時の旋律 断章―死の先に続く道―

 気がついたとき、彼女は闇の中にひとり立ちつくしていた。
 そこには何もなかった。大地もなく天もなく、光すら存在しなかった。何も見えず、何も聞こえず、ただ独りきり、彼女はそこに在った。
 どうして自分がこんなところにいるかわからず、少し首を傾げる。
「………私は死んだのかしら」
「残念ながら、そうです」
 少女の声がそう応えて、目の前で光が弾ける。
 弾けた光が形をとると、目の前の闇は、黄金色に輝く鎧をまとった少女へと変わった。
 肩口で切りそろえられた黒髪は、鎧と同じ艶を消した金の羽根兜でおさえられている。兜のなかの濃紺の瞳は、星のまたたく夜空の輝き。
 死んだという自分。羽根兜の少女。
 与えられたそれらの情報から、彼女は冷静に目の前の少女の正体を探った。
「戦乙女ヴァルキリー?」
「ええ」
 少女はうなずいた。
「なら、私は死んだのね」
 死ぬ直前の記憶がよみがえってくる。盗賊団に襲われた村に、たまたま彼女は居合わせていたはずだ。
「村は、守れたかしら」
 少女が無言で手をかざす。
 少女と彼女の間の闇が、ぼうっと光を放った。徐々にその光のなかに、何かが見えてくる。
 焼けてしまった家もあるが、大半は無事に存在している村。無事だった人々が集まって泣いている。女性もいた。男性も、子供も老人も。
 彼女が守ろうとした人々。
 その人々が取り囲む中央に、全身に無数の傷を負った彼女自身の姿があった。
 ひとつひとつは死に至るものではない。しかし、治癒呪文を唱えるひまもなく剣をふるうなか、その傷の数が彼女を死へと導いた。
「守れたのね」
 そう言って、初めて彼女は微笑んだ。村の景色は消えた。
「私を神界へと連れていくの?」
 なかば確信を持ってそう問いかけた彼女に、少女は首を横にふって言った。
「あなたがそう望むなら」
「どうして? あなたはそういう存在なのでしょう? 人の魂を神界へと運んでいくのでしょう?」
 彼女の問いかけに、少女は応える。
「死んだ魂は輪廻の輪へと還っていきます。それは抗えない死の定め。私が引きとめた人だけが、選択の機会を与えられるんです。転生を望むか、このまま神界へ逝くか」
 ―――私は、あなたにそれを問いにきました。
 そう言われて、彼女は少し考えこんだ。
 傭兵をやってきて、これまでに何度も死ぬような目に遭ってきた。その度に逃れてきたが、とうとう逃れられなかったというだけだ。
 これまでの自分の生に未練はない。精一杯生きた自信がある。
 村は守れた。心残りはない。
「あなたの問いは、こう言いかえることもできるわ。ここで『私』という存在を終わらせて別の人間になるか、このまま『私』で在り続けるか。そういうことでもあるのね」
 彼女の言葉に戦乙女の少女は虚を突かれた表情をした。
「確かに、それはひとつの真実かもしれないです。転生に記憶は持っていけませんから。
 ―――どうします?」
 戦乙女の濃紺の瞳が、彼女に答えを問うた。
 しばらく考えこんだあと、闇の中、静かに彼女はうなずいた。
「死んでしまったのは仕方がないわ。けれど、私は『私』で在り続けたい。あなたが死の終わりの先にまだ道を示してくれるというのなら、私は喜んでその道を歩きます。私は、『私』の記憶と思いが大事ですから」
「わかりました」
 戦乙女の少女はうなずいた。その背に、白い翼がひろがる。
 光の薄片を闇にまき散らすその美しさを、彼女は目を細めて見つめた。
 戦乙女が手を差し伸べる。
「私と共に神界へ行きましょう」
 その手をとった自分と少女の体が、光に溶けていくのがわかる。光は微細な粒子へと昇華し、天へと昇ってゆく。
「そう言えば、名前なんていうんです?」
 光に意識をゆだねる寸前、彼女は答えた。
「ミリーナよ」



 アメリアがミリーナを連れて神界宮殿に戻ってきたとき、そこにちょうど居合わせたのはルークだった。
「おう、戻ってきたか。今回はどんな―――」
 そう言いかけたルークの口がぱかりと開いたまま、閉じなくなる。
 ルークの視線を追ってアメリアは後ろをふり返るが、当然そこには自分が連れてきたミリーナしかいない。
「ルークさん?」
 ミリーナを見つめたまま突っ立っているルークに、アメリアは声をかけるが、変化はない。
 ミリーナが首を傾げた。銀色の髪がさらりと揺れる。
「私が、何か?」
 その言葉に、弾かれたようにルーク動き出した。ほとんど音速でミリーナの前までやってくると、がしっとその手を握りしめて、一言。
「俺と結婚してくれっ!」
「………………………は?」
 間の抜けた声をあげたのはアメリアだった。
「マジで惚れた! 俺の相手はあんたしかいないっ」
「うええええぇっ !? ル、ルークさん !?」
 それっていくらなんでもストレートに言い過ぎだとアメリアは思った。
 ―――だってほんの数秒に前にルークさんとミリーナさんは会ったわけでそりゃ一目惚れって言うのも世の中ありますけどもう少しものには順序というものがあるんじゃないでしょうかいきなり結婚なんて言われても困るだけだと思うんですけど私って間違ってるでしょうか? いいえ間違ってないと思うんですだいたいあれほど一緒にいるリナさんとガウリイさんだってそこまで行ってないんですからもう少し進展しても私、罰は当たらないと思うんですけどえええええとそれで何が問題なんだっけ…………………。
 ひたすら混乱しているアメリアのかたわらで、当のミリーナは落ち着き払った様子でルークに応えた。
「ルーク・チュール神?」
「ああ、そうだ」
「戦神の?」
「ああ」
「そうですか」
 興味なさそうにうなずくとミリーナは、ひたとルークを見据えた。
「私、赤毛の人は嫌いなの」
 ぴしっとルークが石像と化した。
「ミ、ミリーナさんっ、こっちですこっち! そ、そそれじゃあルークさん、また後で!」
 ひきつった表情のアメリアがミリーナを引っ張って、回廊の角を曲がる。
 固まったままのルークが取り残されて、回廊に風が吹いた。


 翌日からルークの髪は黒になっていた。