Ria and Yuzuha's story:Third birthday【Ultra soul】 収束編〔5〕

「ユズハ……?」
 予想だにしなかった名に、アメリアは呆然と呟いて、我に返った。
 目の前にいるぜロスをきつくきつく睨みつける。
「あなたはいったいどこまで人を欺けば……ッ」
「困りましたねぇ」
 ゼロスはさして困ったふうもなくそう言い、眉間にしわを寄せてみせた。
「はっきりいってあの精霊の合成獣キメラ以外、僕は用がないんですよ。みなさんのところに顔を出したのは、まあ昔のよしみといいますか、そんなものだとさっきから言ってるじゃないですか」
「要んない。アンタのよしみなんてそんな代物。スリッパ以下よ」
 リナが吐き捨て、真紅の瞳で魔族を見た。
「ことごとく、あたしの世界を巻きこんでいくつもりのようね」
「こればっかりは僕に言われても……」
 今度は本当に困ったらしく、ゼロスは顔をしかめた。
「僕は効率よく仕事をしているだけですからね。リナさんたちがその効率の先にいようといまいと知ったことではありません。まあ、いたほうがおもしろいのは確かです。こればっかりは縁ですねぇ」
 ここで初めて、宴の客たちは互いの情報を交換しあう。
 ことの起こりは、六紡星結界の限界。不均衡な魔力を殺ぎ、正しい均衡を保つ為にそれを放出する作用を持つその結界は、長い歴史の果てに、流れ込む魔力と使われる魔力の均衡がとれなくなった。
 その原因は二十数年前にこの場所で使用された、増幅された竜破斬ドラグ・スレイブと、決して人が扱ってはならない呪だった神滅斬ラグナ・ブレード。満水にはほど遠かった池に、突如として滝壺が出現し流れ込んだようなものだった。
 それでもまだ、縁ぎりぎりで池は踏みとどまっていた。
 このまま、ただ静かに細々と水が流れ出すのを待っていれば、何十年、何百年かかって池はもとの水位に戻るはずだった。
 湧き出づる水脈が、池のただなかに出現しなければ。
 崩壊の背中を押した者。
「それがユズハだっていうの………?」
 いまだ抜き身の剣を抱えたままで、リアがそう呟いた。
「あの精霊の合成獣は―――」
「ユズハですっ!」
 アメリアが強くそう言い、ゼロスはわずかに片眉をあげ、そんなことはどうでもいいというように肩をすくめてみせた。
「あのユズハという名前の合成獣ですが―――」
「………アメリア」
 噛みつきそうなアメリアに、ゼルがディスが相手にするなとたしなめる。
「ユズハがこのセイルーンの結界中心部に存在するようになってから、ええと………二十年近くになりますか」
「待て」
 ゼルガディスが短くゼロスの言葉を遮った。
「貴様、知っているのか・・・・・・・?」
「知らないとでも?」
 逆に聞き返し、ゼロスは笑った。
「まさか、あれだけ色々と派手なことをやらかしといて、そのままほったらかされているとでも思ったんですか? 僕はわりと忙しかったので直接赴いたことはないですが、あなたがた四人は時々思い出したように視られているんですよ」
「………んなことだろうと思った」
 リナが憮然としてそう言った。
 時々思い出したようにというのがまた厭な話だった。ほっておくのもなんだが、それほど気にされてもいないというぐらいなら、いっそたかが人間と忘れてくれればいいものを。
「ですから、お子さんが生まれたのも知っていました。どんなお子さんかまでは、最近まで知りませんでしたけどね。もちろん、アメリアさんのところに人間外の存在が居候していることも、僕の耳には入っていたわけです。調べてみれば思った以上にとんでもない代物だったので、都合良く利用させてもらうことにしました」
「魔族のあんたにとんでもない呼ばわりされる筋合いなんか、ないわ」
 ジッと獣神官を睨みながらリアが、低くそう言った。さっきから睨んでおかないと逃げるとでも思っているのか、リアはゼロスから視線を外さない。
 ゼロスは挑発するかのように、手袋に包まれた両手を広げてみせた。
「あなたがそう断言できる筋合いもないように思えますがね。それはともかく、とんでもないことは確かですよ? あんな悪食は見たことありません」
「悪食? お前ほどじゃないだろう」
 負の感情を糧とする事実を揶揄されたゼロスは、軽く肩をすくめた。
「このユズハには敵いませんよ。 セイルーンの結界が持ちこたえられなくなったのは、この雑食の合成獣が現れたせいですよ? いくら結界がその身の魔力を削いでも、削いだ分だけ補われ、それをまた削ぐ―――食べたものをすべてを魔力に変換するなど、僕たち魔族よりタチが悪いです」
「あなたたちだって似たようなものじゃないですか」
「勘違いされては困ります。僕たち魔族は確かに生命の基盤が魔力ですけど、僕たちが摂取するものは負の感情であって、魔力を直に取り込んでいるわけではありませんし、何でもかんでも節操なく食べられるわけでもありません。アメリアさんたちも直接血を飲んで、ご自分の血液を補っているわけではないでしょう? 食べられるものは限定されているはずです」
 饒舌にゼロスは説明する。時間を長引かせることが最優先の使命とでも言わんばかりに。
 精神世界面のほうに意識を向ければ、まるで沸騰しているように泡立つと、その向こう側の物質界でそれに悪戦苦闘している存在の様子が手に取るようにわかった。あれならまだ持ちこたえるだろう。というより、持ちこたえ、ぜひとも払拭してもらわねばならない。塵も積もれば何とやらで、これだけ堆積した魔力を何事もなくどうにかするというのは、魔族の自分でさえかなり神経を使う作業だった。自分が近づくだけで結界に影響を与えるのだ。面倒くさいこと甚だしい。ぜひとも自分の始末は自分でつけてもらわねば。あの合成獣が出現さえしなければ、結界の魔力容量が限界を超えることはなかったはずなのだ。
 仕事はできるだけ楽に楽しくすませたい。
「あのユズハは摂取したありとあらゆるものを魔力に変換できます。もう滅茶苦茶です。パンを食べても、肉を食べても、血を飲んでも自分の魔力に変えられる。おそらく、直接的に魔力すら取りこんで自分のものとできるでしょう。いっそ魔力喰いとでも名付けたいくらいですよ。どんな技術で合成すれば、あそこまで無節操な雑食になれるのか―――あのユズハを創ったのは、どこの魔道士です?」
「もう死にました」
 アメリアはそれだけを言って口をつぐんだ。
 官憲へ突きだしたが、あれから既に十数年。いまはどこでどうにしているのか検討もつかない。ゼロスの前では死んだことにしておくにこしたことはないだろう。
 ゼロスはとりあえず問うてはみたものの、その答えに興味がないらしく、気にした風もなく話を続けた。
「それは残念です。いったいどうやって創ったのかその魔道士に聞いてみたかったんですけどねぇ」
「当人の態度からすると、あまり出来がいいとは思っていなかったようだがな」
「おやおや」
 ゼロスはわざとらしく驚いた。
「失敗作ならたいしたものです。ザナッファー級の失敗作ですよ、あれは」
「さっきからオレ全然話わかんねぇ」
 ティルトが唇を尖らせた途端、三年ぶりに会ったばかりの姉に頭をはたかれた。
「あたしもわからないわよ。いいから黙りなさい」
 少々加減を誤ったのか、皆の予想より小気味良い音がして、ティルトが憮然として頭を押さえる。
 リアはゼロスに視線を戻した。あいかわらず剣は抜かれたままだった。鞘に収まる気配はない。
「サイラーグの魔獣の正体なんてどうでもいいわ―――あれが合成獣だったなんていま初めて聞いたけど」
「別に合成獣というわけではないんですがね」 「だからそんなことはどうでもいいの。それに、ユズハがどんな性質を持っていようと関係ない」
 その表情を見て、ゼルガディスとアメリアは彼女が再び魔族に斬りかかるのではないかと不安にかられた。
 リアはいらいらと続ける。
「ようするに、ユズハはあんたたちと違うんでしょ」
 この問いは魔族の自己同一性アイデンティティにいちじるしく抵触したらしく、ゼロスは無言で眉をはねあげてリアを見た。
「たかが合成獣一匹と魔族を同じ存在にされても困ります」
「ユズハは魔族じゃない。あんたはユズハを利用した。事実はそれで充分よ。あたしが聞きたいのはたったひとつよ。ユズハと、ユズハが護っているアセリアはどこにいるの !? 」
 激情のあまりひび割れた声だった。
 ここまで走り通してきたせいで、全身が疲労で重い。
 ユズハがどうして消えたのかはもはや明白だった。結界の崩壊に気づき、跳んだのだ。アセリアを膨大な量の魔力から護るために。
 ―――招待状の宛先は自分ではなかった。
 そのことに強烈な安堵感を覚えつつも、それとはまた別の怒りがリアのうちにある。
「ユズハは、アセリアとユレイアの名前を呼んで消えたわ。それさえもあんたの予定通りだってわけ?」
「それは予定外でしたが、できる限りお手伝いはしましたよ?」
「―――っ、あんた何したの !? 」
「空間を渡るのに苦戦しているようだったので、背中を押してあげました。こればっかりは、お礼を言われてもいいと思うんですがねぇ。僕がそうしてなかったら、今頃アセリアさんのほうはお亡くなりになってたかもしれませんよ?」
 くすくすと笑いながら魔族が首を傾げた。
 リアは無言で剣を鞘におさめる。
 それから大きく息を吐きだして、手で顔をおおった。
「リア?」
 母親の呼びかけに、おおっていた手を外すと、リアは虚ろに笑ってみせた。
「あんたとあたしたちの利害が概ね一致していることが腹が立つわね。ここであたしはあんたにお礼を言えばいいのかしら?」
「おや、僕を敵にまわしたかったとでも?」
「ええ。敵にまわしたかったわ。このままずっと・・・・・・・ね」
 最後の言葉は部屋の空気にとけてしまいそうなほど微かなものだった。
 いつのまにか場を支配しているのは魔族でもリナでもユレイアでもなく、リアだった。真紅の瞳を母親そっくりにきらめかせ、彼女は挑むように魔族を見据える。
「でも、どうやらいまはそれじゃ動きようがないみたいね。協力させなさい。あんたのいいように踊ってあげる」
 一同が大きく目を見張った。ゼロスとて例外ではない。紫闇の双眸を見ひらくと、この魔族にしては珍しく、はっきりとわかるほど笑いをこらえた。肩をふるわせ、手袋に包まれた手で笑う口元を隠す。
「すばらしい………さすがリナさんの娘です。魔族の僕に対して言うことまで同じだなんて、どこまでそっくりなんですか」
 いまにも弾けるように笑いだしそうな魔族の様子に、母親と娘が、それぞれ不本意と顔に描いて互いを見た。母親のほうは、何もあんたまで魔族に目をつけられることはなかろうと、はっきりと苦々しい顔をし、娘のほうは、己の生まれる前に母親はいったい何をやらかしたのかとの疑いを新たに、疑惑の表情を向けている。
「あまり似てないぞ、この二人」
 ガウリイがただそれだけを言ったが、場の全員に黙殺された。
「ようするに、あんたは結界の魔力を何とかできればいいんでしょ。できるだけセイルーンを損なうことなく。あたしはちはその二つの条件に加え、あんたが巻きこんだ二人も無事に取り返したい。概ね利害は一致してるでしょう?」
「そうですね」
 肩を揺らして笑いながらゼロスが頷き、そこで首を傾げてみせた。
「しかし、あなたたちがどう役に立つとおっしゃるんです?」
 嘲るように言われ、ユレイアが弾かれたように立ちあがった。先ほどまでの涙が嘘のような、怒りにきらめく顔だった。
「私の歌が役に立たないとは言わせない!」
「そうですね。ユレイアさんの歌は影響が大きいでしょう。ですが、僕は今の状態で手伝って貰う必要を認めていませんが?」
 どんな理由を提示して自分を納得させるのかと、暗に言っていた。自分を動かしてみせろ―――と。
「じゃあ、ほんとにあなたは何しに出てきたんですか!」
「言ったでしょう? 知らない仲でもないし、まんざら関係ないことでもないのでご挨拶にうかがっただけですよ」
「ついでに食事しに来たってワケ?」
「まあ、そうとも言います」
「―――ゼロス」
 不意に、いままで沈黙を守っていたガウリイが口を開いた。
「あんた、いつからここにいない?」
 全員が愕然としてガウリイを見、次いでゼロスを見た。
「………やれやれ、本当にあなたという人間は」
 呆れたように魔族が苦笑し、その観察眼に敬意を表して一礼してみせた。
「最初からですよ。僕が王宮にいると、それだけで結界にさらなる魔力が流れこみますからね。皆さんの目の前にいる僕は、外見だけのはりぼてのようなものです」
「じゃあ、あんたは何も手が出せない状態ってわけ?」
「ある意味そうとも言えますね。何とかしようと思えば何とかなりますが、面倒くさいんで僕イヤなんですよ」
「だから、踊ってあげると言っているわ」
「ですから、いったい何を踊れるとおっしゃるんです? 何も手が出せないのはリアさんたちだって変わりませんよ?」
 ゼロスの両眼が針のような光を帯びた。
 ここでリナたちの介入を承諾する理由も、拒絶する理由もゼロスにはない。互いの目的が一致している以上、どう転んでも損はないはずだったが、だからといって関わらせる気も今はない。―――今はない。だからこれから先、どう気が変わるかもわからない。
 リナたちの前に出てきた以上、それを受けて彼らが動き出すのは当然の成りゆきだったが、いまのリナたちは動きたくともその方法がなく、また方法を持っているゼロスをその気にさせるだけの手札がない。
 娘がゆっくりと母親に視線を投げた。
 リナは、リアを見ながらゼロスに向かって顎をしゃくってみせた。
 ―――あんたが動く気なら動きなさい。
 無言で、そう伝えてきていた。
 次に、父親と弟に視線を向け、ユレイア、アメリア、ゼルガディスと流す。
 それからリアは手袋に包まれた指を唇にあてた。焦燥に灼き切れそうな神経をなだめ、挑発するように笑ってみせる。
「宴の主賓はいま、調子が悪いのよ」
 ゼロスの表情がそれとはわからぬほど微かに変化した。