時の旋律 過去篇 第3章 闇明けて

 アメリアが目を開けると、東の空から夜が明けようとしていた。
 淡い薄紫に染まる空。
 この花の野と同じ色。
 どうしてこんなところにいるのかわからなかったが、すぐに記憶が甦ってきた。
 体はひどく重く、痛い。左の腕を持ち上げようとするが、どうしてもあがらなかった。
 風はなく、ひどい匂いがしていた。鉄臭く、生臭い。
 顔をしかめて起きあがろうとして、激痛がはしる
 苦痛に声をあげようとして、その声が出せないことに気がついた。かろうじて持ち上がった右の指で喉を撫でると、ざらりとした感触がした。見れば、固まった血が粉になって指についている。
 フィブリゾがまき散らした闇と衝撃波で、声帯が傷ついたようだった。
 ムリヤリ体を起こす。激痛に顔が歪んだが、声は出せなかった。
 明けていく空以外を初めて目にしたアメリアの動きが凍りついた。
 半壊している神界宮殿。
 大部分が腐り落ちたラベンダーの丘の上、あちこちに倒れ伏して動かない仲間たち。
 誰も、起きあがろうとしない。
 闇のなか、抱きしめられた記憶だけが鮮やかに残っていた。
 銀色の鎧は血にまみれていて、その血に守られていたのだと悟る。
 やっとの思いで持ち上げた左手で、すぐそばに眠るその頬に触れた。
 唇がその名前を呼ぼうとして果たせない。
(ああ、喉が傷ついているんでしたっけ)
 ぼんやりとそう思った。
 肩に触れて揺すった。そっと弱く。次に強く。

 トン―――

 力いっぱい叩いたはずの拳は、軽い音をたててその赤い胸の上に落ちた。
「……………ッ!」
 何もかもが、声にはならない。
 嫌々をする子供のように首をふる。
 また唇が動く。けれど、空気をふるわすだけ。名を呼べない。
 呼びかけることができない。
 激しくその体を揺さぶった。いま出せるだけの力を全部使って。
 目を覚ます気配はない。
「………、………ッ………!」
 名前を呼ぶことができたら、起きてくれるだろうか。
 声にできれば、「起きてください」って言うことさえできたなら。
 目を開けて、少し困ったような表情で微笑ってくれるだろうか。
 だって、昨日まで笑っていた。言葉をくれた。
 そのやわらかな声で。
 頬に触れてきたてのひらは、あたたかかった。
 やっと言葉にできたのに。
 やっと言うことができたのに。
 くちづけしてくれたのに。
 ほんの、昨日のこと。
 この明けようとする夜が訪れたときに。

 その囁きを、聞いたのに。

 リフレイン。
(お前といて、ようやく俺は自分が生きていてよかったと思えるようになったんだ………)

 アメリアは耳を塞いだ。
「―――――――――――――――――――ッッ !!」

 声にならない絶叫が、生きるもののいない丘の大気をふるわせた。