時の旋律 第8章 予言
「ルナさん……」
静かに扉を開けて入ってきた人物を見て、ルナは無言で眉を動かした。
読んでいた本を閉じて、立ちあがる。
「スクルドね。どうしたの」
ひっそりと部屋に入ってきたのは、滅多に表には出てこない未来を司るフィリア・スクルドだった。
あまりにローテンションなので、会話を交わさなくてもすぐにスクルドだとわかるのだ。
「お話したいことがあって………」
そう告げたフィリアの腕の間に一瞬だけ、回る糸車のイメージが浮かび上がり、消える。
糸は紡がれ、螺旋を描き、人の運命を綾なしていく。
スクルドだけが行える技。彼女が司る未だ訪れていない時の流れのなかから、真実を拾い上げ、それを現在まで降ろしてくる。
時の託宣。これから起こりうる、未来。
彼女は運命の巫女でもあるのだ。
ルナの顔も真顔になる。
「聞かせて。フィリア・ノルン=スクルド」
スクルドの告げた予言は、ルナの表情をくもらせるには充分なものだった。
未来を司る女神は告げたのだ。
―――死の運命を。
ミリーナを神界に連れてきてから数日が経って、アメリアは再び下界へと降りることになった。
「じゃ、また行って来ますね!」
アメリアの背中に、純白の羽根がひろがる。太陽が落とす六角形の結晶光を、幾重にも集めたような、光の翼。
見送りにきたアリアがうっとりとそれを見つめる。
「キレイですね」
「リナさんったら、これをつかんで引っ張るんですよ〜」
「あんたが、人の話を聞かないからでしょ」
「えへ」
同じく見送りに来ていたリナがそう突っこむと、アメリアはぺろりと舌をだした。
「アリアとベルさんとミリーナはちゃんと面倒みとくから、安心して行ってきなさい」
「ミリーナさんは、毎日ルークさんに熱烈なアタックをかけられて辟易しているみたいですけどね」
「いじめがいのあるネタができたわ」
「あはははは………」
リナがニヤリと笑い、アメリアは乾いた笑いを発するしかなかった。
下界と神界をつなぐ虹の橋ビフレストが、七つの色彩とともに三人の目の前にはひろがっている。
下界では一ヶ月が過ぎているはずだった。
「それじゃ、また行って来ます」
リナとアリアにそう言って、アメリアはビフレストを降りようとした。
だが、その虹色の道に足を踏み入れようとした瞬間、後ろでなにやらリナの慌てた声がしてアメリアはふり返る。
そこには、自分の方へと歩いてくるフィリアの姿があった。
「フィリアさん?」
リナが少しうわずった声でアメリアに答える。
「それ、スクルドよ!」
「えええええっ !?」
アメリアが唖然としているうちに、フィリアはアメリアの前まで来て、立ち止まる。
「おひさしぶりです、アメリアさん………」
「お、おひさしぶりです」
その青い瞳をかげらせて、フィリアは少し笑った。
はっきり言ってテンションの低いフィリアは幽鬼のようで、めちゃくちゃコワイ。夜、木の影にでも立っていたら、子供は絶対泣くだろう。
未来はもっと明るく希望に溢れていなければ、とアメリアは個人的に思うのだが。
「あ、あの………?」
「見送りに来ました。それと、忠告を」
フィリアはアメリアの耳元に唇を寄せた。
見守るリナとアリアには、何を言っているのかはわからない。
しかし、アメリアの表情が徐々にこわばり、恐れが混じった瞳で黙ってうなずいたところを見ると、あまりいいことを言われたわけではないらしい。
フィリアから逃げるように、アメリアはビフレストの光のなかへと消えていった。
「ちょっと、フィリア! あんたアメリアに何を言ったの !?」
ゆっくりとフィリアがリナをふり返る。
「何も。ただ、あなたは戦乙女であると、それを忘れないように、と」
「どういうことよ?」
フィリアはリナとアリアの傍らを通り過ぎて、神界宮殿のほうへと戻っていく。
「そのままの意味です………」
「ちょ、フィリア………!」
リナとアリアは呆然と立ちつくした。
「何だっていうの。何が起こるっていうのよ………」
栗色の髪が、風にもてあそばれるままに、ぽつりとリナが呟いた。
アメリアは下界の空を翔んでいた。
別れ際のフィリア・スクルドの言葉が耳から離れない。
未来を告げる運命の女神が、わざわざ忠告をしに現れたということ。
『戦乙女であることを忘れるな』と。
これから一体何が起きるというのだろう。
不安だけがふくれあがっていく。
下界の風に兜の白い羽根がばさばさと音を起てて、自分が戦装束を元に戻し忘れていたことに気づく。
アメリアは空中で立ち止まると、両手で羽根兜を脱いだ。
その途端に、風に髪がさらわれて、弾けるように溢れ出す。
脱いだ兜をアメリアは目の前に掲げた。
艶を消した金色に、くすんだ真鍮色のラインで描かれる精緻な模様。その両脇には純白の羽根飾り。
「私の鎧………本当に前からこの色だったのかな」
違うような気が、した。
そのアメリアの手の中で、羽根兜は溶けるように消え去っていく。
下界では陽が落ちようとしていた。
日没間際の朱金の陽光。風にのって散る西日は、大地を染め上げ、アメリアをも包みこんで、さらっていく。
不安を追い払うように、アメリアは首をふった。
「セイルーンにつくころはちょうど夜ですね」
シグルドに逢える。
そのことだけが、純粋に嬉しかった。