Ria and Yuzuha's story:Third birthday【Ultra soul】 セイルーン編〔1〕
初夏の陽光に、白い石材をふんだんに用いた王宮が、まぶしいほどに浮きあがって見える。
自室に向かう回廊をアセリアはずいぶんな勢いで歩いていた。
母親に似た短い黒髪がぱたぱたと跳ねて落ちて、そのたびに艶やかな光輪の位置がめまぐるしく変わる。
走らないのは、さすがにいまの自分の格好に自覚があったからだったが、走らなくても衣裳に対する仕打ちはあまり変わらないかもしれない。
昆虫の翅のような張りのあるごく薄い紗を贅沢に使ったドレス。王孫であるアセリアの身分上、布の量をケチって仕立てたりしない。幾重もの裾が動きにあわせて軽やかに揺れる。
どう見ても激しい動きに耐えられるような代物ではないのだが、いま現在それは内側から蹴り飛ばすように交互に突き出される爪先のおかげで、かわるがわる跳ねあがっていた。
さっくりと織られた淡い生地のため、下に重ねたサテンのドレスが、こちらも交互にピンと突っ張るのがはっきりとわかる。
ふんわりふくらんだ袖口を結ぶ薄紅のリボンが、後ろのほうへひらりと二筋、なびいていた。
―――今日はたまたま、双子の姉妹であるユレイアのほうも、同じ色のリボンを髪にしていた。
滅多にないことだった。
そっくり同じ顔をした自分たちに、同じ型の服を着せるようなことを両親が嫌ったため、それぞれ着たいものを着るようにした結果、自分とユレイアの好みの違いは、はっきりとしたものになっているからだ。
自分の髪は短いが、ユレイアは長く伸ばして、ひとつにまとめたり編んだり色々だ。
小さい頃はユレイアの方が外向的で、自分の方が人見知りが激しかったが、いまでは自分の方が初対面の人物に対しても物怖じしない。
今日のリボンは、ほんのささいな偶然だろう。
ならば今日、祖父である国王の前での発言が重なったことも、そういった偶然なのだろうか。
思い出すと、彼女は再び腹が立ってきた。
白い頬は紅潮して、怒りのあまり、氷蒼色の双眸がきらめいている。
―――最悪だ。
(バカです。バカだわ。おたんこなす。考え知らず!)
心のなかであらんかぎりの悪態をつく彼女の剣幕に、すれ違う王宮の者たちが驚いた表情で道を譲るが、それにはいっこうに気づかなかった。
頭のなかでは自分と同じ顔をした双子の姉妹に、あらん限りの罵倒の言葉を並べ立てている。
信じられない。あんなに性格が悪いなんて思いもしなかった! あんなに頭が悪いなんて!
(もうあんな人知りません。勝手に花園の歌姫をやっていればいいんだわ)
ひそかにそう呼ばれているもう一人のことを思って、アセリアは唇を噛んだ。
―――違う。
花園の歌姫をやってくれないから、自分は怒っているのだ。
ドレスの裾をはね散らかすようにして自室まで帰り着くと、アセリアは鏡の前で己の姿を見聞した。
全く同じ顔をした別の存在を彼女は知っている。
自分の薄青とは違って、母と同じ夜空の濃紺をした目。幼い頃はあまり変わらない瞳の色だったが、成長するに従ってはっきりと色を違えてきた。
顎の輪郭もわずかだが違う。これは多分、声を使う頻度が違うせいだろう。あっちは暇さえあれば歌を唱っている。
おかげで声も微妙に違う。質は一緒だが、音の出し方が根本から違うのだ。
身長は向こうの方がわずかに高い。これは自分が牛乳と小魚が嫌いなせいだ。ただし向こうは肉類が嫌いだ。
しかし細かな違いはあちこちにあっても、一見しただけでは鏡で映したように二人はそっくりだった。
ついさっきまでは、ケンカをするなど思ってもみなかった相手。
双子の姉妹。ユレイア=エディ=アルト=セイルーン。
「まったくもう……!」
アセリアは鏡の中の虚像に向かって、憤然と当たり散らした。
「―――継承権はわたしのものだって言ってるじゃないですかっ!!」
ケンカなど数え切れないほどしてきたし、そのたびに仲直りをしてきた相手ではあったが、今回はどうなるのか、アセリアにも予想がつかなかった。
事の起こりは、彼女たちの母親であるアメリア王女の継承権が繰りあがることだった。
アメリア王女は現国王の次女であり、いままで第二位の継承権を持っていたのだが、ついこのあいだ、双子たちにとっては伯母にあたる長女―――グレイシア王女が継承権の放棄を明言したため、繰りあがりが決定した。
アセリアは伯母なる人物に一度も会ったことがなかった。
それはユレイアも同様で、数年前に母親の継承権の順位に疑問を持って問うたときまで、二人は自分たちに伯母がいたことさえ知らなかったほどである。聞けば、双子が生まれるより遙か以前に王宮を出奔したきり帰ってこないというので、知らないのもうなずける話ではあった。
王族一同が揃う朝食の席で繰りあがりのことを聞かされ、その日のうちにアセリア、ユレイアともに祖父から呼ばれた。
指定された部屋は大きめの部屋で、普段は近づいたことのない、政が行われている一角だったから、重臣たちに今回、母親の継承権が繰りあがることを通達するのだろうと思われた。
それにともなって、自分たちが決断を迫られるだろうことも、うすうす感づいてはいた。
現在のアセリアの継承権は第三位。
そしてユレイアの継承権も第三位。
ありえるはずのない、継承順位の並立だった。
これは自分たちが双子なため、またどちらが姉なのか不確定なためだった。
一般的に、王族に双子が生まれるとろくなことにならない。その誕生とともに継承権の問題がからんでくるからだ。古来から、王家の双子はどちらかを里子に出したり廃嫡することで継承権の一本化をはかってきていたが、これを一蹴したのがアメリア王女だった。
二人とも手元で育てると宣言し、双子に序列がつけられるかと継承権を同列に置いた。継承順位をつける意味合いがなくなるとさんざん反対されたが、頑として聞き入れず、結局わがままが押し通った。
双子に与えられる継承権が三位で、実際に同順位による問題が起きるにはまだ時間があること。双子が成長してから、正式に継承権の順位を定めるとアメリア王女が明言したこと。また、弟として王子が生まれてくる可能性があることから実現した非常識だった。セイルーンでは女児にも継承権が認められているが、男児がいる場合はそちらを優先するよう定められているからだ。
しかし双子の弟妹が誕生する気配は、いまのところない。
赴いた先の部屋で、アセリアとユレイアはどちらが空位となった第二位の継承権を受け継ぐのか、居並ぶ両親と重臣たちの前で、祖父から直接問われた。
それはつまり、二人のうちのどちらが次の次の王になるかということだった。
このことに関しては、双子のあいだで話題として出たことはあったが、明確な結論は出ていなかったし、ここ最近では互いにそれを問うこともなかった。
(おうさまって、ひとりですよね?)
(普通はそうね)
幼い頃、まだ城にいたイルニーフェと交わした会話をふと思い出す。
ちらりと隣りのユレイアに視線を奔らせると、向こうもそうしていたらしく、互いの視線がからんだ。
「別にいますぐに決める必要はない」
悩んでいると見てとったのか、祖父が優しい口調でそう言った。
「式典を催す一ヶ月後までに決めてくれればよいのだ。両親とも相談し、二人でよく話し合って―――」
『いいえ』
二人の声がそっくり重なった。
成り行きを見守っていたアメリアとゼルガディスが目をみはる。重臣たちもざわついた。
何より、声が重なったことに驚いたのは双子自身で、思わず再び顔を見合わせると、同じように祖父であるフィリオネルに向き直った。
次の言葉もまたそっくり一緒だった。
『 継承権は私が継ぎます 』
愕然として、双子は互いの顔を見た―――。
息を呑む気配がそこかしこで起きた。
「ちょっと、ユレイア―――」
「アセリアこそ、どういうつもりなんだ?」
独特の固い口調で問われて、アセリアはかちんときた。
「どうって、言ったとおりよ。継承権はわたしが継ぐわ」
ユレイアもムッとした表情で言い返した。
「それはこっちのせりふだ」
思わぬ展開にだれも幼い双子の王女の会話に口をはさめない。
互いに譲らず、口論が口ゲンカに発展するまでそう長い時間はかからなかった。
アセリアのほうが先に部屋を辞してきてしまったので、そのあとどうなったのかは知らない。
ただ、ユレイアはまたいつもの場所に行って歌うんだろうな、とだけ思った。
白亜の王宮にさみどりの緑陰。ちらちら踊る木漏れ日は、ためいきをつきたくなるほど鮮やかだ。
初夏はセイルーンがいちばん美しい季節だとユレイアは思ったが、春になっても、雪の頃になっても、それぞれその時期がいちばんだと思い直すこともわかっていた。
敷石を踏んでどんどん奥へ進んでいくと、やがて足下は黒土と苔に変わった。空は切りとられてわずかに覗くだけ。緑のトンネルが頭上を覆い、無数の光の筋がユレイアの腕や足をまだらに染めた。
ひらひらと視界のはしを横切っていく薄紅の影は何だろうと思い、それが自分の髪に結んだリボンであることに気がついた。
手のひらにからめとって、同じ色を自分の姉妹の袖口に見出したことを思いだした。
珍しいこともあったものだと、ふっと笑った。
そっくりの顔をしていながら誰も間違えるものがいないくらい、自分たちの趣味は違っているのだ。
たびたびそのことでケンカもした。
大理石だらけで申し訳程度の前栽と芝だけがある本宮の周囲に、埋め合わせとばかりにここのような森や泉がいくつも配置されているのを知ったのも、いつだったかケンカして雪のなかを歩いていたときだった。
よく旅に出るティルトの話では、セイルーンのこの中央区画は緑色の六角形に見えるのだという。ユレイアにとってのいつもの場所も、それを構成する一角なのだろう。
そしてこの場所も、それぞれの季節がもっとも美しい―――
ぱっと視界が開けた。
小径を抜けた先は木立に囲まれた開けた空間で、おそらく建国当初にひかれただろう水の流れが、いまでは立派な小川となってそこを横切っていた。
ユレイアはいつもの場所までくると、腰をおろした。
ぐるりとこの場所とり囲む木々のおかげで、どこを向いても緑以外の何も見えない。ふとすると王宮のなかにある森であることすら忘れてしまいそうなほど、周囲から孤立した空間だった。
小川のすぐ傍に一本だけある古い大木の傍が、ユレイアの定位置だった。建国当初からここで時を刻み続けてきたらしく、根元には大きなうろが口を開けている。
ユレイアにとっては大事な場所だった。
そこに膝を抱えて座りこみ、ユレイアは顎をこつんと膝にのっけた。
「………私がなると言っているのに」
呟いて、ユレイアは目を閉じた。
さわさわと葉擦れの音がする。
肌に感じる風に応じて、鳴ったりやんだりを繰り返した。ときおり栗鼠や鳥が梢を揺らす音が不規則に加わり、鳥のさえずりがそこに添う。
目の前の流れはゆるやかだったが、ときどきぱしゃりと何かが跳ねる音がした。
しばらくユレイアは黙ってそれを聞いていた。
やがてそこにそっとすべりこむように、旋律を口ずさみはじめる。
とけこむような旋律は知らず忍び寄る誘惑だ。
何気なく耳に入ってくる世界の音と融和して、気づいたときには抗えなくなっている。
自分の歌は、たくさんの楽器との唱和に次いで、鼻歌が危険なのだと言われる。困ったことに自覚がない。
ただ、無意識のうちに周囲の音に声をあわせてしまうのだ。普通に会話をしているときでも、同じ歌をそれぞれ違う場所で唱う時にも、全部。そうしないと不協和音に我慢がならない。楽器の場合も同様で、他人には同じ高さに聞こえていても、ユレイアにとってはそのときごとに全部調律が違って聞こえるので、自分の声をそちらのほうに合わせてしまう。
歌もどちらかというと歌詞がなくて、旋律を追うだけのものがいい。そして、あらかじめ作られた曲よりも、周囲に合わせて好きなように音を紡ぐ即興のほうが好きだった。
目を閉じて歌えば、自分が世界に融けていくような気がする―――だから鼻歌がいちばん危険だと言われるのかもしれなかったが。
しばらく気ままに歌を紡いでいたユレイアだったが、やがて言葉を持って唱いだした。
その魂を知らずして 誰が汝を言問うだろう
流す涙を知らずして いかに運命を背負わんと
空間に声が満ちる。
辺りを払い、響き渡り、振るわせて空に駆けのぼっていく。
対なる鏡に照らされし 汝がかげは昏けれど
かげは光となりぬれば 清かに汝に添うだろう
静かに汝に添うだろう
汝が知るは 汝が真実
「汝が知らぬは、汝が世界………」
最後の旋律が森に消える。
音を追うかのように、しばらくたたずんでいたユレイアは、突然だんッと地面を踏みならした。
「継承権は私のものだと言ってるだろう! あンの馬鹿セア!」
歯噛みして、彼女は王宮のほうをふり仰いだ。
両親の心痛が思いやられたが、こればかりは譲れなかった。