Ria and Yuzuha's story:Third birthday【Ultra soul】 マラード編〔2〕

 姿見に映った自分の恰好を冷静に分析したイルニーフェは、馬子にも衣装とはよくいったものだと思った。
 他人にも厳しいが、それ以上に自身に厳しい彼女である。もともと彼女は自分の容姿にあまり良い評価を与えていない。当人の審美眼の基準が、標準よりもやや上にあることも、それに一役かっていた。
 その彼女に、服さえ整えば中身はなんとでもなるものだと実感させるくらい、今着ている衣裳は贅沢なものだった。
 白を基調に、アクセントとしてところどころに真珠と銀の飾りを入れ、最高級の絹地を贅沢に使った重いドレスである。
 もちろん、ただのドレスではない。
 幾重にも重なった絹のさらに外側を、霞のようなヴェールが流れ落ちていた。
 どこからどう見ても花嫁衣装だった。
 つまり、どこからどう見ても花嫁だった。
「……またそんな顔して。そのうち皺が消えなくなりますよ?」
 姿見を前に渋面を作っているイルニーフェの脇から、アメリア王女が呆れたようにそう言った。
 彼女はセイルーン国王名代として結婚式に参列するためにマラードを訪れたのだった。
 この婚礼衣装もセイルーン側から用意された『お輿入れ』の花嫁道具のひとつである。
 イルニーフェは思い切りため息をついた。
「その原因を作っているのは誰なのかしら」
 二児の母とも思えぬ少女めいた顔で、アメリアは首をかしげてみせた。
「まさか今頃マリッジブルーですか?」
「違うわよッッ !!」
「まあまあ。そう何ヶ月も前のことでため息つかないでください。だいじょうぶですよ、嫁いだ時点でセイルーン王女だという事実はあってないようなものですから」
 さらっとそう言われ、からかわれていたことに気づいたイルニーフェは再び眉間に皺を寄せた。
「だったらそのままあたしをマラードに行かせればよかったのよ。養子の書類に署名するときの宮廷大臣の顔は、なかなか忘れられるものじゃないわ」
 王女。
 この自分が、よりにもよってセイルーンの王女。
 考えるたびに頭がくらくらしてくる事実である。剛毅だと評されたこともある自分だが、その自分ですら眩暈を覚える事実というものも、この世には存在するのだ。
「王女のほうが何かと便利ですよ。平民を正妃にしたと後ろ指をさされることも、セイルーンの威光で表向きにはなくなりますし、嫁いだあなたにとってもその方が都合がいいはずです」
 夫と双子の娘をセイルーンに残してここまでやってきた王女は、さらりと含みのあることを口にすると、悪戯っぽく笑った。
「至れり尽くせりで恐れ入るわね」
 イルニーフェは語気も鋭く言い放った。
「だけど、あたしは一度決めたことは自分一人で実行できるわ。行くと言ったら行くし、公妃になると決めたら公妃になる。あなたの力を借りなくても、ちゃんと公妃だと認めさせてみせるわ」
 アメリアの意図はわかっている。
 小国――しかも属国とはいえ、国である。マラードも一枚岩ではありえない。
 当然ながら、イルニーフェにあまりいい顔をしないマラードの家臣たちもいる。
 愛妾ならともかく正妃として平民を迎えようというのだから、他国――特にいまだ関係が良好とはいえない沿岸諸国連合への風聞もある
 アメリアは、そういった事情にもかかわらず、横紙破りを承知の上でイルニーフェを公妃に迎えようというマラードと、そのマラードに嫁ぐイルニーフェを、セイルーンという大国の威光を盾にして守ろうというつもりなのだろう。
しかし笑っている当の王女本人は、そういった後ろ盾もなしに独力で少女時代に旅先で出会った人物を夫に迎えた強者である。
 またその夫となった人物も、周囲の風当たりが相当に強いことを全て承知の上で王女を選び、こちらもまた後ろ盾なしで乗りきった強者である。
 庇われる筋合いはない、とイルニーフェは思う。
「あなたはそう言うと思ってました」
 槍の穂先のようなイルニーフェの言葉をするりとかわして、アメリアは淡々とうなずいた。
「リーデから何か言われたわけじゃありません。だからこれはわたしの余計なおせっかいです」
 イルニーフェは軽く息を吐いた。
 何度か似たようなやり取りをすでにしている。何度言っても、そのたびに泥の中に釘を打ちつけているようなものだった。こちらとしてはそのおせっかいを、せいぜい上手く利用してやるぐらいのことしかできない。
 香茶のカップを受け皿に戻すと、アメリアは義理とはいえ妹になったイルニーフェを見据えた。
「これからも公国とセイルーンの間はうまくやっていきたいものです」
 さっきまでの表情ではない。
 父親の次にセイルーンを継ぐ者としての言葉だった。
 イルニーフェもより冷ややかに言葉を返す。
「養女である以前に公妃のつもりよ。マラードにとって独立がよかれと思ったら容赦なくお別れするから、そのつもりでいてほしいわね」
「あなたをセイルーンからの手綱として嫁がせた気はありません」
 イルニーフェは不意にアメリアの顔を見た。
 運命の糸を紡ぐのは自分自身だとイルニーフェは信じているが、織りあげる図案を示唆し導いたのは、まぎれもなく目の前にいるこの女性だった。
 数年前に、相手は協力してほしいと手をさしのべたし、自分はそれにうなずいて手をとった。
 その選択の帰結が、この花嫁衣装に包まれた今の自分なのだ。
 この関係と感情のやりとりを的確に表す言葉をイルニーフェは知らなかった。
 イルニーフェの視線を受けて、アメリアが相好を崩した。
「とりあえず、早く姪っ子の顔が見てみたいですぅ」
「…………」
 不敬を承知で、彼女は主国の王女の頭をはり倒すことにした。



 リーデットから会わせたい人がいるとの話を聞かされたのは、婚礼の儀からひと月ほど過ぎて、あわただしく浮ついていた雰囲気もとりあえず沈静化した頃だった。
「あたしに?」
 イルニーフェは首を傾げる。
「国内の主要な領主たちとは式典以前に顔をあわせているでしょう? 今頃だれが会いたいというの」
「ひとり、会ってなかった人がいるんだよ」
 リーデットはイルニーフェのほうをふり向こうとして、その彼女からたしなめられて再び前に向き直った。
「式典には来ていたの?」
「いや。式にも来ていない」
 瑪瑙にも似た、赤とも茶ともつかぬ色の髪を梳いていた手を止めて、イルニーフェは怪訝な顔をした。
「名代は」
「さすがにそれは来ていたよ。君は憶えてないかもしれないけど」
「家名は?」
「アランタイズ」
 そこまで聞いてイルニーフェはもとどおり、手の動きを再開した。
「なら憶えているわ。いまひとつ地味な名代だったわね」
 おとなしく髪をいじられながら、リーデットは呆れたように息をついた。
「………なんで覚えてるんだい。普通は、あそこまで印象に残らない顔というのも珍しいと思うんだけど」
 そう言って、そっと付け足した。
「向こうもそれを狙っての人選だと思うし」
 言った途端、勢いよく髪が後ろに引っ張られ、彼は悲鳴をあげた。
「痛い!」
「アランタイズ家というのはマラードにとってどういう位置づけなのかしら」
 彼の抗議を無視して、あくまでも真面目にイルニーフェが訊ねてくる。
 これ以上抗議してもムダだと悟ったのか、わりあい素直にリーデットは答えた。
「アランタイズの所領はその大半がセイルーンと国境を接しているんだ。そんなに大きくはない所領だけど、建国当初からマラードに仕えてる古い家柄だから、父さんの姉―――僕にとっては伯母にあたる人が先代当主のところに嫁いだりしているよ。現当主は僕の従兄になる」
「それだけ重んじられている家なのに、主君の結婚式はわざと地味な名代ですませたの?
 よっぽどセイルーンが嫌いなのかしら。それともリーデが?」
「………僕はそう見えるのかい?」
 ため息混じりにリーデットが背後の新妻に問いかけると、考えながら喋っているらしく、歯切れの悪い答えが返ってきた。
「ほら、あなたは、どことなくぼんやりして見えるし………。実際はかなり性格は悪いわけだけれど、そんなこと外見じゃわからないもの」
「…………」
 もはや何も言い返す気力もなくリーデットが沈黙していると、髪を編み終えたらしく、背後のイルニーフェの手が離れていった。
 ふり返れば、彼女は腕を組んで天井を睨みつけている。考え事をしているらしい。
「それで。結局、アランタイズ家の当主はあたしに対して、いったいどういう態度をとるつもりなのかしら? 侮れない人物なのはよくわかったわ」
 なにせわざわざ名代を目立たないような人選で送りつけてくる人物である。
 こちらを―――新公妃を試しているのがよくわかる。
 イルニーフェの口元が笑みを形作った。
「向こうが会いたいって言ってきているんでしょう? なら、いつでもどうぞと答えてちょうだい」
 一度自分が決定したことで相手に遅れをとることは、彼女にとってあってはならないことだった。