時の旋律 過去篇 第1章 ゼルガディス

 神界と下界をつなぐ虹の橋ビフレストを見おろすバルコニーで、戦乙女たちが騒いでいた。

―――見て見て、アメリアが帰ってきたわ。誰か連れてる。新しい戦士みたい。
―――あら、強そう。うふふふふ、腕試しのしがいがあるわ………。そろそろ何か斬りたくて斬りたくて………。
―――連れてきた戦士さんと剣の斬り合いをやるの、やめましょうよぉ。
―――あの人こそ、私のゾンビ嫌いを治してくれたりしないでしょうか………。
―――そんな奇特なヤツは現れないと思うわ、この先ずっと………

 戦乙女たちは口々に好き勝手なことを言い合った。
 こうして女性が八人もいると、姦しいの意味がよくわかる。

―――見て! あの人髪が銀色です。そして岩の肌をしてる!
―――嘘っ。じゃ、またアメリアさんってば拾ってきたのね。
―――アメリアさんは優しいですから………。
―――わざわざ、輪廻の環から外れて戻れない人ばっかり採魂してくるのよねぇ。でもいいの。おかげで私はダーリンと出会えたんだから はぁと
―――たかが卑しい剣士風情がどうかしまして? その点わたくしのガー………。

 好き放題言い合っている戦乙女たちの背後で、硝子戸の開く音がした。
 八人が一斉にふり向くと、呆れた顔のリナが立っている。
「あんたたちねー、あんまり騒ぐと下のアメリアにまで聞こえるわよ。あんたたちもさっさと採魂しに行ってきなさい。どういうわけか、ヴァン神族がやらた元気がいいもんだから、ぜんっぜん戦力足んないの」
 そう言ってリナは戦乙女たちを追い払うと、リナ自身がバルコニーからビフレストを見下ろした。
 そして苦笑ぎみに呟く。
「前回のザングルスもだったけど、また今回もクセが強そうなの連れてきたわね、あの子………」
 リナに気がついて手をふるアメリアに、リナも大きく手をふり返した。



 ゼルガディスは神界宮殿の回廊を歩いていた。中庭には綺麗な花が咲き乱れ、何もかもが繊細で美しい。
 ゼルガディスは落ち着かなげに、剣の柄に手をやった。
 自分で望んでこんなところへ来たわけではない。
 もはやその顔すら覚えていないが、敵に胸を貫かれたときに、ようやっと死ねると思ったのだ。狂った魔道士の手によって、妖精アールヴ土妖精ドゥエルガルを合成されてからというもの、ロクな人生ではなかったし、生きているのはただ苦痛なだけだった。
 そうしたら、戦乙女が呼びもしないのに現れて、神界へ連れていきたいと言うのだ。お節介にもほどがある。
 変な戦乙女だった。
 もう生きるのはイヤだから、ほっておいてくれと言うと、泣きそうな顔で―――いや、数分後に実際泣き出した―――こんなところであなたが生きるのを終わらせるわけにはいきません、と説得にかかってきた。
 泣かれて、どうしたらいいか扱いに困り、気がついたら神界へ行くことを承諾してしまっている自分がいた。
 怒ろうかとも思ったのだが「行く」と告げたときの、戦乙女の晴れやかな笑顔を見てしまうと、何だかそんな気も失せてしまった。
 あたたかな陽光のような笑顔だった。
 アメリアとその戦乙女は名乗った。
 望んできたわけではない神界だが、確かにおもしろくはあった。
 自分がいままで生きてきた過去も何もかも、気にしなくてもいいのは嬉しかった。
 アメリアが第二の生をと言ったのも、あながち間違いではない。過去を気にすることなく、すべてをゼロから始められる。
 ゼルガディスが回廊の角を曲がると、前方から栗色の髪の少女が歩いてくるのが見えた。
 名前はたしかリナと言ったはずだ。
 かなり神格の高い女神だと聞いているが、性格にかなり問題があるということも同時に聞いている。
「あ、ゼル」
「………かってに名前を略すな」
「いいじゃない、呼びづらいんだから」
 あっけらかんとリナは言った。
「何してるの?」
「いや、特に何も」
 ヴァン神族との戦闘はここ数日、小康状態で、多分もう二、三ヶ月はその状態が続くだろう。
 ゼルガディスが呆れたことに、アース神族とヴァン神族は驚くほど気の長い戦争をやっているのだ。
 そのせいか、ちょっと戦闘になると、しばらく休みが間にはさまれる。
 無限の寿命を持っていると、自然とこうなるものなのだろうか。
「あんたは何をしているんだ?」
「リナ、よ。あんたじゃないわ」
 そう言って、リナは中庭へと足を踏み入れた。
 手すりなどがあるわけではないので、敷き詰められた大理石のタイルさえ踏み越えてしまえば、すぐに緑の中庭へと入ることができる。
「何をしてるかっていうと、あんたと話がしたくって」
「は?」
「ゼルとは、まだあまり話をしてないしね」
 そう言ってリナはゼルガディスの方をふり返った。
 光を浴びるその栗色の髪が、濃い緑の芝の上でふわりと舞い上がる。
「ふふ、それにね。ゼルをここに連れて来た、誰かさんがえらく気に病んでるのよね」
「アメリアが?」
 怪訝な表情のゼルガディスに、リナはイタズラっぽく笑いかけた。
「ゼル、あんた英雄化を最初はずいぶんイヤがったそうじゃない。だからね、ムリヤリこっちに連れてきたんじゃないかって、アメリアが気にしてるのよ」
 ゼルガディスは唖然とした顔でリナを見た。
 その表情に、思わずリナが吹き出す。
「なんて顔してんのよ、ゼル。あの子はそんなに無神経な子じゃないわよ」
 ま、今回は特別みたいだけど、とリナは心の中で呟いた。
「いや、その………」
 ゼルガディスは困ったようにひとつ咳払いをすると、回廊から緑の芝の上に踏みこんだ。
 光にさらされるその容貌は、美しい異形の姿。
「俺も尋ねてみたいことがある。いいか?」
「なに?」
「どうしてあんたたちは、ヴァン神族と戦をしているんだ? 和解とかはしないのか?」
 リナの顔が困ったようにしかめられた。
「んーんん、それは難しい質問ね。前はどうだったか知らないけど、あたしの戦う理由は、アイツらが、下界で関係ない人たちを遊びで殺すから、ね」
「それは偽善だな」
 即座にそう吐き捨てるゼルガディスの言葉に、リナの目元がぴくりと動く。
「どうしてそんなことが言えるわけ?」
「お前たちは人間じゃなくて、神だろう? 何で特に関わりのない人間たちをそこまでして気にかけることができる?」
「神じゃないわよ」
 あっさりとリナが否定した。
 リナが怒り出すと思ったゼルガディスは、拍子抜けして彼女の顔を見つめる。
 陽光のなか、リナは栗色の髪をかきあげた。
「神ではないだと………?」
「あたしも元は人間よ。ガウリイも、ルークも、姉ちゃんも、そしてアメリアも、この神界宮殿にいるほぼ全員がね」
「………?」
 その真紅の瞳は少し哀しげだった。
「フィリア見たことある?」
 唐突に尋ねられて、ゼルガディスはとまどいながらうなずいた。
「運命の女神だろう? やたらけたたましい」
「それウルドね、きっと」
 くすくすとリナが笑って、指で自分の片耳をつまんでみせる。
「彼女の耳、長いでしょ? あれが本当のアース神族。あたしたちは新しい神族よ」
 リナが元は人間だと言うのなら、さっきの戦う理由もそれなりに説得力を持ってくる。
 ゼルガディスは眉をひそめて、口を開いた。
「なら、どうして本当のアース神族はフィリアしか見かけないんだ。どうしてあんたたちは人間から神になった?」
「フィリアしかいないわけじゃないわ。神格が低いけど、神界宮殿の外の都にも何人かいるこたいるわよ」
 そうゼルガディスに答えると、リナは芝の上に置かれた、伏した獣の石像の背中に座った。
「そいで、ゼルの質問だけど、答えるには長ーい話になるわ」
 リナはそう言って、軽く伸びをした。
「いまから千年前に、アース神族とヴァン神族との間で神界戦争が始まったらしいわ。そして、そのいちばん最初の戦い〈神々の黄昏ラグナロク〉で、こっちの主神スィーフィードとあっちの主神シャブラニグドゥがあっさり同士討ちしちゃったの。
 シャブラニグドゥは七つの欠片に封印されて、こっちの主神は四体の分神を残して死んでしまった。それが水竜王と、地竜王と、空竜王と、火竜王」
「それで?」
「主神を失っても、ヴァン神族もアース神族も互いに戦いを止めようとしなかったのよ。四人の分神が神界軍を立て直して、ヴァン神族側もシャブラニグドゥに仕えていた五人の腹心の手によって再編されて、えんえん四百年ぐらい争ってたの。そしたら、どうなるかわかる?」
 リナの問いに、ゼルガディスは即答した。
「資源の枯渇。無限の神気があるあんたたちの場合は、人的資源の枯渇だな」
 リナはちょっと目を見張って、すぐに笑った。
「やっぱあんた頭いいわね。アメリアがめいっぱい力説するだけあるわ」
「…………」
 沈黙したままのゼルガディスを見て、少し肩をすくめながらリナは話を再開する。
「ちょうどタイミング良く、スィーフィードの知識と力が人間に受け継がれていることが発覚したときでね―――それがうちの姉ちゃんなんだけど―――姉ちゃんを神界に迎えるとき、たまたまあたしが傍にいて………あたし、人間にしてはケタ外れの力持ってたからさ、それ見て誰かが思いついたのね。足りない人材は下界で調達すればいいって」
「………最低だな」
 ゼルガディスの呟きを、リナは静かに肯定する。
「その通りよ。水竜王は反対したらしいんだけれど、ちょうどそのとき勃発した〈降魔の戦い〉で水竜王は戦死してしまって、暴走に歯止めがきかなくなったの」
「〈降魔の戦い〉?」
「シャブラニグドゥの七つの欠片のうちひとつが復活してね、勢いづいたヴァン神族が責めてきたの。その時の戦いを〈降魔の戦い〉って呼んでるの。
 ―――で、その戦で穏健派だった水竜王が死んじゃって、残った三人の暴走を止める者がいなくなったの。そして彼らは、下界で少しでも力が目立っている人間がいると、例え死ぬ運命になくてもムリヤリ殺して連れてきたのよ。それがあたしたち」
 淡々と語られるリナの言葉はひどく重い。
「アメリアもなのか………?」
「そうよ。でもあの子の場合は無理に殺されたんじゃなくて、どっかの国の王女で政変に巻きこまれて死んでしまったのを、神界に連れてきたらしいわ」
 アメリアの陽光のような笑顔を思い出して、ゼルガディスは少し胸が痛んだ。
「あんたたちが神になった経緯はよくわかった。でも、どうして旧・神族はいま姿が見えない? クーデターでも起こしたのか?」
 リナが、クスリと笑う。
 力に溢れた笑みだった。
「そんなもんよ。勝手に神にしたあげく、純粋な神族ではないからと〈劣神〉呼ばわりして、あたしたちが活躍するようになった途端、今度はその力を怖れて自分たちで潰そうとしたのよ。潰されないように抵抗したら、それが自然とクーデターになったってわけ。それが、いまから百年くらい前の話ね」
 リナの話を聞いて、ゼルガディスは首を傾げた。
「どうしてフィリアは残っているんだ?」
 尋ねられたリナはちょっとだけ哀しそうに笑った。
「彼女は運命の女神だったから、旧・神族のなかでも別格でね。運命の糸を無視して、旧・神族たちが人間を殺して神兵にすることに反対していたの。
 それにね、あたしたちが神になる前の話なんだけど、彼女がその………好きだった神がいて、けっこうアース神族のなかでは力を持っていた一族だったんだけど、旧・神族たちはその一族の力を怖れて、滅ぼして追放したらしいの。その彼は結局ヴァン神族側についちゃって………いまはどうしているかわかんない」
 ―――だから、フィリアはあたしたちに味方したの。
 リナはそう続ける。
「だから、あの子は運命の糸を読みとってもクーデターが起きる未来を旧・神族に告げたりしなかった。ずっと黙ってた。フィリアはそうして、いまここにいるのよ。長い話、お終い」
 リナは立ち上がって、衣についた草を手で払った。
 風が吹いて、白い衣と栗色の髪が流される。
 流される髪を手で押さえて、リナはゼルガディスに向かって笑いかけた。
「だから、あたしたちは元は人間同士なの。ヴァン神族との戦いも、旧・神族から適当に受け継いで適当に続けているわけじゃないわ。あたしは自分が人間だったことを忘れていたくないし、存在意義がないってくよくよ悩むのもイヤだもの。神になってしまったものはしょうがないから、有意義に過ごしたいと思ってる」
 リナは挑戦的にゼルガディスを見つめて、手を差し出した。
「それがあたしたちアース神族よ。ゼル、あんたも最近そうなったわ。どうする? アメリアには怒られるかもしんないけど、あんたがイヤならあたしが英雄化を解いてあげてもいいわ」
 ゼルガディスはリナの手を見つめて、ふっと目を細めて苦笑した。
「しばらくはやめておこう。あんたたちといるもの面白そうだ」
 リナが笑った。軽くその手をゼルガディスと打ち合わせる。
「オッケー。ようこそ神界へ」
 光溢れる中庭から、影の落ちる回廊へと歩きながら、リナはゼルガディスをふり返った。
「それなら、英雄化を気に病んでた、どこかの誰かさんの所へ行ってきて『違う』って言ってあげなさいね」
「おい、リナ―――!」
「だーめよ。こーいうことは自分で言わなきゃね」
 明るい笑いが、空へと弾けた。