Ria and Yuzuha's story:Third birthday【Ultra soul】 収束編〔6〕

 侵食する。
 そこに在るのは、閉じこめられて狂ったように出口を求める奔流だった。ぐるぐるとそれ自身を閉じこめる境界をなぞり、巡り、対流を続ける、限界まで圧縮された力だった。
 溢れかえるそれは器の出現に当然のようにそこに殺到した。当たり前の摂理だった。高いところから低いところに。満ちたところから空のところに。
 阻むものがあればその周囲を巡って、つけいる入り口を探すだけのことだった。
 ―――混じり合う。
 確かにもとは同質のものだった。溢れかえる「それ」も、それを阻む「何か」も。共に理なく存在する力。輪郭をほどき、流れこみ融和し、ひとつになろうと誘う同じ魔力だった。
 融けかかっている。
 なかば他人事のようにそう思っている何かがいた。何かだった。もはや何とも定義できぬさまで、それでもただ存在していることだけは確かな事実だった。
 存在を必死でかき集めて輪郭を描きなおす。何度でも。融けだすたびに。
 そうしているうちに、何に拠って定義されていた存在だったのか、既にそれすらも判然としなくなっていた。どうやって生きてきていたのだろう。
 「この存在」を定義するものは何だっただろう。
 ぼんやりと思いながら、溢れかえる魔力と共に探していた。
 出口を。
 何か、決定的な契機を。
 銀よりわずかに鈍い輝きをこぼす空間が、悲鳴をあげるかのように軋み、膨張した。



 Ria and Yuzuha's story :Third birthday

        【Ultra soul】




 ―――宴の主賓は体調不良。
 それだけを言って、リアは口をつぐんだ。
 ゼロスは精神界側アストラルサイドに意識を向けて舌打ちしかけた。つい先ほどまでは拮抗していたはずの存在が魔力に侵食されかかっている。あれでは融けて、逆に嵩を増すだけだ。
 ユズハが持つ魔力は、先ほどユレイアの手によって放出された量を上回る。融けきった時点で結界の魔力容量の限界を超えるだろう。それはゼロスにとって任務の失敗だった。
(やっぱり楽しようと思ったのがいけませんでしたかねぇ)
 内心嘆息し、忌々しく思ったが、同時に楽しんでもいるのも事実だった。もともとリナたちの前に出てきたこと自体が、今のこの状況を楽しむための思いつきのようなものだ。仕事はなるべく、楽に愉しくすませたい。
 最終的には己で何とかできるという余裕から、ゼロスはリアの手札に反応を示すことにした。
「詳しくお聞かせ願えますか?」
 視線がゼロスに集中する。リアが得たりとばかりにその瞳の光を強くした。
「ユズハは精霊の部分が消滅したばかりよ。まだ自分を把握しきれていない」
「ふむ………進化しますか、あの存在は。むしろ不安定だったぶん、安定しようとしているのかもしれませんね」
 独り言のように呟いて、ゼロスは沈黙した。
 変わって、リアが告げた内容に聞き捨てならないものを感じたアメリアが口を開く。
「クーン。ユズハが精霊ではないなんて、それはどういう………」
「あたしにだってよくわかりません。ユズハがそう言ったからそうなんです。現にユズハは、もう炎を操れない」
 衝撃を受けたアメリアが絶句する。
「だけどユズハには違いないんです」
 手袋に包まれたリアの手が、きつく剣の柄を握りしめる。
「ユズハはそう言ったから―――」
 なおも何か問いたげなアメリアの口を、魔族の声が封じた。
「―――確かにこのまま放っておくのはよくない事態だと判断しましたが、かといってリアさんが出向いてどうするというんです?」
 ライティングが輝く夜の室内のなか、現れたときと何ら変わらぬ様子でたたずむ獣神官は、人を喰った笑みを浮かべていた。
 ここにいる己は外見のみの張り子のようなものだと告げおいていながら、嫌みにも床に濃い影を落として魔族は囁く。
「いまのあの空間は、だれが行っても魔力の新たな標的となるだけですよ。むしろ助けるどころか足手まといですね」
「ならない」
 リアが断言した。
「ほう?」
 ゼロスが片眉をあげる。
 リアは無言で剣を鞘におさめると、己の両手を見下ろした。
 自分が懸念しているのは、アセリアと同じように魔力が流れこむ器と見なされることではない。この身は器となりえない。わかりきっていた。―――既に、それ以上のものが宿ってしまっているのだから。
 しかし同時にその理由によって、この自分が魔力のただなかに行くのはおそらく自殺行為だった。この場にいる者のなかで彼女自身しか知らないその真実によって。一か八かの賭だった。
(それでも)
 敢然とリアは顔をあげる。
(あたしが行かずにどうするの?)
 ユズハが選んだのは自分だ。
 いまなら多分、言える。
 自分は、ユズハの、何なのか。
 庇護者ではない友人でもない仲間でもない。まして恋人などでは断じてない。家族というのが最も近いが、家族でもない。
 自分はユズハのクーンだ。
 それ以上でも以下でもない。
 リアはユズハという存在を映す鏡で、ユズハはリアという存在を映す鏡だ。
 ユズハの隣りに在るクーン。
「あたしは、ユズハを知っている」
 ただ、リアはそれだけを言った。
 意図を正しく察したのはゼロスだけだった。その瞳に珍しく感嘆の色を浮かべ、承諾の笑みを浮かべてみせる。
「すばらしい。あなたはここにいながらにして、地下の状況を正しく把握しておいでのようですね。いいでしょう。ただし、僕は何の手助けもしませんよ? あなたを放りこむだけです」
「それで充分よ」
「もうひとつ」
 色めきだったリナたちを制するするように、ゼロスが人差し指を立てた。
「連れて行くのは、あなただけです。リアさん」
「かまわないわ」
「かまいますっ!」
 アメリアが憤然として食ってかかった。
「どうしてクーンだけなんですかっ! もとはわたしたちの問題です! わたしたちが行かないでどうするんですか………!」
 しばらくアメリアの顔を眺めていたゼロスは、やがてにこやかな笑みでこう言った。
「お歳を考えた方がよろしいですよ?」
「…………!」
 アメリアが憤死しそうな顔をする。
 不意にゼロス目がけて、どこからともなく花瓶が飛んできた。驚いたふうもなく、ゼロスはひょいとそれをかわしたが、ユレイアやリアなどの、この魔族と両親との関係をよく知らない二世の面々は、魔族目がけて花瓶が飛んできたことに仰天した。
 花瓶を投げつけたリナが、引きつった笑みでゼロスを見ていた。
「いまのはちょーっとあたしにも聞き捨てならないセリフだわね。特に魔族のあんたにそう言われるとムカツクわ。女性に年の話はタブーだって、あんたの上司から教わらなかった?」
「獣王さまは些細なことにはこだわらないかたですから」
 楽しげにそう答え、ゼロスは一歩前に歩み出た。
「それはともかく、リアさん以外を連れて行く気は僕にはありません」
「なぜだ」
「リアさん以外、誰一人として地下の状況―――というより、地下でどう行動すべきかを正しく把握している方がいないからです。そんな状態の皆さんを連れて行っても、それこそ足手まといなだけですからねぇ」
 もうこれ以上耐えられないとばかりに、アメリアが椅子を蹴倒して立ちあがった。涙目だった。
「もういいです! 父さんを叩き起こして道を聞くなり、たとえ不均衡でも地精道ベフィス・ブリングでも何でも使うなりして、自力でアセリアとユズハを助けに行きます !! 」
「フィリオネル殿下でもご存じないでしょう。地精道は、例え使っても地下空間まではたどりつけませんよ。言い忘れてましたが、あそこは完全に外部と切り離された空間です。空間を渡らない限り、行けません」
「…………っ! …………!」
「アメリア!」
 ゼルガディスがその頭を抱きこんで、何事かを囁いた。アメリアは激しく首をふる。
「アメリアさん。あたしが、必ず助けてきます」
 静かな声が部屋に響いた。
「だから、待っててください」
 ゼルガディスの胸に顔を埋めたまま肩をふるわせているアメリアの代わりに、彼女の夫のほうが無言でリアに向かって頷いた。
「ところで、ティルトさん。懐にあるものをちょっと拝借しますよ」
 不意に前触れなくゼロスの杖がひょいと動いた。
 ティルトの手から包みが独りでに宙に浮き、くるんであった布がほどけて落ちる。銀よりはわずかに鈍い輝きがこぼれ出た。ゼロスが何らかの力を働かせているらしく、中に浮いたまま落下しようとしない。
「何すんだよっ」
 ティルトの抗議を意に介することなく、ゼロスは二つのオリハルコンのうちひとつを手にとると、それを眺めて、ふむ、とうなずいた。
「ひとつはお返ししますよ。もうひとつは、リアさんがどうぞお持ちください」
 弧を描いて飛んできた金属塊を、姉弟がそれぞれ受け止める。
「何よコレ」
「見ての通りオリハルコンですよ」
 脈絡のない魔族の行動に、リアは眉間に皺を寄せた。自然の塊としてはやたら巨大だが、たしかにオリハルコンだ。
「返せよそれ、アセリアとユレイアへのお土産なんだから」
 度重なるティルトの抗議を、ゼロスは涼しい顔で無視しし続ける。
「魔力よけにどうぞ。結界に使用されているオリハルコンと同じものですから、ないよりはましでしょう」
「……なんだと?」
 ゼルガディスが聞き返した。
「どういう意味だ。いったいこの王宮の地下には何がある?」
「結界を維持する為の空間があるんですよ。それぐらいは話の流れから、もうご存じでしょう?」
 笑み含みに言われて、今度はゼルガディスのほうが頭に血をのぼらせた。
「貴様、いいかげんに………!」
「ストーップ。もういいかげんあんたたちの制止役はお役御免になりたいわ」
 頭痛をこらえるような表情でリナが再びセイルーン夫妻と魔族のあいだに割って入った。
「あんた、いつ頃から話を聞いていたの?」
「えーと、イルニーフェさんでしたっけ。セイルーンでオリハルコンは採れないの、のあたりからです」
「それで、答えは?」
「採りたくても採れません。セイルーンのオリハルコンは結界の要ですから。採ったら結界の魔力容量がそれだけ減ります」
「もうひとつ聞くわよ。うちの馬鹿タレがアレを拾ったのはカルマートなんだけど」
「でしょうね。セイルーン国内では鉱脈は表に出てきません。そういう魔法がかけられているようですよ?」
 アメリアが愕然として顔をあげた。
「そんなこと伝えられてなんか………」
「アメリアさんのご先祖さまが、結界のことを子孫に伝える気があったのかなかったのかまでは知りませんけど………」
 ゼロスは呆れた様子で片眉をあげてみせた。
「ほんとに何もご存じないんで?」
「知りません」
 もはや開き直りに近い様子で、アメリアはきっぱりと言い切った。
「知ってたら、あなたを無視して動くに決まってるじゃないですか」
「それもそうですね、あっはっは」
 今度は椅子が飛んだ。これは避けると背後の窓が大惨事を起こすので、ゼロスは片手で受けとめる。
 投げつけたアメリアはそれで胸のつかえがとれたのか、いくぶん立ち直った様子でゼルガディスから離れ、魔族と相対した。
「もういいです。早く行ってアセリアとユズハを助けてきてください。お願いします。クーン」
「わかりました」
 いささか気圧されたように頷いて、リアはゼロスの前に立った。
 ゼロスがふわりと笑う。
「帰りまで僕は責任持てませんよ?」
「ユズハがいるわ」
「そこまでわかっておいでなら、安心して放り出せます。ではどうぞ、お手を」
 しかしそこでリアは、しばらく凝然として動けずにいた。
「どうかしましたか?」
「………何でもないわ」
 ゼロスを見、その手を見、彼女は押し殺した声でそう言った。
 魔力に満ちた空間に行く前に、既にこの時点から賭は始まっていた。
 獣神官ゼロス。獣王の第一の配下。獣王は魔王直属の部下。あまりにも近すぎる。
 この間は幸運にも気づかれずにいた。気づいていたなら、いまこの場でのゼロスの反応自体が、こうして自分をからかうようなものになってはいないだろう。
 リアは内心の怖れを押し隠し、ゆっくりと魔族に向かって手を伸ばした。緊張に指先が冷たい。
(気づくな)
(めざめるな)
 指なしの手袋に包まれた右手ではなく、ごく普通の革手袋をはめた左手を差し伸べたのは、素肌で触れることすら怖かったからだ。爪が白くなるほど、空いた右の手を握りこむ。
(そのまま、母さんそっくりの遊べる人間だと思いこんでいなさい)
(そのまま、近しい魔の気配に気づくことなく眠っていなさい)
 ここにいるゼロスは、外見だけのはりぼてのようなものだと、彼自らがそう言った。
 だから、だいじょうぶだ。気づかない。めざめない。
 ゼロスの手が、リアの手をとる。
 瞬間、リアは固く身を強ばらせた。
(気づかないで。ゼロス)
(めざめないで。あたしのなかの………赤い、闇)
 一瞬が無限の長さに思われた。
「―――では、行きましょうか」
 リアは安堵の余りその場にへたりこみそうになるのを必死でこらえ、無言で頷いた。
 視界の端で、ティルトが唐突に立ちあがるのが見えたが、何を、と問う余裕もない。
「オレも行く!」
「却下」
 姉は弟の言葉をあっさりと切って捨てた。
 いつもこうだ。三年も会わずにいれば互いに何か変わっているかと思ったが、何も変わっていなかった。やはり、と思いつつ、そのことがたまらなく哀しい。
(相変わらず、あたしは、あんたを―――)
 ふりきるように、リアは母親に視線を向けた。
 不安げな顔をするでもなく、笑うでもなく、リナは言う。
「いってらっしゃい。しくじるんじゃないわよ」
「わかってる。………この件が終わったら、ゆっくり聞かせてもらうから。母さんの青春・・・・・・
 リナが短くうめく。リアはゼロスを見た。
「連れてって。結界の中心部へ」
「仰せのままに」
「―――姉さん!」
「クーン姉上っ」
 リアの姿はゼロスと共にその場からかき消えた。
 沈黙が降り積もる。
 半ば呆然としかかった部屋の空気を打ち破ったのは、追いつめられたようなユレイアの声だった。
 唐突に立ちあがると、ほとんど泣き叫ぶようにして告げていた。
「私なら送り出せる! ティルト!」
「行く―――!」
 止める暇もあらばこそ。ティルトが横に置いてあった自分の剣をひっつかむと、ユレイアの手をとって駆けだした。
「待ちなさい! ユレイア、ティルト!」
 リナの制止の声を聞かずに、二人は部屋を飛び出していく。
 栗色の頭をかきむしって、リナが唸った。
「ああああああああああああああっ、もうっ! アメリアっ! あんた似すぎっ!」
 いまここで追いついてユレイアが魔道式を唱うのを妨げたところで、決意自体をひるがえさせることなど不可能だった。こうと決めたら梃子でも動かないあの頑固さは絶対に母親似だ。それがわかるから、丸腰で動けないリナとしては頭を抱えるしかない事態だった。
 思わずといった様子で親友からその名を呼ばれ、アメリアは涙の跡の残る頬を拭って嘆息した。
「イヤですねもう。ほんと昔のわたしたちそっくりで。あんな胃の焼ききれそうなことを親の知らないところで平気でやってたんですから。でも目の前でやられるのと、どっちが親不孝だと思います?」
「どっちも。―――リアが先に行ってるわ。無事に帰ってくるでしょ。あたしたちの悪運も遺伝してるんならね。あたしたちはできることをするしかない」
 リナは椅子から立ちあがった。
「いったん家に戻るわ。装備取ってくる。………って、翔封界レイ・ウイングも使えないじゃないの! 今度から王宮に来る時は旅装のまんまこようかしら?」
 苦々しげに呟いて、リナは髪をかきあげた。
「あんたたちは魔法の使用を禁じるなりなんなりしてなさい。立場的にできないことも多いけど、できることも多いでしょ」
「馬を貸します。帰ってくるまでには抜刀許可及び王宮内の自由行動権を用意します。入り口がないなら見つけるまで! ゼルガディスさん、評議長と会長に魔法の使用禁止を徹底させる旨を―――」
「こういうことでしか動けないと言うのも嫌な話だな」
 嘆息してゼルガディスが扉に手をかける。
「ライティングと治癒魔法だけは使用を推進します。むしろばんばん使わせちゃってください―――わたしは着替えます」
 己のドレスの裾を引き裂かんばかりに睨んでから、アメリアは大股に歩き出した。
「要するに、継承問題もデーモンもオリハルコン鉱脈もこれで全部ひとまとめになったんですよね? まったく。これ以上何か起きるとわたしの頭のなかは飽和状態で停止します」
「いまをなんとかすれば後も何とかなるということさ」
 楽観的ともとれるガウリイの言に、わずかにアメリアは顔をほころばせた。
「ありがとうございます。ガウリイさん」
「おれは何もしてないぞ」
「いいえ、だからこそ、わたしたちなんですよ」
 この状況下でようやく笑う余裕を持てたアメリアは、動き出すために部屋から出て行った。