Ria and Yuzuha's story:Third birthday【Ultra soul】 収束編〔13〕
「クーン姉さま! どうしてわたしがこんなところにいるのか、ここはどこなのか、姉さまが説明してください! ティルじゃ全然わかりません!」
厚く積もった銀粉をドレスの裾で跳ね散らすようにしてやってきたアセリアが、憤然とした口調でそう言った。
少し不満げなティルトが後から続く。
「何でわかんないんだよー」
「あんな説明じゃわかるはずありません! 何がどうなってここは何だって………ああもう! そもそも、クーン姉さまいつ帰ってらしたんですか」
その口調にリアは笑った。
「呆れたことに、ついさっきよ」
言いながら立ちあがる。その動きにアセリアはわずかに目を見開いた。
降り積もった銀の粉がまき散らされて、光のようにリアを彩ったからだ。
三年前より背も伸びて、髪も長くなって、アセリアの表現力ではうまく言い表せないが、何と言うべきか、大人の女の人になっている。凄い美人だ。とても綺麗だ。信じられないほどに。
「その様子じゃ、気分が悪かったり、おかしな感じがするところもないみたいね」
「それはティルにも聞かれましたけど………別にどこも」
怪訝な顔で答えるアセリアを見て目を細め、リアはユズハに視線を落とした。
「よくやったわね、ユズハ」
「ン。よくやっタ」
褒められた相手が無表情ながらも嬉しそうに、リアにまつわりつくのを見て、ますますアセリアの眉間に皺が寄る。
「食わず嫌いかと思えば、食べたら食べたで皿まで舐めたわね、あんた。結界粉微塵にしてくれたけど、直せる?」
「直せル。だけど、いま直スと、出られナイ」
「じゃあ、先にこの二人を上に送って。空間渡れるわよね?」
「自信がナイ。だから、一人ずつ」
「…………不安だわね」
「クーン姉さま………ッ」
いいかげん痺れを切らして叫びかけたアセリアは、くしゃりとその髪を撫でられて言葉を失った。
「後でね」
うっとりするような微笑と共にそう言われ、アセリアは納得がいかないものの口をつぐんだ。
ふとティルトを見たアセリアは、さらにその眉間に皺を寄せた。
「―――ティル」
「え?」
ティルトが慌てたようにアセリアを見た。
「何だって、そんな泣きそうな顔をしているんです?」
「えっ? オレって泣きそう?」
びっくりした顔で相手に訊き返されて、アセリアは呆れた。
「そんなことティルが知らなかったら、わたしが知るわけないじゃないですか。―――でも、そんな顔してますよ」
ティルトは不思議そうに首を傾げたが、すぐに小さく呟いた。
「何かオレ、頭ン中ぐしゃぐしゃだ………」
「ティル………?」
「アセリア、上でユレイアが待ってるわ」
ティルトが本当に泣くのではないかと心配になったアセリアは、リアに言われて自分が置かれた状況を思い出した。
すぐにユズハがアセリアの手を取る。
一瞬のち、二人の姿は宙にかき消えた。
「―――姉さん」
結界の天頂を見あげていたリアは、その声を受けてふわりとふり返った。
すでにオリハルコンは降り止んでいる。
「なによ」
何の変哲もないその受け答えに、ますますティルトが顔を歪めたような気がした。
「剣、折ってごめん」
その言葉にリアは虚をつかれた。
ややあって、くすりと笑う。
じわりと、指先から冷たいものが這っていくことに気づかないふりをした。
「バカね。あんたが気にしなくてもいいのよ。あれはあたしが悪いのよ」
本当はそう言うことさえも、もはや自分には許されない。あきらかな虚偽だった。ああ、誰かこの舌を切り取ってくれないだろうか。
二人の代わりに哭いてくれるオリハルコンはいまでは足下しか埋めてくれない。折れた剣の入った鞘が嘘のように軽い。
重さもなく、熱もなく。どこまでも自分は。
思う答えを得られず、納得がいかないティルトが苛立って声を荒げた。
「何が悪いんだよ。全然わかんねぇよ………!」
すべてがわからない。なぜああいうことなったのか。何がいけなかったのか。正しかったのか。どこで釦を掛け違えてしまったのだろうと。
リアはただ黙っていた。
笑みを刷いたその唇が微かにふるえる。
考えなさいと言ってあげる資格すら、もうない。
忘れなさいと、言ってやることも。
今となっては何を言ってもそれは己の狡さだった。どこまで卑怯に立ち回れれば自尊心がそれを止めに走るのか、いっそ試してみたくなるくらいに。
半端な嘘など通用しない相手だった。その心を安んじさせるためだけに嘘をつくこともできない。
すべてが崩れゆくのだとしたら、それは紛れもなく自分のせいだった。
それでも―――。
「あんたはあたしの弟よ」
リアはティルトに背を向けた。
意味を受け取れず、ティルトはその場に立ちつくす。
遮るように空間を渡ってユズハが現れた。
Ria and Yuzuha's story :Third birthday
【Ultra soul】
月はじりじりと天頂に近づいている。
最初の一筋の月光が天窓から聖堂の内側に射しこみ、細く壁を照らすのをユレイアは見ていた。
薄氷のようだった大地が急激に安定感を取り戻したのはつい先刻のことだった。
ライティングはそれと同時に突然ふっつりと消えてしまい、新しく呪文を唱えるのも何が起こるかわからず恐ろしかったので、彼女は闇のなか一人たたずんでいた。
(夜はとても暗いんだ)
ごく当たり前のことを実感して、ユレイアは泣きたくなった。暗かったけれど怖くはなかったはずだった。夜の闇を恐れる必要のないことを教えてくれたのは両親だったし、二人がいないときでも怖さを半分に分けあうことのできる姉妹がいた。いつも。
それなのに、自分は一人でここに立っている。
仕方なくユレイアは泣くのをこらえて吐息をついた。
気配が出現したのは唐突だった。
自分と同じ色をした相手の髪が、着地に合わせて軽く跳ねる。
ユズハも一緒にいたが、はっきりいってそのときはまったく気づかなかった。自分と同じ顔をした姉妹の姿しか目に入っていなかった。
「アセリア―――!」
「………っ」
アセリアは勢いに押されてその場に座りこむはめになった。空間を渡るという生まれて初めての経験を味わう暇もない。
座りこんでようやく、ここが王宮の大聖堂だとわかった。
先ほどのティルトといい、今のアセリアといい、何だってみんな勝手にこちらの意志などおかまいなしに勝手に抱き留めたり抱きついたりするのだろう。
少々腹を立てていた彼女は、あることに気づいてぎょっとした。
「ユレイア?」
ちょうど互いの肩に顔を埋める恰好となっているため、顔が見えない。見えないのだが………。
「もしかして泣いてるんですか?」
答えはない。
座りこんだまま、アセリアはユレイアの肩に手をまわした。
「どうして泣いてるんですか」
「セアが………このまま、私のせいで帰ってこなかったらどうしようかと思った………!」
切れ切れに言葉が吐きだされ、最後には嗚咽が混じった。
その肩が小刻みにふるえていて、アセリアはこの姉妹がさっきまで―――理由まではわからないが―――どうしようもなく怖かったのだと知った。
とにかく安心させたくて、彼女は大きく息をついた。アセリアの力が抜けたのが伝わったのか、相手のふるえも少しおさまる。
「馬鹿ですね」
拗ねたときや少し意地悪なときに出るツンとした口調で言ってやった。
「ユレイアのおかげで帰ってくることはあっても、どっか行くなんてあるわけないじゃないですか」
だって、歌が聞こえた。
針水晶を貫く金紅石のように、真っ直ぐ降りてきた声がある。
ここにいるから、と。
迷わないで探さないで。ここに、いるから。
なぜだかとても満足感を覚えて、アセリアはユレイアを抱きしめた。
「………アセリアは平和だな」
不意に肩越しにぼそりと呟きが聞こえた。
肩のふるえが徐々にとれていくのを感じて、アセリアは笑う。どうせ暗くて、顔を合わせていたとしてもわからない笑いだったが、気づかれないようにこっそりと笑った。
笑ったことに気づいたのかどうか、ユレイアが憮然とした口調で続けた。
「アセリアがいなくなって、父様も母様も、リナさんたちまで巻きこんで大騒ぎだったんだ」
「何とでも言ってください」
アセリアは、ユレイアの肩越しに月を見あげた。
「いまのわたしは機嫌が良いから、許してあげます」
相変わらず事情はさっぱりわからなかったのだが、もう聞く気が失せていた。
「ねえ、ユレイア」
「………なんだ?」
月を見あげたまま、アセリアは言った。
「わたしが王さまになってもいいですか」
ユレイアが無言でアセリアから身を離した。
月の光だけでは暗すぎる聖堂のなかで、艶やかな髪の光輪だけが清く目を射る。スィーフィードの神像にもたれながら、アセリアは正面にいる相手を見ることなく天窓を見あげていた。
「母さまはいつも大変そうで、それを見てたら、何だかユレイアにはやらせたくないなって思ったんです。ユア、そういうの苦手そうだし、横でやるのを見てるよりは、わたしがやったほうがいいかなって」
「―――ごめん」
唐突に謝られて、アセリアは呆気にとられて視線を戻した。
今度は逆にユレイアのほうが天窓を見あげる。
「………いまのごめんは何に対してのごめんか聞いてもいいですか。わたし、全然違う話をしていたはずなんですけど」
「叩いてごめん」
何を言われたのか一瞬わからなかった。
「あ、そうか。わたし叩かれたんでしたっけ」
「………もしかして、忘れていたのか?」
「忘れてましたよ。もう何が何だかわからないんですから。ケンカしてたことも忘れそうでしたよ」
気勢をそがれたらしいユレイアが渋面を作ったが、気を取り直したようにアセリアの隣りに座り直した。
「アセリアが言ったことは正しいんだ………」
共にもたれて、月を見る。
「歌えていれば、たぶん私はそれでいいんだ」
「違っ、あれは―――」
がばりと身を起こしたアセリアに対して、ユレイアは微かに笑った。
「いいんだ。あたってるんだ」
「違います!」
「違わない―――なんでアセリアが怒るんだ」
「だって―――!」
叩かれた頬の痛みが、今頃になって幻のようにぶり返してきた。
ユレイアは淡々としている。
「歌えてれば、私はそれでいい。私は世界の音に振り回されて鳴る楽器みたいなものだから―――頼むから、そんなに怒らないでくれ。アセリアにはわからない。そう、感じるんだ」
自分にはわからないと言われて、アセリアは黙りこんだ。それはとても哀しいことだった。当たり前のことでもあったけれど。
月を見るのをやめて、膝を抱えて座り直した。
「本当はきっと私に王様なんて無理なんだ。だけど、それでも嘘をついた」
「なんで?」
ユレイアは泣きそうな顔で笑った。
「だって、私は王女なんだ」
アセリアは絶句した。
「私が好きなだけ歌を唱っていられるのも、音楽の先生をつけてもらえるのも、ものすごく高価な楽器を買ってもらえるのも全部、私が王女だからなんだ。そして王女には義務がある」
アセリアはユレイアの横顔を凝視した。
脳裏にイルニーフェの出した二つの宿題が閃いた。ドレスを着ていることを選んだのは責任―――ユレイアは充分わかっている。わかっているから、王になろうとした。なりたくなんかないくせに。
なんだ。その考え方は。
「別に王様にならなくたって、義務を果たすことはできるじゃないですか」
「だって、それだとアセリアがつらい。私がなりたくないって言ったからアセリアがなるなんて、そんなのはイヤだ。あんなに大変なのに」
アセリアは泣きそうになって、慌てて唇を引き結んだ。
どうしてこの姉妹は、こちらが泣きたくなるくらいに頑固で頭が悪いのに、どうしようもなく大切なんだろう。
どちらが姉かで揉めたことはないが、おそらく自分のほうが姉だ。そうに違いない。なんだってこんなに世話を焼かせるのか。―――相手もそう思っている可能性はあったが。
「わたしがなるって言ってるのに、あなたは」
「だからケンカになったんだな」
「馬鹿みたいです」
「本当だ」
くすっと笑ってユレイアは立ち上がり、アセリアに手を差し出した。その手をとって立ち上がりながら、アセリアは首を横にふる。
「ユレイア。たしかに母さまはいつも大変そうです。だけど辛そうには見えません」
それは事実だった。
「王様じゃない今でも大変そうなのに、王様になったらもっと大変だと思う。それでもどうして、母さまは王様になるんだろう」
「聞けばいいじゃないですか」
「それもそうか」
嘆息してユレイアは空を仰いだ。月が目に入った。片手はアセリアと繋がっている。
何となく、なしくずしにケンカはなかったことになってしまった。経験則で知っている。わざわざ仲直りしようと宣言して仲直りをするのではない。それが家族というものだった。
「とりあえず、次の次の王様はわたしでいいですか」
「………うん」
手を繋いだまま、二人で黙って月を見あげた。