Ria and Yuzuha's story:Third birthday【Ultra soul】 リア編〔1〕
これから濃くなろうとする若い緑に包まれた街道を、三人は歩いていた。
髪の色は金と銀。容貌がはっきりわかるうち二人はとんでもない美貌の持ち主だったから、いやがおうにも人目をひく取り合わせだったが、幸いなことに街道に他の人影はない。
リアとユズハ、ゼフィアの三人だった。
例によって、光が有害となるゼフィアの目は布におおわれていて、表情がはっきりしない。銀の髪が陽光にきらきらしく光を散らす。
対照的に煙るような淡い金髪が貌の周囲をとりまいているリアは、頬の線が少し鋭くなったことと、真紅の瞳に厳格なものを漂わせていることもあって、近寄りがたい雰囲気がいっそう凄みを増していたが、本人はおそらく気づいていない。
耳覆いのある布の帽子を深くかぶったユズハは、ひとり黙々と歩いていて、こちらのほうも別の意味で近寄りがたかった。
潤みを帯びた初夏の風がラルティーグからセイルーンへと続く街道を吹き渡っていく。
風に揺られたかのように、リアがふわりと背後をふり返った。気配に気づいたのか、ゼフィアが少し首をかしげるようにしてリアのほうに意識を向ける。
「急がせてごめんなさい」
なるべくゼフィアにも歩きやすい街道を通るように配慮しているとはいえ、まったく個人的な事情で旅程を急いでいるのは事実だった。
謝ったリアに、ゼフィアは軽く笑う。
「別にいいですよ、そんなこと。急ぐ理由が要領を得ないのには腹が立ちますが」
さらりと言われてリアは顔を引きつらせた。
「いや、あたしも何がなんだかよくわかっていないし。だから急ぐんだけど」
魔族に呼ばれましたなどとは言えないし、実際に何がなんだかよくわかっていない。
わかっているのは尋常でないということ。
魔族からセイルーンに行くように指示されるなど、普通はない。一般人はそんな経験などせずに一生を終える。
自分の母親はどうやら尋常じゃない人生を歩んできたようなので、娘の自分にもそれが飛び火したと言えるが、もしかすると自分自身にも原因の一端がありそうで怖い。自分があまりまっとうな気性ではないことは自覚している。
母親の知り合いである魔族が、リアとユズハにセイルーンに行くように指示を出した。従うのは癪だが、無視するわけにもいかない。魔族のゼロスが暗に告げたことは、セイルーンで何かが起きるということであり、おそらくそれが魔族絡みであるということ―――つまりはリアの家族や家族同然に思っている人々が、それに関わらないはずがないということだった。
セイルーンにはアメリア王女の一家の他に、両親と弟がいる。王族であるアメリアたちとは違い、リアの家族はふらふらと旅に出る癖があるので断定はできないが。
彼らにゼロスのことをまだ告げていない。
セイルーンへの最短ルートを選択した結果、逗留先の町の魔道士協会にはことごとく隔幻話の設備がなかったのだ。
だからますます、リアは旅路を急がねばならなかった。
「たぶん、いま間に合わなかったら、あたしは一生後悔すると思う。だからごめん。急がせて」
そう告げたリアに、ゼフィアは否とも応とも言わず、軽くうなずいて彼にとって負担を強いる旅程をとることを許した。
目の前にいるはずのリアに対して、ゼフィアは軽く微笑した。
「冗談ですよ。どうぞ、めいっぱい急いでください。セイルーンは私にとっても目的地ですから、とやかく言ったりしませんよ」
以前見た銀の瞳の記憶が、リアの脳裏にふと呼び覚まされる。
「治るといいわね」
「さて。どうでしょう」
何とも言えずはぐらかしたゼフィアに、口にしたことを軽く後悔したリアは、先を歩いていたユズハが立ち止まっていることに気がついた。
「ユズハ、どうしたのよ?」
「アレ、何」
小さな手が指さす先を見て、リアも眉をひそめた。
「どうしたんですか」
「兵隊がいるの。これから泊まる予定の、村の、入り口に」
その事実がいかにも嫌そうに一言ずつ区切ってそう答えると、リアはもっとよく様子を見ようと目を凝らした。
村は街と違って城壁が巡らされているわけではない。簡単な垣根や板塀、木の門があったりするだけで、呑気なところだとそれもなく、ぽつぽつと家があってそれをたどっていったら、いつの間にか村の中心まで来ていた、というようなこともある。
ラルティーグとセイルーンの国境のあたりは、いまいる街道の右手後ろに見える山脈と、その山脈を超えた反対側の麓に広がる大湖、そしてそこから流れ出す川が無数の表情を織りなしている。
リアたちが歩いている街道は、渓谷やら渓流やらで通りづらい南側ではなく、比較的何もない山脈の北側を通ってセイルーンに至る道で、これから行く先の村は国境の手前に位置しているはずだった。
さすがにこのあたりまでくると山脈は終わり、裾野をまわりこむように湖がこちらまで顔を出していて、ため息が出るほど美しい風景が広がっている。
その初夏の風景にまったくそぐわない形で、ラルティーグ兵が二人、村の入り口―――街道が集落にのみこまれているあたりに立っていた。
何が起きているのかはわからないが、あまり良い印象は与えない。
できれば関わり合いになりたくなかったが、迂回する道はなかった。
「さすがに野宿はしたくないし、行くだけ行ってみましょうか。ユズハ、おいで」
帽子の両脇をぎゅっと下に向けてひっぱりながら、ユズハがとてとてと戻ってきてリアに並んだ。最近、何か騒動をひき起こすでもなく、やけに聞き分けよくおとなしいのが気になるところではある。
「とりあえず、ダメなら舌先三寸で丸めこむから、ゼフィは黙っててね」
リアがそう言うと、呆れた表情でそれでも一応、ゼフィアは黙ってうなずいた。
「封鎖? どうしてよ。街道沿いだとここに泊まれなきゃどこに泊まれっていうの」
そう食ってかかるリアに、ラルティーグ兵はとりつく島もなかった。
「村の中で悪質な伝染病が流行っているおそれがある。感染したいなら止めはせんが、感染されると困るのは我らだ。ゆえに村に入れるわけにはいかん。ここは迂回せよ」
伝染病と聞いてさすがにリアの表情がひるんだものになるが、今度は思わぬところからひるみのない声がした。
「伝染病? どのような症状がどれだけ続くんです? 致死率はどれほどですか? 何を媒介としているのでしょう? 一人目の方の発病からどれくらい時間が経って、現在何人が感染しているんですか」
「な、なんだお前は………?」
「私は薬師です。病気の方がいらっしゃるなら何かお役に立てるはずですが」
「い、いや。僧侶や魔法医は充分に間に合っている。わざわざ手を借りるほどではない」
妙に歯切れの悪い口調なのが、リアとゼフィアの気にかかった。
ゼフィアがさらにたたみかける。
「それにしても、もう少し詳しいことを教えていただけませんか。伝染病と聞けば薬師として気になりますし、先刻から風向きは村のほうからですが、まさか空気感染したりはしませんでしょうね?」
「だいじょうぶだ。それはない」
「妙に自信ありげにおっしゃられますが、その根拠は?」
「でなかったら、我らがこんなところにいるはずないではないか! あまりしつこいとただではすまさんぞ!」
癇癪を起こしたように顔を真っ赤にしてラルティーグ兵が怒鳴ったとき、彼がハルバードで通行を阻んでいる向こう側で、ただならぬ騒ぎが持ちあがった。
兵士二人も、リアたちも皆一様にそちらを向く。
逃げまどう悲鳴と恐怖の叫び。建物が倒壊する音にまぎれて、兵士たちに命令を飛ばす声と、獣の唸り声に似た咆哮がここまで届いてきた。
必死の形相で、兵士が一人こちらに逃げてくる。
「ちょっと! ほんとに伝染病なの!?」
リアが兵士に詰め寄っている間に、もうひとりが逃げてきた兵士を捕まえて、何事かと訪ねる。
答えを聞いたその兵士の顔が蒼白になった。リアも大きく目を見張る。
「レッサーデーモン?」
リアの手が無意識に剣の柄に触れた。
斃さなければという思いと同時に、まだ一度も見たことのない亜魔族への好奇心がなかったとは言い切れない。つい最近、上から数えたほうが早い高位魔族を挑発したくせに、亜魔族はまだ見たことがないのだった。
リアは狼狽している兵士に問いただした。
「で? 伝染病ってのはホントなの嘘なの。はっきりなさい! 本当ならあたしがデーモンを退治しにいけないから、この際はっきり!」
居合わせた兵士たちが唖然とした表情をリアに向けた。
「クーン、無茶です」
「無茶じゃない。あたしの母さんと父さんはもっと倍の魔族を相手にしてきたはずだもの。ゼフィはここにいて」
リアは兵士に詰め寄った。
「で、どうなの?」
「伝染病なんか起きてない。う、嘘だ」
「そう」
リアは相手が思わず見とれてしまうような笑みを浮かべて、それだけを言った。
「なら、しばらくのあいだ彼をお願いするわ。ユズハ、どうする? あんたの炎は役に立たないと思うけど」
「………行ク」
「そう。じゃ、いらっしゃい。気をつけて」
短くそう告げて、リアは騒乱のただなかへと駆けだした。
「クーン!」
「心配しないで! すぐ帰ってくるから!」
逃げ出してくる村人たちの流れに逆らって走っている間に、手にした剣が赤い魔力の光を帯びる。
槍や剣を手にしたラルティーグ兵に包囲されるような形で、数匹のレッサーデーモンが瓦礫のなかに立っていた。壊されたり焦がされたりした建物に注意を払えば、現れた経路はすぐにわかった。村の横手にある山脈の裾野のほうからだ。
母親から教わった知識を反芻する。
レッサーデーモン。地水火風の精霊魔法はほとんど防ぎ、物理攻撃は効くものの、その肉体は強靱。咆哮により炎の矢を生み出すことができ、並の戦士や魔道士では太刀打ちできない強さを持つ。
―――もっとも、純魔族に比べりゃ子猫みたいなもんよ。
(とはいえ、一般人にとっては充分恐怖の対象だと思うんですけど、母さん………)
リアは口のなかで小さく呪文を唱えはじめた。
興味の対象が剣に移る前までは、魔道がその対象だった。研究しなくなったいまでも、並の魔道士以上に識っている。剣だと仕留めるのに難渋することがわかりきっている相手に対して魔法を使うことに、ためらいはない。
「崩霊裂!」
力在る言葉に応えて、蒼い光の柱が一匹のレッサーデーモンを包みこむ。光のなかで、デーモンが塵と化すのを目の当たりにした兵士たちから驚愕の叫びがあがった。
「魔道士殿か!?」
否定するのも面倒くさく、短くうなずいて、リアは次の呪文を唱えはじめた。
一匹消滅したことによって均衡が崩れた。兵士たちが残りのデーモンの包囲を強化しようとその環をせばめる。
デーモンが一声吼えて、炎の矢を生み出した。
放たれたそれに、場の恐慌がひどくなる。
兵士に当たることを恐れて、リアは唱え終わった呪文を発動しあぐねていた。
ユズハが炎を何とかしてくれないかと思って視線を送るが、ユズハは小さく首を横にふるだけだった。炎の質がユズハの管轄範囲ではないのかもしれない。
ようやく一匹に呪文を放ち、粉砕しておいてから、リアはいらだたしく怒鳴った。
「逃げるだけなら邪魔しないで!」
飛んできた炎の矢を剣の一閃で散らすと、リアは再び呪文を唱えながら走り始めた。その間にも飛んでくる炎の矢はすべて剣で弾き散らす。
「螺光衝霊弾ッ!」
三匹目の頭が螺旋を描く白い光に灼き切られたとき、ひときわ高い咆哮があたりに響き、無数の炎の矢が、再びリアや兵士たちに向かって放たれる。
あらぬかたに飛んでいった炎の矢は建物の屋根に燃え移り、ますます災禍を大きくしていった。
リアは自分に飛んできた炎の矢を二、三本ほど剣ではたき落とした。が、しかし、微妙にタイムラグを置かれて放たれた二本がどうにも避けきれない速度で迫ってくる。一本避けても必ずもう一本があたるような間隔だ。
最初の一本を剣ではたき落とし、残りを手で叩き散らしてあとで治癒でもかけるべきか、とやたら冷静にリアが思ったときだった。
クリーム色のローブの袖が炎とリアの間に差し出された。
当然ながら、炎の矢は彼女に届く前にその腕に炸裂し、ローブが燃えてあっという間に炎に包まれる。
「ユズハっ !?」
リアが愕然とその名を呼ぶと、淡々とした様子で炎に包まれていく腕と彼女とを見比べたあとで、ユズハは短く言った。
「すまん。消しテ」
リアが唱えた消化弾が火を消す頃には、ローブはその上半身部分がほとんど燃えてなくなっていたが、当の本人には火傷ひとつなかった。
ユズハの在り様は精神生命体に近い。炎で傷つくはずがないことは知っていたが、それでもぞっとするような光景だった。平気な顔をしているユズハを見ると、安堵のあまり今度は猛烈に腹が立ってくる。
叱るしろ何にしろ、デーモンを片づけてからでないといけない。リアは怒りにまかせて剣をふるい、最後の一匹を斃してからユズハのところに駆け寄った。
「あんた何やってんのッ !?」
「すまん。無理」
「何が!? 何が無理なのよ、何したかったわけ!? あんたに庇われる筋合いなんかないわよ。だいたい何だって謝るのよ !? 謝るくらいなら最初からしないでよ。ああぁもう腹が立つッッ!」
言っていることは支離滅裂だったが、当然ながらそれをユズハが言及することはない。
「やっぱり、無理だっタ」
「だから何が !?」
怒鳴りながら自分のマントでユズハを包みこむと、かろうじて無事だった帽子をかぶりなおさせて耳を隠させ、それから逡巡したのち、リアはユズハを抱きあげた。なんとなく歩かせる気がしなかった。
レッサーデーモンを全滅させたことで、周囲は被害の状況を確認するための別のあわただしさに満ちている。
兵士たちの隊長格の人物を探して、デーモン退治の恩を売って村へ入ることの許可を得ようと思い、彼女はユズハを抱いたまま歩き出した。
しかし、数歩も行かないうちに隊長とおぼしき人物がこちらのほうに歩いてくるのが見えたため、その場に立ち止まる。
「どうしてあたしに消させたの。あんた、火、消せるでしょ」
リアのその問いに、抱えられたユズハは勢いよく首を横にふった。
「ユズハ?」
「ダメ。できナイ」
朱燈の瞳でここに在らざる者を見据えるようにして、ユズハは重大な変事をいともあっさり告げた。
「できなくなっタ。ホノオ、使えナイ」