Ria and Yuzuha's story:Third birthday【Ultra soul】 リア編〔2〕
リアは己の感情をもてあましたまま、ユズハと対峙していた。
ゼフィアは隣りの部屋にいる。結局あの後なんやかやと押し問答をしたあげく、村長の厚意で彼の家に一泊させてもらうことになったのだ。
デーモンをいとも簡単に片づけたリアの手腕と容貌に、兵士たちはおろか村人たちからも視線が集中したが、近寄りがたい雰囲気と相まって、リアの機嫌が最悪なことが、彼女をよく知らない周囲にも傍目からしてわかったので、誰一人として積極的に話しかけてくる者はいなかった。
窓から見える村の明かりは既に数少ないが、リアは寝るどころではない。
感情が飽和状態で、些細な刺激で溢れ出してしまうぐらいにはささくれだっていた。
思ったことをそのまま口にしてしまうと整合性を保てないほどに、次から次へと目まぐるしく変化している。
だから黙っている。
ユズハに庇われた。認めたくない。自分が庇護者だと思っていたのに。
炎に包まれた腕を見て、自分でも思わぬほどに動揺した。傷つくことはないとわかっていたはずなのに、一瞬そのことを本気で忘れた。
何より、いちばん腹が立つのは。
炎が操れなくなったという大事を、ユズハがいままで自分に黙っていたことだった。そういうことを打ち明ける相手と見なされていないのか。
それはそうだろう。本人にそう言われるまでユズハの変調にまったく気づかなかった。話される資格がない。そんな自分自身のほうにより腹が立つし、赦せない。
結論は―――思いあがりも甚だしい。
しかし腹は立つ。無性に立つ。
ついでとばかりに、いままで先送りにしてきたユズハに対するその他諸々の疑問や心情が一挙に噴出してきて、とうとう感情に手がつけられなくなり、結果、何か言おうにも言えずに憮然として椅子の上で黙りこむ、という、どうにもならない事態になっている。
どうにも子どもっぽい一面があることはわかっていたのだが、下手をするとこのままだと怒りと心配を通り越して拗ねだしそうな自分に、リアはますますげんなりしてきた。
拗ねるにしろ何にしろ、このままでいることは許されなかった。
問題はユズハの変調だ。ここ数日おとなしかったことといい、思えばいくつか兆候はあったはずなのだ。
―――気づかなかったくせに。
リアは己の手のひらをきつく握りこんだ。
それから、おとなしくベッドでシーツのすまきになっているユズハに、ようやっと視線を向ける。
「ユズハ」
「ン、なに」
「あんた、セイルーン行くのやめたほうがいいんじゃないの」
ユズハはまばたきひとつして、シーツの山から起きあがった。
「どして」
「どうしてって、じゃあ訊くけど!」
―――ダメだ。
あっという間に声が荒くなる。
感情の噴出は自制できない。もともと、普段からそういうふうに自分を仕向けているせいだ。
「なんで炎を操れなくなってるのよ。あんた半分は炎の精霊でしょ!?」
ユズハは首を横にふった。
「違う。ゆずは、精霊じゃナイ」
「精霊じゃなきゃ何なのよ!?」
「ゆずは、は、ゆずは。違ウ?」
「違わないわよっ!」
リアはいらいらしながら肯定した。
はぐらかされているわけじゃない。ユズハと会話しているとこちらの意志が通じていないような気がするが、そんなことはない。ユズハはいつもその質問に応じた答えをきちんと返す。
ユズハの言葉の裏にあるものをくみ取れるほどの余裕がいまはないだけだ。
「最初は、精霊だっタ」
ユズハが首をかしげて、思い出すような仕草をした。
「でも、混ざっタ。ぶろう・でーもんの精神体。人形の、カラダ」
「そう聞いてるわ」
「りあと出会っテ、カラダ壊れタ。変わっタ。魔力、足すようになっタ。ゆずは、どんどん変わっていク。でも、ゆずは」
「………あんたは」
声がかすれている。自分でもそれがわかる。
「………あんたは、炎が操れなくなったことを言うべきことだと思わなかったのね」
「ン」
ユズハは、不思議そうにリアを見上げた。
「………言うノ?」
「………………当たり前でしょ」
「どしテ?」
「…………ッ」
しばらく次の言葉が出てこなかった。
大きく息を吸って、吐いて、ふるえる拳を握りしめる。
「―――あんた、人のこと何だと思ってるのよ!!」
怒鳴り声に隣室のゼフィアが壁を叩いてきたが、無視した。
怒りに煽られたように髪がふわりと舞う。
「くーん」
「あんた人のこと何だと思ってるわけ! あんたの在り様が不安定なことぐらい、あたしだってセイルーンのアメリアさんだって知ってるわよ! なのにそのことを話すべきことだと思わないってのはどういうわけ!? あたしについてきた以上、アメリアさんも母さんもいないんだから、あたしに言うしかないでしょ!? そういうことを言う相手じゃないと思うんなら、どうしてあたしなんかについてきたりしたのよ!?」
ダメだ。止まらない。止め方を知らない。
相手が心配しているのに話さないのはけしからんなどという言い分に正当性はあり得るはずがないことなど、とっくに知っているのに。
ユズハは人を不安にさせる。
それはユズハが抱く感情が、他の何者にも左右されないユズハだけのものだからだ。周囲から向けられるいかなる感情も、ユズハの想いを揺るがさない。憎悪に憎悪を返さない。好意に好意を返さない。
人は普通、好意を向けられれば嬉しいし、それに対して同じく好意を返そうとする。好意が得られない場合は、得られようと努力する。
ユズハはその部分が完全に欠落していた。
(あたしがユズハを好きということと、ユズハがあたしを好きということは何の関係もない。あたしがユズハを好きだから、ユズハがあたしを好きなんじゃない)
互いにやりとりする相手の感情と自分の感情がまったく別物であることを、悟らざるを得ない。
(あたしがユズハを好きだという事実は、ユズハがあたしを嫌いになる可能性を否定してくれない)
突然、何事もなかったかのように、そばから離れていくのかもしれない。
他者の影響から完全に自由でいるから、不安になる。
なぜそう思ったのかが、全然わからないから。
わからないということが、こんなにも不安だということがユズハにはわからない。
ユズハにとって、わからないということは当たり前で、そのことに疑問も持つべき事実ではないのだから。
「あたしは………あんたの何なのよ」
リアは泣きそうになって呟いた。
「どうしてあたしについてきたのよ。答えなさいよ」
ユズハは朱燈の瞳でリアを凝視している。クリーム色に似た金色の頭髪は顎のあたりで切りそろえられて、人形めいた白い貌にいっさいの表情はなかった。
「くーん」
舌足らずな声もやはり平淡だった。
「くーんは、ゆずはのコト。スキ?」
沈黙は果てしなく長かった。
「………………………………………………好きよ」
「それは、嬉シ」
短くうなずいて、ユズハは珍しく笑った。
「ゆずは、くーんのコト、スキ」
「………知ってるわよ」
旅についてくる理由を問うたとき、ユズハがそう言ったのだから。
「ゆずは、くーんがスキ。くーんが、ゆずは、スキなの知っテる。何か言うノ、必要?」
「………独善的だわ」
リアはぼそりと呟いた。
やはりどこまでも勝手だ。
「ゆずは、は、ゆずはを知ってイル。ゆずはであるコトを知ってイル。ゆずはの周りに、ゆずはのスキなヒトたちがいるコトを知ってイル。ゆずは、は、それでイイ。くーんは、それじゃ、ダメなの?」
「ユズハに言葉は必要ないの?」
「そうじゃナイ」
ユズハは否定して、リアを見上げた。
「何もかも、伝えナイと、伝わらナイの?」
言葉を失った。
「そんなことだって、ないとは言い切れない。あたしは………」
言いかけて、リアは言葉を途切れさせた。
何をどう抗弁する気だ。してどうする。
わかりたいなどと、わかってほしいなどと、ただの傲慢にしか過ぎないことを、問う前から知っているくせに。
何て愚かな。
「ゆずは、は、ゆずは。変わらナイから、言わなかっタ」
「あたしは………」
―――馬鹿だ。
リアは大きく息を吸って、吐いて、それからユズハをもう一度見直した。
金色のまつげが縁取る、意志を持った朱燈の瞳。不安定な在り様。確固たるものとしてこの世に存在しているわけではないのに、たしかにいまここに在る意思。
「………炎を操れなくなったということは、いままであった精霊の部分がなくなったということよね?」
「ン」
「そのことで、あんたは消滅したりとかしないの。存在は危うくならないの?」
「消えナイ。ホノオ、なくなっタけど、消えナイ。ゆずは、ここにイル」
「その状態でセイルーンに行っても平気なのね?」
「前と変わらナイ。削られル、だけ」
その答えを得て、リアは両手で顔をおおって大きく息を吐いた。以前から言いたかったことを除けば、最も聞きたいことはこれだけで、たったこれだけの答えを引き出すのに、なんと遠回りをしているのだろう。
「………消えるときも、あんたはみんなに黙って逝くの」
その問いに、ユズハは首をかしげて答えなかった。
リアはベッドに座ったままのユズハの隣りに腰掛けた。ユズハが、何、とばかりにその尖った耳をぴくりと動かす。
「ユズハ………あたしには、伝えないと伝わらないことが多すぎる。父さんとかティルとかだったら、あんたはいまのままでいいんだろうけど………」
埒もないことを言っているのに気づき、リアは口をいったん閉ざし、今度は別のことを問いかけた。
「どうして、あたしなの」
小首を傾げて見返してくる瞳。
「どうしてあんたは、ティルでもアセリアでもユレイアでもなくて、あたしを選んで、ここにいるの」
「くーんとは、遠くナイの。忘れてナイ。好キ。だから」
「………?」
リアは眉をひそめたが、それ以上問いただそうとは思わなかった。
わかるまで旅をしようと思っていた。
わからなくても旅をしようと思っている。
ユズハを引き寄せて抱きしめる。
さらさらしたくせのない頭髪が指の間を滑り落ちていった。
「あたしはあんたのこと好きよ。あんたのことを心配してる。あんたにとってはどうでもいいことかもしれないけど、そのことを忘れないでいて。あんたのことを心配させて」
おそらく自分自身が思っている以上に、ユズハの存在は自分にとって大きなものなのだろうから。
リアの胸にその頭を預けながら、ユズハは瞳を閉じた。
ユズハにはない鼓動の音がそこから聞こえた。
「くーん、は、くーん、だから。そのコトを、忘れナイデ」
「仲直りしましたか」
「嫌な人ね」
部屋に入ってきたリアの気配を察知するなりそう訪ねたゼフィアに彼女が即答すると、彼はおかしそうに笑った。
笑われても嫌だとは思わない。
彼の前では表情を選んで作る必要がない。リアは無意識のうちに唇を尖らせた子どもの顔をして言った。
「ケンカなんかしてないわよ」
「じゃあ、そういうことにしておきましょう。夜食を持ってきてくれた村長さんがびっくりしていましたよ」
からかいに閉口しながら、リアは明日、朝早く発つ旨をゼフィアに告げた。
さらりと銀髪を揺らして彼が首をかしげる。
「かまいませんが………何かひっかかりますか?」
「ひっかかるわね。どうもあまりおもしろくないわ」
さっきまでの拗ねたような口調とはうってかわって、そう答えると、リアは窓の外に視線を投げた。
「窓の外に監視がいるのよ。あたしたちにこの家から出歩いてほしくないみたいね」
「伝染病と嘘をついてまで、私たちを村のなかへ入れたくないようでしたしね」
「しかも、あの兵士たちは領主の兵じゃない」
リアはそう断言した。
昼間押し問答をした兵の鎧の胴丸に描かれていたのは、ラルティーグ王家の紋章だった。領主の兵が、国の紋章をあしらった鎧を着けているはずはない。
国王からの直接の命令でこの村を押さえているとなれば、よほどの事情があるはずだった。迂闊に首を突っこむと、とんでもない権力を相手取るはめになる。
「うさんくさいうえに、村の恩人に対して腹が立つ態度だけど、急いでるし、いまは事を荒立てたくないわ。ここはおとなしくでていこうと思うの」
言ったあとで、リアは口惜しそうに爪を噛んだ。
「でも、気になるわ。セイルーンの方が片づいたら、絶対戻ってきて何事か確かめてお礼参りしてやるから」
それを聞いて、ゼフィアが呆れた顔をした。
「好奇心は猫をも殺しますよ?」
「親譲りなのよ。遺伝はどうにもならないわ」
「いったいどういう親御さんなんですか。昼間にも言ってましたよね」
「何を?」
リアの怪訝な顔に、ゼフィアはすぐには答えなかった。彼女のために明かりの魔法を唱えていたからだ。彼は灯りを必要としないが、彼の部屋を訪れたリアは必要とする。
「魔族を何匹も相手にしていたと、昼間私に言いましたよね」
「ああ。言ったっけ。でも、していた『はず』と言ったのよ」
「どちらにしてもすぐには信じられることではありませんよ。二十年ほど前にたしかにレッサーデーモンが頻発していた時期がありますけど………明かり、これくらいでだいじょうぶですか?」
「ちょうどいいくらいよ。ありがとう」
リアは明かりに浮かびあがる銀髪に目を細めた。
旅をしているあいだに様々な色の髪の人々と出逢ってきたし、銀髪も色々目にしてきたが、これほど光を強く弾く濃い銀色の髪は見たことがなかった。
「親の昔語りなんか聞いたことないから、あたしの推測だけどね。間違ってないと思う。あたしに魔族の知識を叩きこんだのは母さんだから。何もなくてあんな知識を持てるわけないわ。うちの両親は強いのよ。それこそ、半端じゃなく………」
話しながら、リアの脳裏には六歳くらいの記憶がよみがえってきた。
セイルーンに定住するのか否か、まだもめていたときだ。
母親のお腹に弟がいることがわかって、エルメキアに戻るのをひとまず先延ばしにして、王宮の客人となっていたのだ。
まだそれほど目立たない母親のお腹に弟か妹がいるといわれても、いまいちピンとこなかった。母親のお腹がふくらんでようやく実感できはじめたころには、アメリア王女のほうの懐妊もわかって、完全にリアから周囲の注意がそれた。
普通の子どもなら、ここで周りの注意をひこうと聞き分けがなくなったり、ワガママを言い始めたりするものなのだが、リアにはそんなことをする暇はなかった。
毎日ユズハと遊び回って、何らかの騒ぎを起こしていたからだ。
「初めてあったときはね、二人とも同じぐらいの年格好で、似た目の色でね。片方はまっすぐで、もう片方はふわふわした、これまた似た色の髪をして、小一時間ぐらいずっと睨みあってたんだって」
その光景を想像したのか、いままで昔語りを黙って聞いていたゼフィアが小さく吹き出した。
「あたし、それまで森に住んでたから、目線の高さや手足の長さが同じぐらいの子って初めてで、珍しかったのかしらね」
実際のところはどうだったのか、自分でもよく憶えていない。
毎日、一緒に遊んだ。一緒に本を読んだり、王宮のなかを探検して、厨房で揃ってお菓子をごちそうになったりした。盛大にケンカもしたから、遊び相手を務めていた猫のオルハはいい迷惑だったに違いない。
「ユズハが自分と違う生きものなんだってのは薄々わかっていたんだけど、だんだん目線の高さがあわなくなっていって………」
リアは小さく肩をすくめた。
「でもまあ、その頃には弟や双子が生まれていたから、二人ともそっちのほうに注意がいっちゃってて、何とも思わなかったんだけどね」
特にユズハは赤ん坊という存在が珍しくてしかたなかったようだった。
精霊や合成獣としての知識しか持っていないために、ほとんどの生物が成長するさいに通過する赤ん坊という状態がどういうものなのか理解できなかったらしく、毎日アメリア王女たちを質問攻めにしていた。
その頃に、リアはようやく王宮からセイルーン郊外の家に移り住んだ。
双子や弟にとってユズハとリアは、最初は姉だった。そのうちリアは最年長として子どもたちのまとめ役のようになったが、ユズハは弟たちにとっても対等の存在へと変わっていった。
不思議というべきか、それとも当然のことなのか、弟たちより年上のリアにとっても、それよりさらに年上の自分たちの両親とも、誰とでもユズハは対等な存在だった。
リアの子ども時代の想い出は、ユズハと二人だけのものはごくわずかで、大部分は弟や妹同然の双子たちと共に彩られている。
「あたし、考えればずっとユズハと一緒にいるのね」
呆れたようにリアはそう呟いて、そして気づいた。
リアにとって、ユズハが初めて出会った同じ目線の相手だったように、向こうにとってもそれは同じだったのではないだろうか。
あの当時、ユズハが暮らしていたセイルーン王宮内に、子どもの姿はなかった。ユズハの正体が子どもと呼べる存在ではないにしろ、あの頃は実年齢もリアよりひとつ上なだけであり、ユズハの相手をするものが猫以外いなかったのはたしかである。
考えれば、ユズハとリアはほとんど実年齢が変わらないのだ。
「たぶん、ほうっておけないのね。あたし」
ゼフィアが穏やかに微笑した。
それを見てなぜだか、ようやくホッとした気持ちになった。