時の旋律 過去篇 第4章 封印

 リナたちが来たときには、全てが遅すぎた。


 アメリアの部屋を出て、リナは真っ直ぐ自分の部屋へと駆けこんだ。
 ドアと閉めると同時に、こらえきれなくなった涙が頬を伝い落ちる。
「………ッ」
 嗚咽が喉をついてでる。吐き出す息がどうしようもなくふるえた。
 やり場のない感情が、拳を壁に叩きつけさせた。
 何度も叩きつける。
 この胸の罪悪感が消えてなくなるまで。
「………ナ、リナ!」
 腕をつかまれて、名を呼ばれた。顔をあげるといつの間に部屋に入って来たのか、固い表情のガウリイがいた。
「やめろ」
 ふりほどこうとしたリナの腕から、力が抜ける。
 そのままガウリイの胸に顔を押しつけた。
「アメリア………ッ」
 そっとその肩を抱きながら、ガウリイ自身の手もかすかなふるえを帯びていることを自覚する。
 狂ったようなフィリアの―――それもこともあろうにスクルドからの通信に、ルナとルークだけを前線に残して、リナたちは急げるだけ急いで帰ってきた。
 それでも、すべては遅すぎて。
 何の悪意もゆるさないほど澄み渡った青空の下、大半が腐り落ちたラベンダーの丘。
 折り重なる幾つもの骸。
 そして、声をかけるのをためらうほどの静寂の中、ひとり座りこむ小さな影。
 その時すでにその瞳は、映し出すものすべてを拒むようになっていた。
「もっと早く、帰ってこれたら………っ」
 リナがふるえる声で呟いた。
「過去は変わらないぞ」
「でも、でも………たった一人、みんなの遺体に囲まれていったいどんな………! もっと早く、帰ってこれたら。フィブリゾの罠に、はまらなければ………」
「みんなそう思ってるんだ………。みんな自分を責めてる。オレだってそうだ」
 辛抱強くガウリイは言い聞かせる。リナにも、そして自分にも。
「だから、泣いてもいいけど、一人で背負いこむんじゃない。頼むから………」
 ガウリイの言葉に、こくんと小さくリナがうなずいた。
 そのとき。
 絶叫が響いた。
 陶器が砕け散る音が、かすかだけれど二人の耳に届く。
 続いて、シルフィールの悲鳴も。
 リナとガウリイは部屋を飛び出した。
 同じ回廊に並ぶアメリアの部屋から、シルフィールの叫び声が聞こえてくる。
 やがてシルフィールが部屋から出てくると、ガウリイの姿を見て、叫んだ。
「ガウリイさま、アメリアさんを止めて下さい! 抑えつけて!」
「アメリア!」
 シルフィールの制止も聞かず、リナが部屋の中に飛びこんでいく。
 部屋の中はメチャクチャだった。
 陶器の水差しが床に砕け散り、石モザイクの床一面に水が飛び散っている。椅子は転がり、寝台の上もぐちゃぐちゃだった。
 その散乱する物に囲まれるようにして床に座りこんだアメリアが、リナを見あげた。
 見ているようで何も見ていない。
 まるでリナの頭のすぐ後ろに灰色の壁が存在していて、その壁を凝視しているような目だった。
 リナの背筋に悪寒がはしる。
 これは誰?
 こんな目をした少女は知らない。自分の知っている少女ではない。
「アメリア………」
 ふっとアメリアの視線がそらされた。その手が、床に落ちた陶器の破片をにぎりしめる。
「―――――― !!」
 止める間もなく、その切っ先が、勢い良くアメリアの頬を切り裂いていた。
 鮮血が飛び散る。
 それでもアメリアは止まらず、腕や肩、足を次々に切っていく。
「やめて! アメリア、手を離して!」
 リナがアメリアを抱きしめて、押さえこもうとする。抗うアメリアの手のなかの破片が、リナの肌を傷つけた。
 ガウリイがリナとアメリアを引き離して、押さえこんだ。
 手のなかの破片をリナが奪い取る。リナの手のひらを破片が鋭く切り裂いた。
「アメリア………!」
「や………っ、いやあああああぁっ!」
 何も映し出さないその瞳の奥で、不意に光がまたたいた。
 ガウリイの一瞬の隙をついてその手をふりほどくと、神気で生み出した短剣がアメリアの手に現れる。
 初めてその濃紺の瞳のなかから、涙が溢れ出した。
「私です! 私が………っ !!」
「そんなことありません。そんなことない……っ!」
 シルフィールの言葉は届かない。
 涙と光が満ちる瞳は、外の世界を拒み続ける。


 私になんか祈らないで。ほら、こうして何もかも約束できなかった。
 あなたはいない。無事ではない。
 もう言葉はとどかない。ぬくもりも伝わらない。あの瞳は自分を見ない。あの声は聞こえない。すべてが足りない。満たされない―――

 それならば、すべて―――


「―――いらない! 私なんかいらない !!」
「アメリア !!」
 リナが悲痛な声をあげた。
 刃が喉を突く寸前、ガウリイの腕がそこに割りこんだ。短剣はガウリイの腕へと食いこむ。
 シルフィールの眠りの魔法がアメリアにかかり、短剣は虚空へ溶け消えた。
 破片の上へ倒れこもうとするその体をリナが抱きとめ、抱きしめる。
「アメリア、ごめん………ごめんね………」
 リナが、そっと囁いた。



 それから数日が過ぎて、リナとシルフィール、フィリアはひとつの部屋に集まっていた。隣りはアメリアの部屋で、ガウリイが彼女を看ているはずだった。
 テーブルの上では、フィリアが淹れてくれた香茶が、誰の手もつけられないままにすっかり冷たくなっている。
 リナたちがいる扉を開けて、前線から戻ってきたばかりのルークとルナが入ってきた。
 部屋にいる三人を一目見て、ルナが無言で片眉をはねあげる。
「リナ、シルフィール。あんたたち、ちゃんと寝てるの?」
 顔を見合わせて沈黙する二人に、ルナは溜め息をついて何も言わなかった。
 視線で問うルークに、シルフィールが首をふる。
「だめです。いくら傷を癒しても、すぐに新しい傷を作ってしまうんです。割れるものとかを遠ざけて、神気を封じていても、自分の爪で………。ゼルガディスさんが死んだことを、自分のせいにしてしまってて………」
「でも、あれはどうしようもなかったじゃないですかっ。丘をおおう闇なんて!」
 フィリアが悲壮な顔で反論する。通信のオーブの部屋が、たまたま丘とは反対の東側に位置していため、彼女はかろうじて助かった。
 ただ瓦礫に足をはさまれて、アメリアのところに行けなかった。それだけが、フィリアの悔いていることだ。
 もっと早く、あの丘に駆けつけることができたなら。彼女にあの絶望を味わわせずにすんだなら。
「フィリア、違うのよ。逆なのよ。どうしようもないから、自分のせいにすることしかできない………」
 リナが淡々とフィリアに応える。
 シルフィールがこらえきれなくなって、両手で顔をおおった。
「私の力では、体は癒せても心は癒せないんです。自傷をしないときは、ただ人形のようで、言葉も話してくれないんです………。
 ―――もう見てられません………! あんなに元気な人だったのに!」
「そんなにひどいのかよ………」
 ルークがうめいた。
 肩をふるわせるシルフィールの背中を、そっとさすってリナは静かに姉神を呼んだ。
「姉ちゃん」
 リナの声に、ルナは顔をあげる。
「何?」
「眠りの神聖文字ルーン、貸してくれない? それ以上は迷惑かけないから」
 リナの考えをなかば予測しながらも、ルナは尋ねてみた。
「いいけど、どうするつもり?」
「アメリアの記憶を封じて、眠らせる」
「リナさん?」
 リナは大きく息を吐き出して、片手で顔をおさえた。
「もう、それしか思いつかないの………。合成獣にされた時点でゼルは輪廻の環から外れてしまってる。あの子は、もう二度とゼルに逢うことができないのよ………」
 かすれた囁きは部屋の空気をかすかにふるわせて、溶けていく。
「間違ってるって、わかってる。何の解決にもならないって知ってる………だけどお願い、みんな。協力して………」
 聞いている方の胸まで痛くなるようなリナの囁きに、部屋の全員が黙って、うなずいた。



 暴れるアメリアの体を、ガウリイとルークが押さえつけた。
 涙をこらえて、シルフィールがアメリアの体の傷を癒した。いつか再び目覚めることがあったら、そのときに傷があってはいけないから。
 そう、目覚めることがあったなら。
 リナは、泣くのをやめようとは思わなかった。ただ静かに溢れ出す涙が、頬を伝い落ちていく。
 拭う気もなかった。
 静かに呪を唱えると、アメリアの額にそっと指先を触れさせた。
 暴れていたアメリアの体から、力が抜けていく。
 リナはふり返ってうなずいた。
 それを受けて、フィリアが手をかざす。
 虚空に、ルナから借り受けた眠りの神聖文字ルーンが浮かび上がった。
 アメリアの瞳が閉ざされる。
 すぐにその体は淡い光に包まれ、神気へと還っていった。
 しょせん自分たちはそういう存在だ。
 眠りについたアメリアには、実体を持つことが許されない。
 死ぬと神気に還ることなく、そのまま朽ちていくのにもかかわらず。
 なんて皮肉。矛盾。
「ごめんね、アメリア」
 リナがまた、囁いた。