Third birthday 【Ultra soul】 エピローグ・セイルーン〔1〕
セイルーンに日が落ちる。
鮮やかな夕日が地平の果てへと沈んでいく。
平地に築かれたこの星形の王都は統治者の目線もあまり高くない。視界の端まで街並みは広がっている。
西から東へと天空を横切る斜陽は、白を基調としたセイルーンの都を朱色に染めあげながら双子のもとにたどりつき、露台に長い影を落とした。
初夏の風が吹き渡り、二人の髪を揺らしていく。西日に照らされて赤みを帯びて輝く黒髪は、一人は長く、一人は短い。
雲が金に縁取られた薔薇色に輝き、遠くを飛ぶ鳥が染みのように黒く、空を横切って移動していく。
重く光る入道雲は夕暮れ時は薔薇と金をまとって、よりいっそう誇らしげだ。なんとなく偉そうだなとアセリアは思い、ひとつ溜息をついた。
それを聞きとがめ、街を見下ろしていたユレイアがふり返る。
アセリアもユレイアを見返し、双子はしばし見つめ合った。
「…………」
やがて、どちらからともなく溜息をもらすと視線を沈む夕日へと戻す。
「どうしようか」
「どうしましょう」
二人が背を向けている東から、静かに群青が忍び寄る。すぐに空は彼女たちの母親の瞳の色に変わるだろう。
「どうしましょうか」
「どうしよう」
さらりと心地よかった昼間とは違って、涼しいが肌寒くもある初夏の宵。
「勘当されたな」
「されましたね」
「期間限定でも勘当というのか?」
「わかりません」
「困ったな」
「困りましたね」
「でも、少しどきどきする」
「わたしもします」
このまま残しておけないのが勿体ないような暮れなずむ空を眺めながら、双子は途方にくれていた。
あの夜から一夜明けた今日、二人は母親の執務室に呼び出された。
昨夜は色々あった。
端的に表現してしまえばそれですむが、本当に色々あったのだ。
おまけに一人が把握していて、もう一人は把握していないといった事実関係の偏りが多すぎた。そのためそれらを継ぎ合わせながら、一人まったく事情を理解していなかったアセリアに事の顛末を飲みこませるのには、かなりの時間がかかった。
その話の最中に、ユズハとリアがどういうわけか部屋の窓から帰ってきた。
どうやらいったん王宮の外に出たらしく、北面の警備に穴があることを指摘され、両親が嘆息して天を仰いでいた。
それから、何はともあれ夜も遅いから寝ようということに話がまとまり、リナたちも部屋を用意してもらってそれぞれ休んだ。
アセリアとユレイアは何年かぶりに一緒に眠った。
色々な話をした。ユレイアが小声で歌を唱い、それを聞きながらアセリアはいつのまにか眠りに落ちていた。明日、久しぶりに竪琴にでも触ろうかと思いながら。
そして夜が明け、朝食は慣例通り王族全員でとった。昨夜の事情を知らない祖父と大叔父は仲直りしたらしい双子の様子に露骨に安堵の表情を見せた。
その後リナたちとお茶の時間を持ったのだが、このときにも色々あり、父親二人がそれぞれ飲んでいたお茶にむせて咳きこむはめになった。場の全員がリアを質問攻めにしたかったのだが、リアはさっさと姿を消してしまい、リナたちも自宅へと帰っていってしまった。
両親は執務に戻り、二人はそれぞれの自室に戻る準備にとりかかった。
無事に仲直りし、継承権の順番についても互いの合意を得たいま、いつまでも続き部屋にいる必要はない。ユレイアから昨夜聞き逃した細かな顛末を聞きながら、二人でのんびり荷物を取りまとめていたところへの、呼び出しである。
「で、結局どうなったんですか?」
とろけそうな笑みを浮かべて、母親は二人の娘にそう問うた。
執務机の上には決裁待ちの書類が、両脇に控える侍従のごとく塔をなしており、その中央で組んだ両手に顎をのせて微笑む母親の姿は、その笑みが麗しいだけに非常に恐ろしかった。
「どうって………」
双子はたじろいだ。もしかしなくても母親は怒っていないだろうか。
救いを求めて、双子は部屋の隅にちらりと視線をはしらせた。
普段は奏上待ちの侍従が座る椅子には父親がいて、素知らぬ顔で何かの書類に目を通している。
「どちらが継承権を繰りあげることにしたんですか?」
にっこり笑いながら再び尋ねられた。
母親の背後で開け放たれた窓からは夏の風が吹きこんで、ふわふわと帷を揺らしている。窓の外の空は高く青く、緑は陽光に透けるようで気持ちがいい。
公的な性格を帯びた執務室だというのに、部屋のなかには気がつけば一家四人しかいなかった。
少し肩の力を抜いて、二人は顔を見合わせた。
「わたしです。母さま」
「アセリアですか」
「はい。わたしが繰りあがります」
「ユレイアもそれでいいんですか?」
問われ、ユレイアは頷いた。
母親はわずかに唇の端をもちあげて微笑むと、それきり黙ってしまった。
しばらく沈黙が続いた。父親が気まずげに咳払いをする。
双子がいたたまれなくなった頃、ようやく母親が口を開いた。
「王女だから王様になるつもりなら、別に継がなくてもいいんですよ」
「おい」
なかばあきらめたような口調で父親が止めに入ったが、母親はそれを無視した。
優しげな表情とは裏腹のひどく冷ややかなその調子に、アセリアとユレイアが立ったまま息もつけなくなる。
「相手の分もやってあげる宿題と同程度に考えられていると、非常に周囲の迷惑なんです」
母親は笑みを消すと真顔で言った。
「国を治めるなんて宿題以下なんですから」
言った内容の意味がわからず、双子は顔を見合わせた。宿題と同じ程度で考えるな、それよりももっと重くて大事なものだと言われればわかるが、それ以下とはどういう意味だ。
「やってもやらなくてもいい。やる気次第」
肩をすくめて父親がいい、「もっとも、誰かがやらないと困る代物でもあるがな」と付け足した。
「誰もやっていないと、みんながやりたがる代物でもあります。座ってみるまでどんなに大変か、周りにはわからないんですね」
そして母親は、にこにこ笑いながら言った。
「………怒りますよ?」
「ごめんなさい!」
ほとんど反射的にアセリアは謝っていた。横のユレイアも同様だ。呼び出されたわけがわかった。
「うちの歴代の王族のなかでもこんな微笑ましい理由で継承権を争った王族はいないでしょうね、きっと」
肩をすくめてきっぱり言い切ると、母親は呆れたように二人を眺めた。
「孫の顔を見るまでわたしが女王でいたほうがいいですか?」
「やめないか、アメリア」
「別にそれでもいいんですよ? 本気でめんどくさいうえに向き不向きがありますからね。やる気次第っていうのはそういうことです」
「私は向いてません」
不意にユレイアが小声ながらもきっぱりと言い、母親と父親に目をみはらせた。
「私は向いていません。だから、アセリアに託しました」
「わたしがやります。少なくともユレイアよりは向いてると思います」
母親は眉間を指で押さえた。
「結局、根本の動機自体は何も変わってないじゃないですか………イルニーフェが怒るわけですよ、もう」
短く息を吐いて、母親は娘二人を見た。
「とにかく、アセリアなんですね? もう変更はききませんよ?」
「はい」
アセリアはぎゅっと唇を引き結んで頷いた。
「よろしい」
母親は晴れ晴れと笑って頷いた。
「では、罰を与えます」
絶句した双子に、母親はその唇から笑みを消すと、冷厳とした口調で言った。
「今回のあなたたちの諍いが、どれだけ周囲に迷惑をかけたと思ってるんですか?」
「…………?」
アセリアとユレイアはそれぞれ首を傾げた。
姉妹ゲンカはこれまでにイヤと言うほどやってきたし、それらが周囲に影響を与えたことも、またそれを注意されたことなどもない。対照的な二人であるだけにケンカはほとんど日常茶飯事だった。
今回の諍いも二人にとっては姉妹ゲンカの延長線上でしかなく、互いに対して腹を立てて視野の狭くなっていた二人は、周囲への影響などほとんど考えていなかった。
「おい、まだ二人は十二だぞ」
「あなたは黙っていてください」
きっぱりと言われ、父親は憮然とした顔で沈黙した。
父親を黙らせてから、母親は二人がセイルーンに与えた影響についてアセリアとユレイアにもわかるように言葉を選びながら、実に丁寧に説明しはじめた。
話が進むに連れ、双子の顔色は蒼白を通り越して紙のように白くなってきた。終いには泣きそうになっていたが、母親の表情は変わらない。
「おおやけごとで今回みたいに、たびたびケンカされてはたまりません。その都度、顔色をうかがう貴族が一喜一憂右往左往して、鬱陶しいことこのうえないです。ですから」
母親はそこでいったん言葉を置いた。
ようやく普段の笑みを浮かべて双子を見つめる。
「勘当します」
「………は?」
双子はきょとんとした。
音声だけでは同音の言葉が多く、母親が何を言っているのか二人は即座には理解できなかった。しばらく頭のなかでいまのこの状況下に該当する単語を探し、二人してほぼ同時に今度はぽかんと口を開ける。
いま母親は何と言ったのだ?
父親も合意の上でかと思い視線をやれば、椅子に座ったまま硬直している。
「いますぐ叩き出すのも、色々準備があってなんでしょうから、年が明けるまで待ちます。旅先でわたしがゼルガディスさんを見つけたみたいに、誰を捕まえてようが、幻滅して帰ってこようが、思い立って商売を始めようが、全て自由です。ただし三年間セイルーンへ帰ってくることは許しません。あと、野垂れ死にも絶対に許しません。何年ふらふらしていてもかまいませんが、三年経ったら必ず顔を見せに帰ってきてくださいね」
「ちょ、ちょっと待てアメリア!」
ようやく父親が抗議の声をあげた。
「何ですか、ゼルガディスさん?」
「お前は何を考えているんだ !?」
「何って、嫌ですねぇ」
母親は鼻の頭に皺を寄せて、旅先で出会ったという父親を見た。
「わたしがセイルーンの外を出歩いていなかったら、わたしとあなたは結婚するどころの話じゃなかったんですよ?」
「だからって、こいつらまで倣わせる必要はないだろう。お前とお前の父親みたいに素手で魔族をなぎ倒す必要はまったくないが、それ以前の護身や心得だっておぼつかないような状態だろうが!」
このうえもない正論だった。実際、双子は教師が教える基礎教養と基本的な護身術以外、何も身につけていない。言い方は悪いが、いわゆる『箱入り』だった。魔法だけはリナの指導のもと一通り以上は扱えるが、魔力容量だけは両親に似なかったらしく、あまり高くないのだ。
逃げろというならともかく、戦えと言われると絶対無理だ。二人して一触即発の空気に身が竦む手合いなのである。
「だから年明けまで待つんじゃないんですか。鍛え直してもらいましょう」
軽い口調で言って、母親は楽しそうに片手をふってみせた。
「それにいるじゃないですか、護衛」
双子は呆気にとられて成り行きを見守っていたが、それを聞いてひとつの名前が思い浮かび、おそるおそるユレイアがその名前を口にした。
「もしかして………ティルのことをおっしゃってるんですか………?」
「そうですよ?」
たしかにティルトは頼めば一緒についてきてくれるだろう。だがしかし………それでいいのだろうか?
双子が悩んでいる間にも、父親は母親を思いとどまらせようと説得を試みていた。
「そもそもフィルさんとお前と、お前の姉だけがおかしかったんだろうが………いったいどこの王族が武者修行を通過儀礼にするんだ」
「あ、それいいですね。王室典範に明文化しましょうか」
「するな !! 」
「冗談ですよ。ゼルガディスさん、もしかして今朝のクーンのせいで余計なこと考えてるんじゃないですか?」
「違う! そういう問題じゃなくて、常識的に考えてみてもおかしいだろうが」
「ダメですよ。この件に関しては、前例を作った当の本人が文句を言う権利はありません。ティルトもいますし、だいじょうぶですよ」
「だから違うと………」
父親はげっそりした顔で首を横にふった。説得は成されなかったらしい。
「ティルが一緒なのは決定なんですか、母さま………」
「ティルが承知すればですけどね。承知するんじゃないですか?」
あっさりとそう言った母親に対して、双子は嘆息した。だめだこれは。勘当は決定だ。承知するに決まっている。
そして案の定、やはり承知したのだった。