楔―くさび― Side A&G

 アメリアは、とんとんとリズム良く宿の階段をかけあがった。手には、湯気をたてる深皿をのせた盆を持っている。
 目的のドアの前までくると、盆を持ったまま器用にノックして、開ける。
「リナさん、晩御飯持ってきましたよ〜」
 アメリアが元気良くリナの部屋に入ってくると、リナのうんざりした声が出迎えた。
「アメリア〜、もうお粥やだぁ。もう三日もお粥じゃないの〜」
「何言ってるんですか、リナさんは病人なんですよ? 病気にはお粥がいちばんです!」
「その根拠のない理由はどこから来るのよ………」
 頭痛をこらえるようにリナが頭を抱えた。
「もう熱もないから、治ってるってばぁ」
「ダメです!」
「うううううううぅ」
 あのあと、プラメアの村で宿を取り、全員が疲れてベッドに潜ったところまではよかったのだが、夜が明け、昼過ぎになってもリナだけが起きあがれなかった。
 無理のしすぎで、熱を出したのだ。
 あの三日間で、魔力は暴走させるし、失血死寸前までいくし、生身で空間は渡るし、聞けば五感もおかしくなっていたと言うから、その反動で熱ぐらい出ても罰は当たらないとアメリアは思う。逆に何もない方が怖いではないか。
 アメリアが復活リザレクションを唱え、昨日には熱も下がったのだが、失われた体力までは戻らない。
「だいじょうぶですよ」
 アメリアはにっこり笑って、盆をサイドテーブルにおいた。
「今日はパン粥ですから」
「だいじょうぶじゃないぃっ!」
 たまらずリナが悲鳴をあげる。
「せっかく宿の人に言って作ってもらったんですから、キチンと食べてください」
 リナはスプーンでパン粥をかき回す。
「味のあるもの食べたいよぅ………」
 しばらく何やら嘆いていたが、観念したのかパン粥を食べ始める。出す前に文句をつけても、出されたらきっちり食べるあたりがリナだ。
「ガウリイとゼルは?」
「ガウリイさんもゼルガディスさんも下にご飯食べにいってまだ戻ってきてません」
「そう」
 相づちをうって、リナは黙々とパン粥を食べ続ける。アメリアはベッドの横の椅子に座って、皿が空になるのを待っていた。
「アメリア」
「はい」
「お代わり」
「はーい」
 別に驚く様子もなく、アメリアは盆を持って部屋を出て、呟いた。

 ―――明日からはお鍋ごと持ってきた方がいいですかね。



 アメリアが下に降りていくと、ゼルガディスとガウリイが気づいて片手をあげた。
 宿屋の主人にお代わりを頼んでから、二人のテーブルに近づくと、すでに夕食の食器は下げられていて、テーブルの上にはボトルとグラスが置いてある。
 道理でなかなか戻ってこないはずだ。
「どうした?」
「お代わり頼まれました」
 ゼルガディスにそう答えると、ガウリイとゼルガディスは顔を見合わせて笑った。
「リナらしい」
 そう言って、ゼルガディスはグラスの中味を空けてしまうと、口元のマスクを引き上げた。ガウリイが怪訝な顔でゼルガディスを見る。
 ボトルはそれほど減ってはいない。
「もういいのか?」
「ああ。アメリア、まだ夕飯食ってないだろう? 俺が戻るついでにリナに持って行くから、お前はここで何か食ってろ」
「え、いいんですか?」
「かまわん」
「じゃ、お願いします。お盆を受け取るときに、ついでに宿のご主人に何か適当に頼んでくれませんか?」
「わかった。ガウリイ、ほどほどにしとけよ」
「それならもう少し中味を減らしていってほしいんだが………」
 ガウリイが何やら呟いたが、ゼルガディスはあっさりそれを無視した。
 厨房へ向かうゼルガディスに代わって、アメリアがガウリイの前に座る。
「どうしたんです、お酒なんて。リナさんとこ行かなくていいんですか?」
「いや、後で行くよ」
 ガウリイはそう答えたきりで、後は黙々とグラスをかたけている。
 それがちょっとだけ不自然に思えて、アメリアは首をかしげた。
 運ばれてきた料理を食べながら、アメリアはガウリイに尋ねた。
「なんだって今頃お酒なんか飲んでるんです?」
 探るようなアメリアの口調に、ガウリイはちょっとだけ苦笑したようだ。
「アメリアも飲むか?」
「飲んだことないです。で、なんだってリナさんの傍にいないでお酒飲んでるんですか?」
 とうとうストレートに尋ねてきたアメリアに、ガウリイは降参したようだった。
「んー、何となくヤケ酒」
「はぁ?」
 アメリアはスプーンを動かす手を止めて、聞き返す。
「何となく、ですか?」
「何となく」
「はぁ………。まあ、いいですけど、何となくでヤケ酒ってできるものなんでしょうか………」
 腑に落ちないながらも、アメリアは食事を再開した。
 ゼルガディスが頼んだものは、鶏肉の煮込みだった。特に好き嫌いのないアメリアはおいしくそれをいただく。
 食べ終えてから、食器をわざわざ厨房まで戻しにいって、アメリアは再びガウリイのところまで戻ってきた。
「お酒っておいしいですか?」
 突然の問いに面食らいながらも、ガウリイは答えた。
「いや、モノにもよるけど………。飲んでみるか?」
 軽い気持ちでそう尋ねると、予想に反してアメリアはコクンとうなずいた。
 ちょっと驚いたものの、ガウリイは立ち上がって厨房まで行くと、グラスとボトルを持ってくる。
「これは?」
「オレとかゼルが飲むようなのは、初めて酒を飲むヤツには強すぎるから。ちょうどいいのがあったから、もらってきた」
 ガウリイは、慣れた手つきでコルク栓を抜くと、アメリアの前に置かれたグラスに、半分よりわずか少なめの量まで酒を注いでやった。
「わぁ、キレーな色………」
 グラスの中を見て、アメリアは思わず声をあげた。
 透明な、何とも言えない淡いピンク色をした酒だった。
「これ、何ですか?」
「何だったか忘れた。たしか赤ワインと白ワインの中間のやつだったと思うぞ」
 かなりピントのずれた答えだったが、あまり酒の種類に興味のないアメリアは特に追求はしなかった。
「へえ。じゃ、いただきま〜す」
 ひとくち飲んで、アメリアは目を輝かせた。
「甘くて、美味しいです」
「そういうヤツを選んだからな。でも、何だって急に酒を飲む気になったんだ?」
 アメリアはイタズラっぽく笑ってガウリイを見た。
「何となくです?」
「何となくなのか?」
「ガウリイさんだって、何となくヤケ酒してるんでしょう?」
 困ったようにガウリイは頬をかいた。
 ふふっとアメリアは笑う。
「でもいいですよ、訊きません。このお酒がおいしかったから、いいです」
 わけがわからなくて、ガウリイは聞き返す。
「まずかったらどうするつもりだったんだ」
「訊いてました」
 やっぱりよくわからなかった。
 しばらく他愛もない会話をしていると、アメリアの頬がほんのりと色づいてきて、そろそろ止めさせるべきかとガウリイは考える。
 そんなとき、グラスを両手で抱えこんだアメリアが不意に呟いた。
「リナさんとゼルガディスさんって似てますよね」
 驚いたガウリイがアメリアを見ると、心持ち唇をとがらせてアメリアは続けた。
「何でも一人で抱えこもうとするとこなんか、そっくりです。リナさんだって、魔力が暴走するまでずっとわたしたちに黙りっぱなしで………。ゼルガディスさんだって………」
 そのまま何か言いかけるが、途中で止める。
 酒の勢いもあってか、アメリアはすねたような口調で言った。
「わたしってそんなに頼りないんでしょうか………?」
 ガウリイは思わず、吹き出した。
 アメリアが、あまりにも自分と同じ事を考えていたので、ちょっとおかしくなったのだ。
「リナとゼルは似てるか?」
「似てます」
「じゃあ、オレとアメリアも似てるんだろうな」
 アメリアはガウリイを見た。
「え………?」
 どういう意味だろう。
 ちょっと考えて、アメリアは真実にたどりつく。
「そんなことないですっ」
 急に叫んだアメリアに、周囲から何事かと視線が集まる。時間的に、人はまばらになってきていたが、皆無というわけではない。
「ア、アメリア?」
「そんなことないです。そんなことありません!」
 そう言って、大声になっている自分に気がついて、慌ててアメリアは声のトーンを落とした。
「わたしとガウリイさんは、似てないです」
 ひとくち、お酒を飲んで心を落ち着けて、アメリアは続けた。
「だって、ガウリイさんはリナさんにとても頼りにされているじゃないですか」
「え………?」
 とまどったような表情のガウリイに、アメリアはじれったくなる。
 ―――いまさら何ヤケになってるんだろう、この人ってば。こんな簡単なことがわからないなんて!
「どうして頼りにされてないなんて思うんですか?」
 とがめるような口調でそう言われて、ガウリイは思わず本音を言っていた。
「何も言ってくれないし………」
「し?」
 アメリアの目はすわっていて、ガウリイはこの少女に酒を飲ませたことを後悔しはじめた。
 自嘲気味に笑って、ガウリイは続ける。
「………結局、何もしてやれてないから」
 それを聞いて、今度はアメリアが吹き出した。
「ガウリイさん………」
 笑っていたアメリアの顔が、ふいに優しくなる。
「リナさんは、ガウリイさんを守りたいんです」
 グラスを持つガウリイの手が止まる。
「リナさんは、自分といると色んな事にガウリイさんを巻きこんでしまうから、それがイヤなだけなんです。あの呪文のこととか、光の剣のこととか」
 そう言うと、アメリアはここだけの話ですよ、と念を押した。
「でもリナさんはガウリイさんといたいから、巻きこんでしまうことからガウリイさんを守りたいんですよ。もう、あんなことが起きないように………」
 やわらかな表情でアメリアは続ける。
「頼りにされてないなんて、何もしてやれてないなんて、ガウリイさんがそう思ってるだけです。リナさんがあんなに強いのは、ガウリイさんが隣りにいるからだって、わたし知ってます」
 生意気なことを言っていると自分でも思ったが、これが偽らざる本音だった。
 不意にくしゃりと頭を撫でられて、顔をあげると、ガウリイの青い瞳とぶつかった。
「アメリアは他人のことならわかるのに、自分のことはわからないんだな」
「………?」
「いまのアメリアの言葉を、そっくりそのままアメリアに返すよ」
 意味が分からないという表情のアメリアに、ガウリイは苦笑してまた頭を撫でる。
「頼りにされてないなんて、アメリアがそう思っているだけだ。ゼルはお前のことを大切に思ってる」
 その言葉に、ただでさえ赤いアメリアの顔が、さらに赤くなった。
 消えそうな声でアメリアはガウリイに反論する。
「ガウリイさんだって、自分のことはわかってないのに、人のことはわかるんですね」
「な、似てるだろう?」
「はい………」
 小さくアメリアは返事を返して、空になったグラスを差し出した。
「お代わりください」
 ためらいながらも、ガウリイは少しだけグラスにワインを注いでやる。
「これ飲んだら、もう終わりにしといたほうがいいぞ」
 あまり酔っぱらわせると、飲ませた自分がゼルガディスに怒られるだろうことは、完璧に予想できた。
 素直にアメリアはうなずいた。
「ねえ、ガウリイさん」
「ん?」
 アメリアはグラスを片手に立ち上がった。
「ちゃんとリナさんに言わなきゃだめですよ。だれだって、言ってくれなきゃ、わからないんですから」
 ガウリイが呆気にとられていると、中味の入ったグラスを持ったまま、アメリアはぺこりと頭を下げた。
「もう寝ますね。おやすみなさい」
 軽い足音が階段を上がっていく。
 ドアが開いて、また閉じる音を聞いてから、ガウリイはようやくクスクス笑いだした。
 ちょっとだけグラスを持ち上げて乾杯する。
「お前さんも、ちゃんとゼルに言えよ」
 似たような会話が二階でも交わされていることなど、ガウリイは知るよしもなかった。