いつもの彼ら―――あかりのわ
月が昇るころには、用意された食材は跡形もなく各自の胃袋におさまっていた。
炎があたりを鮮やかに赤く照らし、宵闇に踊る火の粉がぱちぱちはねる。そこにアメリアが食べ終わった串をまとめてくべた。
ガウリイは火の傍で黙々とブナの実を割り続けている。ぱちりぱきりと乾いた音。
少し離れたところに骨を埋めて始末し、野営地に戻ってきたゼルガディスは、リナから鍋を貸せと言われてやや渋面になった。
「食事も終わったいまになってどうする気だ?」
「せっかくだから、お茶淹れんのよ」
「水とワインを飲め。ワインはともかく水ならいくらでもあるだろう」
「やーよ。四日も野宿すんのに、ずーっと水とワインだなんて」
リナの言うことにも一理ある。
野宿が一日だけなら効率のほうを優先させるが、数日続くようなら少しでも良い環境で過ごしたいのはゼルガディスも同じだ。
彼が渋い顔をしたのは、鍋を貸せと言われたからだった。
リナは携帯食料ですませてしまうか、現地調達による道具を使わない調理法を好むが、ゼルガディスは調理道具を使うことも多い。リナよりもはるかに野営の機会が多いので、彼女のようにその場の状況だけに頼ってしまうと逆に効率が悪すぎるのだ。
詰まるところ、リナは鍋を持ち歩いていないが、ゼルガディスは持ち歩いている。そしてリナはそれを承知しているのである。
―――何が嫌かというと、鍋の底に煤がつくのが嫌なのである。
調理のたびにこびりついて当たり前の煤だが、落とすのはなかなかに面倒くさい。だが煤払いをさぼると、途端に一緒に入れている他の荷物が相当悲惨なことになる。
何日かここに居座るというのなら別に貸すのに不満はないのだが、明日の朝にはここを出立するのだ。あとは休むだけという間際になっていまさら「貸せ」と言われると、渋面になるのは当然だった。
すぐには返事をしないゼルガディスに、リナが呆れた顔になった。
「ちょっと煤がつくぐらいいいじゃないのよ。まったく心が狭いわねえ」
「調理器具を持ち歩かないお前にどうこう言われる筋合いはない」
「ゼルガディスさん、わたしがお鍋洗いますから。せっかくですからお茶飲みましょうよ」
アメリアにまで言われてしまい、彼は溜息混じりに荷物のなかから携帯用の鍋をとりだした。
「鍋を貸せというなら、いま火に放りこんだ松木をどけろ。松煙がつくなぞ冗談じゃない」
松ヤニを含んだ煤のしつこさときたら想像を絶する。
「あっ、ほんとだ。ちょっとガウリイ! そっちの薪の山は寝る時に燃やす用って言ったでしょうが!」
「そうだったっけか?」
「このくらげーっ」
リナがガウリイをどついているあいだに、ゼルガディスは磨き砂と石鹸を荷物のなかからとりだした。
火であぶって柔らかくした石鹸を削りとって砂と練りあわせ、少量の水を使って鍋底に伸ばしていく。事前にこうしていると煤が落としやすい。
「ほら、使えばいいだろう」
「ありがと」
リナが水袋の水を鍋に空け、石と木の枝で即席の足場を組んで火にかける。ガウリイが何も言わずに空になった水袋を受けとり、立ちあがって水場へと向かった。
「浄水結はどうした」
「あの呪文で出てきた水で淹れたお茶って、なーんか味がつまんないのよね〜。せっかく近くに水場があるんだし、どうせ飲むなら美味しいほうがいいでしょ」
効率を重視するときは怖ろしいほどの割り切りを見せるが、こだわるときにはとことんこだわる。彼女なりのその線引きが読めることもあれば、読めないこともあり、いまは後者だった。調理器具を持ち歩かないくせに、野外で淹れる茶の味にこだわるあたりがよくわからない。
美味しいほうがいい、という意見が彼女らしいことは、よくわかるのだが。
リナは己の荷物のなかから革製の筒をとりだすと、隣りに腰を下ろしているゼルガディスに無造作に手渡した。
「ごめん、ちょっとそれ開けて上のほうに入ってるお茶の包み出しといて。………っれー、お砂糖どこにやったっけ」
人使いの荒い彼女に溜息をつきつつ、ゼルガディスは筒から蓋をひき抜いた。内部の空気圧の抵抗にともない、ぽん、と軽い音がする。
リナの持ち物では初めて見るものだが、ずいぶん使いこまれていることがわかる容器だった。魔力強化をほどこしてあるのか、軽いわりにはずいぶんと頑丈そうだ。筒の表面には魔道文字とリナの名前の頭文字が焼きつけられている。―――ということは、特注なのだろう。こんな形の道具を店で見かけた憶えはない。
ワックスで形成した堅固な皮筒のなかには、ひとまわり小さな金属製の筒が入っていた。筒を取りだし、まだなかに何か入っていることに気づいてひっくり返すと、金属製の小さなカップが出てくる。こちらは内側に入っていた筒よりも直径が大きく、外側の筒よりは小さい。
筒とカップは素材が違うのか、炎の明かりにそれぞれ違う輝きを見せていた。
両方手にしたまま、ゼルガディスはしばらく沈黙した。
「ゼルガディスさん?」
気づいたアメリアが問いかけるが、ゼルガディスは無言でカップを地面に置くと、内筒の蓋を開ける。同じ素材でできたかぶせる形の蓋をとると、さらに油紙とコルクを使った内蓋が出てきた。それもとり去る。
「………リナ」
「あっれ〜、お砂糖がない。ガウリイに預けたんだっけか?」
「………おい、リナ」
「ん〜何よ、いまちょっと忙しいんだけど。お茶の包みあったでしょ?」
「クルファの丸薬は茶か? 煎じて飲んだら一発であの世に行けるぞ」
「はあ !?」
リナが唖然として顔をあげた。
ゼルガディスは筒を逆さにして地面に敷いていたマントの上に中身を空けた。羊皮紙をコーティングした薬包紙の小さな包みが、ころころといくつも転がり出る。どれも紙の表面に几帳面なリナの字で何かの略語が書かれていた。
「あっ、バカ! 乱暴に扱わないでよ! あたしの財産のほとんどがソレに入ってるんだから!」
「魔道薬の保管容器に茶ッ葉を入れるやつがどこにいるんだ! 魔道銀の計量カップにオリハルコンの筒だと !?」
「何よ、別にどんな使いかたしようがあたしの勝手でしょ !? 湿気も入らないし便利なんだから!」
「茶ッ葉と間違えてムスタールの粉なんぞ煎じてみろ! 飲む前に匂いだけで幻覚を見るわ! いったいどこに茶ッ葉がある !?」
「あるわよっ」
リナは砂糖を捜すのをやめ、ゼルガディスの手元を覗きこんだ。アメリアも反対側から覗きこむ。ゼルガディスは何度目かの溜息をついて天を仰いだ。
「いちばん上にのせといたはずよ」
「いちばん上はクルファの丸薬だったぞ」
ゼルガディスから奪い返した内筒のなかに魔道薬をひとつひとつ戻しながら、リナが何かを思いだした顔になった。
「あっ、そうか。こないだゼロスから呪符買いとる時に、こっからイロイロ取りだしたんだわ。忘れてた。ということは―――あ、あったあった」
リナの指が大きめの包みを取りあげる。きょとんとした様子で見守っているアメリアにそれを渡すと、リナは他の包みを全部筒のなかに片づけた。手袋は外しているくせに、問題の呪符とやらは紐をゆるめただけでそのまま手首に着けている。
過日のセイルーンでの一件でリナがゼロスから手に入れた、魔力容量を一時的に拡大するという、とんでもないシロモノだった。元の持ち主と一緒で出所不明の何とも怪しげな魔法の道具だったが、その効果は疑いようがない。
「………よくあのゼロスが手放したもんだな」
「まあ、そこは実家が商売やってるしね。交渉よ、交渉」
いったいどんな交渉なのやら。
茶葉の包みを開きながら、アメリアがふと首を傾げる。
「そういえばゼロスさんとマルチナさん、最近見かけませんね」
「………どーせそのうち、またいらんタイミングで出てくるでしょーよ………」
心底嫌そうにリナがうめいたとき、ガウリイが戻ってきた。保管容器の蓋を閉め、リナはひょこんと立ちあがる。
「あっ、おかえりガウリイ。ねえ、あんたの荷物のなかに砂糖入ってない? あたし入れなかったっけ?」
「ただいま。砂糖〜? お前さん、そんなん入れてたか?」
「ちょっと見てみてよ」
「ちょっと待てよ。ほら、水」
沸きかけていた鍋に水袋の水を足すと、一時だが湯気がおさまる。
リナとガウリイは荷物を囲んでしゃがみこみ、あれこれ言いながら引っかき回している。
手持ちぶさたになったアメリアが、放りだされたままのブナの実割りをガウリイの代わりにやりはじめた。
ゼルガディスはぐったりした気分で息を吐いた。茶を飲む前から何だか疲れてしまった。アメリアに実を差しだされ、礼を言ってつまむ。
―――砂糖は無事、ガウリイの荷物のなかから発見された。
沸いている湯のなかに茶葉を入れ、採取した香草のなかから香茶に向いたものを幾種類か足すと、最後にリナは砂糖の塊を景気よく鍋に放りこんだ。火から下ろすと、蓋をしてしばし蒸らす。
野宿しているときは甘い茶が疲労をとる。普段は無糖で飲むゼルガディスもそれを知っているので、特に反対はしなかった。
ふわん、と白くたちのぼった柔らかい湯気に、アメリアがうっとりと目を細める。
「いい匂いです〜」
「カップ出してほら」
リナが鍋からカップに茶を注ぎ分けていく。
「お前、それで飲むのか………?」
呆れて呟くゼルガディスの視線は、リナの前方―――先刻の魔道銀製の計量カップに注がれていた。とんでもない贅沢である。
「だって、こないだガウリイがあたしのカップ壊したんだもん。踏んづけたのよ。信じられる?」
「だから悪かったって言ってるだろ〜」
そのやりとりを横目に、ゼルガディスはカップを傾けた。
火傷しそうに熱い茶を啜りこむと、胸がすくような匂いが鼻腔を抜けていく。熱いせいもあってかひどく甘く感じたが、それがやけに美味く感じられるのも野宿のときはいつものことだ。
傍らのアメリアは熱すぎるのか、盛んにカップを吹いて冷ましていた。ちょっと舌をつけては慌てて引っこめる。
リナはお茶を飲みながら、また荷物を引っかき回しはじめた。
今度は何なんだと思いながら見守っていると、リナはとりだした革袋の中身を空になった鍋のなかにざばっと空ける。もふっと白い粉塵が立ちのぼった。小麦粉だ。さらには少量の塩と砂糖。
やがて茶を飲み干したリナは右手の呪符を外し、まだ温かい鍋のなかに手を突っこんだ。
「アメリア、ブナの実入れて。ゼル、豚脂ちょうだい。ガウリイ、水」
「お前な………」
意図はわかった。
文句を言いつつも、ゼルガディスは己の荷物から携帯用の小さな壺をとりだすと、蓋を開けてヘラで白い脂をすくいとった。アメリアが両手いっぱいのブナの実をざらざらと鍋に流しこむ。
「どれぐらい入れればいいんだ」
「あともうちょっと………ありがと、もういいわ。あんまし入れるとベタベタするし」
出涸らしの香草とブナの実入りのパン生地をあっという間にこねあげると、リナはそれを荷物のなかからとりだした清潔な麻布で平たく包み、さらに外側を木の葉でくるんだ。
普段、効率重視で携帯食料をかじっているとは思えない、おそろしいほどの手際の良さである。本当にリナ自身が言うとおり、普段はできるがやらないだけなのだろう。
ここまで来ると、ゼルガディスにも次にどうするかがわかる。
無言でガウリイと二人、たき火を移動させると、いままで火を熾していたところに穴を掘った。直下は熱すぎるので、少しずらすようにと指示が飛ぶ。
穴のなかに生地を置くと、熱い灰と土をかぶせてまたその上から元通りに火を乗せた。
「小麦粉なんぞ買ってたとはな」
「まあね。ぶちまけて爆煙舞でも唱えれば爆発するし♪」
「そっちの用途でか………」
粉塵爆発用だと言われ、ゼルガディスは半眼でうめく。
「じゃあ、明日の朝ご飯も作ったことだし、そろそろ寝ましょーか」
粉まみれの手をはたきながら、リナが立ちあがる。アメリアも本日の役目を終えた鍋を手に立ちあがった。
「ゼルガディスさん、磨き砂もらえます?」
「灰も使え。よく落ちる」
「わかりました。持っていきます」
鍋のなかに灰を入れ、革袋を受けとったアメリアはライティングを唱えた―――鍋に。
「………いや待てソレはどうなんだ」
「だって手元が明るいほうが洗いやすいですよ、絶対」
光り輝く鍋を手にアメリアが平然とそう答える。
先に行くリナに明かりを所望され、慌ててアメリアは鍋を抱えて走っていった。
「………女の子ってたくましいよな」
ガウリイが苦笑し、ゼルガディスは生暖かい視線で遠ざかる背中を見送った。
不快というわけではないのだが、何とも言いがたい非常に微妙な気分だった。
草を丸めて作ったたわしで内側を洗い、川底の細かい砂利と灰と磨き砂でせっせと外側の煤をこすり落としながら、アメリアはリナに話しかける。
「煤のこびりつかないお鍋って、だれか研究して開発しませんかね?」
「あー、その発想はわからんでもないわ」
しゃがみこんでアメリアの仕事を見守っているリナは何かを思いだしたのか、ふと遠い眼差しになった。
「まあ、煙の出ない魚焼き網よりは画期的かもね………」
「何ですか、それ? 便利かもしれませんけど、焼き網ってお鍋より使い途がないじゃないですか」
「あんたの言うとおりよ。でも魚を焼く網にしたって鍋にしたって、魔道研究の開発費って金額単位が金貨を下回ることってないわよ。金貨二十枚以上のコストがかかる焼き網や鍋を誰が使うのよ?」
「ですね………」
ゼルガディスが事前に下処理をほどこしていてくれたおかげで、ほどなく鍋は綺麗になった。
「魔族にも野盗にも遇いませんし、今夜は平和ですね」
鍋を足下に置いたまま、アメリアはうんと伸びをする。
岩に腰掛けていたリナもぱんぱんっと埃をはたいて立ちあがった。手を洗いにきたため手袋は外したままだが、手首には元通りに呪符を着けている。
満天の星空を眺め、それからアメリアに視線を戻した。
見えない何かへ挑むように、その唇が笑みを刻む。
「―――ま、そのうち嫌でも向こうからやってくるでしょーよ」
セイルーンでの魔族の真の狙いはリナだった。
結果として巻きこまれた形となったセイルーンだが、魔族に付け入られるような隙があったことは事実だ。だがリナは謝らないし、アメリアも謝らない。たとえ双つが絡みあわずとも、それはいつか必ず目の前に結実し、それぞれにとっての災いとなっただろう。それが融合して奇怪な顛末となったことが、互いにとって吉と出るか凶と出るかはまだわからない。
わかっているのは、自分も彼女もそれを切り抜けて、いまここにいる―――ということだ。
鮮やかに笑って、リナがアメリアの肩を叩いた。
「戻りましょ。とりあえずいまは手がかり探しよ」
「ですね」
四人でいるなら、たいていのことは平気なような気がしてくるから不思議だった。
前を、隣りを、この栗色の髪の魔道士がともに歩いているかぎり。彼らが傍にいるかぎり―――。
暖かな炎の輪のなかへ、リナとアメリアは休息のために戻っていった。