時の旋律 第13章 勁さ
やわらかな寝具のなかでアメリアは目を覚ました。
まばたきを繰り返すと、夜が明ける寸前のかすかな光が目の奥に飛びこんできた。
「あれ………?」
呟いて身を起こす。
以前にも一度使ったことのあるシグルドの家の空き部屋だ。
自分がどうしてこんなところにいるのかがわからない。
濡れて、泣いて。
シグルドの優しさに甘えて。
でも、どうしてここにいるのだろう。ベッドに入った記憶がない。
「どうして………」
森の時と同じように、急に頭痛がしたのだ。
でも、今度は何を考えていたのだろう。
気が遠くなる痛みのなかで、大切な何かを見たような気がするのに。
大切な何かを、聞いたような気がするのに。
誰かの名前を。
アメリアは思考を放棄した。いくら考えても思い出せない。無理をするときっとまた頭が痛み出す。
ベッドの上でアメリアは子供のように膝を抱えた。
ただ痛みだけを自分の内側に押しこめて、涙を止める優しい腕が欲しくて。誰でもいいから抱きしめてほしいと思うけれど、やっぱり誰でもいいわけじゃない。
彼でなければ。
でもそれはただのワガママだ。
「私のバカ………」
ぽつんと呟くと、不意にドアが開いた。
弾かれたようにそちらをふり向くと、ランプを片手に――――
黒髪に白い肌のその姿に、一瞬だけ、青銀の髪に青黒い肌の青年の姿が重なって消えた。
その瞳は、どちらも氷蒼。
(いまのは………何………?)
「目が覚めたようだな」
少し低めのやわらかな声。優しく、響く。
とくん。
鼓動が、はねる。
泣きそうになる。溢れる想いが止められなくて、胸が苦しい。
「シグルドさん………?」
「油をついできただけだ」
確かに、ランプの明かりがいつもよりも激しい。
サイドテーブルに置かれたその光の強さに、アメリアはわずかに目を細める。
「ずっと………、いてくれたんですか………?」
「あ、ああ………」
無表情にシグルドはうなずいた。それが照れ隠しだと気づくのに、そう時間はかからなかった。
ベッドの端に腰掛けたシグルドの手が、アメリアの頬に添えられる。
氷蒼の瞳がもの問いたげにアメリアの顔を覗きこんできた。
「何が、バカなんだって?」
アメリアは目を見張った。次いで頬が熱くなるのがわかる。
手が、ベッドのシーツをぎゅっと握りしめた。
視線をそらした。炎に揺らめく影だけが、視界の全てになるように。
「ごめんなさい。迷惑ばかりかけて………」
「それだけか………?」
その声は優しい。だけどその声は甘えをゆるさない。
嘘がつけなくなる。隠していられなくなる。
「だから、私がバカなんです」
「どうしてだ?」
「だって………」
言おうとしたら、また涙が溢れてきた。シグルドから顔を背けようとする前に、手がのびてきて肩をさらって、頭をその腕の中に抱きこまれる。
シグルドの腕が作りだす影のなか。ランプの明かりもここまでは届かない。
涙はただ、溢れてこぼれる。
「だって………私、私のことをすごく大事にしてくれる人のことを、傷つけちゃったんです。ホントは、私が悪いってわかってたのに………」
そっと胸に頬を寄せる。静かな鼓動が伝わってきて、アメリアの心を落ち着かせていく。
「全部私のせいなのに、勝手に傷ついて、甘えて………………いまも、シグルドさんに」
声がアメリアの耳に落ちてきた。
胸に寄せた頬と耳との両方に直接響く、その声。
「アメリアも、その人のことが大事なんだろう? なら、お前が傷つくのも当たり前だ。何とも思っていないなら、平気な顔でいるはずだからな」
髪に指が差しこまれて、静かにすいていく。
シグルドがわずかに身じろぎした。すぐにそれは耳元で囁かれる声へと変わる。
吐息と、熱が。
「お前はそんな人間じゃないだろう? だから、いいんだ。それに、頼りにされないより、甘えてくれているほうがいい」
闇の中、アメリアはわずかに目を見開いて、すぐにぎゅっと閉じる。
どうしてだか、また泣いてしまいそうだった。
「俺なんかでいいのなら、いつでもこうしてやるから」
―――だから泣くな。
囁かれる言葉に、アメリアは首をふった。
「あなたじゃなきゃ、イヤです」
この人は優しい。
甘やかして、だけど大事なところでは甘やかさない。
正しくて、強い言葉。
この人の腕の中にいる自分なら、信じられる。
強くなれる。強くなりたい。
涙をこぼしてばかりいるのはイヤだった。
抱きしめられてだけいるのもイヤだった。
この人といたい。
この人を強く抱きしめ返せるようになりたい。
雨はとうに降り止んで、わずかな風が窓を揺らして微かな音をたてる。
空は白んで、闇を払拭しつつある。
窓から差しこむ、明けてゆく空の灰色がかった白光。
ランプの明かりが、部屋に差しこむその光に、大輪の花のような朱金の彩りを添えた。
触れる唇。体温。鼓動。
融けあう、ひとつの呼吸。