Ria and Yuzuha's story:Third birthday【Ultra soul】 リナ編〔2〕
「母さん、オレちょっと出かけてくる」
ティルトが剣を片手にそう言ったのは、芝居を見た翌日のことだった。
「まだこの街にいるんだろ?」
「まあ、あんたがまだ用があるっていうんなら延ばしてもいいわよ。ここを出ればあとはセイルーンだしね」
リナたちがいま滞在しているのは、カルマート公国の国境近くの街だった。ここを出ていくつかの村を通り過ぎれば、セイルーン領内に入ることになる。
今回はそれほど長い旅ではなかった。ゼフィーリアに顔を出し、帰りにカルマートに寄ってあちこち変則的に動きながらここまでやってきたのだ。
リアを十五で一人旅に出して以来、リナとガウリイはティルトを連れて以前のようにあちこちと旅に出るようになっている。
それはティルトの一人旅の予行演習も兼ねていた。姉の方はいきなり放り出してもだいじょうぶだと思えたのだが、ぼけっとした弟の方はそうするとかなりマズイような気がしたのだ。
そのぼけっとした息子は、母親の返事を聞いてきびすを返した。
「じゃ、オレ行ってくる」
「ちょっと待った!」
リナは息子の襟首をひっつかんで引き戻した。
「言っとくけど、あんた、迷わずここまで帰ってこれるんでしょーね?」
はっきり言って、そう大きな街ではない。大きさとしては中規模の街だ。
しかし、リナがわざわざ言うのも無理はないくらい、彼女の息子は方向感覚が皆無だった。うっかりするとどこまでも遠くに行きかねない。これはどちらの遺伝なのか、いまだに双方のあいだで決着はついていなかった。
ティルトは視線を泳がせて、それからうなずいた。
「たぶん」
「怪しいわね……ま、でも何とかなるかしら。何しに行くの?」
「おみやげ、まだだから」
納得して、リナは手を離した。
ティルトが双子たちに旅先からおみやげを買っていくのは、いつものことだ。
「行ってらっしゃい。あまり変なもの買うんじゃないわよ」
「んーわかってるよ」
息子の背中を見送ってから、リナは首をかしげた。
「ほんとにわかってんのかしらね?」
以前、曰くありげなところから曰くありげな置物を、本人はまったく気づかずに買ってきて、王宮に幽霊騒ぎを引き起こしたことを思いだして、リナは少し不安になった。
案の定、さっそくティルトは道に迷っていた。
「うあっちゃー、オレ、どう歩いてきたっけ」
どっちの方角から自分がどうやってやってきたのか、さっぱりわからない。
特に行きたい店があるわけではないから適当に歩くのはかまわないのだが、帰りが困る。
だいじょうぶと言った手前、自力で帰りたいところだった。
いざとなったら浮遊で風景を確かめながら宿を捜すしかない。
「ま、いっか」
こきりとひとつ首を鳴らして脳天気に呟くと、ティルトはあたりの露店を見てまわることにした。
背丈が伸びる速さに体重のほうが追いついていないため、生成り色の服に包まれた体はどちらかというと痩せぎみだった。
おかげで腰に下げた剣が目立つ。柄の握りの部分に巻かれた布の擦り切れぐあいから、かなり使いこまれていることがわかるのだが、あちこちにきょろきょろ目をやって物珍しげにしている様子を見ていると、それもちょっと信じられないような印象を受けた。
しかし、よくよく見ると隙がない。
一度も人とぶつかることなく、流れるようにすり抜けていく。
すごしやすいこの季節、軽やかな光が燦々と、行き交う人々の上に降りそそいでいた。
わけもなく良い気分になって、どんどん歩いてしまいそうな天気だ。
通りすがりの魔道士が店の主に頼まれて、かごいっぱいのオレンジに冷気呪文をかけてやっている。
石畳に直接敷いた布の上に主と品物が仲良く一緒に座りこんだ店では、がらくた同然の金物と思われるくすんだ真鍮の輝きと、質は悪いが本物らしい翡翠のブローチが、仲良く隣り合って光っていたりする。
その隣りの露店は一段高いしつらえで、果物のジュースを売っていた。
さらにその横は、手押し車に溢れんばかりの色彩をつんだ花売りがいる。
遠目から見ると、そのでこぼこ具合がおもしろい。
ときどき買い食いをしながら、ティルトはあちこちの露店を見て回ったが、いまいちピンとくるものがなかった。
おみやげといっても、あまり高価いものを買っていくわけではない。その地方の細工物とか名産品などのちょっとしたものを、毎回ちゃんと選んで買っている。………つもりなのだが、周囲からしてみれば、それを選んだ理由がわからない代物ばかりらしく、何か買っていくたびに毎回大受けだった。
沿岸諸国連合を旅した時には、二人に土笛を買っていったのだが、どこか壊れていたのか、それとも本来そういう代物だったのか、吹いたらそれぞれ「にょー」「ぎょー」と音が出て、その場に居合わせた誰もが、しばらく声が出せないくらい笑うはめになった。
「楽器とかはもういくつも買っていってるしなぁ」
思わずそう独りごちたとき、不意に視界のすみで何かが白く光を弾いた。
艶やかな陶器の白だ。
思わず大通りを横断し、その白いものが何かを確認したティルトは、今回のおみやげは絶対にコレだと思った。
「おっちゃん、コレいくら」
「ほほぅ、坊主コレに目を付けるたぁ目利きだなぁ。しかし悪いがこいつぁ、オレのご秘蔵品でもあってな、坊主の財布じゃとても買えないだろうさ」
おおざっぱな造りの木の椅子に座っていた店の主がニヤリと笑った。
並べた木箱の上に置いた薄板に布を敷いて売り台代わりにしているその露店は、背後のちんまりとした骨董屋からの出店らしく、開いた扉の奥からは陶器の白い艶や、絵画の額縁の輪郭が見えた。
目的のモノの前にしゃがみこみ、ティルトは膝に両肘をついて顎をのせる。
「おっちゃんソレずっこいぞ。確かにオレはガキだけどさ、これすっげえ気に入ったんだから、せめて財布と相談させてくれたっていいじゃんか」
中年の主はそれを聞いて豪快に笑った。
「おお、生意気な坊主だな。そうとも大人はずるいぞ。こいつは客引きなんだ。これにひかれてやってきた客が他の安いがらくたを買っていくという寸法だ。値段も横の指輪とは桁が違うぞ。さあ、値段を言ってやる。聞いて驚け」
告げた金額に、ティルトは鼻の頭に皺を寄せた。
「それぼったくってねぇ? 定価?」
「馬鹿野郎、骨董に定価なんぞあるもんか。オレの値段が世間の定価だ」
「それもそだな」
あっさりティルトがそう言ったので、主は拍子抜けした顔で鼻を鳴らした。
「おっちゃん、財布と相談するから待っててくれよ」
「おいおい、ガキの懐には相談するまでもなく無理だってわかりそうなもんじゃねぇのか」
「オレちゃんと稼いでるもん」
硬貨の枚数を数えると、ティルトは頭を抱えた。
「うあああっ、母さんのケーキ代払わなきゃ絶対足りてる! 余裕で! 銀貨一枚足んねぇ!」
「はっはっは残念だったな坊主。代わりにこれとかどうだ。特別にまけてやるぞ」
「やだ。コレがいい」
憮然とした口調でそう言うと、ティルトは勢いよく立ち上がった。
「おっちゃん! お金とってくるから待っててくれよな!」
「おう。夕方まで待っててやるが、こなかったら別の買い手に売っちまうからな」
「それナシ!」
「ナシもリンゴもあるかい。買い手がいたら売るのが商売人ってもんだ」
「ちっくしょー」
言いながらティルトは宿に向かって走り去った。
迷ったのは言うまでもない。
「母さん! お金貸して! 銀貨一枚!」
部屋に走りこんでくるなりそう叫んだ息子に、リナは読んでいた本をぱたんと閉じた。
「家訓第六条!」
「金がほしけりゃ自分で稼げ」
即答したものの、ティルトは両手をあわせてなおも母親に頼みこんだ。
「お願い。母さん。この通りッ!」
「帰ってくるなり、いきなり何なのよあんたは」
「おみやげ。足りなくて。すっげぇ欲しいのあったんだけど。夕方まで待っててくれるっていうから。それで銀貨一枚」
リナの眉間にぐっと皺が寄って、その手がスリッパにのびた。
小気味いい音が部屋のなかに響く。
「わかるよーに話さんかっ!」
「っ痛ぇ」
ティルトが痛がっているのを無視して、リナは胡乱な表情で訪ねた。
「で、あんた何をそんなに欲しがってんのよ」
「陶器の置物。女の子が一人椅子に腰掛けてて眠ってて、もう一人がその子の膝に頭をのせて眠ってんだ。なんか見た時にこれだと思った」
「どっちがどっちだと思うの」
唐突な彼女の質問にも、戸惑うことなくティルトは答える。
「座ってる方が髪が短いからアセリアで、頭をのせてる髪長い方がユレイア」
こういうあたりがティルトのティルトたる所以で、彼の本質ともいえるものだ。
リナはしばし考えこむような表情をしたあと破顔して、息子の額にぺしりと銀貨を押しつけた。
「あたしも見たいから買ってらっしゃい」
「やたっ」
小躍りしそうなほど喜んでいるティルトに、リナの鋭い声が飛ぶ。
「家訓第七条!」
「金を貸すときにはやるつもりで貸せ! つまり要するに銅貨一枚たりとて人には貸すな!」
答えながらティルトはすでに部屋から飛び出しかけていた。
廊下から声がする。
「でも絶対あとで返すからー!」
嵐のように来て去っていった息子に、リナは苦笑して、椅子にもたれると本を再び開いた。
「日没まで間がないけど。あの子、ちゃんと買えるのかしら」
たいていの露店は日没までには店をたたんでしまう。
続き部屋の扉が開いて、ガウリイがひょっこり顔を出した。
「リナ、なんかティルトの声がしなかったか?」
「来たけどまた出て行ったわよ」
「なんだ。忙しないヤツだな」
リナはくすくす笑った。
「誰に似たのかしらね。リアのほうはもう少し落ち着いてたけど」
「ちっとも帰ってこないけど、だいじょうぶだろうなぁ」
心配そうな声音に、リナは呆れたようにガウリイのほうを見た。
娘に対するガウリイの溺愛っぷりは、見ていてこちらがおかしい。
「あのね、リアは今度の冬で十九になるのよ。いい加減に子離れしなさいよ。小さい頃から剣を持っては危ない、魔法を習っては危ないって、ゼルたちも呆れてたじゃないのよ」
ガウリイは子どものようにムッとした表情をすると、部屋のなかに入ってきた。
「心配しちゃ悪いのか?」
「そうじゃなくてね………だいたいあたしは十五になる前から旅をしてたのよ? あの子たちは遅いぐらいよ」
「そういうリナこそ、ティルトに甘いぞ」
リナはんべっと舌を出した。
「何言ってんのよ。ねだられたのがガウリイだったら、ガウリイだって銀貨一枚渡してるくせに」
「まあ、なぁ」
二人は揃って苦笑した。
「リアもそろそろ、ウチに顔出してくれるといいんだけど。もしかしたら行き違いになってるのかもね。あんたに似て美人になってるんじゃないかしら」
それを聞いて複雑怪奇な顔をしたガウリイの考えていることを察して、リナは盛大に笑った。
超特急で元の露店に駆けつけたティルトを待っていたのは、店主の悪びれのない声だった。
「惜しい。ついさっき売っちまった」
「なーんーだーよーそーれーッ!」
一息にそう言った後、走ってきたこともあって酸欠状態で崩れ落ちたティルトを横目に親父は店の露店をたたんでいる。
「いやだってなぁ。オレだって坊主のためにとっておこうとは、まあほんのわずか多少なりとも少しばかりはそう思わんでもなかったんだが」
「正直だな、おっちゃん」
へたばりながらティルトがそう言うと、親父は売り台に敷いていた布をばさばさふりながら豪快に笑った。
「おうともよ。正直さはオレの美徳だぞ」
「んー、あまりオレそうは思わねぇけど」
「けっ、言うねぇ。それでだな、ついさっきすんげぇ美人が坊主より温かい財布持ってきたのよ。こりゃどっちに売るか坊主も男ならわかるだろう?」
「………とりあえず温かい財布のとこだけはわかる」
「何だお前、それでも男か」
「だってオレ、顔の美醜わかんねぇもん。オレの姉さんは美人らしいけど、でもオレそれもわかんねぇし」
「つまらんやつだなぁ。モテねぇぞ」
「いいじゃんか別に」
ぶすっとした顔で起きあがって服の埃を払うと、ティルトは薄暗くなっていく街をぐるりと見回してから、主に尋ねた。
「どんな人が買ってったんだ?」
「だからそりゃすげぇ別嬪な嬢ちゃんだよ」
「だから、オレそういうのわかんないんだってば。髪の色とか長さとか、目の色とか服とか教えてくれよ」
「教えてもいいが。それで坊主どうする気だ?」
「譲ってくれるか頼む。これは別にオレの勝手だろ?」
ティルトの言葉に店主は舌打ちした。
「ヤダねぇ。頭の回るガキってのは可愛げがなくて」
「じゃ、教えてもらえねぇ?」
「いいぜ、教えてやるよ。売ったからにはもうオレのもんじゃない。あの美人がお前に譲ろうがブチ割ろうが自由だしな」
そう言って、店主は陶器の置物を買っていった女性の特徴をティルトに教えてやった。
それを聞き終わったティルトが、礼を言って指し示した方向に走っていく。
「ダメだったら顔見せにきやがれ! 他のもん安くしてやる」
「うんわかった。ありがとな!」
ティルトは笑って、手をふった。
「あの像の何がそんなにいいのかねぇ」
その背を見送ってから、主は一人首を傾げた。
たしかに綺麗で上等なものだし、うたた寝する二人の少女の顔は店主も気に入っていたのだが、そこまで執着するものではない。第一、売ることを前提とした商品だ。明日の露店はまた別の目玉商品を奥から持ってこねばならない。その程度のものである。
「まあ、別にいいか」
露店をたたみ、道具をすべて店内に入れてしまうと、店主はばたんと扉を閉じた。
一方ティルトは、とりあえず走ってきたものの、一向に見つからない目的の人物とどんどん暗くなっていく空に困って、立ち止まっていた。
当たり前だが、そう広くない街とはいえ、どこにいるかもわからない特定の人物一人、そう簡単に見つかるものではない。むしろ見つかるほうが珍しい。
宿に帰ってこなかったら、両親が心配するだろうこともわかっていた。心配しても、一晩ぐらいならほったらかす親なのもわかってはいたが。
「買えなかったって報告すんのはシャクだなぁ」
そう口にしながらも、一度は宿に帰ろうとティルトは決めた。滞在をもう少し先に延ばしてもらい、その間に探せばいい。―――相手がこの街に住んでいる人間なら運がよければ見つけられるだろう。
星の散る夜空を見上げて、浮遊で道のりを短縮しようかと考えたときだった。
「?」
ティルトは首を傾げ、すぐに走り出していた。
鋭い五感にひっかかってきたものがある。
女性の悲鳴だ。
―――基本的に人助けはしなさい。
とは母親の教え。しかしその後がある。
―――んでもって、礼金がとれそうだったらとりなさい。
裏を返せば、とれなさそうだったらただ働きをしろということで、そのあたりの母のこっそり隠れたお人好しさをティルトはちゃんと知っている。
それとはまた別に、ただ働きは基本的にするな、という矛盾した教えの存在も知っていた。この一見、両立しないように思える矛盾の塊の信条を貫く母親のことが彼は大好きだった。
路地の角を曲がったところで出くわしたのは、一人の女性が一人の男性の手を振り払っている光景だった。
(うわ、なんかめんどくさそう)
反射的にティルトは顔をしかめた。
こういうシチュエーションの場合、下手に男性のほうを痛めつけると逆に守ったはずの相手のほうから平手打ちを食らうことがあるのだ。
見なかったことにしようかと一瞬そう考えたティルトだが、彼の姿を見つけた女性が助けを求めて口を開きかけてはつぐんだのを見て、気が変わった。
多分、助けを求めようとした相手がまだ少年だったので、彼女のほうとしても迷ってしまったのだろう。
「おっちゃん、やめなよ」
あいだに割ってはいると、ティルトは自分よりも上背のある男の腕をつかんであっさりとねじりあげた。
「いまのうちに離れて、お姉さん」
充分、手の届かないところまで女性が遠ざかったのを確認してから、ティルトは相手の腕を離してやった。
痛みに悲鳴をあげていた男は慌ててティルトから離れる。
「な、なんだお前は………」
「何だっていわれても。ただの通りすがりだけど。お姉さん困ってるじゃんか。そういうのよくねぇと思うし」
「子どもは黙って家に帰ってろ!」
激昂した男がそう怒鳴ったときだった。
「あなたのほうこそさっさとお帰りなさい!」
凛とした響きに、ティルトも男も驚いて声のした方を見ると、さっきまで腕をとられて困惑していた女性が厳しい表情で男を睨んでいた。
男が目に見えてうろたえる。
「あなたが私を好いてくれているのは充分わかりましたが、どうやらあなたは芝居と現実の区別がつかないようですね。私は花園の歌姫ではありません」
一語一語の発音が凛々と響き渡るような声だった。声で相手を打ち据えているような感がある。
ティルトにはどこか馴染んだ響きのある声だった。首を傾げかけて、彼はその原因に気づく。発声が根本から違う、他人に声を聞かせることに長けた者の出す声だった。
そういう人物なら、身近に一人いる。
「今日のことは黙っていてあげます。早く私の前から姿を消しなさい!」
有無を言わさぬ声で命じられて、男は足早に去っていった。
路地にはティルトと問題の女性の二人が残される。
彼女は両手で頬を押さえると、大きく息を吐きだした。
「ああ………怖かったぁ………」
ぽしょっとそう言った声とさっきの声との差に、ティルトは思わず耳を疑った。
乱れていたスカートの裾を直すと、彼女はティルトに笑いかけた。
「助けてくれてどうもありがとう。あなたまだ子どもなのに強いのねぇ」
ティルトはますます困惑して眉根を寄せる。
さっきの張りのある声は聞き違いかと思いたくなるような、春の陽気にほんわかほんわか飛ばされている綿毛のような声と喋り方だった。
「ええと………お姉さん怪我ない?」
「あなたが助けてくれたおかげで何ともないわ。ああ、でもお花が………」
フッと表情をくもらせて、彼女は足許に落ちた花冠を拾いあげた。真っ白なクチナシの花と濃緑の葉が暗がりにも綺麗な花冠だった。
「かわいそうに。誰がくれても、お花に罪はないんですものね」
彼女の指先が、クチナシの花弁を丁寧にととのえる。
今さり気なくものすごいことを言ったような気がするが、その話しぶりに紛れて何が何だかわからなくなってしまう。
成り行きで助けてしまったが、特にこれ以上の用事もないティルトは困って、彼よりだいぶ年上の女性に言った。
「お姉さん、早く家帰んなよ。オレも宿帰るから」
「あら、旅をしているの? あぁ、そういえばそんな恰好ねぇ」
助けてもらった子どものほうから、生意気にも家に帰れと忠告されたにもかかわらず、いっこうにそのことを気にしていない風情で、のんびりと彼女は問い返す。
「まだ子どもなのに、ひとり旅なの?」
ティルトはムッとした顔をする。
「オレもう十三になるから、そう言うのやめてほしいんだけど」
「ごめんなさい。でも、そうやってふくれているあたりがまだ子どもよ」
ふんわりと笑うと、彼女は持っていた包みに視線を落とした。
「割れてなければいいけど………」
そこでティルトはハタと相手の容姿を確認する。
聞いた人相は、長い金髪をひとつに編んでたらして、青い目で、背丈はそう高くなく、ごく普通の裾の長い女ものの服を着た、若い女の人………。
いままで気づかなかったことが、実にティルトらしかった。
「ごめん、あのさ、変なこと聞くけど、その包みの中身って女の子の陶器像?」
相手は大きく目を見開いた。
「まあ」
「当たってる? 実はオレさ、それ―――」
「あなたって、ものの中身を当てられるの? どうやるのその手品」
「………えっと?」
素直にティルトは困惑した。
(オレより会話が通じない相手って初めてかも………)
「いや、手品じゃなくて」
「じゃあ、魔法?」
「でもなくて。いやでもオレ、魔法も使えるけど。でも違くって。それ見かけたから。親父さんにどんな人か聞いて。譲ってもらえないかと、あ、お金は払うけど。でもあまり持ってない」
相変わらず支離滅裂なティルトの言葉を黙って聞いていた相手は、やがてひとつうなずいた。
「そうだったの。ごめんなさいねぇ、あなたが来るまでお店で待っていればよかったわねぇ」
「つ、通じてんの?」
「通じてるって、何が?」
ティルトは初めての体験にものすごく感激した。
「お姉さんみたいな人、初めてだ。すげぇ。周りの人から変だって言われない?」
「言われるー」
へにゃっとした笑い顔で、当たり前のようにそう答えが返ってきた。
(ユ、ユズハ以上の強者かもしんない………)
ティルトは心の中でそう呟いた。
名前を聞いていないことに気づいたのは、なにぶん今日はもう遅いのでまた明日と、会う約束を取りつけて宿に帰ってきてからだった。
帰ってきた宿の夕飯の席で、ティルトはアッと声をあげた。
「さっきの人、エルフの人だ」
「はァ?」
唐揚げをつまんでいたリナが怪訝な顔をした。さっきティルトから一部始終を聞き終えたばかりである。相手に耳が長かったという話はそのなかには出てきていない。
「あんた、相手の耳が長いことに気づかなかったの?」
「違うよ。普通の耳だった」
「はァあ?」
リナはますます眉をひそめた。
耳が長くないエルフがいるわけがない。耳を切り落としているなら話は別だが、そうだったらティルトが気づくはずもない。
「だから本物のエルフじゃなくて。昨日歌ってた人」
「昨日歌ってた人ぉ?」
「もしかして、あの芝居のか?」
ガウリイがそう言って、リナはようやく合点がいった。
「芝居でシオーネの役をやってた女の人ってこと?」
「そう」
「だったらエルフじゃなくて人間じゃないのよ。まぎらわしいこと言ってんじゃないの」
「ごめん」
素直にティルトは謝った。毎度のことだ。
テーブルの上に所狭しと並べられた皿は、もうほとんどが空になっていた。ティルトはまだ食べていたが、リナとガウリイは食後の香茶に移っている。
「読めたわよ」
香茶に砂糖を落としながらリナが言った。
「何を?」
「そのあんたが名前を聞き忘れた女の人を襲っていた男の人って、芝居のファンなんじゃないかしら。花冠をプレゼントしてたんでしょ。言葉を交わして、思いあまったか逆上したかのどちらかにちょうどあんたが来たってとこでしょ」
「あ、そうなのかも。花冠をプレゼントするって珍しいなって思ったんだ」
「おれは、ティルトと普通に会話できたってほうが珍しいと思うぞー」
ガウリイがのんびりとそう呟いて、思わずリナはうなずいてしまった。
ティルトは少し拗ねてしまったようだった。