次の日、ゼルガディスは調べ終わって用がなくなった何冊かの文献を魔道士協会に返しに行くことになった。
フードとマスクを引き上げたその姿を見て、ユズハが一言。
「変・なの」
ゼルガディスも即答した。
「安心しろ。お前の姿も変だ」
もはや低レベルな口ゲンカにまでなってしまった二人の争いを、自分が原因であることに全く気がついていないアメリアがなだめる。
「ユズハ、そんなこと言っちゃダメですよ」
「あうー」
ユズハが変な声で呻いて、ぱたぱたとアメリアの寝室の方へ走っていく。
姿が子どもに変化した最初の日に、どこで寝かせるべきかというちょっとした問題が持ち上がったのだが、わたしたちだけベッドで寝ててユズハが長椅子なんて可哀想ですッと言うアメリアに押し切られて、それ以来ユズハはアメリアと一緒に眠っていた。
ユズハと一緒に寝るというアメリアにゼルガディスが反対すると、それなら自分が長椅子で寝ますッとアメリアに叫ばれ、黙認するしかなくなった。
ゼルガディスの機嫌が悪い原因のひとつでもある。
ユズハが軽い足音をたてて走っていくのを見て、ゼルガディスには次に起こる事態が予想できた。
「うきゃッ」
ローブの裾を踏んづけたユズハが、ものの見事にすっ転ぶ。
「バーカ」
待ってましたとばかりにゼルガディスがそう言うと、床に座りこんだユズハがプゥと頬をふくらませた。
「ゼルガディスさんも子ども相手にムキにならないでください」
アメリアにたしなめられて、ゼルガディスが憮然とした表情で呟いた。
「子どもか、あれが。精霊だぞ?」
「精霊にあまり年齢って関係ないんでしょう? なら子どもと一緒ですよ」
よくわからない理屈を、あっさりとアメリアが口にする。
実際、ユズハはまるっきり子どもだった。
ローブの裾を踏んづけて、毎日すっ転ぶ(ローブも自分の一部のはずなのだが)。
そのわりには、やたらとちょこまか動き回る
どうでもいいことに興味津々で、昨日はゼルガディスの髪の毛に子ども心を刺激されたらしく、一日中へばりつかれて引っかき回された。
その前日、ユズハのハートにヒットしたものは、アメリアの荷物のなかにあった鏡だったし、その前はゼルガディスの剣で、さらにその前はティーポット。
そして、初めて持つ肉体の感覚がおもしろいらしく、始終何かをビシバシ叩いている。
さらにあと一回すっ転んでから、アメリアの部屋に姿を消したユズハを見て、ゼルガディスは呆れながら口元のマスクを引き下ろした。
「何なんだあいつは」
「妹ができたみたいでカワイイです」
嬉しそうにそう言うアメリアを見ながら、ゼルガディスは返却予定の本を左手に抱えなおした。
「アメリア」
「はい?」
右手でその顎をクイと持ち上げ、数秒後。
マスクを再び引き上げて、ゼルガディスは軽く手をあげた。
「じゃ、行ってくる」
宿を出ていく寸前のゼルガディスの耳に、表記不明のアメリアの叫び声が聞こえてきて、ゼルガディスは軽く溜め息をついた。
「一体いつになった免疫がつくんだあいつは………」
長椅子の上で撃沈しているアメリアの額をユズハがペチペチと叩いてくる。
「りあ、ど・した」
「あううううう何でもないです………」
何でもないどころではない。
顔が真っ赤で、いまにも卒倒するんじゃないかと思うような状態である。
「りあ、顔・真っ赤」
「何でもないです何でもないです」
アメリアは長椅子から起きあがるとものすごい勢いでブンブン首を横にふってそう言った。
なめらかなクリームブロンドを揺らして、ユズハが首をかしげる。
「りあ・変」
ばふっとアメリアがの顔が長椅子のクッションの上に埋められた。
「たぶんしばらく治んないです。ユズハも気にしなくいいですよ」
「ン、わかった。気に・しない」
そう言うと、ユズハはおもむろに長椅子の上によじ登り、べてっとアメリアの上にのっかかってくる。
たいした重さではないが、やはり重い。
「……………ユズハ」
「何・りあ」
「何してるんですか」
「遊んで・るの」
ユズハがアメリアの上でバタバタと手足を動かして意味不明な動きをする。
何やら気が抜けてしまって、アメリアは身を起こした。
ころん、とユズハが体の上から転がり落ちそうになるのを、片手で支えてやる。
ユズハが、アメリアの横にちょこんと座った。
「りあ」
「何ですか」
「ゆずは、お外出たい」
「それはダメです」
プゥとユズハが頬をふくらませた。
「出たい」
「ダメです」
さすがにアメリアもそのお願いはきけなかった。
ユズハの姿はとにかく目立つ。
艶々したクリーム色の頭髪も、その朱橙色の瞳もまたとない珍しい色彩だったし、そうでなくとも充分人目をひくキレイな顔立ちをしているのだ。
加えて、その尖った耳。
事情を良く知らない者にエルフ族だと勘違いされて、捕まえられて売り飛ばされるのは目に見えている。
「りあ・も、ぜるみたい。意地悪ぅぅ」
ぺってんぺってんアメリアの太股を叩きながら、ユズハが長椅子の上で飛び跳ねる。
「ゼルガディスさんは意地悪じゃないですよ」
「意地悪・だもん」
アメリアは困ったように首を傾げた。
「ゼルガディスさんのこと、ユズハは嫌いですか?」
「きらーい」
即答して、ユズハは続ける。
「でも、でぃすでぃ・より、ずっとスキ。りあ・より、ちょっとキライ」
無邪気な言葉にアメリアは吹き出した。
「結局、ゼルガディスさんのことは好きなんですね」
「きらーい」
「はい、わかりました」
「きらーい」
「はいはい」
笑いながらアメリアはユズハを膝の上に抱き上げた。
体温がなければ、本当に肉体を持っているのではないかと錯覚しそうな、やわらかな重み。
子どもみたいにユズハと喧嘩しているゼルガディスを思い出して、アメリアは軽い頭痛を覚えた。
「バーカ、ってホントにもう………子どもみたいなことして」
自分で精霊だと言っておきながら、まるっきり子ども相手の喧嘩になっていることに気づいていない。
どうやら、子どもっぽい意外な一面を発見してしまったようだった。
膝の上でパタパタ暴れているユズハの髪の毛を指ですきながら、アメリアは口元に笑みを浮かべた。
「けっこう、子どもに好かれそうですけどね」
朱橙色の瞳が、キョトンとアメリアを見上げた。
「りあ」
「はい、なんですか」
「お歌、唄って」
「………唐突ですね。どこで歌なんか覚えたんです。」
ユズハはアメリアの膝から降りて、最初にいたアメリアの隣りの位置に座り直した。
相変わらずその小さな手は、ビシバシ長椅子のクッションを叩きまくっている。
「覚えて・ない」
不意に、その瞳が光を帯びる。
「最初から、識って・る・モノだから」
「ユズハ?」
「精霊・は、唄う・モノ」
クリームブロンドがさらりと揺れた。
「唄ってない・と、燃え・ナイ。風、吹かない。流れナイ。芽吹かナイ」
目を見張っていたアメリアは、笑ってうなずいた。
「そうなんですか。それは素敵ですね」
「りあの・お歌、聞きたい」
アメリアは微笑んだ。
「精霊の歌にはかなわないですよ?」
ユズハが、ぶんぶか首をふる。
「りあの声、スキ。唄って」
「わかりました。何がいいですか」
「りあ・の・スキなの」
ちょっとの間考えこんで、アメリアは歌い出した。
その魂を知らずして 誰が汝を言問うだろう
流す涙を知らずして いかに運命を背負わんと
対なる鏡に照らされし 汝がかげは昏けれど
かげは光となりぬれば 清かに汝に添うだろう
静かに汝に添うだろう
汝が知るは 汝が真実
汝が知らぬは 汝が世界
歌姫などにはとても及ぶ声ではないけれど、穏やかで伸びやかな声。
初夏の若葉に踊る陽光のような。
ユズハがうっとりと耳を澄ませる。
「ス・キ」
呟いて、目を閉じる。
アメリアの歌声が、部屋に満ちて溢れた。
宿の一室から微かに漏れ聞こえる歌に、じっと耳を澄ませている人影があった。
「どうやらユズハはかなり懐いているようね」
フッと酷薄な笑みを浮かべて、ディスティは腕に抱えた人形を見下ろした。
抱えているのは、二つ。
壊れたはずのユズハの人形と、そしてもう一体。
ユズハの人形のクリームブロンドに指をすべらせて、ディスティはうっとりと笑った。
「ああ、よく見ると似ているわね。金と黒。朱と紺。素敵な一対になりそうだわ。いい加減オルハだけでは騙しきれないもの。早くしなければ」
ゆるいウエーヴのかかった茶色の髪を揺らして、ディスティは路地へと消えた。