Ria and Yuzuha's story:Third birthday【Ultra soul】 収束編〔7〕
界を渡る。
精神世界面を介して物質界を移動するその行為が、どういう理屈でなりたっているのかは知らない。物質界に縛られた人間をも移動させられるところをみると、わりと融通が利く律ではあるらしい。
一瞬のことだ。
しかし、眩暈がするほど長くも感じる。
存在はどこに在る―――。
無意識に繰り返し問うていた。
突き詰めれば魔族は魔力だった。そして魔力は人間ですら持ちうる、世界に存在する力のひとつにしか過ぎなかった。分解していけばいくほど、ありふれたものとして置き換えられてしまうのに、魔族は魔族として世界に在る。一人として同じ魔族はいない。ゼロスという魔族はどこに在る。魔力の塊にしか過ぎないくせに、たしかに存在する個はどこに在る。
突き詰めれば人間はただの肉塊だった。死ねば土へと還っていく。人の数だけ同じ肉があり骨があり血が流れ、どれも同じ形で同じ質感を持った同じものなのに、一人として同じ人間はいない。リアという人間はどこに在る。頭蓋を断ち割って脳を引きずりだしたとしても、そこにリアという思考する人間が隠れているわけではないのに、たしかに存在する個はどこに在る―――。
突き詰めれば、ユズハはそこにいないも同然だった。ユズハという個性を持った意識はどこに生じた。精霊はユズハではない。邪妖精はユズハではない。人形の器はユズハではない。魔力はユズハではない。しかし全てが合わさったとき、なぜかユズハがここに在る。常に一定せず、変容し、在りようが変わっていくくせに、ユズハはユズハとして在り続ける。分解すれば塵も残らぬ。魔族よりもたやすく霧散するくせに、たしかにここに在るのはなぜだ。
ユズハという存在はどこに在る―――。
世界は鏡。そこに在って、ここに在って、相対して互いを映しだす。
映しだされたその像に、存在は己が存在するのを見るのだ。
世界が変われば、己も変わる。
己が変われば、世界も変わる。
それが存在だ。
それが魂だ。
(名前を呼ぶよ)
リアは囁く。
(ユズハはユズハだから、ユズハの名前を、あたしが呼ぶよ)
だから、何度でも。
呼ばれるたびに、生まれ変わればいい。
視界が爆発的に開け、リアはその地に立っていた。
Ria and Yuzuha's story :Third birthday
【Ultra soul】
広大な空間は銀色の光に満たされ、鈍く輝いていた。
頭上にあるはずの王宮区画がすっぽりと収まってしまいそうなほど果てのない空間が、柔らかな光を帯びている。
明かりは必要ではなかった。あたりはうっすらとした鈍い銀の闇だ。
「オリハルコン………」
巨大な洞窟めいた天蓋を持つ空間の足元から始まり、壁面、天井に至るまで。
そんな場合ではないと知りつつも、リアは思わず呟いてしまった。
「母さんが知ったら、大騒ぎするんじゃないかしら………?」
魔を封じる力を持つ希少金属。
呪文の干渉を受けづらく、外から来る魔力を跳ね返し、また内側に抱えこんだ魔力も遮断し、外に逃がさない。
白魔術都市で律を乱す不均衡な魔法が使用された場合、殺がれたその魔力は全てここへ流れこむ。そして、同じく王都内で正しく均衡を保つ魔法が唱えられた場合には、ここに溜めこまれていた魔力が増幅のために使用される。
そのためか天頂となるあたり、この空間で最も地上に近い部分にのみ、オリハルコンの輝きがなく、精緻な―――遠目からなのでそうとしか表現できない、魔道的な何かが施されているようだった。
いま現在、ちょうどその付近に浮遊しているもののせいで、よくはわからないのだが。
広大な空間に満たされている魔力は、回游しながらも、ある一定の法則に導かれるように最終的には一点に集束している。
すなわち、その物体に。
リアは見あげて呟いた。
「やっぱり、どこまでもあんたは勝手なのね」
紅燈色に透ける美しい玻璃の珠のようだった。空間を回游する魔力の流れに合わせて、ときおり球体の表面に言いしれぬ色彩の波紋が油膜のように揺らめく。
―――人間形すらとどめていない。
軽く嘆息して、リアはあたりを確認した。魔族の姿はどこにもない。宣言通り放りだしてくれたらしい。いられても結界に悪影響を与えるだけなので、いないにこしたことはないのだが。
地上にいた際には、意識することのなかった自分の呼吸が急に気になりだし、思わず唇に指先で触れたリアは、すぐにその原因に気づいた。
あまりにも濃密に渦巻く魔力。
まるで大気そのものが魔力と化してしまったような。酔いを通り越して毒となり、飲んだ者を死に至らしめる酒のような力。
それ自身、溢れすぎて苦しくて、器を求めて回游する。
皮膚の上を滑り、器に値するのかどうかを見定めているような対流に、リアは知らず己の腕をきつくつかんでいた。
「ダメよ」
子どもをなだめるように笑ってみせる。
「だれにもあげない」
この身は器となりえない―――既に、それ以上のものが宿ってしまっているのだから。
触発されて疼きそうなそれを抑えこみながら、リアは視線を巡らせた。
空間全体が脈動していた。軋むような音が天蓋を揺らし、反響して耳に残る。
己の懐にあるものも、それに同調してほのかに脈をうっている。
ここに来る直前、ゼロスから渡されたそれを取り出し、リアは眉をひそめた。それから再び、視線を周囲に巡らせる。
「膨張してる………?」
正確に言うなら、成長しているのだ。内側に溜めこんだ魔力を抑えるに足る魔封の金属の量を自ら確保すべく、無理な成長を続けている。
ここを中心に放射状に、地を貫き、枝状に広がり、果ては弟がこれを拾ったという遙かカルマートまで。何万年もかけて遂げるべき成長を、わずか二十年ほどで。
ゼロスと己が来る前に、母親たちによって何が話されていたかを知る暇がなかったリアには、マラードの鉱脈のことはまでは知りようがなかったが、それを知らずとも無理を重ねてきた鉱脈に遠からず限界が来るのは明白だった。
否、それは既に来ているのだ。
だからユズハがここにいるわけで。
崖っぷちで今にも落ちそうになりながら均衡をとっていた岩の、最後のダメ押しをしたのがユズハだとはいえ、何ともタイミングの悪い話だ。
要は、母親が崖っぷちまで岩を押しあげなければよかったわけなのだから。
そういう解釈をしてしまうと、いま現在やっていることは、両親とその友人たちの物語の続きということになってしまう。
本のなかのように物語が終わった時点で時間軸がぶった切られてしまうわけではない以上、それが当たり前なのだけれど。
(なんか、悔しいわね………)
ちらりとそう思い、リアは苦笑した。
旅立ってから三年。半島中、どこに行っても稀代の魔道士として、またとんでもない災厄者として母親の名前は知れ渡っていた。
旅立つ前はまさかこれほどとは思わなかったので、なかば呆れたが、同時に強く好奇心がわいた。
母は自分ぐらいの歳には、何をしていたのだろう。既に父と出会っていたはずだ。父の話は破天荒な母親の影に隠れてはいたけれど、寄り添うようにしっかりと各地に残っていた。
セイルーンに帰ったら訪ねよう、と思っていた矢先に、話には聞いていただけの高位魔族の登場である。もう何をいわんかや。
親の因果が子に巡り―――とは絶対認めたくないが。
絡みあうような因果の糸。原因と結果があり、結果がまた新たな原因となって結果を生む。
ひとつの糸がもつれてしまえば後は致命的だ。よじれ、ふくれあがって行き着くところまで行き着かねばおさまらない。
セイルーンに結界があったから悪いのか。母がここで禁呪を使ったことが悪いのか。アメリア王女がユズハと出会ったことが悪いのか。ユレイアに歌の才があったことが悪いのか。
建国時の宮廷魔道士はよかれと思って結界を造っただけだし、母は仲間を助けたかっただけだった。アメリア王女は出逢いを大切に愛しんだだけだし、ユレイアは単にそう生まれついただけだった。
すべてはなるべくしてなった偶然にしかすぎないのに。
それなのに、結界から魔力が溢れだす。
リアは頭上をふり仰いだ。
朱金の繭のさらにその内側。眠っているような丸い影がある。衣の裾とおぼしきひらひらした影が、ときおり立ちのぼるように揺らめいていた。
こんな強い魔力にさらされて。
ユズハが守っているとはいえ、
「いまいちツメが甘いところがあるからなあ」
仮にそうだった場合、ツメが甘いということにすら気づいていない甘さ具合であるので、非常に心配だ。もっとも、守るとユズハが決めた以上、守り通すだろう。己の限界が来るまで。なりふりかまわず。
だからこそ勝手なのだが。
ユズハは、自分のことを自分の名前で呼ぶ。
何度も確認するように自分の名前を繰りかえすユズハを見ていると、自分自身という存在をその音の枠のなかに、懸命にはめこもうとしているかのようだった。
きっとユズハにとって、名前は枠のようなものなのだろう。枠から他人を眺めたとき、その枠は窓となる。
だから、名前は窓のようなものなのだろう。
クーンという名の窓を通して、定義される自分。ユズハという、たった三つの音の連なりを何より大切に抱きしめているユズハ。
ユズハにとって、自分がユズハであるというその認識が―――つまり名前の存在がどれほど大事なことかリアにはわかっていた。
共にいるうちに、何となく肌で感じとっていた。
信じるとしたらそこだった。
賭けるとしたら―――いや、既に賭はもう始まっているが―――そこだった。
名を呼ぶためにここに来た。精霊でなくともユズハはユズハ。そう言ったのはユズハ自身。だから、魔力に侵食されて融けかかってるユズハをユズハとして定義するためにここに来た。
名前を呼べば―――。
しかしリアは強く首をふって、唇を噛んだ。
目覚める瞬間は、魔力に対する防御がもっとも薄くなる瞬間でもある。呼ぶ一瞬を過っただけで、救うどころか逆に殺すことになりかねない。
いつ、呼べば―――。
機を逸してしまったらと考えるだけで目が眩みそうだ。
焦燥に駆られながら、リアは待ち続ける。
まだだ。
まだ呼べない。
契機は、まだだ。
王宮内は一定間隔に炎の灯りとライティングがともり、遠目にも綺麗に明るく、そしてより闇を濃くして影を揺らめかす。
季節は一日一日と夏へと近づく。回廊を走り抜ける自分の体に熱と、それを持ち去って後ろへと流れゆく夏の夜気を感じとった。首筋と腕にまつわりつく髪がべたつく。
どうしていつものように結んでいないんだろうと、ぼんやりと考え、すぐにユレイアはことの経過に気づいて唇を噛んだ。
うたた寝していて、髪はほどいたままで。そこをアセリアに起こされて、口喧嘩して、カッとなって叩いてしまって、それから。
それから―――。
いまこうして走っている足下から、奈落に落ちていきそうな心地がする。
ユレイアは強く首をふって、その影をふり払った。
「………私のせいだけど、私のせいじゃない」
「うん」
先刻、言われたばかりの言葉をそのまま繰り返すユレイアに、傍らを走るその言葉を言った当人が頷いた。
「私がそうしたんなら、また別に何とかすることもできるはず。それだけの力が私にはある」
「うん」
もう一度うなずき、ティルトは言った。
「オレはそう言った」
回廊が分岐しているところまで出た。
ユレイアは立ち止まる。ティルトも立ち止まった。
いいかげん髪をまとめようと思い、どこかに紐はないかとユレイアが自分の体をさぐっておたついていると、ティルトが剣の鞘に巻きつけていた革紐を差し出してくれた。ありがたく受け取って適当に髪をくくる。
自分の荒い呼吸の音が耳障りだった。そして、その呼吸の音まで音階がわかってしまう自分に改めて気づき、自嘲しようとして思いとどまった。
少し奇妙に顔がゆがんでしまったかもしれない。大きく息を吸って、吐く。
―――嗤うだけなら、いつでもできる。
いまは嘲笑う自分のこの耳と喉が必要だった。どうしても。
そして多分、必要とするこの事が成せれば、もう自分は嗤ったりしない。きっと胸を張って声を張りあげて、自分自身を歌える。―――歌う、から。
ユレイアはティルトを見つめ、枝分かれする回廊のひとつを指さした。
「ここから、聖堂に行ける。ティルは聖堂に立っていてほしい。私がもう一度、結界に穴をあける」
枝分かれする回廊にともる灯りが射しこんで、幾方向にも、幾重にも、自分たちに影を作る。まるで影の数だけ岐路があるかのようだ。
「私が、私の歌が、ティルを結界のなかに送りこむ。だから、ティルはクーン姉上を手伝って、アセリアを助けてほしい」
「アセリアとユレイアはオレが護る。そう約束しただろ」
何の屈託もなく言われたその言葉に少し泣きそうになりながら頷いて、ユレイアは踵を返した。
互いに背を向けて走りだす。それは正しく共闘だった。
影の数だけあった岐路はもはや、跡形もない。