楔―くさび― 終章

 あの後、やはりというか何というか、リナは熱を出して寝こんだ。
 無理しすぎです。熱ぐらい当たり前ですよ、とアメリアには言われ、ゼルガディスにはやっぱり、という顔をされ、ガウリイにはものすごく心配されて騒がれた。
 ゼロスと戦ってから、ちょうど三日が過ぎていた。
 ゼロスを滅ぼすことにはならなくて、リナは正直ホッとしている。ゼロスを倒したりしたら、獣王その人が出てきそうな気がしたのだ。
 熱は下がったものの体力がいまだ戻らず、気怠い体を持てあましながら、リナはベッドの上から開け放たれた窓に目をやった。
 空は高く青く、気持ちよく晴れている。
「いい天気ね」
「そうだな」
 ベッドの横に置かれた椅子に座っているガウリイが、のんびりと相づちをうった。
 そうしていると、ぱたぱたという軽い足音が部屋の前までやってきて、コンコンとドアがノックされる。
「リナさーん。具合どうですか?」
 元気な声とともに、アメリアがドアから顔をのぞかせる。ゼルガディスも一緒だった。
「もう平気よ………って、二人とも何その格好」
 アメリアとゼルガディスは旅装だった。
 アメリアが、にっこり笑って答える。
「わたしは先にセイルーンへ戻ることにしました。ゼルガディスさんが送ってくれるそうです」
「ちょ、ちょっと何もそんな急に………」
 アメリアの後ろに立っているゼルガディスに目をやると、やや憮然とした表情ながらも、アメリアの言葉を特に否定はしない。アメリアが丸めこんだのか、自分からそう言い出したのか。
 ………たぶん前者だろう。
「何もそんなに急ぐことないだろう?」
 ガウリイのセリフを、アメリアはびしっと片手を突きだして、さえぎった。
「いーんですっ。リナさんはゆっくり休ませるべきなんです。まだ体力戻ってきてないんですから! ちょうどガウリイさんもいることだしッ」
 ―――このコ、もしかしなくてもあたしとガウリイを残すために、わざと復活リザレクション手ぇ抜いたわね………。
 いまだ気怠い自分の体に、一も二もなくリナはそう確信した。
 ジト目でにらみつけるリナに、アメリアはだらだらと冷や汗を流す。
「えーと、じゃ、そういうことでいつかまた、会いましょう !! 」
 アメリアは元気良くそう宣言すると、回れ右して部屋を飛び出そうとするが、当然ながら真後ろに立っていたゼルガディスに激突してしまう。
「あううう、痛いですう〜!」
「………何をやっているんだ、お前は」
 呆れはてたゼルガディスの声に、鼻をおさえたままアメリアが反論する。
「だってぇ〜〜」
 その様子を、リナは幸せな気持ちで見つめて、笑った。
 ちょっとシャクだけれど、アメリアの策にのせられておくことにする。

 きっと、二人きりで話したいことがある。あたしにも。アメリアにも。
 男共二人はどうかわからないけど。
 あたしは、ガウリイに。
 アメリアは、ゼルに。
 伝えたい、言葉を持ってる。

「アメリア、ゼル」
 リナの言葉に、口論めいた会話をしていた二人はそっちを見る。
 二人が見たのは、最高に嬉しそうな、誇らしげなリナの笑顔。
「ちょっとさびしくなるけど、いつかまたどこかで、ね」
 いつか。また。どこかで。
 きっと。
「ああ………」
 ゼルガディスが小さく、しかしはっきりとうなずいて、ガウリイに軽く片手をあげた。ガウリイも片手をあげてそれに応える。
 部屋から出ていくゼルガディスの後を慌てて追いながら、アメリアがリナとガウリイをふり返った。
 つややかな黒髪がひるがえって、濃紺の瞳が輝く。
「はいっ、いつかまたどこかで、必ず !! 」
 落ちついた静かな足音と、ぱたぱたと軽い、弾むような足音が連れだって遠ざかっていくと、穏やかな沈黙が部屋に訪れた。
 ベッドの上で、軽くリナは伸びをする。
「あーあ、行っちゃった。二、三日したら、あたしたちもこの村出よっか。あんたの剣、探さなくちゃいけないし」
 枕に体を預けて、リナはかたわらのガウリイを見上げた。
「あー、そのことでゼルが何か言ってたぞ。ゼフィーリアの隣りのカル何とかって国に、そう言ったたぐいの話が多いから、行ってみたらどうだって」
「ゼフィーリアの隣り……って、カルマート公国?」
「ああ、それそれ」
「ふーん、そっかわかった。でもいつ聞いたの? そんなこと」
「昨日の夜、酒を飲みながら」
「よくゼフィーリアは憶えてたわね」
「昨日、アメリアに飲ませた酒がゼフィーリアワインだったからな」
 聞き流そうとして、リナの動きが止まった。
「アメリアに酒っ !? 何する気だったのよあんたは !? 」
「何する気って、おい………。オレはただ、飲むかって聞いたら、はいって言うから飲ませただけだぞっ」
 ガウリイの抗議をさらっと聞き流して、リナは「へぇ」と首をかしげた。
「アメリアが酒を飲みたいだなんて、珍しいこともあるわね。だからゼフィーリアは憶えてたの?」
「それもあるが、お前さんの実家のある国だしな」
「え………っ?」
 リナは思わずガウリイの顔を見るが、ごく普通の表情で剣帯をつくろっている。
 リナの視線に気づいたガウリイが、剣帯から顔をあげてリナを見た。
「どうした?」
「……………………何でもない」
 慌ててリナはそっぽを向いた。
 そのリナの髪を、ガウリイがくしゃりと撫でる。
「でもまあ、何も急いで出発することもないさ。しばらくゆっくりしていこう」
「ん………」
 ガウリイの手が心地よくて、リナは結局、言いたい言葉を呑みこんでしまった。
 ようやく気を取りなおして、言う気になったのは青かった空が群青に変化して、星が瞬きはじめてからだった。
 リナがかけたライティングの光と、宿の部屋に元々あったカンテラの明かりが、やわらかく混じりあって、部屋を照らし出す。
 光を弾いてきらきら輝く金髪に、リナは思わず目を細めた。
「あんたの髪、きれいね」
「そうか?」
「そうよ。男のくせに何だってこんなにきれいな髪してんの、もったいない」
 伸ばされたリナの手が、ガウリイの髪を一房つかみとる。
 暴走したとき、溢れだす膨大な魔力と土砂のなか、ただこれだけが目に焼きついた。
 光の泡のような金髪と、青いきれいな瞳。
 くせのない金髪は、リナが指をからめようとしても、すぐにさらさらと逃げていってしまう。
 開いた窓から、冷えた夜気が流れこんできて、二人の髪を揺らした。
 もの問いたげなガウリイの視線とぶつかって、リナはそっと言葉を紡ぐ。
「ねえ、ガウリイ………。あたし、ガウリイの隣りにいてもいいかな………?」
 青い瞳がわずかに見張られる。
 返事を待たずにリナは続けた。
「あたしといるとさ、大変な目にばっかりあうけれど………。魔族にちょっかいだされたりとか、光の剣………無くしたりとか」
 ガウリイの目を見てられなくて、リナは指にからめた金髪に目を落とす。
 ガウリイを傷つけるから、そのために別れようなんて考えは、この三日間ほどであっさり抜け落ちていた。
 だってガウリイは自分の〈楔〉だから。
 ガウリイがいなければ、自分はだめなのだから。
 完全なワガママだけれど、そうしたいと心から願った。
「今回みたいに、怪我させたりとか、するけどさ………。それでもあたしはガウリイの傍にいたいから、だから訊くの。いてもいい? 迷惑じゃない………?」
 消えそうな声でそう言ったが、ガウリイが応える気配はない。
 じれったくなって顔をあげると、ふわりと頬の横の髪をすくわれた。
「お前じゃなきゃだめだよ」
 リナの瞳が揺らぐ。
「オレも、お前の傍にいたいから」
 たまらない切なさに、リナは目を閉じた。

 負担になりたくないと願うこと。そのための強さを望むこと。
 そばに在りたいと思うこと。
 いちばん欲しかったこたえ。
 自分の居場所。

「リナは強いな」
 リナは子供のように首をふった。
 吐息のような囁き。透明な笑み。
「あんたがいるからよ」
 腕の中に抱き寄せられても、リナは抗わなかった。
 ガウリイがちょっとだけ苦笑する。
「アメリアにちゃんと言えと言われたよ」
 リナの顔が真っ赤になる。
「あ・の・バカ娘〜〜〜………」
 憤然と呟いたものの、笑いをこらえきれなくなって、リナは吹き出した。
 くすくすと笑って、ガウリイの肩に頬を預ける。
 伝わってくる体温が心地よかった。これもまた、世界に融けていきそうな感覚のひとつ。
 魔族には絶対わからないこの感覚。
「あのコもちゃんとゼルに言えてるかしら………?」
 ガウリイが小さく笑った。リナからその表情は見えないが、紡がれる声は優しい。
「言えてるさ、きっと」
「ん、そだね………」
 リナはそっと目を閉じた。
「ねえ、ガウリイ」
「ん?」
「いったいアメリアと何の話してたわけ?」
「んー、内緒」
「……………ま、いいけど」
 リナは嘆息して、ガウリイに体を預けた。ゆるゆると湧きおこってくる眠気を抵抗することなく受け入れて、意識をゆだねる。
 眠りに落ちる寸前、そっと名前を呼ばれた。
 尋ねられた問いに、うっとりと微笑んで、リナは言葉を返す。


「当たり前でしょ。あんたじゃなきゃ、ダメなんだから………」


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