Ria and Yuzuha's story:Third birthday【Ultra soul】 リナ編〔1〕

 そこだけが溢れんばかりの光で満たされていた。
 乙女が歩む動きにあわせて、白いドレスのひだに淡い忘れな草色の影ができる。よくよく見れば、ごく淡い青色がかったドレスだった。
 流れ落ちる清流のような薄物を肩にまとわせた乙女が、花のなかを静かに歩む。可憐な風情の彼女の耳は鋭く尖って金の髪のあいだから覗いていた。
 彼女は立ち止まって、青く、憂いを帯びた瞳でこちらを見た。
「ああ。なんてこと。あなたはここに来てはいけなかった。わたくしと出逢ってはならなかったのだわ」
 森の乙女は逃げるように距離を置く。
「わたしくはこの花園の主。精霊の歌を唄う者。咲き誇る花を愛しく思い、鳥たちと共にさえずる者。何百年という時間、何の憂いも痛みも知らなかったのに」
 乙女は、その手から逃げ出したはずの相手に向かって、熱を帯びた潤んだ視線を向けた。
「あなたとめぐりあうまでは」
 白い繊手で胸を押さえ、彼女は花のなかに沈みこむ。
 シンとした空間に苦しげな吐息が響いた。
「ああ………この胸の痛みは何だというの。いいえ、痛いのではない。まるでわたくしのなかの何かが、外に出たがって疼いているような―――ああ、お願い。近寄らないで!」
 乙女は叫び、さっと裾をひいて、あとじさった。花々が見るまに茎を伸ばし花を咲かせ葉を茂らせ、彼女の姿を覆い隠す。
 舞台は暗転し、闇のなか、花々を従えた彼女の姿だけが光に照らされ浮かびあがる。
 この一人歌劇の目玉、花園の歌姫の独唱が始まった。


 リナはあくびを噛み殺した。
 客席の照明は落とされ、舞台の上の女優だけが指向性の明かりの魔法で照らされている。
 歌はかなり上手いが、あくまでも一般人を基準にしたうえでの『上手い』である。あいにくリナは身近に一人、ずば抜けた歌声の持ち主を知っていた。
 おまけに歌劇特有の響きを優先させた歌声なので、何を言っているのかは手元の冊子を読まないとわからない。
 演目は『シオーネ』。
 エルフの歌姫と人間の盗賊の青年の恋物語である。
 とある数人の盗賊が欲に目がくらみ、エルフに伝わる宝を盗み出す。しかしそこをエルフたちに見つかり、盗賊の一人である主人公は逃げる途中でエルフたちに矢を射られ、仲間たちに置き去りにされてしまう。ひとり森の中をさまよい逃げるうちに、いつしか彼はどことも知れぬ花園に迷いこんでしまうのだが、そこで彼はエルフの乙女、シオーネと出逢う。
 実は彼女はエルフの長い寿命のなか数世代に一人の割合でしか生まれない〈純血の果てのエルフ〉で、精霊の理を歌にして唄うことができるため、花園に隔離されて大切に育てられている歌姫だった。外の騒ぎを知らず、無垢な心を持ったシオーネは主人公の青年を助け、かくまう。主人公もシオーネの心の清さに触れて改心し、二人は惹かれあうのだが、エルフたちにそのことがばれ、逃避行の末に主人公は殺されてしまう。哀しみのあまり気が狂ってしまったシオーネは、連れ戻された花園で歌を唄いながら、来るはずのない恋人の訪れを永遠に待ち続けるのだった………。
 実際のエルフたちが見たら、さぞかし怒りだすのではないかとリナは思った。彼女の知り合いのエルフなら暴れだしそうだ。
 もともとは子ども向けのおとぎ話で、本来なら結末も、手に手を取って逃げた二人は人間の街で幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし―――で終わっているのだが、十年ほど前にこの街の劇作家が、歌劇を楽しむ大人向けに悲恋に書き直したところ、これが大評判になり、以来このあたりでは一年に一度は必ずどこかの劇場で演じられるほか、周辺諸国にも広まるほどの名作となっている。
 また、気が狂ったとされているシオーネだが、最後の独唱の歌詞には正気を匂わせる部分もあり、それがより彼女の哀しみを誘う。
 ………はずなのだが、如何せん、こういう話はあまりリナの好みではないのだった。
 もともと演劇という分野自体に興味の薄い彼女である。街では大々的に上演の宣伝を行っていたのだが、それでも連れの一人が「見たい」と言い出さなければ、劇場の外から立て看板を見るだけで終わっていたに違いなかった。
 その連れと言えば―――。
(寝てるしっ!)
 両隣から聞こえてくる寝息に、リナの手は危うく懐のスリッパに伸びそうになった。
 いま見ている『シオーネ』は、本来なら登場人物全員が歌い手として登場するはずの歌劇を、シオーネのみの一人芝居に仕立てあげた珍しいもので、歌は最低限に抑えられて代わりに台詞が多くなっている。女優も歌唱力より演技力のある者を抜擢したらしく、歌はそこそこだったが、演技はすばらしかった。
 両隣も台詞のあいだは起きていたはずである。
(歌が始まった途端これかい。見たいと言ったのはどこのどいつよッ)
 リナがスリッパを取り出す衝動を必死に押さえこんでいるあいだにも、劇はどんどん進行していく。
 歌が台詞に変わると、右隣のほうは目を覚ました。
 リナはわずかに機嫌を直した。
 しかし、左隣はいっこうに起きない。
 リナの殺気に気づいた右側では、もう寝るまいと自分の手の甲をつねっている。手ではあまり効果がなかったのか、再び歌になると今度は己の頬をつねりだした。
 しかし、左隣はいっこうに起きない。
 舞台の上では、シオーネが見えない恋人の手をとり、音のみのエルフの追っ手から逃げようとしている。その表情も演技も、かたわらに恋人がいるとしか思えない完璧なものだ。音のみの追っ手は、観客の想像力を刺激する。
 そうこうしているうちに、二人は引き離され、シオーネは恋人の死を知らされ、嘆き悲しみ、気が狂ってしまう。空の鳥籠を手に持ち、恋人の名前を呼びながら花園をさまよい歩く。  見事な演技にひきこまれ、あちこちから目元を拭う仕草が見られた。
 最後の独唱が始まった。



 やがて歌の余韻を響かせながら、静かに幕がおり、花園に立つ彼女の姿が隠れていく。
 完全に幕がおりきったところで、最後の台詞が語られる。
「ああ………そこにいたのね。やっと、会えた―――」
 その台詞を味わう一瞬の間をおいて、われんばかりの拍手と歓声が劇場中からまきおこった。
 そこで左隣からのんびりした声があがった。
「なんだ、もう終わったのか?」
「…………父さん」
 右隣に座っていたティルトが思わず顔をおおった。
「もう終わったのか、じゃないわああぁぁぁっ!」
 鳴りやまない拍手をいいことに、リナはガウリイの頭を思い切りスリッパで張り飛ばした。



「だいたい、見たいと言った本人がぐーすか寝るっていうのはどういうことなわけ?」
 リナがフォークをケーキに突き立てた。
 劇場の斜め向かいの菓子屋でのことである。
「いや。だって。あんなにつまらないとは思わなかったんだ」
 斜め向かいに座ったティルトは洋なしのタルトを食べながら、けろりとした表情で答えた。
 公演延長がすでに決定している芝居に対して、なんともひどい言いぐさだった。
 どんどん減っていく彼のタルトの横には、積みあげられた空の皿。もっとも、それはリナもガウリイも同様なのだが。
「それにオレ、途中からちゃんと起きてたじゃん」
 その言葉に彼の隣りに座ったガウリイが恨めしそうな目で自分の息子を見た。その隙に、向かいの席のリナがてっぺんの苺をかすめとっていく。二人の息子はそれを目撃していたが黙っていた。
「けど、見たいって言ったのはあんたでしょーが! 同罪よ! 決めた。ここの会計はあんたたち二人が持ちなさい」
「えええええっ………って、ああっ、おれの苺がないッ!」
「そりゃないだろ、母さん。………言っとくけど食べたのオレじゃないよ」
「何よ。なんか文句ある?」
 リナがじろっと睨みつけると男二人は途端に静かになり、それぞれ自分が食べた空の皿の塔を眺めて代金を思い、急に食欲をなくしたようだった。
「にしても、やっぱりユレイアのほうが歌うまいよ」
 ティルトの言葉に、ガウリイがうなずいた。
「だな」
「寝てたのによくンなことを言えるわね………」
「だってユレイアの歌を聞いて寝たことなんてないぞ、オレ」
「おれも」
「っだあああ、あんたらはもうっ」
 リナは思わず頭を抱えた。顔を上げるとマロンパイが一欠ぶん小さくなっている。じろりと睨むと、ガウリイとティルトは何食わぬ顔をしていた。
「ティルト、あんたそのユレイアにおみやげ買ったの?」
「あ、忘れてた」
 喋った口のなかに、まだ飲みこんでないマロンパイが見えた。慌てて口を閉じるが、時すでに遅し。
「ああっ、オレのタルトっ!」
「ふっ、あんたもまだまだね」
 涙する息子に父親がぽんとその栗色の頭に手を置いて、しみじみと諭した。
「………リナに勝つには何年も修行しないと無理だぞ」
「ううううう………」
 取りあげた洋なしのタルトを食べながら、リナがさらりと言い放った。
「あたしに勝とうなんて五万年早い」
「五万年………それって一生ムリじゃん」
「ま、それはともかく。たしかに歌はユレイアにはかなわなかったけど、演技はかなりのもんだったわよ。ガウリイは寝てて見てないでしょーけど」
「でも、なんかヤな話だな。オレ、ああいうの好きじゃない」
 ティルトが軽く顔をしかめた。青い瞳が好き嫌いを如実に表していて、子どもっぽさを色濃く残している。顔の造りも目が大きく顎が細くて、整ってはいるが、どちらかというと可愛いとか愛嬌があると言われることのほうが多い。
 当人はいいかげん、十二歳にもなって可愛いと言われることをイヤがっているのだが、周囲からすれば『まだ』十二だ。
 息子の表情を見て、リナはふっと頬をゆるめたあと、怪訝な顔で問いかけた。
「あんた、見たいって言ったとき、どんな話か知らなかったわけ?」
「うん」
「立て看板は? あの絵とあおり文句はどーみても悲恋モノだって主張してたでしょーが」
「そうだっけ? 見たけど、オレわかんなかった」
 リナは軽くため息をついた。ティルトにとっては毎度のことだ。
「じゃ、どうして見たいなんていったんだ?」
 ガウリイの問いに、ティルトはあっさり答えた。
「ユレイアがそう呼ばれてるから」
 思わず、リナとガウリイはお互いちらりと視線を交わした。
 ユレイア―――ユレイア=エディ=アルト=セイルーン。言わずと知れた、ゼルガディスとアメリアの間に生まれた娘の名前である。同じ日に生まれた双子の姉妹として、そっくり同じ容姿のアセリアがいるが、どっちが姉なのかは母親のアメリアがわざと伏せていて、明らかにされていない。
 リナの二人目の子どもであるティルトとは、わずか三ヶ月ほどの歳の差しかない。
 ほとんど三つ子のようにして育ってきた三人だった。
 そもそもリナたちがセイルーンに定住するようになったのも、ティルトと双子の誕生がきっかけだった。
 その当時、色々と紆余曲折のすえに、アメリアとゼルガディスが結婚することになったので、リナはそれを祝うためにセイルーンにおもむいた。もちろん彼女一人ではなく、ガウリイと、当時すでに五つになっていた娘のリアも共にだった。
 ―――そこで、ティルトが胎内にいることがバレたのだ。
 実はその三ヶ月ほど前、ゼルガディスを人間に戻す手伝いをしているときに、なんとなくそうではないかと感づいてはいたのだが、言ったが最後、ゼルガディスから魔法を使うのを止められそうなのでリナは黙っていた。
 当然ながら人間に戻ったその当人が、そのことに気づいて怒った。
 怒るだけならいいのだが、彼は結婚したばかりのアメリアにもそのことを話し、二人して、ガウリイにそのことをバラされたくなければ、出産まではセイルーンに滞在するようにと脅してきた。
 リナのほうも、妊娠を気づいていながら黙っていたことをガウリイが知ったらどうなるか怖かったので、条件を呑んだ。
 昔から、相手に怒られるのは苦手だった。
 付き合いの長いアメリアたちは、当然それを承知でリナを脅してきたのである。そのことに内心歯噛みしないでもなかったが、身重の体でエルメキアの国境近くにある家まで戻ることを二人が心配しているのは、充分わかっていた。
 しかしそれでも、ティルトを生んだら、落ち着くのを待って帰るはずだったのだ。

 ―――滞在中にアメリアの妊娠が発覚するまでは。

 結局、ティルトが生まれたら生まれたで、アメリアの子どもの顔を見たいからとずるずると滞在日数が延び、アメリアも育児の先輩をほしがったせいで、結果いつのまにかセイルーンに定住するようになってしまった。
 娘のリアが、ユズハと仲良く遊び回っていたのも、定住の理由のひとつにあげられる。―――辺鄙なところに住んでいるせいで一緒に遊ぶ友達がいないことを、けっこう気にしてはいたのだ。
 リアは、いまではすっかり双子たちのお姉さん分として立ち回っており、双子もそれぞれ、クーン姉上、クーン姉さま、と呼んで慕っている。
 アセリアとユレイアは見た目はそっくりだったがその実、互いに正反対なほどに性格が違う。
 幼い頃はともかく、いまでは宮廷内で二人を見間違える者はだれもいない。
 二親のうち、どちらがどちらに似たともいえないのだが、瞳の色だけで言うのなら、アセリアがゼルガディス似の薄い蒼で、ユレイアのほうがアメリア似の濃い青だった。
 ―――そのユレイアのほうである。
 ティルトがさっき言ったように、『花園の歌姫』または『花園の姫君』と周囲からささやかれているのは。
 由来は、さっきリナたちが見た歌劇からだった。
 あの劇は数年前にセイルーンで上演されたことがある。
 そのときに劇を見た少数の王宮関係者の口から、ユレイアのことをヒロインのシオーネに例えて言ったことが始まりで、それがそのまま定着してしまったのだ。
 もちろんティルトもそのことを知っている。
 だから見たがったのだろう。
 リナも劇を見た結果、ユレイアの二つ名として謳われている『花園の歌姫』が、その言葉の持つ意味と響きだけのものだと知った。
 劇の内容とユレイアとは、何の関係もない。
 それどころか、ユレイアに例えるにはあまり良い内容ではないと思った。
 ティルトもそう感じて、しかめ面をしている。
 ユレイアは、エルフでもなければ隔離されているわけでも、駆け落ちをしたわけでもなく、まして気が狂っているわけでは断じてない。
 彼女とシオーネの共通点は花園とその圧倒的な、歌声。
 歌声は、生まれついてユレイアに与えられた天賦の才だった。
 声だけではなく、その他の音楽に関係した才能は並大抵のものではない。教師として迎えた宮廷音楽家が、逆に畏れ入ってしまったという話をリナは聞いている。
 子どもの喉から出てくるとは思えないほどの圧倒的な声量で唱われる歌は、失神者を出してしまったことすらあった。
 リナも何度か耳にしていたが、あれはくる。
 極上の酒を飲んだときの酩酊感に似ている。均衡をなくして、自分の位置を見失いそうになるのだ。
 そして、その感覚は精神のほうにも同じくして襲ってくる。
 根底から揺すぶられているような、実際は起きているはずのない振るえを感じる。旋律に巻きこまれて、融けてなくなってしまいそうになるのだ。
 ユレイアの声に複数の楽器などの伴奏が加わると、それは決定的だった。失神者が出たときも、リュートや竪琴ハープ提琴フィドルなどと一緒に歌を合わせたときだった。
 そのときはリナを含め、居合わせたほとんどの者が、失神こそしないもののクラリときてしまい、平気な顔をしていたのはユズハとティルト、ガウリイくらいのものだった。
 それはユレイアがまだ幼い頃の出来事で、あれ以来、彼女は人前では滅多に唱わなくなった。唄うことをやめようとはしなかったが、自分が歌うことについて不安げな顔をするようになった。
 いつ頃だったか、その悩みは吹っ切れたようだったが、それでも唱う時には慎重を期していた。
 絶えず人がいる王宮でユレイアが自らに唱うことを許した場所が、二つある。
 ひとつは王宮の敷地内にある森の、大きなうろのある木の前。
 もうひとつは同じく敷地内にある小さな花園だった。造園する際にひきこんだ小川と茂る木々が音を吸い取り、外に声が漏れることは滅多にない。
 森の方の存在はリナたちしか知らないが、花園のほうは既に余人の知るところとなっており、当然の成り行きで劇を見た者たちからシオーネと重ねられたのだった。
 もともと、暇さえあれば唱っているような印象があるせいでもある。
 勉強やら稽古やら参加すべき式典などの、するべきことをすませてしまうと、いつの間にやら姿を消し、気がつくとそこで歌っていることが多いのだと、リナはアメリアからため息と共に聞かされていた。
 どちらかというと内気なところもあるだけに、アメリアとしては余計心配なのだろう。
 たしかにユレイアは人見知りが激しい。
 アセリアよりも魔道に興味を示している彼女は、頻繁にリナのもとを訪れる。それでなくても、生まれたときから見ているだけにリナにもそのことがわかるのだ。
 幼い時は、ユレイアよりむしろアセリアのほうが人見知り癖があった。
 しかしこちらは持ち前の負けず嫌いで克服したらしく、現在ではまったく互いの立場が逆転している。
 ユレイアも、負けず嫌いのほうまでゼルガディスさんに似ててくれればよかったんですが―――とアメリアは嘆いていた。遠回しに内向的で人見知りで負けず嫌いと評されたのを当のゼルガディスが聞いていたなら、反論したかったに違いないが。
 まったく。いつになっても、子どもに対する親の悩みというのは尽きないものらしい。リナ自身からしてそうなのだから。
 リナはひとつ嘆息して、物思いをふり払った。
「ティル。あんた、まさか、ユレイアに面と向かって花園の歌姫って言ったわけじゃないでしょうね?」
 ユレイア自身はもうとっくに自分の風評を知っているのかもしれなかったが、リナたちは極力それを口にするのを避けていた。
 『シオーネ』の劇の内容さえ気にしなければ、『花園の歌姫』という二つ名はそう悪いものではない。周囲の好意から発生したものだし、その意味も、詩的な響きがある。
 しかし言われていることを気にして花園で唱うことをやめてしまったら、ユレイアはたったひとつ残された森以外、どこにも唄う場所を見いだせなくなってしまう。
 ティルトが首を横にふった。
「ンなこと言ってない」
「そう」
 リナは小さくうなずくと、ティルトはそのまま続けた。
「だってそれユレイアじゃないじゃん」
「は?」
 怪訝な顔をしたリナの正面で、ガウリイがうんうんとうなずいた。
「わかってるじゃないか」
「当たり前じゃんか、そんなの」
「二人で納得してないで、あたしにもわかる言葉で説明しなさい」
「だから」
 ティルトが言葉を探して沈黙した。スプーンを持った手で、香茶の受け皿の檸檬を押しつぶしている。
 しばらく悩んでいたティルトは、とうとう困った顔でかたわらのガウリイを見たが、間髪入れずリナの声が飛んだ。
「ダメよ」
 ガウリイは苦笑した。
「だとさ。自分で言葉を見つけるんだな」
 ティルトは困り果てた表情を母親のほうに向けたが、あきらめて視線を虚空に固定すると、頭の中の辞書をひっくり返しはじめた。
 これも毎度のことだ。
 ティルトはときどき、言っていることがひどくわかりづらいときがある。
 思考経路が直線的で、結論と直結しているため、無意識のうちに途中経過をすっ飛ばして答えを口にしてしまい、結果として言葉足らずになってしまう………のだろうと、リナは考えている。
 一般的には『直観』と呼ばれるひらめきの類だ。
 もっとも、本当のことがティルト本人にもわからない以上、だれにも真実はわからないのだが。
 他にも思考の基盤となる物事の見方やとらえかた、価値観なども、ティルトは一般的なそれらと違っている部分が少なくない。それもティルトの言いたいことをわかりにくくしている一因だろう。
 これらはリナの私見だが、そうはずれてはいないはずだ。
 ―――なぜなら、父親のほうにもその傾向がある。
 ガウリイも、ときたま思わぬことや核心をつくようなことを口にして、リナをドキリとさせることがある。
 ティルトはそれが顕著なだけだろう。ズレていると言ってしまえばそれまでだが。
 それは超然とした印象を周囲に与えるが、本人が言いたいことを伝えられずに四苦八苦しているのを見るにつけ、機会があるたびにリナはいまと同じことをティルトにさせていた。
 語彙を増やし、思考手順を踏むことに慣れてもらわないと、これはどうにもならない。
(きっと、大きくなったらガウリイみたいになるんだろーなぁ)
 いまだ難しい顔をしている栗色の髪と青い瞳の息子を見やって、リナは軽く苦笑した。