いつもの彼ら―――ばんごはん

 やがて、山道に分け入ってから、一刻ほど歩いただろうか。
 高く幾重にも重なる梢の隙間から覗く空を見あげ、リナたちは誰からともなくごく自然に道を外れた。
「地図からすると、ちょっと西あたりじゃない?」
「いや、この植物相からするとそれよりは少し北だろう」
 リナとゼルガディスが地図を片手に議論するのを、アメリアがマントをつまんだままの姿勢で見守っている。彼女も王族とは思えないほど旅暮らしや野宿に慣れているが、さすがにこういう技術は身についていない。
 やがて、リナがガウリイをふり返った。
「ガウリイはどう思う?」
「んー、そうだなあ」
 のほほんとした雰囲気で、ガウリイが北西の方角を指さした。
「あっちのほうから水が流れる音がするような気がするんだが………」
「オーケイ。じゃ、あっち行ってみましょうか。どっちにしてもゼルもあたしも、似たような方角指さしてるし。ちょっと歩いて、また方向確認するということで」
「ああ」
 リナの決定に対して、ゼルガディスは地図をたたみながら素っ気なくうなずいた。
 行く先は少々傾斜のきつい下りだった。手が塞がったままのアメリアと目があうと、彼は先刻の順列通り、先に行けと彼女をうながす。
「転ぶなよ」
「はい、気をつけますっ」
「ゼルちゃんやっさしー」
「お前はコケてもいい。夕飯は無事だ」
「ぬゎんですってえっ―――ぅにょわあっ!」
 後ろをふり返ったリナが、木の根にけつまずいて思いっきりつんのめった。すかさずふり返ったガウリイに受けとめられ、自分の醜態にかそれともこの密着体勢にか、さすがに赤面して起きあがる。
「ほら見ろ、言わんこっちゃない」
「ゼ〜ル〜………!」
 間にはさまれた形となったアメリアが悲鳴をあげた。
「リナさん、やめてくださいっ! いまここで呪文なんか唱えたら、わたしと今夜のお夕飯が巻きこまれます〜!」
 お夕飯、の言葉にリナが舌打ちし、マントをいらだたしげにひるがえした。怒りを発散させながら先を行く背中に、後続二人は少々ほっとしてあとに続く。
 やがて目的の水場―――このあたりの川の源流となる沢を見つけると、一行はそこから少し離れた木立のなかを今夜のねぐらとすることにした。
 頭上に密に重なる枝葉を見あげ、リナがうなずく。ここならば火を燃やしたところで、煙は一直線に立ちのぼらない。枝葉に拡散して、大気にまぎれてしまうだろう。昼にしろ夜にしろ、一筋に立ちのぼる煙はそこに人がいると大声をあげて宣言しているようなものだ。
 それぞれの荷を下ろす傍らで、アメリアがマントの中身を地面に空けた。ずっと同じ姿勢で肩が凝ったのか、うんと大きく伸びをし、それからあたりをぐるりと見回す。
「おっさかっなさん、おっさかっなさん♪」
 木の根元に腰をおろしたリナが荷物のなかから釣り針をとりだし、何やら歌いながら髪を数本引き抜いて結びあわせる。ガウリイが切ってきたよくしなる生木の枝にそれを結びつけると、彼女は勢いよく立ちあがった。
「んじゃ、あたし魚釣ってくるから。あ、あとそこのキノコとか洗っとくわ」
「了解。気をつけろよ」
「わかってるわよ」
「ゼルガディスさん、わたしも行ってきますね」
「―――ああ。こっちはやっておく」
 ガウリイが片手をあげ、木立の奥へと消えていく。アメリアもそれに続いた。もう慣れたもので、だれも何も言わずともそれぞれ役割が決定している。
 ゼルガディスは立ちあがると剣を片手に、少しあたりを見てまわった。川からは少し離れているし、植生を見る限り、急な増水などもこのあたりまでは届かないようだ。地盤もしっかりしている。ゴブリンや獣がいたらしき跡も見あたらないし、特に危険は感じられない。
 天候は心配ないだろう。ゼルガディスの予測とガウリイの勘では、そう大きく崩れることはないはずだ。もっとも、山の天気は変わりやすいので油断は禁物だが。
 考えられる不測の事態を予想しながら火を熾す場所を決めると、ゼルガディスはそこに手頃な石と木の蔓、焚きつけ用の細い小枝を集めはじた。
 魚―――ということは、枝に刺して焼く気だろう。これにアメリアが運んできたキノコと木の実。町では今日の夕食分として各自でパンを購入してある。パンはあまり日持ちしないが、二、三日程度なら充分なんとかなる。
 野営する場所の設営を終えると、ゼルガディスは浮遊(レビテーション)で上がった先の少々高い梢に食料などの荷物を引っかけ、水場のほうへと歩きだした。
 徐々に近づいてくる、水の流れる音。
 向かった先では、リナが手首のスナップだけで釣りあげた魚を釣り針から外しているところだった。相変わらず器用な真似をする。
 河原には、すでに十匹近い魚がびちびちとのたうっていた。例のオリジナルだという入れ食いの呪文を使ったのだろう。
 以前、ゼルガディスは少々興味を持って、この呪文を教えてくれないかと問うてみたのだが、即座に片手を突きだし金貨二十枚と告げられたので、こちらも即座に断った。たかだか魚を釣るためだけの呪文に金貨二十枚も払えるものか、阿呆らしい。川に突きだした岩などに振動弾(ダム・ブラス)を撃てば、魚などいくらでも浮いてくる―――水生生物が一網打尽となるうえに、地元民から目の敵にされるので、あまり頻繁にやるわけにはいかないが。
 リナはゼルガディスに気づいているようだが、魚を釣るほうを優先したらしく、声をかけてこない。
 ゼルガディスも特に気にせず、水辺に近寄ると水質を確認した。喉を潤すと、持ってきた水筒をいっぱいにする。それからリナのもとへと歩み寄り、隠しから取りだした小刀で魚を捌きはじめた。
「だから、はらわたが美味しいんだってば」
 釣り竿を手にリナが横目でゼルガディスを睨むが、彼は気にすることなく臓物とえらを抜きとっていく。
「はらわたのなかの虫まで食べたくはない」
「呪文使ってるんだから虫なんか入ってるわけないでしょーが。ったく、あんたもガウリイも男のくせにちまちまと………」
「いくつかそのままにしといてやるからそれを食え」
 リナは口をへの字に押し曲げたが、それ以上は何も言わず、肩をすくめて釣りに専念した。
 ―――結局、二十匹あまり釣ったところでリナが飽きたと言いだし、二人はそれを持って野営地へと戻った。


 一方―――。
 ガウリイと一緒に(まき)を拾いに出たアメリアは、ブナの木の群生地を見つけて歓声をあげていた。
「うわあ、ブナの実がいっぱい落ちてます!」
 ブナは毎年実をつけることはない。今年はたまたま当たり年なのだろう。
 ガウリイが笑いながら、アメリアの腕ほどもある枯木をいくつか拾いあげる。
「アメリアはしばらくこっちを拾っててくれないか。薪のほうはオレが集めとくからさ。持って帰るときだけ手伝ってくれよ」
 さっき拾った量だけでは、とてもリナが満足しないとわかっているのだろう。このひと、ほんとリナさんに甘いよなあと、アメリアはなかば感心しながらうなずいた。
「わかりました、じゃあそっちはお願いしますね」
 アメリアは腰のポシェットの口を開けると、そこに片端からブナの実を放りこみはじめた。ガウリイのほうは少し離れたところで倒木を見つけたらしく、運びやすいように切り分ける音が聞こえてくる。
 そろそろお腹が空いてきた。生えている香草をちぎって噛みながら空腹感をごまかし、アメリアはしばらく黙々と木の実拾いに専念する。
 ―――突然、木立をぬって響き渡ったのは、何かがぶつかる鈍い音と、引き絞られた絶叫のような音。
 アメリアは慌てて腰を伸ばすと、ポシェットの口を閉じてガウリイのほうへと向かった。
「ガウリイさんっ?」
「おー、アメリア。今晩のおかずがとれたぞー」
 地面に屈みこんでいたガウリイが彼女の気配に顔をあげ、のんびりと手で合図をしてくる。
 足下にある灰色の塊を見て、アメリアは納得した。
「って、ウサギですか。びっくりしました………」
「ちょっと狙いが甘かったんだ。驚かせて悪かったな」
 すでに絶命しているウサギの横には、アメリアの拳ほどの木片が落ちていた。これを投げて捕まえたのだろう。相変わらず非常識な腕前をしている。
 野宿の最中にガウリイがこうやって何かしら食材を調達することは多いので、さすがにアメリアももうこんなことでは驚かなかった。生きていたら可愛くて多少心が揺れるのだが、それでも最終的には美味しくいただく。そのあたりは迷わない。愛玩用ならともかくも、野生の獣である。
「それ、どうするんです? ここで捌くんですか?」
「そうしたいけど、持って帰るとき邪魔だよな。うーん………しょうがないから戻ってからにするか」
「それか、いったん戻って薪を置いてから、またどっか捌きに行けばいいんじゃないです?」
 それならば、血の匂いが寝るところまで漂ってくることもないし、捨てた皮や内臓に獣が集まってきても平気だ。
「そうだな、そうするか」
「そうしましょう。ガウリイさん、わたしにも捌きかた教えてください」
 鳥はこのあいだ教えてもらったから、今度は四つ足だ。
 ウサギの毛皮を撫でている小柄な少女を見下ろし、ガウリイが面白そうにちょっと笑う。
「アメリアはお姫さまなのに、そういうのほんと熱心だよなあ」
「できないよりはできたほうが、いざというとき役に立つじゃないですか。それに、こういうときしか憶えられませんし」
 王宮では当たり前だが、だれも王女に動物の捌きかたなど教えようとしない。アメリアが厨房あたりに頼みこめば教えてくれるかもしれないが、アメリアのするべき仕事、学ぶべきことは他に山のように存在するので、そちらを優先しなければならない。―――単なる優先順位の問題なのだが、王宮で過ごすことが多いアメリアには、なかなか順位が変動する機会が訪れない。
「オレでいいなら、いくらでも教えるけどな。ゼルは教えてくれないのか?」
「ゼルガディスさんは知識はともかく、実技は教えるのヘタです」
 唇を尖らせて拗ねた顔をするアメリアに、ガウリイが吹きだした。
「それに、リナさんたちと野宿をするときって、獲物を捕まえるのたいていガウリイさんじゃないですか。それをわざわざゼルガディスさんに教えてもらうのって変ですよ。ゼルガディスさんは、食べられるキノコとか、生えてる植物から地質を見分ける方法とか、そういうコトを教えてくれるから、それでいいんです。ガウリイさんにはそういうことって教えられませんよね?」
「たしかにそーいうのはムリだなあ。なんとなくなら、わかるんだが………」
「だから、ウサギの捌きかたはガウリイさんです」
「わかったよ。じゃあ、戻るか」
 木の蔓でウサギの手足をしばり腰にくくりつけると、ガウリイは山のような薪を抱えて歩きだした。
 アメリアの腰にはいっぱいのブナの実。夕食後にこれを割って食べるのが楽しみだ。
 彼女も持てるだけの枝を抱えて、その後に続いた。


 アメリアとガウリイが薪を両手に戻ってくると、すでにリナとゼルガディスは野営地に戻っていた。
 リナがキノコと魚に木の枝を折って作った即席の串を通している傍らで、ゼルガディスが近場で集めた小枝を焚きつけにして火を熾している。
 ガウリイが手にした大きなウサギを見て、ゼルガディスが感嘆の顔になり、リナが歓声をあげた。
「沢んとこで捌いてくるけど、どうする?」
 問われているのは調理法だ。魚と小枝を手にリナがしばらく考えこむ。
「うーん。四人いるし、丸焼きはめんどいわ。全部ばらしちゃって。香草と塩とワイン使って石の上で焼きましょ」
「わかった。アメリア行こうぜ」
「はい! あ、リナさん、ブナの実いーっぱい見つけましたよ!」
「よっしゃでかした」
 ポシェットのブナの実をざらりと空けると、アメリアは携帯用の皿を数枚つかみ、ガウリイの後に続いて水場へと降りていった。
「あっ、平たい石洗って持ってきてねー!」
「わかりましたー」
「―――リナ、その枝はやめろ。毒がある」
「ちょっ、そーいうことはもっと早く言ってよね!」
 リナがぎょっとした顔で手にした枝を捨てると、別の小枝を手にとった。
 火は着きはじめがいちばん煙を出す。念のためにアレンジした魔風(ディム・ウィン)で適当に頭上の煙を散らしながら、ゼルガディスは火を熾した。
「アメリアもよくやるわよね〜。鳥は羽むしるだけだからいいけど、ウサギの皮の剥きかたってちょっとエグいわよ」
 魚のヒレにたっぷりと塩をまぶしながら、リナが呑気にそんなことを言った。
「本人がやると言ってるんだから、別に問題はないだろう。だいたいお前はどうなんだ」
「やろうと思えばできるけど、あれなのよね、基本的にそこまで手間かけることが少ないのよね〜。街でご飯食べることが多いし、野宿してもそういうことってたいていガウリイがやっちゃうし」
 たき火のまわりに魚を刺した串を突きたて、ところどころ石で補強する。
「旅をしているくせに、ほとんどの飯を町中で済まそうとするほうがめずらしいんだがな」
「楽できるならそれにこしたことはないでしょーが」
 同じ旅暮らしでも人里離れた遺跡をまわることの多いゼルガディスと、基本的に行った先の街で依頼を受けて旅を続けているリナとでは、旅のスタイルが違う。
 具体的に言うならば、野宿のときにどれだけ居心地をよくするかということに対する熱心さが違う。野宿をすることが多いゼルガディスのほうが、そちらのほうにより熱心だ。
「これでよし、と―――あっ、あの二人、マツの木拾ってきたわね。んーもう、ガウリイもそんぐらい見分けなさいよね。ええと、じゃあこっちが食事時にくべるようで………」
 串を立て終わったリナが、ぶつぶつ言いながら二人が拾ってきた薪を仕分けしはじめる。
 火の面倒を見ていたゼルガディスは成り行きで、そのまま魚とキノコの焼け具合も見ることになった。
 そうこうしているうちにガウリイとアメリアが戻ってくる。リナはショルダーガードを外し、マントと手袋を脱いだ。
「どう、アメリア。ウサギうまく捌けた?」
「何か、あっという間でした。こう爪先のほうに切れこみを入れてですね、一気に皮を―――」
「肉を手に説明せんでいい」
 アメリアとリナが肉に塩とワインをまぶし、ちぎった香草を揉みこんでいるあいだに、ガウリイが持ってきた石にゼルガディスが炎の槍(フレア・ランス)を放つ。
「ガウリイ、買っといたパン出してー」
「リナさん、焼きますよー」
 じゅうっと何とも景気の良い音と香ばしい匂い。小枝を使ってひっくり返すと溶けだした脂が石の上を流れて落ちる。
 ゼルガディスとガウリイが焼けた魚とキノコの串をとりのけ、新しい串を火に近づける。
 大きな葉の上にのせられた魚に、さっそくリナが手を伸ばした。揺らめく炎に照らされた腕が濃く長い影を大地に落とす。
「じゃ、食うか」
「そうだな」
「いっただっきまーす!」
「いただきまーす」
 木々の天蓋越しに、暮れなずんだ空の反対側では星がまたたきはじめていた。