破烈の人形 (ファイア・ドール) 〔5〕
部屋は何やら不気味な沈黙に包まれていた。
黙って観察しているアメリアとゼルガディスの視線をものともせずに、長椅子のうえでは、ユズハが一心不乱にアメリアの買ってきたパンを食べている。
両手に持って、懸命にもぐもぐもぐもぐ食べているユズハを見て、ゼルガディスは溜め息をついた。
「むせるぞ、そのうち」
その言葉が終わらないうちに、げふっとユズハが喉にパンを詰まらせる。
「ああああっ、はいお茶。もう少し落ち着いて食べてくださいね」
アメリアが慌てて、ティーカップのお茶を差し出す。
ユズハがコクコクとそれを飲み干して、今度はケフッと息をついた。
すぐにまた手の中のパンを食べ始める。
「だいたい中途半端な実体化で、よくモノが食えるな」
あきれたようにゼルガディスが呟いた。
壊れた人形の中から現れたユズハは実体をともなっていなかった。
人形の器に精神が押しこめられていたので、もとより肉体があるはずもなく、今現在アメリアとゼルガディスの目の前にいるのは、魔族のように自らの力で具現化しているユズハだった。
魔族は食べ物を食べるフリはできるが、実際に食べる必要はない。だが、目の前のユズハはどういうわけか空腹を訴え、一生懸命パンと格闘している。
見た目は普通の、五、六歳の子供。
髪の色も目の色も、人形だったころと変わっていない。
抜けるような白い肌に、クリーム色の頭髪と朱橙色の目。
ただひとつ違うところは髪をかきわけてのびている、尖った耳だった。
思い当たるそれに、ゼルガディスはひとり顔をしかめる。
最後のひとかけらを飲みこんでしまうと、ユズハは満足そうに息をついた。
「ゴちそウ・サマ」
クリーム色のローブに包まれたその小さな体が、長椅子の背に気持ちよさそうにもたれかかる。
「ユズハ」
ゼルガディスが呼ぶと、朱橙色の瞳がジッとゼルガディスに向けられた。
「あの女はなんだ」
「あれ、でぃす・てぃ」
「ディスティ? それが名前か?」
こくん、とユズハがうなずいた。
「いったい何者なんだ」
「知ら・ナイ。しぃだ・モ、きりえモ、おるはモ・みんナ、でぃすてぃ・作ッタ」
比較的長いセリフをつっかえながら言ったあと、ユズハがふう、と息をついた。
「ゆずは、最後。新シイ」
アメリアがユズハをぎゅっと抱きしめる。
「こんな小さなコを人形にするなんてヒドイです!」
アメリアの腕の中で、ユズハが朱橙色の瞳をぱちくりとさせた。
「ゆずは・小さ・くナイ」
「へ?」
呆れ顔でゼルガディスがユズハの耳を指差した。
「耳を見てみろ。どうみたって人間じゃないだろうが」
「ゆずは・精霊」
『 !? 』
アメリアが思わず腕の中のユズハを見下ろした。ゼルガディスが長椅子から腰を浮かせる。
「精霊だと !?」
「ン」
ユズハは小さくうなずいて、首をかしげた。
「ゆずは、ホノオ・の精霊。」
言われてみれば、瞳の朱橙色はなるほど炎の色なのかと思えてくる。
精霊に自我が存在するのかどうかは目下、魔道士協会で討議中でいまだ決着を見ていない。
エルフや竜族がどう思っているのかは不明だが、いまのところ地水火風の精霊を、人間はただの〈力〉としか理解していなかった。
アメリアが困った顔でゼルガディスを見返した。
「精霊とかって、目に見えないんじゃないんでしたっけ」
「でぃすてぃ、ゆずは・と人形、一緒ニ・した。混ゼる・ノニ・ぶろう・でーもん、使ッタ」
その言葉に、アメリアの顔がこわばった。
ゼルガディスはやっぱりそうかと、内心呟く。
耳の形が自分とよく似ていたのだ。
どうやらディスティは、ユズハを邪妖精と合成し、そのうえで精神を取り出して、人形のなかに封じこめたようだった。
邪妖精はいわば、つなぎの存在だ。
具現化したユズハの耳が尖っているのは、合成された邪妖精の精神が以前の肉体をわずかなりとも覚えているからなのだろう。
あまりの悪趣味さと手のこみように、ゼルガディスは顔をしかめる。
「でも、ゆずは、もう精霊じゃ・ナイ。体・ある・カラ」
感情の起伏のない声で、ユズハがぽつんと言った。
「戻レ・ナイ」
「…………」
「そんなことありませんッ!」
アメリアが叫んで、長椅子から立ち上がった。
ユズハがキョトンとアメリアを見上げる。
「そんなことないです。いつかきっと、ユズハは元に戻れますから」
「戻レ・る………?」
舌足らずな声がそう言葉を紡いだ。アメリアが黙ってそれにうなずく。
「ン」
小さくユズハがアメリアに向かってうなずいた。
「でも、ゴ飯・オイシイ。戻レな・くても、イイ・かも」
「………へ?」
思わず間の抜けた声をあげるアメリアの正面の長椅子で、ゼルガディスが憤然と呟いた。
「リナみたいなことを言うんじゃない」
そりゃ確かに体がないと、飯は食えないが。
さらにそれから一週間が過ぎて。
ゼルガディスは機嫌が悪かった。
理由は単純明快。
ユズハがアメリアに懐いて離れないのである。
四六時中アメリアにまとわりついて、かまってプリーズなオーラを発しているユズハを見ていると何やらムカッ腹が立ってしょうがない。
「りあ、りあ」
いまも、ゼルガディスの横で調べものを手伝ってくれているアメリアの背中を、ペシパシ叩いて注意をひこうとしている。
発音しにくいのか、いつのまにか勝手に名前を略されていたが、アメリアは特に怒ることなくユズハの相手をしていた。
「ユズハ、どうしたんです?」
「おなか、すいタ」
その言葉に、目的の事柄を文献のなかから見つけだそうと躍起になっているアメリアではなく、さっきから魔道書の内容が全然頭に入ってこないゼルガディスが反応した。
「さっき昼飯食っただろーがッ」
「おなかすいタ、んだもん」
以前よりはなめらかに話せるようになったものの、やはり妙ちきりんなところで文章をぶった切るユズハの言いように、ゼルガディスのこめかみに青スジがたった。
「起きてりゃ『かまって』と『おなかすいた』しか言えないのかお前は !?」
「まあいいじゃないですか。おやつということで」
栞を読んでいたページにはさんで、アメリアが笑いながら立ち上がる。
「何だってお前もそんなにそいつを甘やかす? もともとモノを食う必要なんぞないだろーが」
「何だってゼルガディスさんも、そんなに目くじら立てて怒ってるんですか?」
怪訝な顔で問い返されて、グッとゼルガディスが言葉につまる。
手をひかれてアメリアの部屋へと入っていくユズハが、くるりとゼルガディスをふり返って、ンベッと赤い舌を出した。
もちろんアメリアは見ていない。
ピキピキッと、こめかみに青スジがさらに追加された。
「あンのやろう………!」
(絶っ対そのうち、ここから叩き出してやるッ!)
ゼルガディスは心に固くそう誓った。