楔―くさび― 第七章
プラメアの村からのびる南の街道に、ゼロスは立っていた。
リナたちが歩いていたセイルーン方面への街道は、木立のなかを通っていたが、ゼフィーリア方面のこの街道は風景が一変して、ただどこまでも草原が広がるなかに存在する。
さわさわと夜風が草原の上をはしり波の模様を起こす。
ゼロスはただ、待っていた。
少し精神世界面に意識を向けると、目立つリナの気配が、たまらない負の感情を放っているのがわかる。少し心惹かれたが、こちらに向かってくる人影を見て、ゼロスはあきらめることにした。
南からプラメアに向かってくる三人の人影は、すぐにこちらの存在に気づいた。
夜を徹して歩いてきたとはご苦労なことだ。空間が渡れない人間は不便なものだと、つくづく思う。
間合いをとって対峙する三人に、ゼロスは優雅に一礼してみせた。
「ようこそ、お早いお着きで。よくここに真っすぐ来ましたね。迷わなかったのですか?」
「迷うものか。理論的に考えればすぐにわかる。ここが最も時間を稼げて、なおかつ盲点になりやすい」
ゼルガディスがそう言って剣を抜きはなった。遅れてガウリイがそれにならう。
「それに、あんたがここにいるってことはプラメアで正解なわけだ」
「ええ、まあそうですけどね」
ゼロスはふわりと宙に舞った。
「リナさんの具合もよくなってきましたので、そろそろ僕は僕の仕事に取りかかろうかと思いまして」
ゼロスの言葉に、三人が身構える。
「お前の仕事は何だ?」
「リナさんを魔族に引き入れることです」
「そんな………っ !? 」
アメリアの言葉にゼロスは薄く笑う。
「うすうす気がついてたんじゃないんですか? リナさんの魔力が暴走を引き起こしたときから。ま、そんなわけでして―――」
ゼロスから殺気が吹き出してくる。
傲然と三人を見下ろして、ゼロスはゆっくりと告げた。
「まず初めに、あなたがたを殺します」
その視線がアメリア、ゼルガディスのうえをすべり、ガウリイでとまる。
―――特にガウリイを殺す必要があった。
リナを魔族にするには、〈楔〉の破壊を必須とする。
〈楔〉とは、人間やエルフなどの精神と肉体の両方を併せ持つ存在が、生まれながらに備えている安全弁のようなものだ。
人間が他者の力を借りて魔法を唱えても、魔族のように自己の存在が危うくならないのは、この〈楔〉があるおかげ。逆に、魔族は〈楔〉を持たないため、自己の存在をしっかりと把握しておかなければならない。
この〈楔〉のために、人間に転生した魔竜王はもはや完全な魔族に戻ることは叶わなかった。彼の場合は、封印を施した水竜王の心のかけらが〈楔〉をより強固なものにしていた。
肉体と精神がばらばらになってしまわないために存在する―――〈楔〉。
「リナさんを魔族に引き入れるのに、あなたがたの存在は非常に、邪魔なんです」
にこやかな表情のままゼロスは続ける。
肉体と精神の二つを結びつけておくための〈楔〉は、やはり二つ。
ひとつは、肉体の心臓そのもの。
これは破壊することはできない。心臓の破壊は肉体の崩壊に直結する。破壊と同時にリナは死んでしまうだろう。いくら魔族化しているといっても、半端に人間なだけタチが悪い。
だから、もうひとつの〈楔〉の方を破壊する必要がある。
二つ目の〈楔〉は、精神の〈楔〉。
それは、自分に肉体があるということを微塵も疑っていない確固たる意志。本来なら、こちらも強固にできている。人間は、生まれたときから肉体を持っている以上、肉体なしに生きることなど、思いもよらないからだ。
自分の存在を肉体の五感で確認する人間は、肉体があることを自覚することで自分自身をも実感する。
そして、いまのリナは肉体の感覚が稀薄になってきている。
だが、もうひとつ重大な事実があった。
自己の存在の確認を他者に依存する場合、この〈楔〉は移動する
。
生きていくのに相手の存在を必要としたとき、その相手の存在そのものが〈楔〉となる。
現在のリナの〈楔〉がどちらの状態にあるのかは、明白。精神状態がぼろぼろのいまもなお、彼女が人間でいるということは――――
彼女の〈楔〉は、この目の前の青年。
彼さえ、殺してしまえばいい。
そうしてしまえば、リナの魔力の肥大は心臓の〈楔〉ひとつで抑えきれるものではない。
ゼルガディスとアメリアがすでに呪文の詠唱に入っていることには、気づいていた。
ゼロスは再び大地に降り立つ。
「リナはどうした !? 」
ガウリイの言葉をゼロスは嘲笑った。
「いまはご自分の心配をしたほうがいいんじゃないですか?」
「魔皇霊斬!」
ゼルガディスの呪文が、ガウリイの剣に赤い光をまとわせた。すぐさまガウリイが奔る。
正面からのガウリイの剣を錫杖によって受け流すと、力の流れを巧みに変えた第二撃がゼロスを薙ぐ。
舌打ちしてゼロスはガウリイから距離をおいた。それをガウリイは追う。
「霊王結魔弾!」
呪文が完成すると同時にアメリアは、ゼロスに向かって間合いをつめた。横からのガウリイの剣を再び錫杖で弾き返し、遅れてやってきたアメリアの拳をゼロスはふわりと後ろに下がってよける。
そのゼロスに追いすがるガウリイが不意に横に飛んだ。ガウリイの後ろには、力ある言葉を解き放つ寸前のゼルガディス。
「崩霊裂!」
蒼い光がゼロスを包みこもうとする瞬間、ゼロスの姿は消え失せる。
ゼルガディスが舌打ちする。
精神世界面に入られた。
「気をつけろ、どっから来るかわからん!」
背後からの攻撃を警戒して三人は背中あわせに立つ。ゼルガディスとアメリアの唱える呪文の詠唱だけが、夜の空気に流れ―――
生まれでた気配にガウリイが真上をふり仰いで叫んだ。
「上だ!」
いち早くガウリイが逃れ、ゼルガディスがアメリアを蹴り飛ばして、自身も反動で飛びすさる。
いままでいたその場所が、降ってきた不可視の衝撃波でえぐれて、土砂を吹き上げた。
そこにゼロスが現れる。
「どうしました? 逃げてばかりじゃダメですよ」
「崩霊裂っ」
ゼロスの挑発にのった形で、ゼルガディスが唱えていた呪文を解き放つ。現れた蒼い光の柱をゼロスの錫杖が断ち割った。
ゼルガディスは唇を噛む。
ガウリイの光の剣が失われ、なおかつリナもいないこの状況で、魔族に対抗できる精神系の呪文は崩霊裂しかない。
が、それすらも軽くあしらわれている。
「ゼロス!」
ガウリイの怒号に、ゼロスがそっちをふり返る。
「なんです?」
夜風に金髪を流して立つ青年。
少女の〈楔〉。
「リナはどこだ?」
ゼロスの顔が不快げに歪む。彼の存在がいつにも増して不愉快だった。
「だから、それよりご自分の心配のほうが先じゃないんですか? あなたたちを殺す前にリナさんをどうこうしようとは思いませんよ」
「オレは死ぬ気ははない。だから訊いている。リナはどこだ?」
自分に向けられる純粋な負の感情は、なかなかのものだったが、それ以上に不愉快だった。
もはや何の表情も見せずに、ゼロスは錫杖を横にふるった。ひゅっと風を切る音が草原に響く。
「お遊びはここまでです。殺します」
そう言って、ゼロスは呪を口にした。
どれくらい、闇の中でたたずんでいたのだろう。
誰かに呼ばれたような気がして、リナはハッと顔をあげた。
「だれ………?」
呼ばれたのではなく、どちらかというと、存在を求められたような………。
リナは窓を開けて、暗い夜の街を見降ろした。夜風がふわりと涙で濡れたままのリナの頬を撫でていく。
街はしん、と静かなままで、何も変わったところは見られない。
「ガウリイ………?」
ぽつんとそう呟いて、不意にリナは目を見張った。
いちばん大事なことに気がついた。
暗い部屋を勢い良くふり返る。
「ゼロス !! 」
獣神官が呼びかけに応じて現れる様子は微塵もない。
「しまった………!」
リナは自分の頭を壁に打ちつけたい衝動に駆られた。自分自身がこれほど頭が悪いと知ったのは今日が生まれて初めてだ。多分もっと悪いんだろう。
―――本当に何をやっているの、あたしは !!
迂闊だった。自分自身にかまけて、ゼロスを自由に動けるようにしてしまうなんて!
自分のことで手一杯で、仲間のことを、ガウリイのことを例えほんのわずかな間とはいえ、失念していた自分がゆるせなかった。
すべて自分の迷いが生んだ結果。
自分のやったことはすべて自分に返ってくる。それについては依存はないが、それに大切な人たちを巻きこむのは、もう二度といやだ。
急がないと、また自分のせいでガウリイが傷ついてしまう。
ゼロスが相手だと、今度こそ、取り返しがつかない。
リナは窓から身を乗り出した。
「どこ……… !? 」
求めている気配はすぐに見つかった。凍るような冷たい負の気配。
もはや完全に精神世界面からになってしまっている自分の視覚を、これほどありがたく思ったことはなかった。
リナは呪文を唱えて、窓からひらりと飛び降りた。
結局、ゼロスの言う〈楔〉が何を指すのかはわからないままだったが、ただはっきりとわかることがある。
自分に揺さぶりをかけるなら。
―――冥王と、同じ事をすればいいのだ。