楔―くさび― Side L&Z

 ゼルガディスがガウリイと酒を飲んでいると、リナに夕飯を届けに行ったアメリアが、軽い足音をたてて二階から降りてきた。
 その手に、あまり重さを感じさせない様子で、皿をのせた盆を持っている。
 ゼルガディスの視線を追ったガウリイもアメリアに気づいて、二人が軽く手をあげて合図すると、アメリアは宿の主人に盆を渡してからテーブルまでやってきた。
「どうした」
 ゼルガディスの問いに、アメリアは楽しそうに答える。
「お代わり頼まれました」
 ゼルガディスとガウリイは顔を見合わせて笑った。
 さっきまで、アメリアが強固に粥の食事を主張するので、なかばリナに同情を憶えていたのだが、無用の心配だったらしい。
「リナらしい」
 ゼルガディスはそう言うと、ほんの少しだけグラスに残っていた酒を空けて、マスクを元に戻した。
 今日はもう飲むのはやめておこうと思った。
 一緒に飲んでいるガウリイの精神状態があまりよろしくないので、いまいち酒がおいしくないのだ。
 そのガウリイがたいして減っていないボトルに目をやって、怪訝そうな顔をする。
「もういいのか?」
「ああ」
 短く応えて、ゼルガディスはかたわらに立っている少女を呼んだ。
「アメリア、まだ夕飯食ってないだろう? 俺が戻るついでにリナに持って行くから、お前はここで何か食ってろ」
 アメリアがとまどった表情でゼルガディスを見返す。
「え、いいんですか?」
「かまわん」
 その言葉に、アメリアはあっさりうなずいた。
「じゃ、お願いします。お盆を受け取るときに、ついでに宿の人に何か適当に頼んでくれませんか?」
「わかった。ガウリイ、ほどほどにしとけよ」
「それならもう少し中味を減らしていってほしいんだが………」
 ガウリイが何やら呟いたが、ゼルガディスはそれを無視して席を立つ。
 厨房へ向かうゼルガディスに代わって、アメリアがガウリイの前に座るのが見えた。
 宿屋の主人から盆を受け取って、ゼルガディスは階段をあがる。
 ガウリイの機嫌が悪いのは、お代わりを頼んだ人物が、どう考えても原因だった。



「リナ、入るぞ」
 ゼルガディスがノックしてからドアを開けると、リナの意外そうな顔が視界に飛びこんできた。
 あれから何日か経っているが、ゼルガディスの予想通りというべきか、案の定リナは体を壊した。
 あれだけ失血したあと、空間を転移するわ、腕を焦がすわしていれば、当然のことだろう。あの失血量では、死んでいてもおかしくないと、ゼルガディスは血溜まりを見たとき思ったものだ。
 盆を持ったゼルガディスを見て、リナが首をかしげる。
「アメリアは?」
「メシがまだだったから下で食わせている。二階に戻るついでに俺が持ってきただけだ」
 皿の乗った盆を受け取りながら、リナがにやにや笑った。
「ゼルってば、やっさしー」
「やかましい………」
 マスクとフードをとりながら、ゼルガディスが憮然とした表情で呟いた。
 くすっと笑ってリナはそれ以上突っこむのをやめ、頼んでいたパン粥のお代わりを食べ始めた。
 リナは、ゼルガディスはすぐに部屋を出ていくだろうと思ったのだが、予想に反して、ゼルガディスはベッドのすぐ横に置かれている椅子に座ったまま、黙ってリナを見ている。
 何やら居心地が悪くて、リナは食べるのをやめてゼルガディスを見た。
 フードとマスクは、気心の知れた部屋の中ということもあって、いまは下ろされ、銀糸の髪と岩の肌がランプの明かりに照らし出されている。
「………なに?」
「ちょっと、訊きたいことがあってな」
「食べながらでいいんなら聞くわよ。なに?」
「ゼロスとあんたの会話だ」
 スプーンを動かす手を止めて、リナはゼルガディスに視線を向けた。
「〈楔〉のことだ」
 リナがイヤそうに顔をしかめて、そのまま食事を再開する。
「あんたがゼロスにそのことを話すまで、俺たちは〈楔〉の存在なんか知らなかった。ゼロスとあんたの会話から、〈楔〉は人間として存在するために必要なものらしいということは予想がつくが、どうしても理解できないことがある」
 リナは困ったような表情でゼルガディスを見た。
「聞きたいことはそれだけじゃないんでしょ?」
「ああ」
 ゼルガディスはあっさりうなずいた。
「だが、とりあえず〈楔〉のほうが先だ」
「〈楔〉についてはあたしは良く知らないから、そこの誰かさんに聞いたら?」
 リナのセリフにゼルガディスの目が笑った。
「それもそうだな」
 その声に応えるように、部屋のすみに黒い影が出現した。
「ろくに気配も隠せないようだな。いまなら崩霊裂ラ・ティルト一発でも殺せそうだ」
 ゼルガディスの皮肉にも、ゼロスは顔を歪めるだけだ。
「だから、生きてるだけでも奇跡なんだってば、ゼル。生きててよかったわね、ゼロス」
「それも皮肉ですか?」
「いんや、本心」
 リナはあっさりそう言った。
「だって、あんたが滅んだら、あんたの上司に目ぇつけられそうだもん」
 ゼロスは苦笑した。
「まあ、事の顛末がどうなったかご報告しておこうと思いまして。リナさんは当事者ですからね」
「ふぅん、あんたにしては律儀ね。さては上司に怒られたの?」
 ゼロスの表情が複雑なものになる。
「いや、その………。顔をおおわれて溜め息をつかれてしまいました。僕の傷はどうにもならない出来事によるものですから」
 ゼルガディスとリナは顔を見合わせる。溜め息をつく獣王などあまり想像できる代物ではない。
「あの御方のご機嫌を損ねた以上、リナさんを魔族にするのはやめることになりました。どうやら魔力の肥大化もストップしてしまったようですし」
 ゼロスは軽く肩をすくめた。
「僕の負傷は………まあ、天災にあったと思ってあきらめます」
 あれはまさしく天災だろう、とリナとゼルガディスは思ったが、口には出さない。
「でさ、ゼルが〈楔〉について聞きたいんだって」
 リナがスプーンを持ったままゼルガディスを指差した。
「ふむ、まあいいでしょう。でも、ゼルガディスさんの体を元に戻すのには役に立たない知識だと思いますよ」
 ゼロスの言葉に、あっさりとゼルガディスが言い放った。
「なら、いらん」
 それを聞いて、リナのスプーンが皿の中ですべった。
「あ、あんたねー」
「必要のない知識を詰めこんでおくのは細胞のムダだ」
「おや、いいんですか。なら僕はこれで失礼しますよ。しばらくはロクに動けそうもありませんのでね」
 言いながら、ゼロスの姿は闇へと溶け消える。
「倒しておけばよかったか………」
「物騒なこというわね、ゼルも」
 空になった皿の中にスプーンを落として、リナは盆をサイドテーブルの上へ押しのけた。
「ごちそうさま」
「次の質問にうつっていいか?」
「忘れてりゃいいのに………」
 リナがぼそりとそう呟いた。ゼルガディスが気まずそうに視線を泳がせる。
「単なる好奇心とお節介だ。気にするな」
 思わずリナは笑い出す。
 なんだかんだ言って、この青年はひどく優しいのだ。
「両方ともゼルには似合わない単語ね。それに免じて聞いたげるわよ。なに?」
「何を迷っていたんだ」
 リナは枕に体を預けて、大きく息をついた。
「ゼロスにね、言われたの。魔族化が急激に進んでいるのは、あたしが自己の存在に不安を抱いているからだって」
 黙ってゼルガディスは先をうながした。
「あたし自身はさ、それは魔力の肥大のことだと思っていたんだけど、ゼロスの話だと、その魔力の肥大は、あたしが別のことに悩んでるからだってことになるのよ。さっぱりワケがわからなくてね。かなり考えこんだわ」
「それで? いったい何だったんだ」
 リナは困ったように頬をかいた。
「んー、いや………その、ね………傍にいてもいいのかな………って………」
 小さな声だったが、ゼルガディスの耳にはしっかり届いた。
 思わず手で顔をおおって、ゼルガディスは深々と嘆息した。ゼロスの報告を聞いた獣王もこんな気持ちだったのだろうか。
「いまさら何をやってるんだ、あんたは………」
 心からの呟きだったが、それを聞いたリナはぎっとゼルガディスをにらむ。
「どーいう意味よっ!?」
「そのまんまだ」
「だって………!」
 リナが枕から体を起こす。バンッとその手が枕に叩きつけられた。
「あたしのせいでまた怪我をさせたわ! 光の剣だって、あたしのせいで無くなったようなもんよ!」
「それでもガウリイはあんたの傍にいるさ」
 静かなゼルガディスの声音に、リナは目を見張る。
「何があろうと、ガウリイはあんたの隣りにいるはずだ」
 呆然とするリナの額を軽くこづく。
「どれほど大事に思われてるか、少しは知っておけ。あんたがいない間、おかげで俺はあいつと大ゲンカだ」
「………?」
 怪訝な顔で問うリナに、ゼルガディスは空中に視線を泳がせながら続けた。どうやら、自分の言ったことに照れているらしい。
 咳払いをひとつして、ゼルガディスは話し始めた。
「ゼロスがあんたを連れ去ったあと、どう行動するかで俺とガウリイの意見が真っ二つに割れてな、大ゲンカになった」
「そ、それでどうなったの……?」
 ゼルガディスは大きな溜め息をついた。
「逆ギレしたアメリアにケンカしている場合かと泣き出されて、結局うやむやになった」
 それはさぞかしガウリイもゼルガディスも困っただろう。
 その様子がありありと思い浮かんで、リナは笑った。
「ありがとう。ゼル」
 ゼルガディスが決まり悪そうな表情をする。
「わかってる。もう迷ったりしないわ。あたし、ガウリイと一緒にいたいもの」
 口調はやわらかく、ためらうようすなど微塵もなかった。
 その様子に、ゼルガディスが少し笑ったとき、リナがその袖をとらえた。
 真紅の瞳がゼルガディスを射抜く。
「だから、ゼル。あんたも迷ってるんじゃないわ」
 ゼルガディスが虚を突かれた表情をする。
 その薄く蒼い色の瞳に、リナはしっかりと視線をからませる。言いたいことが、ちゃんと伝わるように。
「あんたも、アメリアにどれほど大事に思われているか、知っておきなさい」
 紡がれる言葉。
「アメリアだって、何があろうとあんたの隣りにいようとするわ」
 だれだって不器用なのだ。
 他人のことはよくわかっても、じぶんのことはよくわからない。
「王女だろうと合成獣だろうと、アメリアはアメリアで、あんたはあんたなのよ」
 ゼルガディスが弾かれたようにリナの顔を見つめた。
「だから、あんたも迷ってるんじゃないの」
 ゼルガディスが、袖をとらえているリナの手をやんわりとはずした。
 その氷蒼の瞳には苦笑の色。
「逆に説教されたな」
「お互いさまよ」
 顔を見合わせて、二人は笑った。
 空の皿が乗った盆を持って、ゼルガディスは立ち上がる。
「いくの?」
「ああ、あんまりガウリイがかわいそうなんで、来てみたんだが、よけいなお世話だったようだ」
「は?」
 わけがわからないと言った表情のリナに、ゼルガディスは目で笑っただけで応えなかった。
「ちゃんと言ってやれ、ガウリイに」
 カッとリナの頬に朱が散った。
「余計なお世話よ!」
 その手が枕をひっつかむ前に、ゼルガディスはさっさと部屋から出ていった。
 枕を片手に、リナは憤然と呟いた。
「あんたもちゃんとアメリアに言ったげなさいよ。かわいそうじゃないの」
 似たような会話が一階で交わされていたのを、リナは知るよしもなかった。