時の旋律 第14章 奔流

「ああっと、ガウリイさん。あの子がどこにいるか知らない?」
 ガウリイは神界宮殿の廊下でやたらうきうきした様子のルナに声をかけられた。にこにこしている主神代行の女神とは逆にその後ろに控えている運命の女神はいまにも死にそうな顔色だ。
 あの子とはもちろんルナの妹神のことだから、運良く行き先を知っていたガウリイは正直に答える。
「え、下界? 困った子ねぇ」
 ルナは頬に手をあてて首を傾げ、それから後ろをふり返った。
「ま、いいわ。フィリア、あの子を呼んできて。ガウリイさんは私と一緒に来てちょうだい」
 何事かとガウリイは驚く。剣の相手を欲しているとき以外、ルナはガウリイに一緒にきてほしいだなどとは言わない。
「ルークも呼びますか?」
「ああ、ルークはいいわ。どうせまたミリーナさんを口説きに行ったんでしょ?」
 あっさりとそう言うと、ルナは再び首を傾げた。すでにフィリアはルナの命令を実行しに下界に降りたようで姿が消えていた。
「シルフィールは………そうね、一応来るか来ないか訊いてみて。何も全員参加する必要はないのよ、これからする話は………」
 妹そっくりの表情で、ルナはにっこりと微笑んだ。



 翌朝、例によって朝食をシグルドに出した後、アメリアは外に出た。
 シグルドは今日こそ王位継承問題に決着がつくと言って登城してしまい、アメリアはいま一人きりだった。
 もはや、いられるところはここしかない。
 ヴァン神族がセイルーンの王位継承問題にかかわっているのか、結局真実は確かめられなかった。シグルドは、ちゃんと公私の区別をわきまえていて、アメリアに少しも話そうとしなかったのだ。
 シグルドの無事が少し気にかかったが、今日中に解決させると言うくらいだから事態は明るい方向に向かっているのだろう。ヴァン神族がかかわっているのは、ここではなかったのかもしれない。
 それに、神界宮殿を飛び出したいま、もう戦乙女として生きる気はなかった。
 空は薄曇りで昨日の嵐が嘘のように、風はそよとも吹かなかった。
(変な天気………)
 ぼんやりと暈がかかる太陽を見上げて、視線を正面に戻すと、そこにはたたずむリナとアリアの姿があった。
 以前にも見たことのある魔道士の姿。アリアの方は、黒い帽子にマントという出で立ちだった。
「 !? 」
 アメリアの表情がこわばる。
 だが、アメリアが何らかの行動を起こす前にリナが口を開いた。
「安心して、あんたを連れ戻しにきたんじゃないの」
「リナ………さん………?」
 その真紅の瞳が、ふっと泣きそうな顔で笑った。
「情けない顔してんじゃないの。あんたの元気はどこ行ったのよ」
「あの………、私、事情はよくわからないんですけど、アメリアさんが出ていったって聞いて、これだけは言いたくて連れてきてもらったんです」
 アリアが、その隣りでおずおずと口を開いた。
「私と姉さん、アメリアさんにとても感謝してるんです」
 アメリアの目が驚きに見張られる。
 アリアの言葉は続く。
「だって、アメリアさんが死の先があることを私たちに示してくれなければ、私はずっと死んだときの気持ちを引きずったままで、姉さんだって救われなかった。
 私たちに居場所をつくってくれたのは、アメリアさんです。姉さんのあんなふうに穏やかに笑う顔なんて、生きている間は私あんまり見たことなかった………。
 アメリアさんが私たちを採魂してくれなければ、いまみたいに幸せに笑うことなんかできなかったはずなんです。だから、だから………」
 アリアとアメリアを見つめるリナの顔は、満足そうな優しい表情をしている。
「採魂は神さまの傲慢なんかじゃありません。あなたが、私たちを救ってくれたんです。だから、そんなに哀しい顔しないでください………」
「アリアさん………」
 駆け寄ってきたリナがふわりとアメリアを抱きしめた。
「あんたはいっつもそうなのよ。あんたが採魂して連れてくるヤツは、みんなあんたに救われているのよ」
 栗色の髪がアメリアの視界一杯にひろがる。肩にかかる重みが、どうしようもなく嬉しくて、温かい。
 耳元でリナが小さく囁いた。
「あたしもね、シグルド殺すのイヤだから、姉ちゃんに反抗してきちゃった」
「リナさん!?」
 慌ててアメリアはリナの顔を見ようともがくが、リナはアメリアを抱きしめてはなさない。
「だって、あたしもあんたと同じこと思ったことあるんだもん。言えるわけないじゃん、好きな人を殺せって」
「リナさん………」
 アメリアはリナの肩に顔を埋(うず)めた。小さくて、細い肩。
 でも自分なんかよりもっと、力に溢れた、強い肩。
「ごめんなさい。ひっぱたいちゃって………」
「バカね。あたしが先に叩いたのよ。そこんとこ忘れたの?」
 体を離してアメリアの頬を両手ではさみこんで、リナは笑った。
 そのリナが何かを言いかけて、急に厳しい表情でふり返った。
 真紅の瞳が空の一点を見つめる。
「フィリアに見つかったわ。もう戻る。アメリア、今度こそ死なせちゃダメよ」
「え………? リナさん!」
 アメリアが呼ぶが、そこにもうリナとアリアの姿はない。ただ、灰色の空と石畳。
 よどんだ大気が、わずかに揺らめいたような気がした。
 不満そうにアメリアは呟く。
「ありがとうって、まだ言ってないじゃないですか」
 まだ、自分はアリアにもリナにも何も言いたいことを言ってないのに。
 昨夜の雨に打たれたときの気持ちが嘘のようだった。現金だなとは思ったが、嬉しいことに変わりはない。
 ふっと微笑んで、アメリアは大通りに出ようとした。
 革のブーツが石畳に踏み出されたその瞬間――――
 勢いよくアメリアはふり向いた。
 視線を向ける先は、セイルーンの中心。
 突然の悪寒に、ぞわりと肌が粟だった。
 ちりちりとした焦燥が指先を焦がす。鳴り響く鼓動に胸が押しつぶされそうで苦しい。
 呼吸が止まる。
「………!?」
 思わず両手で肩を抱いていた。
 嫌な感覚だけはどんどんと強くなっていく。
 不意に溢れ出すように、甘い香りが立ちこめた。枝から落ちる寸前の熟れた果実のような、むせ返るほどの甘い芳香。
 アメリアにどんどんからみついていく、死の予兆。
「何、これ………。シグルドさん………!?」
 おかしい。シグルドはこの場にいないのに。
 定めを狂わせてしまったいま、彼の死など読めなくなっているというのに。
 しかしアメリアは迷わなかった。
 王宮に行かなくては。
 きっと取り返しがつかなくなる。
 いつだったかのリナの言葉を思い出す。
(アメリア。あんたも下界でなら、羽根を出しさえすれば空間を渡ったりできるわ。でも気をつけなさい。空間を渡ろうとすると、神気をまとえなくなるから、翼を出したあんたの姿が丸見えになるわよ。渡る前も、渡った後も)

 ―――そんなことはどうだっていい !!

 華奢な背中をおおい隠すように、光の翼が現れる。
 空間を渡る瞬間、アメリアには、見えた。
 想いが爆発して溢れ出す。
(いやよ今度こそ死なせない!)


「だめえええええええええええええぇぇッ !!」