時の旋律 第11章 同じ想い

 今日は風が強い、とアメリアは思った。
 兜の羽根飾りがその風にあおられて、ばたばたと音をたてる。神気でできたそれが壊れるはずもないのに、風にさらわれそうな気がしてアメリアは武具を神気に戻した。
 眼下にはセイルーン。
 その白い六紡星の街に一瞬だけ目を落として、アメリアは視線を正面へと向けた。
 さっきまでは何もなかったその空間に、いまは栗色の髪がひるがえっている。
「リナさん」
 リナは黙ったままだった。
 その真紅の瞳に、怒りはなかった。
 ただ、どうしようもない哀しみとやるせなさだけがその赤い色を濁らせている。
 この人に、こんな表情は似合わない。
 そうアメリアは思ったが、リナにこんな顔をさせてしまっているのは自分なのだ。
「姉ちゃんが、あんたを呼んでいるわ」
 それだけをリナは言って、アメリアに手を差し出した。
 アメリアは、黙ってその手に自分の手を重ねた。



 連れてこられたのは、目覚めたときと同じ〈主神の間〉だった。
 玉座の傍らにルナが立ち、アメリアを連れてきたリナが黙ってその隣りに立った。
 以前と違うのは、そのそばにフィリアもいるということ。その表情からは、三人の女神うちの誰なのかはわからない。
「アメリア」
 静かなルナの声が、アメリアを呼んだ。
「運命に干渉することは、誰にも許されないことよ」
 アメリアは床に視線を落としたまま答えない。
 ルナがフィリアをふり返った。
「見せてあげて」
 フィリアがアメリアの前まで進み出た。その表情も、どうしようもなく哀しそうだった。
「アメリアさん、見て下さい。運命の糸がある〈綾の間〉です」
 その両手の間に、白い白い部屋の映像が浮かび上がる。
 アメリアはわずかに息を呑んだ。
 ひと抱えはありそうな不格好な糸玉が、繊細に糸が巡らされている部屋の調和を乱している。
「あなたがやったことの結果です」
「アメリア」
 ルナの声がまた、アメリアを呼んだ。
 誰も怒ってなどいなかった。それだけにアメリアは辛くなる。
 やってはいけないと知っていて、それでもやったことなのだから、もっと怒って、なじってくれてもいいのに。
「このままだと多くの人々の運命が、あなたが歪めた彼の運命に引きずられて歪んでしまうわ。それはさらに、もっと多くの運命を歪めて、やがて未来ではすべての運命が狂ってしまう………。手遅れにならないうちに、歪みを修復する必要があるの」
 そう言って、ルナはリナを見た。リナがルナを睨む。
「言いにくいことは、あたしに言わせようっての………?」
「じゃあ、わたしが言えば、あんたはそれでいいの?」
 ルナの切りこむようなセリフにリナは言葉に詰まり、大きく息をついた。
 それから泣くのをこらえるように、その肩がふるえる。
「………アメリア。シグルドを死なせなて」
「イヤです!」
 間髪をいれずアメリアが叫んだ。
「アメリア!」
「イヤですっ !!」
 子供のようにアメリアが激しく首をふる。
 カッとしてリナが叫んだ。
「ワガママ言わないでよ! 運命のままシグルドを死なせなさい。その後で英雄化して神界へ迎えればいいでしょう !?」
 決して本心からではないリナの言葉に、アメリアはより激しくかぶりをふった。
「英雄化すればいいなんて、傲慢ですっ。死ぬのなら、そのまま輪廻へ還ってゆけばいいんです。私はシグルドさんが死ぬのを見たくないだけです!」
「それがワガママだっていうのよ! シグルドを英雄化しなさいっ。それで全部うまくいくんだから!」
 アメリアが顔をあげてリナを睨んだ。
「何が………何がうまくいくって言うんです !? 私たちと人間と、何が違うって言うんです !? 英雄化なんて偉そうなこと言って、私たちが人間に頼っているだけじゃないですかッ」
 つかつかとリナが歩み寄って、フィリアを押しのけてアメリアの正面に立った。
「いまは神族と人間の差なんかどうだっていいのよ。大事なのは、定めの糸車が狂いはじめて、それを元に戻さなくちゃいけないくて、あんたには英雄化ができるってことよ」
 アメリアが嘲るように笑った。誰に向けられたわけでもない、歪んだ笑み。
 嘲っているのはきっと自分自身だ。
「だからシグルドさんを殺して、歪みを正して、私を満足させるために神界へ迎えろって言うんですね!?」
 ぱんっ、とアメリアの頬が鳴った。
「リナさん!」
 フィリアが咎めるようにリナの名を呼ぶ。
「自虐するんじゃないの。いい加減にしてよ、アメリア。とれる最善の方法がそれしかないのよ」
 頬を抑えたアメリアが、キッとリナを見返した。
 ぱんっ、と再び乾いた音がした。
 リナを叩いた手を押さえて、アメリアが叫ぶ。
「一度ぐらい死んでもだいじょうぶだから、殺せって言うんですか!? 一度でも二度でも、死は死なのに !!」
「アメリアっ」
 リナの手がアメリアの胸ぐらをつかんで揺さぶった。
 感情を殺そうとして失敗した、嗚咽混じりのその声。
「お願いだから、ワガママ言わないで。あんた、あたしが言いたくてこんなこと言ってると思ってんの………!?」
 アメリアの目から涙が溢れ出した。
 思っていない。リナは、いつだって優しい。こんなこと言ったりなんかしない。
 リナをここまで傷つけたのは、言いたくないことを言わせているのは、自分だ。
 アメリアはリナの手をふりほどいた。
 一歩後ろに下がると、大鎌を手に出現させて、ためらうことなくそれを水晶の床に投げ捨てる。
 澄んだ音をたてて転がるそれは、採魂の象徴。
「英雄化なんかしたくありません」
「アメリアさん。このままでは世界がめちゃくちゃになります!」
 その濃紺の瞳に涙をいっぱいに溜めたアメリアが、フィリアをふりかえって叫んだ。
「未来も世界もどうだっていい! シグルドさんを死なせたくない !!」
 アメリアは〈主神の間〉から飛び出した。



 リナはアメリアが消えていった扉を見つめた。
 まだ痛む頬を押さえて、アメリアが投げ捨てていった採魂の大鎌へと視線を移す。
 くもりひとつないその刃は、ただ無機質に広間の光と色を反射するだけだった。

『世界も未来もどうだっていい!』

 アメリアの叫びが頭の中でこだまして、その真紅の瞳に徐々に輝きが戻る。
 涙がひとすじだけ、頬を伝った。
(ごめんね、アメリア)
 自分に、アメリアを責める資格も、止める資格もない。
 それは、わかっていたのだ。
 誰にも聞こえないような小さな声で、リナは呟いた。
「そうよ………。あたしもあのとき、そう思ったんだから………」
 リナは静かにルナをふり返った。
 強い光を秘めた妹神その視線を、まっすぐルナは受け止める。
「ごめん、姉ちゃん。あたしも、やっぱりシグルドを死なせるのはイヤよ」
「リナさん!」
 フィリアの悲鳴にも似た声に、リナは静かに首をふった。
「だって、あたしはとっくの昔に………千年前に、アメリアと同じことを思ったんだもの」
 世界も未来も、自分自身すらも、たったひとりには変えられない、と。
 そう思ったがゆえにすべての理性は弾け飛び、禁呪は封印を解かれ、フィブリゾ・ロキは目の前で滅んでいった。
 ルナは黙って妹神を見つめている。その苛烈な視線を怯むことなく受け止めて、リナは告げた。
「だから、姉ちゃんの補佐は、この瞬間かぎりでやめる。あたしもシグルドを死なせたりしない。あたしだって、運命だからってすべてを割り切る事なんてできない!」
 リナはそう言って、ルナとフィリアに背を向けた。
 扉を出ていく瞬間、ルナから声がかかった。
「あんたの好きにしなさい」
「………………ありがとう」
 短くそう言って、リナは部屋を後にした。



 妹神を見送って、ルナは細く溜め息をついた。
 しかたがない。あれでこそ、あの子たちなのだから。
 説得で折れてしまうような弱い意志を持つ妹神たちを、ルナは愛してなどいなかった。
 納得できない運命にせいいっぱい抗う、その魂の輝きをこそ、愛おしく思っているのだから。
 しかし、だからといって、世界が歪んでいくのを放っておくわけにもいかない。
「これは………最初に考えていたことで、どうにかするしかないわね………」
 卒倒寸前のフィリア・ヴェルダンディをちらっと見て、わざとらしく溜め息をつく。
「すごいわね。千年の恋が、ここまで事態を大きくしてしまったわ。愛って偉大よね♪」
「ルナさあああああああああああああんッ !!」
「あら、ウルドに変わったようね。ちょうどいいわ、〈三女神の間〉へ行きましょう。あなたたち全員と話がしたいわ」
 フィリア・ウルドの顔に驚愕がはしる。
 〈三女神の間〉。
 ひとつの器を共有する彼女たちが、肉体に捕らわれずに一堂に会することができる、過去も現在も未来も存在しない部屋。
「ルナ、さん………?」
 ルナはにっこりと笑った。この笑みを見たヴァン神族が顔を青ざめさせて逃げ出したという、伝説の微笑みにフィリアの顔が引きつる。
 ルナは笑顔で続けた。
「あの子たちに嫌われるのはお互いにイヤだしね。このさい荒療治も必要よねえ? もともと私って純粋なアース神族じゃないしー、禁忌なんかカワイイ妹たちにくらべればどってことないわ。
 そういうわけでフィリア、私に提案があるんだけど………?」
 ルナが頬に手をあてて、首を傾げる。
 断ったら承知しないという、無言の圧力に満ちていた。