君がためにと ()る花は 〈十〉

 ひらひらと舞う紙の蝶を追って、昌浩と物の怪は夜の京を足早に移動した。
「車之輔を呼べばよかったんじゃねえの?」
「うーん、でも呼ぶために式を飛ばすのも手間だし、待ってるあいだにどんどん移動しちゃうだろうし」
 退出してすぐに南院に出向いたため、車之輔はいつもように戻り橋の下だ。
 幸い蝶の速度は小走りで追える程度のものである。もし見失っても、自分の式だからどこにいるのかぐらいは見当がつくので問題はない。
「そのまま返すのがいちばん楽なんだけど、術者が返しを払いのけた場合、北の方や、もしかすると東宮妃にまで返しが行っちゃうかもしれないんだよねぇ」
「北の方が東宮妃が依頼人だった場合、だろ」
「ああ、うん。そう」
 その場合は、返しが術者以外のところに及ばないように、術者の周囲に陣をめぐらせたり、場合によってはわざわざ北の方や東宮妃のところまで行って術を施したりしなければならないので、逆に手間がかかるのだ。
 蝶は堀川小路を南へ下っていく。すでに権門の邸はまばらになり、つつましい邸や庶民の(いおり)が目についた。
 ―――不意に頭上で気配が(こご)った。
「よっ、孫っ。久しぶ――――――うぎゃ、やべっ!」
 べてぼたばさばさばたたたっ。
 いつものごとくひとり素早く飛び退いた物の怪だったが、雑鬼たちが降ってくる途中で慌てて進路を変えて昌浩を避けていくのを見て、目を丸くした。いったい何事だ。
 当の昌浩も唖然として、己の周囲に円陣のごとく積みあがった雑鬼たちを眺めている。
 進路を変えそこねたものが二、三匹、昌浩の頭や肩にべてべてっとぶつかって、ころんと転がった。
「………お前たち、どういう風の吹き回しだ」
 思わず昌浩がそう尋ねると、一番下で他の雑鬼たちに潰されていた猿鬼が恨めしそうに彼を見あげた。
「うーうーうー、孫。そういう格好は卑怯だぞー!」
「格好?」
 雑鬼が降ってきたせいで潰れてしまった烏帽子をとりながら、昌浩は首を傾げた。たしかに出仕時の直衣姿だが、以前からこの格好でも容赦なく潰されている。いまさら遠慮する意味がわからない。
「それたしか、こないだお姫が縫ってた衣だろう?」
 竜鬼に言われ、昌浩と物の怪は目をみはった。
 たしかに先月の更衣(ころもがえ)に合わせて彰子が新しく調えてくれた夏の直衣だ。播磨に行っているあいだは狩衣で通していたので、まださほど着萎えておらず、それが昌浩には何だか面映ゆい。
「まだまだ新品だろう?」
「お姫、ものすごく丁寧に縫ってたし、汚したら可哀想じゃないか」
「ここんとこ雨ばっかだったから路は泥だらけだしなー」
「土なら叩けば落ちるけど泥は落ちにくいもんなー」
「お姫の衣だしなー」
「孫は汚れても洗えば落ちるけど、お姫の衣は汚れると洗っても落ちないかもしれないもんなー」
 口々に勝手なことを言い、雑鬼たちは昌浩を見あげて合唱した。
「というわけで、次からはぼろいの着てきてくれなっ、孫―――っ!」
 わなわなと肩を震わせる昌浩を、物の怪がぽんぽんと叩いてなだめた。六合は変わらず沈黙を守っていたが、少しばかり憐れむような視線を感じる。
「よかったなー、昌浩や。彰子のおかげで潰れ拾いしたぞ?」
「何だよ、その潰れ拾いって………」
 がっくりと脱力し、昌浩は肩に乗っかったままの一つ鬼をひっぺがした。
 そのまま眼前に持ってきて、念のために尋ねる。
「お前たち、このあたりで十日ほど前から呪詛を行っているやつを知らないか?」
「呪詛?」
「お前の蝶々の行く先かー?」
「そうだ。何か知らないか?」
 一つ鬼を地面に降ろし、昌浩は(まげ)をといてうなじのところで括りなおした。烏帽子は懐に突っこむ。いったん着替えに帰ればよかったのだが、後悔しても今更である。雑鬼たちの言うとおり、汚さないように気をつけなければ。
 雑鬼たちはしばらく互いに顔をつきあわせてあーだこーだ言っていたが、やがて思いあたったらしく、ぽんと手を叩いた。
「六条のあたりに、最近やたらと羽振りが良いっていう陰陽師がいるぞ」
「といってもたいした実力ないけどなー」
「孫や孫の兄よりずっと下だぞー」
「孫の同僚ぐらいじゃね?」
「俺たち見るとすぐ祓おうとすんだよなー。何も悪さしてないのにひどいよなー」
「いやそれが普通の反応だろう」
 昌浩や安倍家の面々が特殊なのである。
 物の怪が突っこむが、雑鬼たちはひどいひどいとくり返す。
「敏次殿と同じぐらいって、それってけっこう強い術者なんじゃ………」
 得られた情報に顔をしかめた昌浩に、物の怪は呆れた視線を向ける。お前が言うかお前が。ただの嫌味にしか聞こえない。
「六条か。きっと式の行く先もそこだな」
「おう、きっとそうだぞー。こっちこっち」
 小走りになった昌浩に合わせて、雑鬼たちがぞろぞろと移動する。だが、やがて同道するのに飽きたのか一匹、二匹と減っていき、最後には結局いつもの三匹だけになった。
「なー、孫ー」
「孫言うなっ」
「お姫は元気かー?」
「元気かって、お前たち俺がいないあいだに会いに行ってたんだろ?」
「おう。だからお前が帰ってきてからは会いに行ってないんだ」
 俺たち遠慮深いだろう、と猿鬼は走りながら器用に胸を張ってみせた。
 会ってないも何も、昌浩が帰ってきてからまだ数日しか経っていないので、威張れることではない。
「なー、孫ー」
「だから、孫言うな」
「お姫はいつ孫の妻になるんだー?」
 昌浩の足が思いきりもつれた。
 つんのめってぬかるみに顔を突っこみかけたところを、顕現した六合が頸上(くびかみ)をつかんで引き戻す。礼を言って昌浩は体勢を立てなおした。
「あっ、こら。お姫の衣汚すなよ、孫」
「そうだそうだ。気をつけろよなっ」
「お前らがっ、走ってる途中に妙なことを言いだすからだっ!」
「妙じゃないぞ、大事なことだろー」
 言い返されて、昌浩はぐっと言葉に詰まる。
 おいおいおい、雑鬼どもにこんなこと言われてどうするよ。
 そう思いはしたものの、口をはさむことなく物の怪は成り行きを見守った。
「そうだぞ、とっても大事なことだぞー」
「何たって俺たちも、餅のおこぼれ食べたいからなっ」
「誰が三日夜餅(みかよのもち)までお前たちにやるかっ!」
 反射的に怒鳴り返し、昌浩は己の発言に気づいて真っ赤になった。
「何だよ、くれないのか。ケチだな孫は」
「しかたないから、お姫にもらおうぜ」
 いや、さすがにそれは彰子もやらんだろう。
 物の怪も六合も、ほぼ同時にそう思った。
「餅わけてくれよー」
「俺たちにも祝わせろよー」
「そうだそうだ、祝わせろよー」
 真っ赤になったまま昌浩は絶句してしまった。
「………式を追わなくていいのか」
 六合の冷静な指摘に、我に返る。
 まだケチケチ言っている竜鬼を小脇に抱え、昌浩はそのまま走りだした。
「こら、おろせ孫っ」
「いいから早く案内しろっ。俺は早く終わらせて帰りたいんだ。彰子も待ってるし!」
「そっちの辻を左に折れてもいっかい左に折れてすぐの右手側の庵だぞ」
 彰子の名を出した途端、いとも的確な指示が返ってくる。昌浩は即座に竜鬼を放りだした。
「痛っ、こらもっと丁寧に扱え!」
「そうだそうだ。暴力反対、ケチな孫ー」
「餅だ孫ー」
「ああもうっ。とにかく餅はだめだ! 酒にしてやるから、巻き添え食らわないうちにねぐらに帰れ!」
 自分でも何を言っているのかよくわからないまま適当に返事をし、昌浩は懐から数珠をとりだした。
「やったっ。孫が約束してくれたぞ!」
「約束だからなー。ちゃんと俺たちにも祝わせろよっ」
「約束だぞー。ずっと俺たち待ってたんだからなっ」
「…………ッ」
 口々に言いながら、雑鬼たちはすぐに散り散りになって暗がりへ姿を消した。
 貴船の神に続いて、都の雑鬼たちまでもか。
 不憫というべきか、逆に果報者というべきか。
 これだけの多くの者たちから待ち望まれている婚儀もそうあるまい。しかもその過半数が人ではない者たちからだ。
「………昌浩」
「わかってるっ」
 何がわかっているのかはわからないが、昌浩はふり向かずにそう返すと、真言を書いた木札を数本、懐から取りだした。先は土に刺せるように細く削ってある。簡易の陣を作成するための小道具だ。
「とりあえず、これ終わらせないとどうしようもないだろっ」
「俺は別に何も言ってないが」
「わかってるっ。………多分もうすぐ、だよ」
 心を定めたとわかる穏やかな返事。何がもうすぐなのか、敢えて聞く必要はなかった。
 代わりに別のことを問う。
「呪詛、返すのか?」
「念のため。とりあえず話してみてだめだったら、拳でもう一度話し合い。それでもだめなら術を返す」
「拳ってお前な………。そうたいした腕っ節でもないくせに」
「人を術で攻撃するわけにはいかないだろ、ぎりぎりまではさ」
 さらりと言い、昌浩は顕現した六合に木札を二枚手渡した。
 数年前の出雲での一件で、人に術を使わないためには腕っ節も多少は必要という結論に至ったらしく、あれから昌浩は時間を見つけては朱雀や六合相手に色々と体術の指南を仰いでいた。剣などに比べるとまだしも才能があったようだが、如何せん本人の気性が直接人を殴るのに向いていないのか、どう頑張ってもそこそこ以上のものにはならず、物の怪は苦笑するしかなかった。
「もっくんも一枚お願いしていい?」
「おうよ」
 手渡された一枚を受けとり、物の怪は指定された位置まで移動する。術者の家を取り囲むように刺し、五行を描いて結界とするのだ。
 やがて六合が戻ってくると、無言で完了を告げた。
 雨がぽつりと頬に一滴、跳ねて落ちた。にわかに曇りはじめた空を目を細めて見あげ、それから昌浩は印を結ぶ。
「オン―――」
 真言を唱えかけたとき、禍々しい負の気が塀のなかから躍りあがるように立ちのぼった。
「昌浩、気づかれたぞ!」
「―――クロダヤウンジャクソワカ!」
 呪力が線をなって(はし)り、五芒の陣が間一髪で結ばれる。不可視の霊壁にぶつかった瘴気が、怒りのあらわすかのように宙で渦を巻き、禍々しくうねった。
 懐から符をひき抜き、昌浩は瘴気の源を見据える。
「っくそ、問答無用か。もっくん、六合行くよ! 術者は俺が何とかするから、他を頼む!」
「まかせろ」
「―――承知した」
 神将二人の応えを背に受け、昌浩は駆けだした。