ。追いたてられるように慌ててリアは立ちあがった。やっぱり、さっきのところを覗いてみよう。正面入口―――もしかしたらリアがそのまま流されていったかもしれないところを。万が一、ティムも流されていたなら、その先にいるはずだから。
 慎重に通路に入りこんだリアの背後で、ライティングの明かりが静かに消えた。立ち止まって目が慣れるまで待ち、リアは再び歩きだす。通路は濡れて滑りやすかった。ヒカリゴケのぼんやりした明るさが、リアの輪郭を青白く浮かびあがらせる。
 あきらかに人の手が加わっているこの地下の水路は何なのだろう。いつ、何のために、どんな人々がこれを造ったんだろう。
 さあさあと水の流れる音に誘われるように、リアはこの通路を歩いていた人々のことを考えた。
 何百年も前の人が歩いていたかもしれない路を、いま自分のような子どもがひとりで歩いているというのは、とても不思議でやたら寂しかった。………長いあいだ。遠いむかし。そうとしか表現できない時間の重みが幾つもの見えない層のようにリアの上にのしかかってきて、何だかひどく息が詰まる。それを厳粛さだと理解するには、リアはまだ幼い。
 通路はまっすぐだったが長かった。どれくらい歩いたのか、前方に青い光が見えたとき、リアはどきりとして思わず立ち止まった。
 ヒカリゴケの光ではない。ひらめく青い炎のような―――崩霊裂(ラ・ティルト)の火柱よりは濃いが、青魔烈弾波(ブラム・ブレイザー)よりは薄い―――そんな透明感のある青い光が長方形の入口の形に切りとられて、通路の壁や床まで溢れだしている。
 光は天井部分より、床部分のほうが輝きが強かった。リアの足下から続く路も両脇の水路もすべて、この先の青い光のなかに呑みこまれている。
 ふとリアは、わけもない衝動にかられて背後をふり返っていた。そしてふり返ったことを一瞬で後悔した。
 闇だった。薄暗く、ヒカリゴケのまだら模様が不気味に燐光を放ち、怪物の体内めいて怖ろしかった。まっすぐ歩いてきたと思っていたがゆるやかに弧を描いていたらしい。いつのまにか視界の先はふつりと途切れており、そのことに気づいてぞっとした。本当に自分はここを歩いてやってきたのだろうか。
 水の音ばかりが耳につく。流れる音、滴る音。奇妙にこだまし反響して、リアの思考を浸食する。
 怖い。どうしよう。ここまでやって来たけれど、思えばたったひとりで何て馬鹿なことをしたんだろう。前に進むのも、後ろへ戻るのも怖い。
 ―――こんなとき。こんなとき、かーさんならどうするんだろう。
 母の横顔を思いだす。前を見据える真紅。母はきっとそう長くは立ち止まっていないだろう。ひとまず着た道をふり返って。それから、まっすぐに前を向いて一呼吸。そして歩きだす―――父と一緒に。
 こんなところでこんなふうに立ち止まっていたりはしない。
 リアはきゅっと唇を噛むと、小刀の鞘を払ってライティングの光を解放した。
 途端に溢れでた白い光は黒い水面に反射して、ちらちらと揺れる不思議な模様を天井に映しだす。リアの頬にもそれはほの白く映りこみ、肌に刻みこんだ呪術の紋様めいて幼い容姿を彩っていたが、リア自身はそのことに気づかない。
 魔法が生んだ強い光と下方から射しこむ反射光のやわらかい光が、瞳を鮮やかな真紅に輝かせる。
 前へ進みながら、リアは小さく呟いた。
「―――負けないもん」
 だって自分は、父と母の娘なのだから。



 たどり着いた先は―――青かった。
 ただひたすらに青かった。
 広大な空間だった。天井はいままでより少し高くなった程度だが、広さが半端ではない。王宮前の広場みたいだとリアは思った。年始の挨拶などで王の祝福を受けるためにセイルーンの人々が集う場所。双子のお披露目のときにもたくさんの人が広場に集まってきた。バルコニーでおくるみに抱かれた双子は、遠目からだとそれこそちっちゃな白いお豆さんみたいだったのに、みんな嬉しそうに歓声をあげて手をふっていた。
 リアがいま目の当たりにしている空間はあのだだっ広い広場ほどではないが、少なくともその半分ぐらいの面積はありそうだった。王宮前の広場は一面が真っ白な白輝石だが、ここは一面が青く光る水の連なり。ライティングの白い光がかき消されてしまうほどの青がゆらめいている。空気は冷たく澄んで、そしてやはり青かった。リアが見おろした手のひらさえも、満月の夜のように青ざめている。
 リアの足下から十数歩ほど先のところで足場は途切れていた。そこから先はひたひたと水に満たされている。
 部屋の奥からは、ざあざあと盛んに水の流れる音がした。いままでリアの左右をはしっていた水路からも、絶えることなく水が流れこみ、流れでている。
 確かに水は循環しているというのに、水の(おもて)はごくゆったりとしていて、たゆたう青い波紋がきらきらと水晶のように輝いていた。その波紋の照り返しを映しこんだ空色のマントがたとえようもなく綺麗で、リアはしばらくうっとりとそれに見蕩れた。
 ―――光の源は、水中の魔法陣だった。
 巨大な魔法陣が水底に描かれているのだ。青く光る線で何重もの円を描くそれが、澄みきった水を透して部屋全体を照らしだしている。中央に描かれた図形は『均衡』を司る見慣れた六紡星―――ならば、邪悪なものではない。
 ふらふらと惹き寄せられるようにリアは水辺へと近づいた。
 見晴るかす、という言葉がふさわしいような巨大な魔法陣はよくよく観察すると、ところどころ青い光が欠けていた。やはり相当古い時代のものらしい。それでも、時をくぐり抜け、何百年という歳月だれにも知られずにいたこの青は、いまリアただひとりの目の前にある。
 奥の壁では奔った亀裂が幾つもの小さな滝となり、この静かな水渠(すいきょ)へ終わることなく水を注ぎこんでいた。ここには地下の水脈が集い、流れだしているらしい。だれが何のために、こんな地下に魔法陣を描いて水脈を集わせたのだろう。考えだすと、途方もない夢を見ているようだった。
 リアは大きく息を吐きだした。ここが冒険の終着点だ。ここで父と母を待とう。
 水辺から壁際へとひき返し、リアはほどよく盛りあがった石の柱に持たれて座りこんだ。少し寒いが我慢できないほどではない。どうしてもというときには、この背中の岩にまた炎の矢を撃とう。
 座りこんで膝を抱え、膝の上に頬を預けた。
 それにしても本当にここは何て青くてうつくしいんだろう。ここでは父の目も、もっと青くて綺麗な色に染まるに違いない。
 リアはちょっと笑って、目を閉じた。