Ria and Yuzuha's story:Third birthday【Ultra soul】 マラード編〔4〕

 イルニーフェが呆れたことに、ノエリアとの会見を境に、彼女に対するマラードの家臣たちの態度が一変した。
 それまでは丁重に接しながらも、どこかよそよそしい、距離を置くような扱いだったのだが、アランタイズ侯爵であるノエリアが彼女に礼を尽くすようになってからは、おもしろいぐらいに変わった。
 筆頭侯爵であるアランタイズ家当主がイルニーフェを認めたのならば、彼女は公妃である、ということなのだろう。なるほど公家が彼と彼の家を重んじるわけである。
 思わず笑ってしまうほどに、一目置かれるようになった。
 十二歳だったころには欺瞞だ偽善だと怒って気炎をあげていただろうが、今現在ではそれならむしろ都合がいいぐらいだ。
 少なくとも、イルニーフェの倍以上の相手に自らの存在を認めさせねばいけなかったゼルガディスよりは、ずっと楽な思いをしている。
 認めたくはないが、セイルーンからの降嫁であるという事実も一役かっているのだろう。アメリア王女にしてやられている。
 嫁してわずか数年の間に、イルニーフェは事実上の公妃以上の価値をマラードの家臣たちに認めさせた。公妃にひっかけて鋼妃などという、どうでもいい評判も得たが、それ以上に得難い統治者であるとの認識を彼らの間に持たせ、彼女自身に対する尊敬を勝ち取った。子どもがいないことだけが瑕瑾となっていたが、いまのところ当事者たちは表面上はまったく問題としていなかった。
 公国は以前と比べて格段に富んでいる。
 オリハルコン鉱脈の扱いにも手抜かりはなく、セイルーンとの関係も良好なまま、八年が過ぎた―――



 八年―――。
 さすがにそれだけ年月が過ぎると、いささか奇妙に思えてくることがある。
 オリハルコン鉱脈のことである。
 鉱脈は、すべてアランタイズ家の所領内にある。逆を言えば、オリハルコン鉱脈のある土地をわざと腹心とも言えるアランタイズ家に押さえさせている。
 そしてアランタイズ家の領地は、セイルーンとの国境に位置していた。
 国境とは、地図の上に引かれた線だ。
 それがどこに引かれるかによって、戦で数百数千の人命が左右されることもあるのだが、実際に線が引かれているわけではなく、あくまでも取り決めにしか過ぎない。
 当たり前の話だが、ごく普通に地続きだ。ひとつの大地を分け合っているにすぎない。
 つまり、セイルーン国境沿いのマラード領にオリハルコン鉱脈が位置する以上、地続きのセイルーン側にも鉱脈がないはずはないのである。
 鉱脈の詳細な位置を見てみると、面白いくらいセイルーンとの国境線の形に分布している。
 セイルーンとの国境付近にはかならず鉱脈が存在し、そこからマラードに向かって枝を伸ばすように散らばっているのだ。
 これでセイルーン側にないはずはない。
 イルニーフェが気づいたことには、当然、マラードの生まれであるリーデットも、鉱脈のある土地の領主であるノエリアも気づいていたのだが、まさかセイルーンに本当は鉱脈があるのではありませんかと問いただすわけにもいかず、現在に至っているのだという。
 マラードにしてみれば、セイルーンにオリハルコンが採れないからこその主従関係である。わざわざ藪をつついて蛇を出すような真似はできない。
 以前、イルニーフェもアメリアにそれとなく問いただしてみたのだが、その彼女からして、採れないって聞いてますけどねぇ、と首を傾げている。
 そのアメリア王女は、きたる日に正式に第一王位継承者に繰りあがる。なんでも出奔したままの姉姫が正式に継承権を放棄する旨を表明したとかで、いままで引き延ばしていたあたりが姉さんらしいですと苦笑していた。
 戴冠式などに比べるとささやかな式典だが、使者を出さないわけにはいかない。
 主国から属国の場合だと、たとえ公主の戴冠式だろうとセイルーンは名代でかまわないのだが、逆だとそうはいかない。公主公妃二人揃って出向く必要はないだろうが、リーデットかイルニーフェのどちらかが直接出向くことになるだろう。どちらが行くかはまだ決めていない。
 そういった予定も含めてイルニーフェが連日執務をこなしていると、ノエリアが王城に伺候してきて謁見を求めてきた。
 リーデットでもイルニーフェでもかまわないと告げての謁見は、嫁した直後から変わらない。公妃が単なるお飾りではなく、公主と対等な共同統治者であるという認識を他の家臣たちに定着させることができたのも彼の尽力のおかげだった。
 もともと立場上、頻繁に王城に伺候するノエリアだったが、ここ半年は特にその回数が多くなっていた。
 あいにくリーデットは別の予定があったためイルニーフェが応接室のひとつに出向くと、ノエリアは単刀直入に用件を切り出した。
 それを聞いて、思い切りイルニーフェは眉をひそめた。
「また新しい鉱脈が見つかった………?」
「左様、またです」
 ノエリアはうなずいた。こちらもイルニーフェと同じく渋面だった。
 公妃の分のお茶を新たに運んできた女官が下がるのを待ってから、再び話が再開される。
「どういうことなのかしら。マラードの足元には『竜たちの峰ドラゴンズ・ピーク』並みにオリハルコンが眠っているというの?」
「だとしてもこれはいささか多すぎる。セイルーンほどの大国でも十年は楽に戦争できる量がこの小国の足元に埋まっていることになる」
 ノエリアの顔には厳しいものがあった。
 鉱脈のある土地はアランタイズ家の領地だが、鉱脈自体は国有である。オリハルコンの採掘には細心の注意を払い、諸国を刺激しないよう、それほど多くの鉱脈があるようには見えないよう装っている。
 鉱脈の全容が知れ渡ると、欲に目がくらんだ他国にとって、セイルーンの後ろ盾があまり牽制の役目を果たさなくなる可能性があったし、逆にセイルーンから属国ではなく領土として併呑されかねない。これはリーデットやアメリア王女が健在の間は有り得ないことだろうが、これから何代も後にそれが起きないともいいきれない。
 だからこそアランタイズ家にとって鉱脈の管理は最重要事項だった。新たに鉱脈が見つかった場合、ただちにそれを把握し、公主の耳に入れねばならない。
 しかし最近になって、その頻度が増してきていた。
 イルニーフェがマラードに嫁してからの八年の間に、すでに七つ。しかもその七つのうち四つはここ二、三年になって新たに発見された鉱脈である。
 あきらかに通常では考えられないことだった。
 こんなにぽこぽこ鉱脈が密集して存在し、立て続けに見つかるものだとしたら、世の中のオリハルコンの市場価値はもっと下落しているはずだ。
「それで、今度はどこなの」
 舌打ちしそうな表情でイルニーフェが訊ねると、ノエリアは持ってきた羊皮紙を黙って差し出した。
 地図に新たに書き加えられた点を見て、イルニーフェは深刻な表情になる。
「だんだん、マラードの内側に寄っているわね」
「そこが気になる。おそらく次に鉱脈が見つかるとしたら、もはや俺の領地ではなく、そのひとつ手前のレベロ子爵領になっているでしょうな」
「偶然にしてはおかしな話だわ」
 いったいこれは何を意味するのかと考えこんでいると、アランタイズ侯爵はさらに声を低めて話しかけてきた。新たに鉱脈が見つかったという時点で、すでに密談の様相を呈してきているのに、だ。
「ところで、これは俺の耳に入ったことなのだが」
「……あなたの密偵は、今度は何かをつかんできたの」
 筆頭侯爵であるアランタイズ家は、オリハルコン鉱脈の統括を任されている他にも、マラードの優秀な外交官でもあった。国外の情報は、まずこの黒赤色の髪の偉丈夫の耳に入ってくる。
 そのノエリアは、ほとんどささやくようにしてイルニーフェに告げた。
「ついこの間、ラルティーグとクーデルアからもオリハルコン鉱脈が見つかったらしい」
 思わずイルニーフェはノエリアの顔を見直していた。
「どういうこと」
「どうも何も。正確な位置はもちろん向こうにとっても最高機密である以上わからなかったが、この二国には共通点がある。そこから推測できる。妃殿下はそう思われないか」
「カルマートは?」
 間髪入れずに彼女が問うと、ノエリアは自ら試したにもかかわらず、つくづく自国の公妃に対して呆れたようだった。
「結婚当時から言っているが………。本当に、どうして貴女のような人物が平民だったんです?」
「初対面のときから言われているわね。それで、どうなのかしら」
 ノエリアは表情を引き締めた。
「いかんせん、セイルーンをはさんで反対側の国だ。距離もあるし、たかが小国が放つ間者では沿岸諸国連合あたりはともかく、カルマートでは同じ公国とはいえ、探りだすには荷が重すぎる。第一、国境を接してもいないのに間者を放つ必要性もないでしょう。ですが、おそらく可能性はある」
「カルマートでも恐らく、鉱脈が見つかっているでしょうね」
 イルニーフェはそう断言した。
 新たに鉱脈が見つかった二国とカルマートの共通点はどちらもセイルーンの隣国、しかも王都である白魔術都市に近い隣国であるということだ。
 エルメキアやゼフィーリアはセイルーンと国境を接してはいても、六紡星の都市からはほど遠い。
「ラルティーグやカルマートは鉱脈のひとつやふたつ見つかったことで、今更それほど大きな動きは見せんだろうが、問題はクーデルアだ」
 マラードと同じく北をセイルーンとの国境にしている小国だが、こちらはマラードとは違って、れっきとした沿岸諸国連合の一員だ。マラードとは伝統的に仲が悪い。
 そのうえ昨今、どうも統治に安定性をかく傾向にあり、どう動くか予想がつかなかった。
「しかし、いったいどうなっている? この鉱脈の分布具合はどうもおかしい。これでどうしてセイルーンには鉱脈がない? ないはずがないぞ」
 茶菓子に手をつけようともせず、それが日頃こきおろしている兄の作品だと気づいたわけでもないだろうが、親の仇のように睨みながらノエリアが唸った。
 肝心のセイルーンはないと言い張っているが、どうみても鉱脈はセイルーンを中心に分布している。それどころかセイルーン王都を中心に放射状に広がっている感すらある。
 セイルーンでオリハルコンが産出するのなら、わざわざマラードと主従関係を結んで庇護する必要はない。
 有り得ない鉱脈の分布からして、不気味だった。
 嘆息して、イルニーフェはマラードの最高機密である地図を巻いてノエリアに返すと、新鉱脈は伏せ置くように言って、さらに付け足した。
「あとで義理のお姉さまにでも問いただしてみるわ」
「ぜひお願いする。そのための養女ですからな」
 アランタイズ侯爵は地図を受け取ってから、身も蓋もなくそう言った。
「ところで、以前から借り受けている近衛兵ですが、もうしばらくお貸し願いたい」
 イルニーフェはイヤなことを聞いたというように、顔をしかめた。
「まだいるの」
「それが狩っても狩っても減らん。まるで白蟻だ」
「白蟻とデーモンを一緒にするのはどうかと思うわ」
 ここ半年ほど、アランタイズ家の領内でデーモンが頻繁に出没している。
 とてもアランタイズ家の手勢だけでは太刀打ちできないと、ノエリアは公主直属の近衛兵団を借り受けていき、魔道士協会にも協力を仰ぎ、自ら討伐の指揮を執っていた。彼の王城への伺候が頻繁になっているのもそのせいだ。
 あまりひどいようならセイルーンに助力を仰ぐしかない。こちらは小国ゆえ兵も魔道士も数が少ないが、何せ向こうはその手のトラブルに関してはプロに近い。王族のアメリア王女からして素手でデーモンをなぎ倒す。
「デーモンが好む場所というのは決まっていて、出没に対応したり、逆に待ち伏せたりするのに不自由はしていないのだが、よほど我が領地は魅力溢れる土地なのか、一匹狩ってもまた新手が棲みつくような有様で」
「こちらの被害が問題だわ。戦う度に犠牲者は避けられないわけだし。あまり由々しいようなら、これもアメリア王女に話しておくわ。あちらはデーモン討伐の専門国のようなものだから」
 顎をさすりながら、ノエリアは首を傾げた。
「やれやれ。デーモン討伐に特化していることといい、あの六紡星の形の首都といい、王族の気性といい、それにしてもつくづく妙な国だ。よく侍従長が務まりましたな」
 対するイルニーフェは嘆息混じりに自国の筆頭侯爵に返答した。
「幸か不幸か、耐性だけはついてしまったのよ」



 その夜、リーデットと話し合った結果、イルニーフェがセイルーンのほうに公主名代として赴くことに決まった。式典は一ヶ月後だが、討伐隊の応援要請やオリハルコン鉱脈の件でも話があるので、早めに行くに超したことはないという結論になり、準備ができ次第発つことになった。
 自室でイルニーフェがいくつかの書類に目を通していると、彼女付きの女官がお茶を持ってきた。
「妃殿下、僭越ながらお願いがございますが」
 書類から視線をはずしてイルニーフェは顔をしかめた。しかめたが、特に話しかけられたことが嫌なわけではない。
「お願いされなくても、あなたの子どもの様子を訪ねてくるわ。お願いはそのことでしょう?」
 女官は恐縮したように頭を下げた。名をラウェルナという。
 彼女はもともと、隣国クーデルアがセイルーンへの密偵として使っていた女性で、数年前にセイルーンとマラードで色々あった結果、いまはマラードに身柄預かりとなっている。未亡人で、病気の息子がひとりいて、セイルーンで治療を受けていた。
 赤銅色の髪と目をした婦人で、目元のあたりがおっとりとした気性をよく表しているが、気丈な面もある。マラードに身を寄せるようになったのも、人質をとられた身でありながら、可能な限り自分に指示された計画を不首尾に終わらせようと画策した結果だ。
 十以上もイルニーフェと歳が違うのだが、持っている雰囲気がどことなく亡き義姉に似ていて、彼女としては向ける顔の表情にときどき困ることがある。
 しばらくたってから、ラウェルナが不意に言った。
「クーンはセイルーンにおりますでしょうか」
 イルニーフェは少し驚いた表情で彼女を見て、納得したようにうなずいた。
「あなたとクーンは友人だったわね」
「娘みたいな歳の子と友人とはおかしな話ですが。でも、もう彼女もリアちゃんと呼べる歳ではないでしょうしね」
 笑いながら彼女は香茶のカップをイルニーフェの前に置いた。
「どうかしらね。旅先から運良く帰っていれば会えるのではないかしら」
 伏せた書類を香茶から遠ざけながら、イルニーフェはリアの顔を思い出した。思い出すのは簡単だった。あんな綺麗な容貌を忘れるほうが難しい。
 アメリア王女の双子はイルニーフェにとって妹のような感覚がするのだが、リアのほうは曖昧で、どちらかというとユズハとワンセットにして考えていることが多かった。ユズハのほうはもちろん、妹扱いしたことは一度もない。
「………どっちが本名だったかしら」
「リアです」
「何だって名前が二つもあるのかしら。ややこしい………」
 嘆息混じりにイルニーフェはそう言った。
 たしかに名前を呼ぶとき、リナにリアではややこしいのは間違いない。クーンの愛称が定着するまでは、ユズハの名前の混合ぶりにはひどいものがあった。ユズハはアメリア王女を「りあ」と呼ぶ。リナにリアに「りあ」では、呼んだ本人はけろりとしていても聞いているこっちのほうが癇癪を起こしたくなったものだった。実際、イルニーフェは何度か癇癪を起こした。
「どちらも良い名前ですわ」
 イルニーフェの嘆息を聞きつけて、ラウェルナがやんわりとそう言った。
「そういえば、あなたはそういうものが好きだったわね」
 目の前の女性の趣味は、刺繍の他にもうひとつあって、自分の名前の由来から端を発した言語学がそれだった。イルニーフェは、以前から学者顔負けの知識を披露されている。
「あなたがそういうからには、クーンの名前はなにか縁起の良い意味でも託されているんでしょうね」
 歴史上や伝説から子どもの名前をとってくるのはよくある風習だ。魔道士の場合だと力在る言葉からとってくる場合もあるらしい。
 もっともイルニーフェ自身は、ほとんど興味を持っていない。
「リアもクーンも、どちらもレティディウス公用語ですわ。お国がゼフィーリアとのことですから、あのあたりはレティディウス公国のあった場所ですし、おそらく地方の方言や言い回しのなかに、まだその名残が残っているものと思われます」
「なら、クーンの伯母だという人は、そこからリアの名前をとったのかしら」
「リアはレティディウス公用語における量詞で、最小を意味します。リアがかかる名詞が数えられるものなら、ひとつを。数えられない名詞なら、とても少ないという意味合いになります」
「ふうん」
 うろんな表情でイルニーフェはそれを聞いていた。
 聞く限り、あまり名前に用いる言葉として、ふさわしいものではないような気がする。
「リアが使用されると、目の前にある目的のものはそれだけで、他に同じものはその場には存在しない、という限定がその名詞にかかります。それが転じて、たったひとつの、とか、かけがえのないもの、という意味にもなります。おそらくリアの名前はそこからですわ」
「じゃあ、クーンは?」
 ラウェルナから回答を得ると、イルニーフェは鼻白んだ表情で香茶を口に含んだ。
「あの子じゃないと名前負けするわね。母親と伯母とで謀ったとしか思えない名付けかたじゃないの」
「名前の意味など、それほどたいそうなものではありませんわ。所詮、親の願いと祈りにしかすぎません」
 ラウェルナの静かな言葉に、イルニーフェは軽くうなずいた。
「そうね。名前に名前以上の意味があるはずはないわ。名前の下に個人があるのではなくて、個人に従うものが名前なのよ。名前に意味を見出そうとするのも馬鹿らしいし、意味をとりあげて、さも重大そうにああだこうだいうなんて馬鹿らしいわ。あたしは自分の名前の由来など、別にどうでもいいもの」
「それでも、そんな名前を名付けずにいられないのが親というものですわ」
「………そんなものかもしれないわね」
 いまだ娘っぽさの抜けない仕草で、イルニーフェは小さく肩をすくめた。



 翌々日、イルニーフェはセイルーンへと発った。
 セイルーン王家の養女となって嫁してから二度目の帰省だった。一度目は建国何百周年かの大祭だった。それももう何年も前になる。
 彼の娘であるアメリア王女が継承権第一位となる以上、その子どもである姉妹順のはっきりしない双子も、継承権の有無をはっきりさせねばならい。
 そういえばいつぞやの宿題の答えは出たのだろうか。
 馬車のなかで、イルニーフェはぼんやりとそんなことを考えた。