Ria and Yuzuha's story:Third birthday【Ultra soul】 リナ編〔3〕
彼女はアリサと名乗った。
昨夜、持ち帰っていた劇の冊子で確認したシオーネ役の女優の名前は、アリサ=ローレンス。
どうやら同一人物のようだったが、へにゃっとした笑みは昨日の見間違いではないらしく、ふんわりしたその様子は、どこをどう見ても舞台の上での姿と重ならない。
「お姉さん、シオーネやってた人?」
「まあ」
アリサが目をみはった。昨日は暗くてよくわからなかったが、青い瞳はティルトよりも色が濃い。まぶたが何とも言えず眠たげな感じだった。実際に眠いわけではなく、もとからそういう造作なのだろう。
また手品なのかと言われるかと一瞬思ったが、さすがにアリサもそこまで極端ではないらしく、ごく普通の答えが返ってきた。
「舞台、見てくれたの?」
「見たよ」
「嬉しいわぁ。どうだった?」
ここでティルトは正直に答えた。
「ごめん。オレ、芝居とか見ても全然わからないんだ」
アリサがきょとんとする。
「どういうことかしら」
「だから、何つーか………演じてる人を見ても、ああ演じてるんだなとしか思わないっつーか………その役で見れないっていうか、言ってる意味、わかる?」
「どんな役を演じてても、その役者さん本人にしか見えないということかしら?」
「そういうこと………なのかな? ごめん、よくわかんねぇ」
素直にティルトは謝った。
「あなたってお芝居する人の天敵ねぇ」
アリサは気分を害したふうもなく笑った。
「あなたがいうような役者は世間一般では『大根役者』って呼ばれるけど、あなたにかかったら全部の役者がそうなるみたいねぇ」
「ごめん」
「あら、謝る必要はないのよ」
にこにこ笑ってアリサは、だからやり甲斐があるわぁと綿菓子みたいな口調で、役者らしい情熱的なことを言った。
「それで。ティルト君はこれに御用があるんでしょう?」
アリサは待ち合わせた食堂のテーブルに持ってきた包みを置く。
「ああっ、そう、それ」
ティルトは咄嗟に手を伸ばしかけて引っこめ、開けてもいいかとアリサに了解をとった。
その躾の良さに彼女はにっこりする。
緩衝剤になっている布を下の方にずらして落とすと、うたた寝する二人の少女の白い像があらわになった。
庭に飾りとして置かれるような、背もたれのない低い椅子に髪の短い少女が腰かけて、軽くうつむいて目を閉じている。その膝に頭をあずけるようにして、髪の長い少女が地面に直接、こちらも目を閉じて座っている。椅子から流れ落ちるドレスと、椅子の足を埋めるように広がるもう一人のドレスの裾の流れるような細工が見事だった。
目を閉じたその表情は、どちらも眠っているというよりは、物思いに沈んでいるような静かな印象を与える。
そっと持ちあげて、ティルトは首を傾げた。
「あれ? 何か思ったより重い」
「あら、そう?」
のんびりとした口調でアリサは像をちょっと持ちあげ、こんなものだと思うけどと言った。
「陶器ってこんなに重いの?」
「あら、これ陶器じゃないわよ」
「え、違うの?」
「見てわからない?」
「わかんねぇ」
アリサは呆れた顔をした。
「君の場合は、目利き以前の問題ねえ。これは雪花石膏よ。陶器の艶とは違ってちょっとしっとりした感じでしょう?」
「んー、言われれば色がちょっと違うかも。あ、じゃあ、ぼったくりじゃないのか。あのおっちゃんの言った値段ってもしかして」
「ティルト君が言われた値段と私が出した金額が一緒なら、ぼったくりどころか捨て値よぉ。あのお店の人、自分が言うほど目利きじゃないみたい」
「あ、じゃあもしかして、これって実は高級品?」
おそるおそるティルトは尋ねた。
人差し指を顎の下にあてて、アリサは少し考えこんだ。
「君のいう高級品の基準がちょっとわからないんだけど、少なくとも骨董品かしらねぇ」
「ゆ、譲ってもらえたりとかする………?」
どうやら自分が思っていたよりも価値がある代物だったとわかり、ティルトは少し及び腰になっていた。
「うぅん」
アリサが難しい顔で唸った。
「そういえば、どうして私を捜してまでこれが欲しいのか聞いてないわぁ」
話によっては譲ってあげないこともない、ということだろうか。
「アセリアとユレイアのおみやげにしたいんだ。あ、アセリアとユレイアって、オレの父さん母さんが向こうの両親と友達で、オレたち同士も友達っていうか兄妹みたいに一緒に育ったから家族みたいなものなんだけど………歳は一緒だから妹じゃ、ないよなあ? 三つ子みたいなもの、かなあ?」
最後の方は自分自身への問いかけになっていた。
依然として不器用な話し方だったが、そこは話を聞いているのがアリサであることが幸いして、特に問い返されることもなかった。
「二人にひとつのおみやげでいいの?」
「ダメなの?」
考えてもみなかったという顔で問い返されて、アリサは呆れた表情をした。
「そんなの知らないわよぉ」
「それもそっか」
「んもう。君って時々失礼ねぇ。私もよくそういうことやるけど」
「え、あ、ごめん」
謝ったものの、ティルトは具体的に何がどう失礼だったのかさっぱりわからなかった。
「で、この像の二人がアセリアとユレイアに似てて、いいなと思ったんだ。お金足りなくて、取りに行っている間におっちゃんがアリサさんに売っちまったんだけど」
「事情はよくわかったわぁ」
間延びした声でそう言うと、アリサは首を傾げた。
「どうしましょう。売ってあげてもいいんだけどぉ………私もけっこうコレが気に入っちゃったのよねぇ………今度やるお芝居にぴったりだと思ったし」
「え、今度何やるの。シオーネじゃなくて?」
「あれは本来は歌劇でしょう。もともと私は、歌は専門じゃなくて普通の女優なの。今回の一人芝居がちょっと毛色が変わっているだけなの。まぁ当たり役ではあるんだけど」
「ああ、なるほど………あ」
思ったことを口に出しかけて、さすがにティルトは失礼だと気づいて口をつぐんだが、アリサが先を促したため、少しためらったのち答えた。
「怒らないでほしんだけど。あまり歌上手じゃないなと思ったんだ。劇見たとき」
「君って、お芝居を見る目全然ないのに、耳は肥えてるのねぇ。変なの」
「ユレイアが歌すげぇ上手いから」
「私も役者のなかでは上手なほうにはいるんだけどなぁ。ちょっと対抗意識が燃えるわねえ」
「ダメだよ」
ティルトは屈託なく笑った。
「ユレイアにかなう人はどこの国探したっていない」
相手のことをまったく考慮せずに本音を言っているとわかる口調だった。
私が大人げなかったら怒ってもいいのよねぇ、ここは多分―――とアリサはそう思ったが、なにぶんティルトは彼女よりだいぶ年下だったのでそれはやめておいた。特に歌の分野で第一人者を目指しているわけでもなかったので、自分が怒るのは筋違いかとも思った。
「君って時々じゃなくて、割と頻繁に失礼ねぇ」
「ごめん。何かオレまたマズイこと言った?」
「自覚がないのが困りものね。親御さんも困ってないかしら?」
「う、うん。時々すげぇ困らせてるかも」
ティルトは色々と思い当たることがあって口ごもった。
「もしかして、姉さんが時々オレにものすごく腹立てるのってそれなのかな………」
「お姉さんがいるの?」
「うん」
話の流れがまたもや少女像とは関係ない方向へ脱線していたが、アリサは修正しなかった。公演の中休みの今日一日を彼女はティルトに付き合って暇を潰すつもりでいたので、脱線は歓迎すべきことだった。
「六つ歳が離れてるんだけど………オレ、言うことがワケわかんないときがあるから、しょっちゅう怒られてるんだけど。怒ってくれてるときはまだいいんだけど、時々口きいてくれないぐらい腹立てるときがあって、怒られてるときはまだオレにも自分が悪いってわかったりすることがあるんだけど、そうなったときは決まっていつもどこが悪かったのかさっぱりわかんないんだ。父さんや母さんに聞いても、首を傾げられるだけだし………っていうか、薄々わかってるんだけどオレに教える気ないみたいだし―――だからいまアリサさんにしたことがそうなのかなと思ったんだけど」
「うーん。私に君のお姉さんのことはよくわからないんだけど、ちょっといまの場合とは違うかもねぇ………」
お茶のカップを片手にアリサは真面目に答えてやった。自分に弟がいたらこんな感じかもしれない。
「いまの君の失礼は、君の家族なら、もういちいち怒ったり腹立てたりするようなことじゃないと思うもの。初対面の人とか、ティルト君のことをよく知らない相手ならムッとするだろうけどぉ………だから君のお姉さんが怒る理由じゃない気がするわぁ」
もしかしたら、その姉とやらはティルトのストレートさ加減に時々猛烈に腹を立てているだけじゃないかとアリサは思った。
家族だし、好きだし、そういう個性だとわかって愛しているけれど、それでも時々その性格には腹が立つ―――つまりはそういうことなんじゃないかと思ったが、口には出さなかった。
こういう微妙な感情の機微は言ってもうまく伝わらないことが多いし、見ず知らずの自分が勝手な憶測だけで物を言って、姉弟間にヒビでも入れたら大変だ。
「あんまり気にしなくてもいいんじゃないかしら。君がもうちょっと全体的に気をつければ自然とそんなことなくなると思うし。だいたい六つも年下の弟に口もきかないくらい腹を立てるって、君のお姉さんもちょっと子どもっぽいところがあるわねぇ」
「ここ二、三年会ってないから、もしかしたら、もうそんなことないかもしんない」
「会ってない?」
「別々に旅してるから。あ、もしかして、いまからセイルーンに帰るんだけど、戻れば姉さんも戻ってて会えるかもしれない。偶然。なんか今回そんな予感するし」
根気よくティルトの家族の在り方を聞いていたアリサは、聞き終わったあとで鼻の頭に皺を寄せた。
「あなたたちの家族って、変」
「うん。変わってるかも。でもオレみんなのこと好きだし、みんなも他のみんなのこと好きだと思う」
「ティルト君は無敵で良い子だわねぇ。失礼だけど」
「………オレまた何か変なこと言った?」
ほとんど叱られた子どものような顔でティルトがそう聞いてきて、アリサは笑った。
しばらくまた話が別方向に脱線したところで、アリサは尋ねた。
「ええと、ティルト君強かったわよね? ほら昨日。うん、何か強そうだったのよ。暗かったし、君まだ小さいから、それがどのくらいのものなのかは全然わからなかったけど」
「アリサさんもオレと同じような喋り方するよなぁ………わかるから別にいいんだけど」
「わかるのは君と劇団員の人だけよ。あんまり伝わらないから、普段からお芝居だと思ってセリフみたいに会話してるものぉ」
それで昨晩みたいに劇中のヒロインみたいな凛とした口調になるのかと、ティルトはようやく納得がいった。
「像………譲ってもいいんだけど、ちょっとお願いごとが………ああ、でもいくらティルト君が強いっていっても子どもに頼むことじゃないわよねぇ………君の親御さんとかも強いのかしら?」
「何、仕事みたいなこと? もし聞いてみてダメそうだったら、依頼として父さんや母さんにちゃんと話通すから、とりあえず言ってみてよ。オレもその像欲しいから、やれることなら何でもやるよ」
思いの外、理路整然としたきちんとした話しぶりにアリサは驚いたが、ティルトとしてはごく自然な話の流れだった。
旅をするなか、仕事の依頼などの交渉関係だけは、リナからきちんと教えこまれているので、他の会話は支離滅裂でもこれだけは条件反射で出てくるようになっている。
アリサはしばらく迷っていたようだが、やがて本当にダメなら言ってね、と念を押して話し出した。
「何だか怖そうな人たちがいるの。私がいつも声だしとかに使っているお気に入りの場所がなんだけど、シオーネの公演をやっててしばらく行けなかったら、その間に」
「どこ、そこ」
「あ、ええっとねえ。街のはずれにある森のなか。そんなにはずれってわけでもないんだけど、ちょっとわかりにくくて。いままで誰にも見つからなかったのに、急にね。もし盗賊とかの根城とかにされてたら、街の警備隊とかに通報したほうがいいと思うし………どうしようかなぁって思ってたのよねえ………やっぱり君に頼むことじゃないわねぇ」
頬を押さえてアリサは首を傾げたが、ティルトが立ち上がったので驚いて手を離した。
「そいつら追い出せばいいんだよね?」
「うんそうなんだけど………ああでもやむにやまれぬ事情とかで住み着いてたら追い出すのも可哀想なのかしらぁ………って、ティルト君がやるの? やめて。危ないわよ」
「平気。オレそこそこ強いから」
あっさりそう言って、ティルトは「で、場所どこだっけ?」と尋ね返した。
「君が昨日強かったのは認めるけどぉ。でも大勢の大人とかが相手だとやっぱり危ないし………ここは親御さんに………ああやっぱり私が話さなきゃよかったんだわぁ、大人失格〜」
間延びした声で言われて、ティルトはぶすくれた顔をした。
「たしかにオレ子どもだけど。でもちゃんと剣使えるし、自分で無理だと思ったら父さんたちの力借りるし、とりあえず場所見たいんだけど」
「あら怒っちゃダメよ。君、見た目は立派にまだ子どもなんだから」
力の抜けるような、逆に煽っているようなことをいいながらアリサは像を包み直して、手持ちのカゴに入れた。
「まあ、見に行くぐらいならいいかしら―――ティルト君、そっち行くと街の中心部よ。ほんとに親御さんに心配かけてそうねぇ、君は」
「うーん。心配されてっのかな。でもどっか迷っても自力で帰れるし、ちゃんとやらなきゃいけないことはやってると思うし、いままで困らせたことないぞ?」
「そういうあたりがねえ………」
平然とした様子のティルトに、アリサは困った顔で呟いた。