鋼輝姫 (レディ・マジェスティ) 〔3〕

 二人は人気のない庭へ出た。
「はっきり言わせてもらうわ。あたしはあなたと結婚する気なんかないの。どう見ても政治的にマズイし、あたしはこの仕事を辞めたくない」
「でも僕は君と結婚したい」
「だからどうして!? 即位するのに!?」
「即位するから」
 さらっとリーデットが言った。
 イルニーフェが眉をつりあげた。
「だったら余計によ! それこそどこかの姫君を娶りなさい!」
「それを君が言うの?」
 琥珀の瞳がイルニーフェを射た。
「アメリアに仕えてる君が、それを僕に言うの?」
 イルニーフェは効果的な反論が思い浮かばなかった。
 さわり、と木の梢がなる。
「結婚と統治は関係ないっていう、生きた見本が目の前にあるのに、それを真似してはいけないのかい?」
「………いけなくはないでしょうよ」
 イルニーフェは低い声でそう答えた。
「いけなくはないわ。けれどだれか他の人でやってちょうだい。あたしは侍従の仕事が気に入ってるの。辞めたくないわ。どこへも行きたくない」
「そこを曲げてくれないか」
「ふざけないで!」
「ふざけてなんかないよ。それとも僕のことが嫌いかい?」
 イルニーフェは眩暈を覚えた。
 なんつーことを聞いてくるのだこの十二も年上の男は。
「………………嫌いな人間と、あたしは旅をしたりしないわ」
 数年前も、やはりリーデットは得体が知れなくて、けれどちゃんと物の道理のわかった人間だった。必要なとき以外は(女性扱いはしたが)子ども扱いしなかった。
「けど」
 イルニーフェの拳が握りしめられる。
「そういうこととこれとは別よッ!」
 またひっぱたきたかったが、今度は相手との距離が離れていた。
 イルニーフェはこれ以上の話の進展を諦めて、リーデットに背を向けた。
「とりあえず、あたしはこの話を承知したりなんかしないわ! さっさとあきらめて帰ってちょうだい!」
 イルニーフェの姿が消えてから、リーデットは呟いた。
「それは聞けないよ」




 イルニーフェの休暇は三日目に突入していた。
 その間、喧嘩別れに終わる二人を―――というかイルニーフェが勝手に怒って会話を打ち切るのを、王宮の人間が何人か目撃している。
 終いにイルニーフェは、頭痛がするといって部屋に引っ込んだきり外には出てこなくなってしまった。ユズハや双子が会いに行っても部屋に入れずに追い返す。
 ゆゆしき事態である。
「あなたはわたしの侍従を職務停止に追い込みにきたんですか」
 じとりとアメリアに睨まれて苦情を言われて、リーデットは不本意とかかれた顔をした。
「そんなつもりはないよ」
「じゃ、さっさと何とかしてくださいいいいいッ !!」
 机の上に積み上げられた書類に埋もれそうになりながら、アメリアが絶叫した。
 執務机の傍らに椅子を持ってきたゼルガディスが、アメリアを手伝ってに書類に目を通しながら、呆れたように嘆息した。
「さっさと口説くか諦めるかどっちかにしてくれ。ただでさえ侍従はあいつ一人しかいなくて手が足りないんだ」
「どうして他にも侍従を増やさないんだい」
 アメリアが崩れ落ちてきた処理済みの書類を積み直す。
「だれもついてこれないんです」
「あの子に?」
「ええ。優秀すぎて。それに十八の侍従長ですから、さらにそれより年下を探すわけにはいきません。それにいなくても不自由してませんから」
 小娘が上司に立つのは我慢ならない人間が多いということか。
 リーデットは長椅子のうえで足を組んで首を傾げた。
「ねえ、僕はそんなに女性の扱いが下手?」
『思いっきり』
 二人揃って即答されて、リーデットはしばしば沈黙した。
「まあ、ある意味ではってことですけどね」
「普通にエスコートするぶんにはあんたの態度は申し分なかろうよ」
「でも結婚したい相手にそういう態度とっててどうするんです?」
「根本的に感覚がズレてるかもしれんがな」
 書類片手に夫婦揃ってたたみかけられて、時期公主は困り切った表情をしてみせた。
「あのさ、何だかめちゃくちゃに言われてるけど、今回のことは僕が悪いの?」
 これまた揃って『否』を返された。
「こういうことは誰が悪いとは言い切れないものです」
「強いて言うなら、お互いの相手が悪い」
 夫婦二人の言葉を要約すると、こうなる。

『何でも良いから何とかしろ』

 リーデットが伸ばした髪の先っぽをいじりながら嘆息した。
「僕はイルニーフェがいいんだけどなぁ」
 アメリアとゼルガディスは危うく書類に頭を突っ込むところだった。
「そういうことは面と向かって言え !!」
「そうですッ。わたしたちに言ってどうするんですか !!」
 アメリアがじとりと幼なじみを睨んだ。
「それともいまのセリフは、お見合いのときと同じように、僕は(『どうせ』結婚するんなら)イルニーフェ『が』いい、の略じゃないでしょうね?」
「違うよ。僕は(『必ず』結婚しなくちゃいけなくて、『それには絶対』)彼女がいい、の略」
「めちゃくちゃだ………」
 ゼルガディスが脱力して椅子に沈み込む。
 アメリアがリーデットに向かって手をふった。
「よーくわかりましたから、何とかしに行ってください。でないとここで代わりにこき使いますよ」
「あからさまに避けられてるんだけれど?」
「話し合いをしなきゃ進歩どころか後退すらもしませんよ。とにかくイルニーフェを怒らせないようにしてください」
「何に怒っているのかがいまいちよくわからないんだよね………」
 首を傾げながらも、リーデットは執務室を出ていった。
 ゼルガディスが肺を空にするような溜め息と共にアメリアに訊ねる
「まとまると思うか?」
「……………………うーん」
 アメリアが唸った。
「フィルさんはお前の提案を何と言っていた?」
「正気を疑われました」
「やっぱりな」
「じいと叔父さんに」
「フィルさんは賛成したんかいっ !?」
「ええ。それはもう諸手をあげて」
「…………………やっぱりこの国はよくわからん」
「ただですねぇ」
 アメリアは首を傾げて、リーデットが出ていった扉を見た。
「まとまる気配が見えてこないことには、全っ然意味がないんですよねぇ」
「…………」
 ゼルガディスは無言で未処理の書類をアメリアに押しやった。