楔―くさび― 第九章
―――全てを生みだし、無に帰す、金色の女神がそこに立っていた。
時間がひどく遅く感じられたが、しかし全ては一瞬の出来事。
呆然とガウリイたちが見守るなかで、金色の気配をまとったリナが、かすかだが、不快げに眉をひそめた。
次の瞬間、ゼロスが苦痛の絶叫とともにリナの前から弾き飛ばされた。もんどりうって大地に倒れ、そのままその姿が消える。
ガウリイたちがそっちに気を取られた瞬間、現れたときと同じく突然、力の気配は途切れ、リナはもう元の色彩を取り戻していた。
圧倒的な金色の気配は、もはやかけらも感じられない。
目を見張ったまま、リナはぺたんと大地に座りこんだ。
それが合図だったかのように、時間が元の速度で流れ始めた。
「リナ!」
ガウリイがリナの元に駆けよる。リナに手を貸して引き起こそうとするが、リナは呆然と首をふった。脱力して立てないのだ。
「信じらんない………」
「リナ?」
「ゼロス? ゼロス、無事?」
リナは虚空に声をかけるが、返事はない。
リナは溜め息をついた。ちょっとだけ残念そうな、安堵したような複雑な表情を見せている。
「滅んだわけじゃなさそうね。よかったわね、ゼロス。アレに攻撃されて死なずにすむなんて、奇跡のなかの奇跡よ」
何か言いたそうな気配が草原に漂ったが、それだけで、ゼロスの気配はふっつりと消える。
ガウリイとゼルガディスが大きく息をついて、剣を鞘に収めた。
「リナ、立てるか?」
触ったら消えやしないかと言った表情で、ガウリイがそっとリナの手をつかんで引き起こそうとする。
その表情を見て、笑おうとしたリナの顔が急にしかめられた。
「痛ッ」
「リナ !? 」
慌てて傍にしゃがみこむガウリイに、リナは痛みをこらえて笑って見せた。
「ううん、平気。魔族化がストップして、体の感覚が戻ってきたから、いままで無茶した分のツケがまわってきただけよ」
我慢してはいるが、実際のところ、体中がばらばらになりそうなくらい痛かった。空間を渡ったせいだろう。
魔力光を握りつぶした両手も何だかシクシクと痛い。
情けない声でリナはアメリアを呼んだ。
「アメリアぁ、復活かけて………」
「はい」
二度目の復活が夜の草原に流れはじめる。
痛みをこらえて、リナはそっとガウリイの頬に指をのばした。
「よかった。ガウリイの顔ちゃんと見える………」
「リナ………」
「さっきまで視界がごっちゃで、何が何だかさっぱりだったのよ」
「いまは、平気か………?」
「うん、もう魔族化も止まったわ」
それを聞いたゼルガディスが憮然とした表情で、リナの前に立った。
「事情を最初っから説明しろ。わけもわからずふりまわされて気分が悪い。もう終わったのか?」
「ええ、終わったわ」
リナはゼルガディスに座るように目で合図する。ゼルガディスがアメリアの隣りに腰を降ろしたのを確認してから、リナは口を開いた。
「すべての原因は冥王の一件のからよ。金色の魔王がね、いちど混沌に戻したあたしの精神を再構成するときに、うまくいかなかったみたいなの。それであたしの肉体はだんだんと魔力に変換されちゃって、存在の在り方が魔族に近くなってったのよ。そこにゼロスの上司が目ぇつけて、魔族に引きこめってゼロスに指示を出したの。そしたらあいつはあたしが魔力を暴走させたのをいいことに、そこにつけこんで仕事をこなそうとしたってわけ」
アメリアが何やら口をはさみたそうな表情を見せるが、おとなしく復活を唱えている。
ゼルガディスがそのかたわらで眉をひそめた。
「それじゃあ、闇を撒くものと戦ったときすでに―――」
「魔力は肥大してきていたわ。まさかこんな大事になるとは思わなかったから放っておいたんだけど」
ゼルガディスの目元がぴくりと動いたが、それだけで何も言わなかった。黙っていたことを叱るのは自分の役目ではないと思ったからだ。
「それじゃあ、次の質問だ。なんで急にゼロスが吹っ飛んだ?」
リナは決まり悪げに視線を泳がせた。
「………見りゃわかるじゃない、アレがまた降りてきたのよ」
「それはわかってる。だが、すぐに元のお前に戻ったし、だいたいあの呪文を唱えてはいなかっただろうが」
リナは顔をしかめた。手が痛くなかったら、返答に困ってがしがし髪をかいていたところだろう。
「わかんないわよ。向こうの都合なんか。でも、まあ………ゼロスから聞いた話で推測できることは、また気まぐれをおこしたんだろうってところかしら」
『はあ?』
思わず呪文をやめたアメリアと、ゼルガディスの声が唱和する。ガウリイは黙ってリナの背もたれになっている。
「うまく言えないんだけど、一度あたしの体にアレが降りてきたことと、再構成のときのミスのせいで、あたしとアレの間には何らかのつながりが出来ちゃったんじゃないかと思うのよ。たぶん、他の存在なんかよりもダイレクトに、あたしの様子がわかるんじゃないかな」
「贔屓にされてるってことですか?」
「………それは果てしなくヤな感じね」
アメリアの指摘にリナは呻いた。
そして、ここからは本当に推測だと前置いて、語り出す。
「で、そのあたしがアレ自身の力を借りた呪文を唱えている。そして、いつもは知らない間に微々たる力だけが引き出されているはずなのに、今回は何だかいつもより引っ張られている気がする何だろう? みたいな感じでアレはちょっと顔を出して見ることにした」
淡々と続くリナの推測に、もはやゼルガディスとアメリアは聞くのも恐ろしいといった表情で黙りこくっている。
「そしてあたしの体に降りてきてみて、自分がやった再構成のミスに気づいた。んでもってその自分のミスを良いことに、魔族ごときが、せっかく自分がわざわざ再構成してやった、いわば自分の作品にちょっかいだしてると知って、気分を害したのよ。んで、ゼロスをばっさり。あたしのミスを修正して戻っていったと、こんなところじゃないかしら。あくまで推測だけどね」
さあっと夜風が草原を吹き過ぎていった。月はだいぶ西にかたむき、そろそろ夜明けが近い。
しばらくの沈黙の後、アメリアがようやく声をあげた。
「何だって、そんな身も蓋もない話なんですかっ」
「そんなんあたしが知るかッ。だから、推測だって言ってるでしょ! だいだい呪文を途中で止めないでよ。まだ体痛いんだから」
アメリアが情けない顔になる。
「崩霊裂の唱えすぎで、もうダメです」
「しょうがないわね。プラメアまで行って、休もうか」
ガウリイの手を借りて、リナは立ち上がる。
栗色の髪が風に流され、地に落ちる寸前の月光を受けて金色に縁取られる。そのなかでリナが、笑んだ。
「心配かけてごめんね、みんな」
三人はそれぞれの表情で、それに応えた。