Ria and Yuzuha's story:Third birthday【Ultra soul】 セイルーン編〔6〕

 微睡みから、ゆるやかにユレイアは目を覚ました。
 明るかったはずの部屋は、うたた寝をしていたわずかの間に薄暗くなっていて、日が沈む時間が迫っているのがわかる。
 どうやら、寝転がってつらつら考え事をしているうちに、いつの間にか寝入ってしまったらしかった。
 音がする。
 ユレイアの目を覚まさせたのは、その音だった。
 ノックの音だった。夢うつつに聞いていたことから判断して、かなり延々と叩き続けている。怒ったような音だ。ユレイアが頭をふって目を覚まそうと試みている間に、音の出所は上から下に移動し、終いには名を呼び出した。
「ちょっと! ユレイア、いるんですかっ !? 鍵かけたまま、窓からどこかに唱いに行ったりしてませんよね !? 」
「してない! 蹴るな!」
 そう怒鳴り返し、ユレイアは手ぐしで髪を透きながら寝台から降りた。もつれたところに指がひっかかり、痛みに顔をしかめながら扉を開ける。
「………頼むから蹴らないでくれ」
「叩きすぎて手が痛くなったんです」
 平然とそう答えたアセリアは、ユレイアの流されるままの髪とむっつりした顔を見て、眉をひそめた。
「もしかして寝てたんですか?」
「………もしかしなくても、そうだ」
 事実を正直に答えたのだが、それを聞いたアセリアの、ひそめた眉のその片方が勢いよく跳ねあがった。
「よく寝てられますね? ニーフェ姉さまから怒られたんじゃなかったんですか?」
 ユレイアは憮然として問い返した。
「そういうアセリアこそ怒られたんだろう? それで、何の用なんだ?」
 素っ気なく言われ、思わず口元からでかかった罵詈雑言をアセリアはぐっと押し込めた。
 気が短いのは自分の欠点。そう言い聞かせながら、ユレイアを見据える。
「ニーフェ姉さまから宿題を出されましたよね、二つ」
「………ああ」
 アセリアが何を言い出す気でいるのかわからず、ユレイアは戸惑った。
「それが、どうしたんだ?」
「一緒に考えませんか?」
 今度こそ本気でユレイアは驚いた。アセリアと自分は確認するまでもなくケンカ中のはずだった。
 固い表情でアセリアは続けた。
「思うに、ニーフェ姉さまの宿題って、わたしたちのケンカに関係ありそうでないと思うんです」
 ツンとした口調に、ユレイアはカチンとくる。
 アセリアはこう言った口調が得意だ。昔から拗ねたときとか、少し意地悪なときとか、それはもう、こちらの神経を逆撫でするようなツンとした口調で話す。
 拗ねているときは可愛いと思うし、意地悪なときは心底、腹が立つ。
「どういう意味なんだ? ニーフェ姉上が関係ないことを言うはずがないだろう」
 助言しないと明言したイルニーフェが、たったひとつだけくれた助言だ。今回の自分たちのケンカの原因―――継承問題に関係ないはずがない。
 そう思ったユレイアに、
「だって、わたしたちがドレスを着ている理由がわかったって、わたしたちのどちらが王様になるか、直接決まるわけじゃないじゃないですか。どうして母さまが王位を継ぐのかも。いまわかったって仕方ありません」
「そんなわけないだろう」
 とりつく島もないユレイアに、アセリアの顔が険悪なものになった。
「じゃあ、言い直します。もし関係あったって、わたしには関係ないです」
「ニーフェ姉上がおっしゃったことを無視するつもりなのか?」
 ドンっ、と拳で扉が叩かれた。
「無視も何も、この問題に関わらないって言ったのはニーフェ姉さまのほうじゃないですか! だからニーフェ姉さまが言ったことも関係ないんです!」
 周りはどうあれ自分はひかない―――言外にそうはっきりと告げているアセリアの言葉に、ユレイアは青ざめた。
「宿題だけは関係があるに決まっているだろうっ。ニーフェ姉上がくれたただひとつの助言なんだぞ。無視して良い結果になるわけがない」
「なんでそうなるんです? 自分で答えを出した方がいいに決まってるじゃないですか」
「屁理屈を言うんじゃない。自分で答えを出すにしろ、周りの人の意見を聞かないで決めるなんて、ただのワガママだろう」
 素っ気なく返され、アセリアは腹が立った。
 ユレイアは昔からそうだ。落ち込んでいるときとか、怒ったときとか、普段からの淡々とした様子にさらに輪をかけて無愛想になる。淡々と正論を吐かれるから、落ち込んでいるときは痛々しく見えるし、怒ったときとかは猛然と腹が立つ。
 唇を引き結んで、アセリアは相手を睨みつけた。
「じゃあ、ユレイアと一緒に考える必要なんてありませんねっ。関係があるんなら、一緒に考えるだけムダですからっ!」
「なら、後で答え合わせだな」
 ふいっと視線を逸らしながら言われ、堪えてきたアセリアの堪忍袋の緒が、ぷつんと切れた。
 芯から怒らせると父親似と言われるだけあって、薄い色の瞳が冷ややかな艶を帯びる。
「では、次の話です」
 対するユレイアの瞳も鋭くきらめいた。こちらは怒らせると母親似と言われるが、こちらはもともと、あまり喜怒哀楽を表に出さない。
「私は譲らないぞ」
「それはわたしのセリフですッ」
 双方共に睨みあった。
 売り言葉に買い言葉で、どんどんやり取りする言葉が険悪なものになっていく。
「なんだってそんなに王様になりたいんです !? 」
「それはこっちが訊きたい」
「先に訊いたのはわたしですッ」
 ユレイアは固く口を引き結んだ。
「アセリアに話す必要はない。だから言わない」
「なんですか、それ !? 」
 ひどく傷ついて、反射的に怒鳴り返していた。両手で左右の扉の枠をつかむと、鼻の先が突くほどの距離に身を乗り出す。
 目の前にある、濃紺の瞳。
「わたしだって、ユレイアなんかに話す必要はありません。わたしはわたしで決めて王さまになるんです。ユレイアにはならせない」
 相手の氷蒼の双眸を見つめかえして、ユレイアが負けじと告げた。
「私だって私で決めた!」
「嘘つきッ」
 即座にそう否定され、ユレイアが一瞬、息を呑んだ。
「―――ッ、なんで嘘だなんて言えるんだ! アセリアのほうこそ、ちゃんと王様になれるかもわからないのに、勝手に決めつけて!」
「言いましたね………!」
 もはや、とどまることのできないところまで到達していた。このまま何らかの決着がつくまでこの会話は終わらない。
 いままでのように、黙りこんで睨みあって部屋に引きあげるだけにはとどまらない。
 坂道を、転がるように。
 そっくりな一対の顔が互いを視線で貫かんばかりに、睨む。
 これではいままでの口論と同じ結末になってしまう。
 二人とも内心で焦れたが、そうさせる相手の態度にまた腹が立ってくるのも事実だった。
 どうして、歩み寄れない。


 ―――どうして、わからないッ !?


 とうとうユレイアが癇癪を起こしたように叫んだ。
「アセリアに王様なんて仕事、できるわけがないだろう。偉そうに!」
「―――ッ!」
 頭の中が真っ白になった。
「何よ………ッ」
 気がつくと、言葉は唇から吐きだされていた。
「ユレイアこそ、歌えてればそれでいいんでしょ―――!」
 吐きだした瞬間、時間が止まったような錯覚を覚えた。
 己の言ったことで自分の頭を殴られたような気がした。
 違う。間違えた。
 そうじゃなくて。
 そういうことを言いたいんじゃなくて。
 顔を青ざめさせるより早く、頬が鳴った。遅れて熱と痛みがやってくる。
 叩かれたその衝撃で顔が横を向いても、アセリアは自分が叩かれたと認識できなかった―――そう理解するよりも早く、視界に飛び込んできたものがある。
「叩いた………ごめん………」
 顔を伏せたまま、口早に小さくそう言うと、ユレイアが体当たるようにして脇を走り抜けた。その軽い足音。背後で扉の音がする。
 アセリアは呆然と、頬を押さえて座りこんだ。ようやく叩かれた事実を把握する。
 化粧板を敷き詰めた床に、落ちた雫。
 ―――自分のものじゃない。
「………ッ」
 そのまま、うずくまって両手で顔を覆う。
「イヤ……っ、もうイヤ。違う、違う………ッ!」
 このまま消えてなくなりたかった。


  『―――最低』
     『―――最低だ』


 泣いている自分のずるさにどうしようもなく腹が立った。
 部屋を飛び出してしまった以上、自分には居場所がなくて、かといって日の傾きかけたいまから花園に行くわけにもいかなくて、ユレイアは戻ることを禁じられている自室に飛びこんだ。
 扉を閉めて鍵をかけて、背にしてそのままずるずると座りこむ。
「ごめん。アセリア、ごめん………!」
 叩いた手が痺れるように痛く、熱を持って責める。
 泣くつもりも、叩くつもりもなかった。
 カーテンの閉められた灯りのない部屋は、ものの輪郭が曖昧にとけかかっている。
 泣きながらユレイアは立ちあがった。泣きたいわけじゃないのに、嗚咽がこぼれてとまらない。からむ黒髪が気持ちが悪い。
 今頃アセリアが自分自身を責めていることを思うと、泣いた自分のずるさにどうしようもない嫌悪感を覚えた。
 本当は、泣く資格も叩く資格も自分にはない。
 アセリアの言ったことは間違ってなどいない。
「歌えれば、確かに私はそれでいいんだ―――」
 そう思っている部分が、確かにある。
 それが許せなかった。
「アセリアこそ、泣いていいんだ。私を叩いていいんだ………ッ」
 歌うことしかできない嘘つきだから。
 優しくなんか、しなくていい。