時の旋律 第7章 別れ

 胸の甘いうずきと愛しさに、アメリアはときおり言いしれぬ罪悪感を抱く。
 だって、自分は人間ではないのだ。
 神界アースガルズに住む、魂を選定する者。採魂者たる戦乙女。
 人間を好きになっていいわけがないのだ。
 人と神の間に、愛情など成立しないのだから。生きる時の長さが違うのだから。
 それに、シグルドに嘘をつきつづけているのもイヤだった。
 シグルドのそばにいたいと思えば思うほど、自らについて何もかもを嘘で塗り固めている自分がイヤになる。
 決して本当のことなど言ってはいけないのだけれど、それでも。


 ―――シグルドさんが騎士だから。王位継承問題の起きているセイルーン王家に仕える騎士だから。だからヴァン神族がそれにかかわっているか調べるために一緒にいるんだわ。


 そう自分に嘘をつき続けてでもそばにいたいと願う自分の想いに、アメリアはとまどう。
 あの、ときおりアメリアを襲う頭痛と幻。言いしれぬ切なさは、すべてシグルドと出逢ってから。
 いったい何だというんだろう。
 けれど、だけど。
 何があろうとも。二人の間に何があったとしても。
 抱きしめてくれたあの夜のぬくもりだけは忘れたくないと、アメリアは願った。



 その夜も、アメリアはいつものようにシグルドの家を訪れていた。
 居間で話しこんでいると、不意にシグルドがアメリアの話をさえぎった。その表情が険しくなる。
 しん、とした沈黙が居間をおおう。
 アメリアもシグルドにならって、耳を澄ます。石像のように動かない二人の間で、ランプの炎だけが揺らめく。
 ガタ、という音が聞こえた。
 二人の視線がほぼ同時に、玄関へ続くドアのすぐ横にある階段へと向けられる。
「泥棒………?」
 アメリアが呟く。
 シグルドは厳しい表情で立ち上がると、テーブルに立てかけてあった剣を手に取った。柄に手をかけ、すぐにでも抜けるようにする。
「俺の後ろに来い」
 小さくうなずいて、アメリアが椅子から立ち上がりかけた時だった。
 激しい物音とともに、階段に黒ずくめの人影が三つ現れた。
 その手には漆黒の抜き身の剣。
 手すり越しにシグルドとアメリアの姿を確認すると同時に、人影は手すりを蹴り越えて上からシグルドに打ちかかる。
 激しい金属音がして、抜き放たれたシグルドの剣がそれを受け止めた。
 その間に、残りの二人の黒ずくめも階段から居間へと降り立っている。
「クリストファの手の者か!」
 シグルドが叫んで、正面の黒ずくめと斬り結んだ。黒く塗られたその刃の斬撃を受け流し、斬り返す。
 だが、腕を浅く切っただけで、なおも敵の攻撃の手はゆるまない。
 降り立ったうちの一人が、アメリアに向かってきた。
「逃げろ!」
 シグルドの叫びに、アメリアは首をふる。
「イヤですっ」
 椅子を蹴って立ち上がると、向かってくる黒ずくめにアメリアは両手をつきだした。
「シグルドさん、目を閉じて!」
 撃ち合いのさなか、目を閉じるのは自殺行為に等しい。
 だが、シグルドはアメリアを信じた。
「そは輝く一条の閃光ひかり、ライティング!」
 まぶたを通して、真昼のような光が居間に炸裂するのがわかった。
 黒ずくめたちが目を押さえて、呻く。
 その隙にシグルドは黒ずくめに斬りかかった。またたく間に正面の一人を斬り伏せ、横から向かってきていた二人目も斬り伏せる。
 そのとき、アメリアのいる方向から、何やら鈍い物音が聞こえてきた。
「アメリア!」
 三人目がいるアメリアの方をふり向いて、シグルドは一瞬、自分が見たものが理解できなかった。
 アメリアの足下に、黒ずくめがのびている。
 それはつまり。
「………お前がやったのか?」
「ええ。でないと一人でセイルーンから旅に出て、森の中でシグルドさんを見つけるなんてこと、できるはずないじゃないですか」
 もはや最近では、すらすらと嘘が言えるようになっている自分がアメリアは哀しい。
 アメリアはシグルドの元に駆けよった。
「怪我はないですか?」
「あ、ああ………」
 うなずいて、シグルドはアメリアが倒した黒ずくめに視線を落とした。
「殺したのか?」
「いいえ。意識がないだけです」
「それは助かる」
 呟いたシグルドの声の冷たさに、アメリアは思わず彼を見上げていた。
 どこからか紐を持ってきたシグルドは、それで倒れている黒ずくめを縛り上げると、アメリアに向き直った。
 ようやく、その表情がやわらかなものになる。アメリアの髪をなでて、シグルドは言った。
「怪我はないか?」
 アメリアが黙ってうなずくと、シグルドは続けた。
「今日はもう帰った方がいい」
 居間には、アメリアが作ったラベンダーのポプリの香りでも消しきれない血臭がたちこめている。
 アメリアは目を伏せた。
「………………わかりました。シグルドさんも、気をつけてください」
 それだけを言って、アメリアはシグルドに背を向けて、玄関へと続くドアノブに手をかけた。
 その背に、シグルドから声がかかる。
「ここにはもう来るな」
 弾かれたようにふり返ると、固い表情でシグルドが繰り返した。
「もう来るな」
「どうしてです?」
「こいつらを見ればわかるだろう。いつこんなのがここには来るかわからない」
 凍ったような表情の奥に、隠された恐れを、アメリアは感じ取る。
 巻きこんでしまうことへの恐怖を。
 気遣ってくれる優しい想いを。
 その優しさに、泣きそうになる。
「もう来るな。いいな?」
 念を押すようにシグルドが繰り返した。
 少し唇を噛んでうつむくと、アメリアは答えた。
「わかりました」
 シグルドが安堵の表情を浮かべる。アメリアは続けた。
「とりあえず今日は帰ります。言われた通り当分来ません。でも、またしばらくしたら来ます」
「アメリア!」
 ドアを押し開きながら、アメリアはシグルドに笑いかけた。
「言ってもダメです。また来ます。だから、それまでシグルドさんも元気でいてください。怪我とかしないように、気をつけて」
 それだけを言って、アメリアは居間を出ていった。
 そのまま玄関の扉も押し開けて外に出る。
 シグルドから死の気配は感じ取れなかった。しばらくは彼は無事だろう。
 彼と会えない間に本来の仕事に戻ろう。
 自分は魂の採魂者、戦乙女。アース神族の女神なのだ。魂を刈りとり、神界へ導くことが、その全て。
 アメリアはセイルーンの夜空へと舞い上がった。
 これは、自分自身の気持ちを整理する良い機会だと、アメリアには思えた。
 シグルドは人間で、自分は女神なのだから。
 また不意に切なくなってきて、アメリアはちょっとだけ泣いた。