Third birthday 【Ultra soul】 エピローグ・マラード〔1〕

 よく晴れて、青い空が目に痛いような初夏の朝だった。日は高く昇っているが昼にはまだ間がある。そんな時間帯だった。
 アメリアは覚悟を決めて、その人物との対面に臨んだ。
「やあ、アメリア。正式な王太子認定おめでとう」
 隔幻話ヴィジョン越しでも麗しいその笑みに、そのまま回れ右をして部屋から逃げ出したくなるのをかろうじてこらえる。
 マラードから隔幻話による通信が入ったと知らされたときに覚悟していたことだが、あらためて目の当たりにすると決意が鈍るというものだ。直接会わずにすむことが、ありがたいような怖いような。
 いったい何の用件で向こうが通信してきているかは明白だった。
 アメリアはひとつ溜め息をつく。
「その様子だと、親書はそちらに無事に届いたようですね」
 遠くマラードにいる幼なじみは、柔らかく微笑したままでいた。
「ああ、無事に届いたよ。―――うちの公妃は無事じゃないようだけど」
 ―――来た。
 アメリアはあっさりと相手をなだめる努力を放棄した。
「ごめんなさい」
「君に謝ってほしいわけじゃないんだけどな」
「本当にごめんなさい。これは全面的にわたしの責任です」
 親書は送ったが、公式の文書なので実際に起きた事実は書いていない。魔族に瘴気をぶつけられるなど、一般人にとってはそれこそ天文学的な確率でしか起きない被害で、ぶつけたあの獣神官が悪いと言えば悪いのだが、向こうが頭を下げてくれるはずもない。少なくともあの場に彼女を同席させていた自分が悪いのだ。
 心底もうしわけないと思っているのだが、その誠意が隔幻話越しの相手に通じているかどうか、はなはだ怪しかった。通じていて無視しているというのがいちばんあり得そうな話だ。
「おかげさまで。可愛がっていてくれて僕も嬉しいよ」
「リーデ………」
 早々にアメリアは頭を抱えたくなっていた。怒った自分がどれほど手に負えないかわかる。非常によく似たもの同士だと自覚はしていたが、怒り方まで似ていて困る。
 思わずゼルガディスに助けを求めたくなったが、彼も執務中だ。二人して事後処理にかけまわっていると言ったほうが正しい。
 深い溜め息をついているアメリアをしばらく眺めていたリーデットだが、時間を無駄にできないと思ったのか唐突に話題を変えた。
「ところで、アメリアはうちの国がどういう経緯で君のところに帰順したのか知ってるよね?」
「ええ、それはもちろん」
 アメリアはそれに頷いた。
 ひとまず話は逸れたが、変わったことに安堵してはいられなかった。むしろよりこちらの内容のほうが問題だった。無意識のうちに背筋が伸びる。
 今から数十年ほど前、リーデットにとっては祖父にあたる公王(その当時は国王だった)が、セイルーンへの帰順を実現させた。
 沿岸諸国連合と称し、和を結んで周囲の大国に抗しているといえば聞こえはいいが、互いに国土の狭い小国同士、内輪もめが絶えたことはない。
 マラードが連合を抜け、セイルーンの庇護を求めるに至った経緯は、元はといえば西隣りにあるセレニアス王国とリハード王国の二国が互いに諍いを起こし、両国ともマラードに同盟を求めてきた挙げ句、その混乱に東隣りの王国クーデルアがつけこんで国境を侵そうとしたからである。
 西を向いても東を向いても、ろくでもない国ばかり。南はマラードの窮地に知らぬふり。わざわざ周囲のこんな国々に愛想をふりまいてまで連合に加わる必要がどこにある。何の国益にもならないではないかと反対派を説き伏せ、リーデの祖父はさっさと、ある意味では実に潔く、大国に膝を屈したのだった。逆ギレしたというかもしれない。
 その時よりマラードは国王ではなく、大公を戴く公国となったのだ。
 属国となった当時は反対派が内乱を起こし、一時は城が占拠されるなどという事態も起きた。抜け駆けされて内心おもしろくなかったクーデルアがそれを煽り、沿岸諸国連合という在り方を無視した行為に腹を立てた連合参加国のほとんどが、無言でそれらを黙認するという三面楚歌の状態にもなったが、残りの一面である北のセイルーンの庇護により、マラードはこれらの危機を脱してきた。
 セイルーンにとっても、マラードを従属国に迎えると言うことは火種を抱えこむということ。それを補ってもありあまった利点は――――マラードで採れるオリハルコン。
「じゃあ、これは知ってるかい?」
 にっこりと笑って、リーデットは続けた。
「君のところへの帰順することになった直接の原因であるクーデルアの領域侵犯なんだけど、うちでオリハルコンが見つかったからだって」
「………もちろん知ってます」
 アメリアはうめいた。
 その当時、マラード国内で最初のオリハルコン鉱脈が見つかり、それを知ったクーデルアが混乱につけこんで国境を侵してきたのだ。
 沿岸諸国連合内で火種にしかならない大きすぎる宝物を抱えこんでしまったマラードはセイルーンにその宝物を譲渡し、代わりに庇護を受けることを選んだ。むしろ、そうするしかなかった。
 リーデットはますますにこにこ笑っている。
「で、そのうちの切り札かつ、疫病神であるオリハルコンの鉱脈の存在が、全部君のところが原因で出来たもので、しかもまた君のところが原因で跡形もなく消えてしまったとわかったら、マラード大公の僕としてはどうすればいいんだろうね?」
 マラードのありとあらゆる利益と、騒動の根元はオリハルコンだった。マラードに富をもたらしているオリハルコン。セイルーンに頭を下げることになった原因のオリハルコン。そのオリハルコンの鉱脈がマラードで見つかったのも、今現在その鉱脈が消えたのも、最初から最後まで全部セイルーンのせいだと知れば、腹も立つというものだ。
「僕の国は、君の国のあらゆるとばっちりを食らっているにも関わらず、そのことで君の国に頭を下げているような気がするんだけどな」
「ええ、そうですね―――」
 リーデットが激怒するのも無理はない。知らなかったとはいえ、一国の進むべき道がセイルーンのせいでとんでもない方向に曲げられてしまった。しかもマラードからすれば、全部そちらのせいなのに、何だってそちらに対して頭を下げなければならないのかという話になる。屈辱以外の何ものでもない。
 アメリアとて、マラードのオリハルコン鉱脈がどうにかなるならどうにかしたかったのだが、ユズハが結界内の魔力をすべて吸収したせいで、過剰成長していたオリハルコンは基となる魔力が枯渇し粉微塵に弾け飛んだ。その後、結界は修復されたのだが、そのオリハルコンは結界が創られた当初の量しか存在しない。
 その『当初の量』がどれほどのものかをユズハから聞いたとき、アメリアは目の前が暗くなったものだった。―――握り拳一個分だというのだ。
 マラードに再び鉱脈を提供するのは、どう逆立ちしても無理である。
 結界内に跳んだリアの話を聞く限り、この問題の結界は王宮直下に埋められたオリハルコン内部の空洞に高密度の魔力を溜めこみ、地上での魔法の行使の有無によってその出し入れを調節している。オリハルコンもそれ専用に精錬された特殊なものと思われた。内部の魔力の量に合わせて自ら成長するのだから。
 たしかにマラード産のオリハルコンは他産のものに比べて質が群を抜いていたが、まさかこんな裏があったとは思いもしなかった。
 ここでアメリア一人が頭を下げてもどうなるものでもない。現王であるフィリオネルを始め、高官全てが頭を下げねば意味がない。
 しかし、これまたセイルーン側の都合で事実を公表することができない以上、頭を下げることもできない。
 結果として、セイルーンはマラードにとんでもない借りを作ることとなる。
 アメリアは大きく溜め息をついた。
「イルニーフェも同じことを言いました」
「だろうね。それで、うちの奥さんはいつ帰ってくるの」
 話がまた飛んだ。公妃のことと外交関係のことと、どちらにより腹を立てているのかがよくわからない。
 アメリアは頭痛をこらえるような顔をした。
「リーデ、怒ってるでしょう」
「うん、それなりに」
「それなりどころですかそれが………」
 読むべきものを読んでいない。どれだけ怒っているかわかろうというものだ。
 瘴気をぶつけられて意識不明だったイルニーフェだが、現在では起きあがれるくらいには回復している。帰れないこともないのだが、公妃は公妃でこんなやつれた顔で戻るくらいなら離婚するといいだしかねない様子だったので、親書をしたためてその旨をマラードに連絡した。
 もちろん公式文書だから、体調を崩した公妃をこちらでご本復まで誠心誠意看病させていただくといった適当なことしか書いていない。それを読めばリーデットが激怒するのがわかっていた。
 が、もう一通あるはずなのだ。常の彼なら読み落とすことなどありえない手紙が。
「リーデ、お願いですから、もう一度親書を読んでから連絡してきてください。あなた読んでない箇所がありますよ」
 アメリアは本気でそう懇願した。



 魔道士協会の入り口で公王を出迎えた人物に、ただでさえ機嫌の悪かった彼はさらなる笑顔・・を作った。
「どうしてここにいるの。アランタイズ家ご当主殿」
 滅多に見られない君主の笑顔に、従兄にあたる彼は少々驚いたものの、すぐにこちらも笑みを浮かべて主のために馬車の扉を開けた。
「王城に伺候してみれば、我が主は主国からの親書を一読して一拍おいてのち、それは極上の笑みを浮かべて魔道士協会ここに向かわれたとのこと。従弟殿が極上の笑みを見せるなどそれこそ晴天の霹靂ですからな。ぜひともこの目で見ておかねば後々の子孫が嘆きましょう」
「僕が笑うところに居合わせたいという従兄殿は最高に趣味がおかしいことに、そろそろ気づいたほうがいいと思うよ」
「ご自分がそこらじゅうのご婦人を一撃で射殺してしまいそうな笑顔をされている自覚はあるわけですな。けっこうです。さっさと馬車にお乗りなさい」
 リーデットはノエリアを一瞥したが、さしたる文句も言わずに馬車に乗りこんだ。馬で来たはずの彼も続いて乗りこみ、しっかりと扉を閉める。公王は顔をしかめたが何も言わなかった。
 もはや何も言わずとも互いに了解が成立している。
 王城に伺候してきたノエリアは、リーデットが激怒して・・・・セイルーンに連絡を取りに行ったと知って、主の勘気を知りつつ後を追ってきたのであり、しっかり釘を刺したうえで事情を聞くために馬車に乗りあわせた。
 リーデットもそこを理解しているので、憮然としつつも同乗を許した。嬉しいときも素直に笑うが、我慢が限界を超えてしまったときにも笑ってしまうのが彼だった。
 しかも同じく笑いながら怒る姉とは違い、彼は非常に根が深い。姉のアセルスは笑いながら相手を踏みつける手合いだが、弟のほうは笑いながら何もしない。そこがいちばん恐ろしい。忘れた頃に何が返ってくるかわらかないのである。
「―――それで?」
 彼に仕える年上の従兄は、満面の笑みで懐から書状を取りだした。
「頭に血がのぼってすっかり忘れているんでしょうが、セイルーンからの親書を届けてきたのはマラードうちの人間ですよ」
 一瞬の間があった。
 リーデットはこめかみに指をやった。
「………ここまで気が回らなくなるのは久しぶりかもしれない」
「ここまで笑顔の麗しい従弟殿を見るのも久方ぶりですな」
 しれっとした顔でさらに主君を追いこむと、ノエリアはイルニーフェからの私信を開けるように促した。
 セイルーンが正式に使者を立てずに親書をまるまるこちら側の人間に預けたということ自体が、かなりの気遣いだった。
 親書の内容を読むにまかせ、弁解する人間をつけないということ。そして何より、マラード側の人間に使者を頼んだということは、マラード公妃がついでに私信を言付けるのも、使者となったマラード側の者が何を口添えしようとも、自由。添えられたその私信にセイルーン側はいっさい何も手を触れていないし、内容も知らない。たとえ使者の言上にどれほど外交上の問題発言があろうとも―――という意思表示だった。
 先刻、アメリアが読んでないものがあるはずだからと本気で懇願してきたのは、この公妃からの私信だろう。
 果たして何が書かれていたのか―――。
 読み終わったリーデットは無言で便箋を向かいの席に座っていた従兄にまわした。そのことに相手が目を見張る。
「読んでもよろしいんで?」
「差し出している時点でいいんだよ」
 怪訝な顔で紙面に目を落としたノエリアの表情は、文面を追っていくにつれ珍妙なものになり、便箋の下方に視線が移動するころにははっきりと笑いを噛み殺していた。
「………何か言いたそうだね」
「いや、イルニーフェ嬢を公妃に迎えた陛下の慧眼にまたあらためて感心しておっただけです。お気になさらず。陛下より怒っておいでですな」
「僕が怒っているのはそこじゃないんだけどな」
「聞き捨てなりませんな。もっと怒っていただきたい。我が所領の銀の華はすべて粉となりましたぞ」
「知ってるよ。そしてデーモンもいなくなったんだろう?」
 憮然とした口調で言われた言葉に、アランタイズ家の当主はわずかに瞠目した。
「よくご存じで。わざわざ伺候してきた意味もありませんでしたな」
「君は僕の笑顔を見に来たんじゃなかったの」
「ご冗談を。確かに居合わせたいとは言いましたが、だれが男の笑い顔を見て心が和むというんです。まして怒ったときにしか笑わないあなたの」
 細く長く息を吐いて、リーデットは目を閉じた。
「君の奥さんに行ってもらえないか」
「どこにです?」
「セイルーン」
「ははあ、妃殿下を迎えにですか?」
「観光に行っておいでとは言ってないよ」
 笑いながら、リーデットは自分の従兄を見据えた。
「ところで、君の部下は帰ってきていないのかい。カルマートとライゼールと、クーデルアの銀の華も全て粉になっているはずだけど」
 ノエリアが真顔になった。
「どういうことです?」
「それをこれから、城に戻って話そうか。その文面だけじゃ不足だろう。君も怒りたくなると思うよ」
 そしてやはり物の見事にマラード筆頭侯爵は激怒した。
 遠隔地の公妃といい、正面に座っている従兄といい、周囲の者が彼に劣らず怒り狂っているものだから、何となく拍子抜けしてリーデットは窓の外を見あげた。
 青い空だ。綿雲は呑気に浮かびながら、風に流されていく。
 やがて溜め息混じりに彼は呟いた。
「この際、式典放って早く帰ってきてはくれないかな」
 到底あり得ないということは、口に出すまでもなくわかってはいたが。