Ria and Yuzuha's story:Third birthday【Ultra soul】 収束編〔2〕
ユズハという存在を物質界に固定させていた輪郭は、とうに融け崩れていた。
少女に似せた人形に、ディスティは邪妖精の精神体と、ユズハの基となった炎の精霊を混ぜこんで宿らせた。
作りだされてのち、たくさんの人間が目の前を動き、生活しているのを見て、自然とユズハは人に似た習性を身につけた。それは土に水が染みこむように当たり前のことだった。
だから人形の器が壊れたあとも、ごく当たり前に人型をとっていた。
顎で切りそろえられた淡金色の髪に、橙紅色の瞳。細い手に細い足。与えられた人形の器そのままの幼い少女の姿。ユズハ。
着慣れた洋服のように長い間とり続けた、特定の容姿とひとつの名前。それがユズハをよりユズハとして保たせていた。
その人型の輪郭を手放した途端、個を保つのが難しくなった。そのまま拡散していきそうになるのを、皮肉なことに周囲からかかる魔力の圧が抑えこんでいる。
人に似せて構成していた物質界の器はとうにないにもかかわらず、漠然と自分が膝を抱えて眠っているような気がした。
ぎゅうっと丸まって、大事なものを抱えて眠る子ども。
それは漠然としたイメージでしかない。
むしろ裡に抱えこんだその大切なもののほうが、その姿勢で眠るように目を閉じていた。
(『せあ』が消えタら、きっと『りあ』は泣ク。『ゆあ』も泣ク。みんな泣ク)
泣くというのは不思議な行為だ。泣くのが嫌じゃない時もある。何もないときは涙というものは出てこない。
オルハが消えた時には泣いた。意味もわからず泣いていた。
猫が消えていなくなったときは泣かなかったが、そのときと同じような気持ちだった。『せあ』が消えることで、みんなが自分と同じ気持ちになるのは嫌だった。
だから、守る。
自分で決めた。他のことは知らない。
(―――守ルから)
わずかに銀より鈍い輝きを放つ空間。朱く澄んだ球形の膜が内側に少女を抱えこんでいる。
Ria and Yuzuha's story :Third birthday
【Ultra soul】
「―――さて」
窓を背にして出現した獣神官が部屋をぐるりと見回した。
リナたちにとってはだいぶ昔に別れたときそのままの、何ら変わらぬ視線がゼルガディスに留まる。ふとゼロスは首を傾げた。
「その姿になってからお会いするのは初めてですね。また、ずいぶんと―――」
目が細められる。
「御身か弱くなられたようで」
ゼルガディスは無言で眉を動かしただけだった。だが、当の本人以外でその言葉に対して激烈な反応を返した者がいた。
「何ですって、もう一度言ってごらんなさい!」
「アメリアっ」
今にも相手が魔族だということを忘れて直接攻撃に出そうな彼女を、傍らのゼルガディスが慌てて押しとどめる。
ゼロスはそれを見て唇の端を軽く持ちあげると、次にその視線を二人の背後にいたユレイアに移した。
目のあってしまったユレイアの肩が大きくふるえた。まったく相容れることのない異質な存在に対する、本能的な恐怖だった。
すぐにアメリアとゼルガディスが動いて魔族の視線を遮り、娘を守った。
二人の動作など何ら気にすることなく、ゼロスが笑う。
「そちらがお二人のお子さんですか。いやぁ、遺伝っていうのは面白い律ですね。不確定に見せかけて確定しているあたりが未来によく似ています。
―――リナさんたちのほうも、そうですね?」
魔族が次に視線を向けた先には、当然の成り行きというべきか、ティルトがいた。
蒼穹の瞳が、平然と魔族の視線を受けとめ、その首が疑問に軽く傾げられる。
「あんたがゼロスなのか?」
「おや、名乗った覚えはありませんがね」
「聞いてるから。ろくでもない魔族だって。魔族なのか? わりと普通っぽいな」
「見ての通りですよ」
ティルトは顔をしかめた。
「いや、見ての通り見ると笑ってるけど、かなり嘘くさいし。それって魔族っぽいのとは関係ないけど、別なところで魔族だと思ったから聞いてるんだけど」
ゼロスは半分呆れたように笑った。
「見事なまでにガウリイさんそっくりですねぇ」
「そうかあ?」
「そうよ」
不思議そうなガウリイの声に、憮然としたリナが答える。ゼロスが可笑しくて仕方がないというように、くすりと笑った。
「ゼロス、さっき貴様が言ったことはどういう意味だ」
固い声でゼルガディスが魔族に問うた。アメリアはきつく唇を引き結んで、ユレイアを背後に庇っている。
「アセリアはどこにいる」
「おや、それはさっき言った通りですよ」
二十年近く会わずにいた魔族は、以前と寸分違わぬ笑みを浮かべて、言葉を口にした。吐きだされるその言の葉が、何よりも信用ならず、事実でありながら事実でないことも、二十年前と何ら変わらない。
「アメリアさんとゼルガディスさんのもう一人のお子さんは現在、この地上のどこにも存在しません」
二対の濃紺の瞳が大きく見開かれた。ユレイアのほうは、衝撃のあまり口もきけない
「嘘です―――ッ!」
「貴様、ふざけるな !! 」
アメリアが叫び、そのじつ彼女よりも沸点の低いゼルガディスの口が呪文を紡ぎはじめる。
しかし、すぐに頭をはたかれてその詠唱は中断させられることとなった。
はたいた手の持ち主が、真紅の瞳をきらめかせてゼルガディスを睨む。
「落ち着きなさい。アメリア、ゼル」
「リナ―――!」
「二十年近く会わずにいたからって、この生ゴミ魔族の性格を忘れたわけじゃないでしょうね?
嘘は言わないけど、本当のことも言わない―――ねぇ、ゼロス?」
リナの視線を受けとめて、魔族はますます目を細めた。
「地上じゃないなら、地下かしら。それとも水中、天空? アンタ、今度はあたしたちに何させにきたワケ?」
魔族の笑みが深くなった。
「相変わらずで非常に嬉しいですよ。リナさん」
リナは面白くなさそうに鼻を鳴らしただけだった。
「ティル、覚えておきなさい。この腐れ神官があたしたちの前に現れるとしたら、理由は三つ。そのほうが都合が良いか、面白いか、邪魔なときだけよ」
「ふーん」
つまらなさそうにそれを聞くと、彼女の息子は聞き返した。
「で、いまどっち?」
「都合がいいか、面白いか、あるいはその両方―――」
「当たりです」
楽しそうにゼロスは笑った。
「しかし、ひとつ言わせていただくなら、もともと今回の件ではリナさんたちのことは放っておくつもりだったんですよ。関わってきたのは、あなたがたです」
リナが眉根をきつく寄せた。
どういうことかと問いただす前に、ゼロスの興味の対象がいままで沈黙していた相手に向けられたことを知り、この魔族の本性をよく知る四人に軽く緊張が奔る。
それを知ってか知らずか獣神官は、困ったように眉尻を下げてみせた。
「ところで、さっきからアメリアさんたちはいっこうに紹介してくれないので、ちょっと僕さみしいんですが。どちらさまです?」
「人に名前を聞く時は自分から訊ねるものよ、魔族」
椅子に座ったまま、悠然とイルニーフェは会話に応じた。
「彼女は関係ありません!」
切迫したアメリアの声を無視し、獣神官は大仰に頭をさげる。
「それは失礼しました。本業はしがない使いっ走りですが、表向きは謎の僧侶でゼロスといいます。まあ、どうぞひとつよろしくお願いしますね」
それを聞いた彼女の眉間に、思い切り皺がよる。
「イルニーフェよ。二度と会うこともないでしょうから、よろしくしないわ。魔族に知り合いがいるような、この四人と一緒にしないでちょうだい」
「ふむ………」
ゼロスは少し思案する顔をした。
その魔族から視線を外し、イルニーフェは苦々しい表情でアメリアを見た。
「本当にあなたたちときたら………一般人と相容れない世界に足を突っこんでいること」
とげとげしいその口調の装いに気づき、アメリアは何喰わぬ顔で応対した。
「あなたも人のこと言えませんよ」
「あなたたち四人と一緒にしないでちょうだい。あたしとしては足を突っこむ前にぜひ退散したいわね」
イルニーフェが心底忌々しそうに吐き捨てる。
「聞かない方がいいなら、この場から外させてもらうわ。この魔族が闖入してこなければ、とっくに部屋に帰っていたはずだしね。聞かなくてもいいことを聞きたくはないわ。あなたたちがどうなろうと、あたしは自分の身が可愛いの」
「そうしてください。こちらとしても足手まといは困ります」
アメリアはわざとつっけんどんにそう言った。
魔族に顔見知りがいるのは自分たちだけで充分だ。もっと早くにイルニーフェを退席させておけばよかったと後悔したが、もう遅い。
リナがゼロスにひらひらと手をふった。
「つーわけで、ゼロス。あんたの駒としては実力問題外なんで、追い出させてもらうわよ。あたしも足手まといがいると、あんたに魔法ぶっ放せないし」
「ご冗談を。負けるケンカを売るほどリナさんの頭が悪いなんて思ってもいませんよ」
誉められたにもかかわらず、リナは嫌そうな顔をした。
「―――まあ、かまいませんよ。見たところ、魔族が来たと騒ぎ立てるほど頭の悪い方でもなさそうですしね」
「あたしはまだ死にたくないわね。あたしは、あなたなんか知らないわ。目の前には誰もいないのよ」
魔族の出現など知らなかったことにすると言外に言いつつも、真っ向からその魔族を睨み据えたイルニーフェに、ゼロスは妙に感心したような表情を向けた。
イルニーフェが椅子から立ちあがり、扉に向かって一歩、踏み出す。
その直後。
「ゼロス―――!」
鋭い声はガウリイだった。
一瞬だけ黒い靄のように、ゼロスの輪郭から瘴気が滲みだす。
イルニーフェが声もなく床にくずおれた。人形のような唐突さだった。
その体が倒れこむ直前、ティルトが走りこみ、その体を支える。重量はともかく大きさ的に持てあまし、共によろめいたところを、傍に寄ってきたガウリイが息子ごと受けとめ、代わって抱きあげた。
のんびりとした魔族の声―――。
「おや。どうやら、本当にただの人間のようですねぇ」
「―――霊王結魔弾ッ!」
真っ先に爆発したのはアメリアだった。
「やめろアメリア!」
「離してくださいッ !! 」
ゼルガディスが再度アメリアを押さえこみながらも、その声を荒げる。
「ゼロス! 貴様、イルニーフェに何をした !? 」
「ちょっと瘴気をぶつけてみただけですよ。しばらく寝込むぐらいです」
「………っ、のッ」
この―――と言いかけて、アメリアは怒りのあまり、うまく言葉がでてこない。
「いやあ、さすがリナさん達のお知り合いです。平然と僕と話すんで本当は伏せ駒なのかと、チラリとでも思っちゃいましたよ。ただの人間にしては面白いかたですねぇ」
「あたしたちも、ただの人間だけど?」
「ご冗談を。そんな人生歩んできてます?」
リナは無言で目を細めた。危険な光が目元に宿っている。
「いい加減、遊ぶのをやめたらどうかしら。それともまだ退場者が必要?」
「いえ、もう結構ですよ」
ゼルガディスの手の下でアメリアが唇を噛んで、ゼロスを睨めあげた。
「………ガウリイさん、一階の南翼です。お願いします」
「わかった」
ガウリイがイルニーフェを抱きあげたまま歩き出した。いちばん扉に近かったユレイアが、真っ青な顔で扉を開ける。手がふるえてノブがうまく回らない。さっきから訳がわからないことばかりで、怖くてたまらなかった。
扉が閉まるのを見届けたアメリアは、瞳に激烈な光を浮かべて、魔族のほうをふり返った。
「さあ、いいかげん説明してもらいます。獣神官ゼロス!」
言われた当人がおもしろそうな表情になる。ゼルガディスとリナが、少し驚いた顔でアメリアを見た。
「おや? しばらくお会いしない間に直接呼び捨てなさるほど、僕に対して親しみを感じるようにでも? 嬉しいですねぇ」
「昔のわたしが若かっただけですよ」
ふぅわりと微笑して、アメリアはそれだけを言った。その笑みに、傍らのゼルガディスの顔がわずかに引きつる。
ゼロスは喉を鳴らして笑った。
「それはそれは」
「第一、自分の子どもにちょっかいを出されてもなお、あなたに『さん』付けできるほどわたしは人格者じゃありません」
「僕は何もしていませんよ?」
「この場に現れただけで立派に何かしています。セイルーンに何の用ですか。あの子はどこです。わたしたちのほうから関わったって、いったいどういう意味ですか―――!? 」
不可避を許さぬ勢いの問いにも、ゼロスはどこまでも人を食った笑みを浮かべたままだった。
その唇に、人差し指が当てられる。
「秘密です―――というのは、ダメですか?」
すかさずリナの声が飛んだ。
「おいしそうな顔してんじゃないわよ、生ゴミ魔族。アメリアもこいつ喜ばせたってしょうがないでしょうが。もう少し落ち着きなさい。ユレイアが怯えてるわよ」
名を出されたユレイアは、びくりと肩をふるわせた。
嫌な汗をかいている。恐怖の余り目を逸らすこともできず、ユレイアはきつく唇を噛んだ。飽和しかけた思考を何とかまとめあげようとする。
アセリア。ティルト。父。母。リナ。ガウリイ。魔族。歌。魔法。聖堂。―――アセリア。
どこにいる。
「父上、いったい何なんですか。アセリアはどこにいるんです。私は、アセリアを捜して―――」
「そのお話ですが………」
ゼロスが静かにユレイアの言を遮った。
「今回僕がここに来たのは、皆さんたちにヘタに動かれては困るからですし、普通にお話しますよ」
ちろりと唇を舐める。
「久々に、楽しんでいるのも事実ですがね」
「この野郎………」
ゼルガディスが唸った。
「さて。では、あなたがたが求める答えの提示を。セイルーンには六紡星結界の件で来ました。アセリアさんは地下です。そちらから関わったというのは―――」
唐突にゼロスの杖が持ちあがり、アメリアとゼルガディスの間―――つまりユレイアの存在をまっすぐに指した。
「そこのユレイアさんですよ」
ユレイアがその瞳を大きく見開いた。