時の旋律 断章―贖罪―
街の住人すべてが異形と化してしまった―――
それを聞いて、アメリアが駆けつけたときにはすべては終わっていた。
否、終わるところだった。
すべての元凶たる異形と化した姉を、少女が抱きしめる。その身を姉が持つ黒い剣がつらぬいた。禍々しい、負の力が宿った剣。
力を失った少女の体がずるりとすべり落ち、大地へと転がる。投げ出された小さな手は動かない。
鮮やかな真紅が大地にひろがり、少女の金髪を赤く染めていく。
異形の姉のその漆黒の肢体に、徐々に感情のふるえがはしる。ぎこちない手が剣をもう一度ふりあげて、いやいやをするように小さく首をふった。
異形と化していたその体と剣の間に、ひずみが生まれ、痛みがはしり―――
―――アメリアがふり抜いた採魂の大鎌が、黒の女神を二つに断ち割っていた。
虚空にたたずむ姉は、目の前の少女に対して静かに首をふった。
少女が告げたことに対しての、それは返答だった。
「私にそんな資格などありません。冥府の責め苦が私には待っています」
彼女の目の前の少女も、必死の面もちで首をふる。
「一度、人であることを止めてしまったあなたは輪廻の輪へ戻れません。私と一緒に神界へ来てください。でないとあなたは冥府に連れて行かれてしまいます。そんなこと私は見過ごせません」
「いいえ」
頑なに彼女は首をふった。長い銀色の髪がそれにあわせて、さらさらと動く。
「これは私への罰なのです」
「違います!」
少女が叫んだ。闇のなか、またたく濃紺の瞳に、怒りの色を浮かべて。
「冥府の者は罰を与えるために、非道を行っているんじゃないんです。彼らは自分たちの愉しみのために、人の魂をもてあそぶんです」
姉である女性はそっと目を伏せて、哀しく微笑んだ。
「それでもいいんです。私は、あの子まで手にかけてしまった………」
少女は言葉を返そうとしなかった。
すぐ傍まで近づいてきて、彼女の手をとる。
まるで幼子をあやすように、その手を揺らした。
その濃紺の瞳には、限りなく優しい光。
「彼女のためにも、神界へ来てください。あなたが冥府に逝ってしまったら、彼女をだれが救ってあげるんです?」
その言葉に、弾かれたように彼女は顔をあげた。
ふわりと目の前の戦乙女たる少女が笑う。金色の羽根兜は、彼女の神格の象徴。
死者を導く者。魂の死を救う者。
彼女に選ばれることは、逃れられない死を持つ自分たちにとって、無上の喜びであることも知っている。
だからこそ、こんな自分が神界へ行く資格はない。
欲望と感情に引きずられ、願うままに無数の命を奪った、自分には。
「魔族の手にかかって死んだ者は、定めの糸車が狂ってしまうんです。狂いが正され、正しく転生が行われるのは、はるか遠い未来になってしまうんです」
彼女が両手で顔をおおった。手にかけたのは他でもない自分自身。
赦されるはずがない。
不意に、戦乙女が彼女の目の前でそっと何かを包みこんだ。
そして開く。
開かれたその両手の中で淡い光の塊がゆるやかに明滅し、ゆっくりと少女の輪郭を取っていった。
彼女は目を見開いてそれを見つめる。
その頬には、すでに涙。
心の闇と痛みが癒され、融けて流れていく。
戦乙女が彼女に囁いた。
「だから、私と妹さんと一緒に、神界へ逝きましょう。妹さんが次に転生するまで傍にいてあげること。これが私に用意できる、あなたの償いです」
光の少女の伏せられていた瞳がゆるりと持ち上げられ、彼女の姿をとらえる。
淡い光に縁取られた、金色の髪に緑の瞳。
少女の手が彼女の手をつかんだ。花のように、その光の中で少女が微笑む。
「一緒に、行こう。ベル姉さん」
「アリア………!」
想いは声にならなかった。声にする必要などなかった。
アメリアは両手をひろげて、二つの魂をしっかりと抱きしめる。
翼がひろがり、光の薄片が空へと舞い上がった。
「リナさんっ、リナさんっ」
明るい声が神界宮殿に響き渡る。
呼ばれたリナはふり返って、アリアに手をふって合図をした。
苦笑ぎみに呟く。
「なんだかアメリアがもう一人いるみたい」
ぱたぱたと走り寄ってきたアリアは、リナの前で魔道書を開いた。
「こないだのここなんですけど………」
言って、何かの書き付けを取り出す。
「こう展開して、こう使えば、もっといい感じになるんじゃないでしょうか」
「をっ、それいいじゃない。で、このあたりで火球をさらに追加して………」
「あっ、そうですね!」
ひとしきり呪文の威力について盛り上がる二人の頭上から、呆れたような声がふってきた。
「なあ、アリア………」
通りかかったガウリイが、困ったような顔で、リナの頭にぽんと手をのせた。
「こいつのようになると、第二の人生踏み外すぞ?」
「………どーいう意味よ、ガウリイ」
「いや、その………」
そこから少し離れた部屋の一室では、フィリアがティーポットを正面に座る相手に差し出していた。
「ベルさん、もう一杯いかがですか?」
「あら、ありがとうございます。フィリアさん」
ほど近いところで、なにやら爆発音が響いた。
ティーポットにお湯を足しながら、フィリアがさらりと言った。
「またリナさんですね」
「にぎやかですね」
「いつものことですから。どうせ相手はガウリイさんですよ」
ティーカップを片手に、優雅にベルは微笑んだ。
「仲が良くてよろしいですね」
もう一発、爆音が聞こえてきた。
今度は、いささか頬をひきつらせながらフィリアは答えた。
「ええ、本当に」
フィリアが後から聞いたところによると、二発目の爆音はどうやらアリアの手によるものらしかった。
「リナさんが二人いるみたい」
ぽそっと呟いたフィリアは、思わず想像してしまった恐ろしい未来図を、必死で頭から追い払った。