Ria and Yuzuha's story:Third birthday【Ultra soul】 セイルーン編〔3〕
唖然としている魔道士協会評議長、僧侶連盟会長、副神殿長に娘の非礼を詫び、前言を撤回して帰らせてから、アメリアは場所を執務室に移した。
はっきりいって、仕事は山積みなのだ。
仕事の合間に読んでいた王室典範をさり気なく二人の視界の範囲からはずし、侍従を下がらせる。
未決済と決済済みの書類のタケノコあいだに両肘をついてから、アメリアはようやく話を促した。
「はい。御用をどうぞ」
「どうして客室でくらさなければいけないんですか。わたしの部屋はちゃんと別にあります!」
いままで来客が帰るのを、じりじりしながら待っていたアセリアが噛みつくように申し立てる。
もともと自室にいた彼女は、女官長にいきなり部屋を移るように言われて自室を追い出された。猫を抱えて、言われるがままに向かった先が、ケンカしたばかりのユレイアとの続き部屋であることに仰天して、そのままその足で母親のもとに抗議にきたのだ。
アメリアは即答せず、アセリアの隣りに立っているユレイアに視線を移す。
「ユレイアは何の用事ですか?」
「私もアセリアと同じです。どうして、リナさんたちが来たときに使う部屋でアセリアと一緒に暮らさなければならないんですか。私の部屋は別にちゃんとあります」
二人の自室は、互いにそう離れたところにあるわけではない。隣り同士というわけではないが、普段から人や物が行き交っているくらいには近所だ。
別々に部屋がある以上、互いの生活は独立しているわけだが、食事は王族全員でとるのが慣例だったし、たいていの授業も二人一緒に受けるから、重なっている部分も多い。
もちろん一人の時間というのもあり、それを確保しているのが個別の部屋なのだったが、今回、母親がそれを無効としてきたのだ。
アセリアと比べて淡々と抗議しているユレイアだったが、内心の憤慨は大きかった。
彼女の自室は、書斎を兼ねた専用の音楽室と隣接しており、動かせない据え付けの楽器が数多くある。自室に戻れないとなると、それらが使用不可能だった。
普段は朗らかな母親は、にべもなかった。
「当分のあいだ、自分の部屋に戻ってはダメです。二人で暮らしてください」
「どうしてです」
「いつまでそうしていればいいんですか」
アメリアは組んだ手の甲に顎をのせて、自分の娘たちを上目遣いに見あげた。
少し、含みのある目だった。
「仲直りするまでです」
「なんでですっ!?」
アセリアが悲鳴のような声をあげた。ユレイアが隣りでそれにうなずいて不服の意を示す。
「どうしてケンカしたら、一緒に暮らさないといけないんです」
双子の抗議を受けて、その母親はにっこりと笑った。
「話し合う時間が増えるでしょう?」
笑顔の怖さに、双子は思わず黙りこむ。
「とにかく、ちゃんと話し合って決めるまで、あそこで一緒に暮らしてください。公用でも私用でも、終わったら自室じゃなくてあそこに戻ること。自室から必要なものを持ち出すのは自由です。だけどいつも部屋でしていることは、あそこでしてください」
「………横暴です」
静かに怒った声でユレイアが母親に抗議した。
本当の理由を話す気のないアメリアは、わざと突き放した態度をとった。
「ダメと言ったらダメです。ゼルガディスさんに言ってもダメですよ」
「わかりました!」
アセリアが叫んで、きびすを返した。
「とにかくあそこで寝ればいいんですね! 自由時間を王宮のどこで過ごしても別にいいわけですし! 失礼しますッ」
扉が荒々しく開いて閉まる。それでも一級建築ゆえの静かな緩衝が効いて、開閉には音がない。
それを見送ったユレイアも無言で頭を下げたが、呼び止められてふり返った。
「何でしょう、母上」
何気ない言葉の端々まで音楽的に心地よい娘の問いに、アメリアは軽く目を細める。
「花園に歌を唱いに行く時に、見たことのない貴族が話しかけてきても無視してください。あ、見たことのある貴族でもダメですよ」
ユレイアはわけがわからず首を傾げたが、理由を問いただすより、怒りの方が深かった。
「………じゃあ花園の方には行かないことにします。失礼いたしました」
双子が立ち去って、侍従がおそるおそるアメリアのもとに戻ってきたが、アメリアは何事もなかったかのように中断された仕事を再開していた。
「もうちょっとしたら休憩しましょう。そうしたらわたしとあなたの分のお茶でも持ってきてくれませんか?」
「はい。わかりました」
「お願いしますね、ああ………まったくもう………」
その声音があまりに疲れを帯びていて、侍従は心秘かにどうしたものかと胸を痛める。
双子の王女がその継承権の順番において、互いに譲らず争っているという情報は、既に王宮内では知らぬ者のいない有り様になっている。
ここ二十年ほど王位継承の争いもなく、平穏な宮廷生活が営まれていただけに、やはりセイルーン、こうした争いは避けて通れぬ国なのか、といった慨嘆があちらこちらで起きていた。
また、普段あれほど仲のいい双子の王女がまだ子どもとはいえ、王位のことで争うなど、やはり血は争えぬ―――と言った声も聞こえる。
フィリオネルを始めとしたアメリアたち王族の耳にその声が入ってくることはないが、入るのも時間の問題。他にも、継承権が同列であることを問題視する声もある。どちらが姉かわからぬことを責める声も大きくはないが囁かれていた。
しかし無理に姉妹順を定めると、同じように母親の胎内にいた二人であり、歳も変わらないのに先に生まれたというだけでなぜ―――という確執が生まれるのもまた確かで、その点を気にしたアメリア王女の判断も、また間違ってはいないと侍従は思うのだ。
公式行事で名前を読みあげたりする際には、まさか二人の名前を同時に斉唱するわけにもいかず、公的文書にはアセリアが先に名前を記されることになっているが、これは名前の頭文字がアセリアのほうが若いからという、味も素っ気もない理由からだった。
継承権の優劣がつけば、もちろんこの順序にも変動が起きる。
王宮序列というのもなかなか大変なのである。
「ああもう、めんどくさい」
アメリアが嘆息して、それから思い出したように侍従に問うた。
「ゼルガディスさんは今日どういう予定でしたっけ?」
彼はその見識と判断力の高さを買われて、数年前から父王のほうの補佐にまわることが多く、たいていアメリアは一人だった。しかし今日ばかりは、その一人であることに気が滅入る。
執務をとる人物たちの予定把握は侍従にとって必須の事項だったので、すぐさま彼は答えようと口を開きかけた。
―――が、その当人の方が扉を開けて姿を現したので、結局、ゼルガディスの今日の公務の予定は音声変換されることなく終わった。
「ゼルガディスさあぁぁぁん」
すぐさまアメリアが相手に抱きつき、侍従は視線をあらぬ方向に逸らす。
「………そのいきなりおれ目がけて抱きついたり、飛び降りたりする癖はやめろ」
「飛び降りるなんて、ここ久しくやってないじゃないですか。そんなこと言うとまたやりますよ?」
「目方の推移をはかってもいいのか?」
「ああっ、ひどいですそれッ。ちょっと女性に対して許せない発言ですよッ」
叫んだ後で、アメリアはこつんと相手の肩を額をぶつけた。しばらくそうしたあとで、告げる。
「来ました。怒ってました」
「それはそうだろう。あとでおれのところにも来るかもしれんな」
「来ません。あなたに言ってもダメだって言っておきましたから」
ゼルガディスはひとつ嘆息した。
「気にいらんな」
「ごめんなさい」
アメリアが小さく舌を出した。
「抱きつくぐらいなら、おれのほうにもまわせ」
「まわした後でも抱きついていいですか?」
「却下。侍従が逃げるだろう」
退室しかけていた侍従が、慌てて背筋を伸ばして、壊れたように首を横にふった。
「じ、自分は書類を取りに行ってくるであります。決して逃げようとか、遠慮とか、そういうわけではっ」
「………ほんとか? まあ、いい。とりあえずこいつを借りていくぞ」
アメリアが困惑した表情でゼルガディスを見上げた。
「そういえば、あなた執務はどうしたんです?」
「フィルさんにお前を呼んでくるように言われた」
「そういうことは早く言ってください」
「言う前にお前が抱きついてきたんだろうが」
「甘いです。抱きついてきたときに言うんですよ」
ゼルガディスはくっと片眉をあげると、侍従が開けた扉へと体の向きを変えざま、一言。
「無粋だな」
「まあ」
アメリアは目を見張ると、侍従を見た。
「あなた、いまの聞きました?」
「いいえ、自分は何も聞いてないでありますっ」
「聞いててください。今日は雪が降るわ、きっと」
返答に困って立ちすくんだ侍従の横を抜けて、アメリアは夫の後に続いて執務室を後にした。
先を行く背中に追いつき横に並ぶと、前を見たまま告げる。
「ちょうどよかったです。わたしの方にも、父さんに奏上したいことがあったんです」
「別件か?」
「ええ、別件です。ついさっきまで会っていた客が持ちこんできた話なんです」
「なんだってこう次から次へと問題ばかりおきるんだ………」
うめいたゼルガディスの隣りで、アメリアは頬に手をあてた。
「こういうことを何て言うんでしたっけ。二度あることは三度ある?」
「違うだろう。多事多難、だ」
「うわあ、ぴったりで逆にイヤになりますね。もうちょっと小粋な言い回しはないですか?」
「小粋………?」
再びうめいて、ゼルガディスは沈黙した。
結局、何も思いつかなかった。
アメリアが父に呼ばれた理由は、彼女が執務を担当してる分野に関して欲しい情報があったためだったらしく、たいした時間もかからずに終わった。しかし、それからついでとばかりに三人で幾つかの慎重を要する懸案について話し合い、次の議会にかける予定のいちばん新しい問題に関して打ち合わせをし、ようやく一息ついたところで、やっとアメリアは結界の異常に関して報告できることになった。
お茶が運ばれたのち人払いがされたが、さらに風の結界をはったアメリアにゼルガディスとフィリオネルが驚く。
アメリアはアメリアで、たしかに微妙な手応えの違和感に顔をしかめた。
「おい、いったい誰が何を持ちこんできた」
「協会評議長と連盟会長と副神殿長がお揃いでです」
「なんだそれは?」
そうそうたる面子に絶句したゼルガディスの横で、フィリオネルが首をひねった。
「揃って、こちらに会いに来ているとは知らなんだ」
「最初からわたしを指名してきたようです。わたしが王族のなかでいちばん妥当な相手だったんでしょう」
フィリオネルは魔道に関する知識が少ない。ゼルガディスは立場的に、アメリアと比べて、面会し懸念を伝える相手としてのランクがひとつふたつ落ちる。
だから彼女だ。
途中で思わぬ闖入者に邪魔をされてしまったが。
「聞こう。あの三人が揃って述べに来るなど、ただごとではあるまい」
うながされて、アメリアは話し出そうとしたが、すぐに口をつぐんだ。
廊下のほうが何やら騒がしい。
また邪魔が入ってしまった。
怒号に近い命令の声やら制止やら、足音やらが入り乱れて、こちらに向かってくる。
(まさか武力行使じゃないでしょうね?)
よほど胡乱な顔をしていたのか、ゼルガディスが察して、ソファから立ち上がったところで勢いよく扉が開く。
慌てふためいた様子で入室してきたのはフィリオネル付きの侍従だった。
「何事だ」
「つい今し方、隔幻話による要請が………」
慌てている侍従の報告は、いまいち要領を得なかった。
話を中断されて、少々腹を立てていたアメリアは、小さく舌打ちする。
「どこの誰の何の要請が、いつもたらされたんですか、落ち着きなさい!」
小柄な第二王女に一喝されて、侍従は硬直し、急ぎすぎてどもりながらセイルーンの王都から北東の方角にある街と領主の名を報告した。
ゼフィーリア王国へと続く表街道が通る、大きな街だ。
「領内の村のひとつにデーモンが出没し、村人と討伐に向かった警備兵及び魔道士に何人かの死傷者が出たため、至急応援を請うと」
「領主の手持ちの兵では討伐しきれなかったということか?」
「ええと、それが………ここ何ヶ月か、ちらほら現れていたのでその都度、退治していたとのことですが、最近になって急に数と頻度が増えたため、とうとう対処しきれなくなったと………」
「嫌な情況ですね。まるで二十年前みたい」
二十代半ばの年齢と思しき侍従は何のことかわからず首を傾げたが、ゼルガディスとフィリオネルは表情を引き締めた。
アメリアが軽く首を傾げ、それから淀みなく言った。
「各部隊長に通達。軍の編成を行います。魔道士の割合、装備、その他、あらかじめ決めてある緊急事の規範の対デーモンの項に従ってください。父さん、それでいいですね?」
「うむ。人選は一任する」
セイルーンは必要最低限の軍しか持っていないため、少ない部隊であらゆる事態に対処できるように―――ひどい言い方をすれば、とことん使いまわせるように、かなり柔軟な機構をしている。最高責任者の指揮官もその都度、任命するようになっていた。
「待て、アメリア。おれにしろ。お前はいま話しかけたほうの厄介事があるだろう」
「わかりました。ではわたしの認証のもと、ゼルガディスさんに委任します。人選も任せます。壊滅の事態以外はわたしの名であなたが全ての処理を。―――父さん」
「承認しよう」
「聞いたとおりです。ではこの通達をしに行ってください」
「はい!」
侍従が勢いよくきびすを返し、ノブに手を伸ばしかけたとき、再び扉が開いた。
今度は疲労で顔色がどす黒くなった伝令兵が、別の侍従にともなわれて入ってくる。
「エスタルーンの街から領主の名において伝令です」
「………隔幻話がない街だな」
セイルーンから南東にある領土で、領内に目立った街道は通っておらず、ゆえにあまり発展していない。隔幻話がないのもそのせいだ。
果たして伝令兵が持ってきた報告は、隔幻話のものとほぼ同じだった。ただし、隔幻話ではなく、物理的に報告を持ちこんできた以上、エスタルーンのほうが応援を要請してから既に日にちが過ぎてしまっている。
「気にいらんな。かなり気にいらん」
顔をしかめ、不意にゼルガディスは沈黙した。
「―――エスタルーンとラムリア・シティの間にある隔幻話設備のある街すべてにデーモンの出没について問い合わせろ。ここまで報告がのぼってこないだけで他にもあるかもしれん」
「………一難去らずにまた一難」
アメリアが嘆息したが、ゼルガディスは同意している暇がなかった。
引き受けた以上、これは自分の可能な限り迅速な処理を待っている情況だった。
侍従と伝令兵と共に部屋を出て行きかけた彼の背中に、アメリアから声がかかる。
「こっちは勝手にやります。わたしと父さんの侍従から好きな者を好きなだけ借りていってください」
「わかった」
短いやりとりの後、ゼルガディスは出て行った。
アメリアは頭痛を覚えて、こめかみに指をあてた。
「父さん、ちょっと忙しくなりそうです」
「お前はいつも控え目だのう」
「何事も力一杯かつ、ほどほどにです。ああ、ちょっと困ったことになりそう………しばらくほっといてもだいじょうぶかしら」
デーモンの出没はまあ、過去にない事態ではない。あの異常発生の時期以前でも以後でも、魔道士が召喚したデーモンが野生化して里に下りてくるなどといった事件は、わりとよく起きている。いまのように応援を要請されたことも過去には何度かある。
しかし、他にも結界の不審な様子といった、セイルーン王宮の外での問題に加え、内部では継承権の引き継ぎの儀典にともなう対外的な交渉やら、使者のやりとりやら、アメリアの処理を待っている仕事は山のようにあった。
これからの予定のことを考えただけで頭痛を覚えるのも、無理もないことだった。
………そうそう。イルニーフェももうすぐ来る。彼女が侍従長だった時代が懐かしい。絶対いまより効率よく各自処理するだろう。リナたちが帰ってくれば、結界のことはごく内々で調査を依頼することもできるし………。
あとは。
問題が現在進行中の娘たちのことを思って、アメリアは溜め息をついた。