破烈の人形 (ファイア・ドール) 〔8〕
ざわめく辺りの空気に、ゼルガディスは足を止めた。
陽も落ちて、蒼い薄闇がぼんやりと広がるなか、幾つものライティングの明かりがゼルガディスの向かう方向に輝いている。
嫌な予感がした。
「どうしたんだ?」
白ずくめのゼルガディスの異装にたじろぎながらも、訊かれた中年の親父が答える。
「なんでも宿屋の二階が急に吹っ飛ん―――おいどこ行くアンタ !?」
最後まで聞かずにゼルガディスは走りだした。
(間に合わなかった!)
薄暗い路地を通り抜け、角を曲がる。
以前、アメリアがディスティの待ち伏せを受けたところ。宿はこの道を少し行って右に折れたところにある。
ゼルガディスが見ている前で、ライティングの明かりの集まっているところ―――すなわちゼルガディスたちが宿泊していた宿から、火柱が立ちのぼった。
野次馬のどよめきがここまで聞こえてくる。
紅蓮の火柱はすぐに上空で球形へと変化をとげ、飛んできた。
甲高い声がゼルガディスを呼んだ。
「ぜ・る!」
「ユズハ!」
闇を裂いて翔る朱橙色の光は、ゼルガディスにぶつかる寸前で人の姿へと変じた。
その小さな体を両腕で受け止める。
「りあが!」
叫ぶユズハの顔は無表情に近かった。だが、その目には大粒の涙。
「アメリアがどうした !?」
「りあ、いない! ゆずは庇った。連れていかれた………!」
ユズハがうつむく。クリームブロンドがその顔にふりかかって表情を隠した。
人が集まってくる気配に、ゼルガディスは舌打ちした。
「ここから離れるぞ」
無表情のままユズハは泣き続ける。
「頼むから、泣きやめ」
ゼルガディスがぶっきらぼうにユズハに告げる。
「頼むから」のあとに命令形が続くあたりアンタよっぽど頭にきてるか狼狽してんのね、とリナがいたなら酷評するところだろう。
「ン」
ちいさくユズハがうなずいた。
言葉の足らないユズハの説明から、どうにかわかったことは、アメリアがドアを開けた途端、部屋に巨大な魔法陣が浮かび上がったこと。その中心にいたユズハを駆け寄ったアメリアがつかんで、寝室のほうへ投げ飛ばしたこと。その直後、白い光が溢れて爆発が起きたことだった。
ゼルガディスは剣の柄を強く握りしめた。
怒りが胃の腑を灼いていくのがわかる。
もう少し気をつけておくべきだった。
アメリアに何かあったらディスティを殺す以前に、まず自分自身がゆるせない。
「ディスティとやらのいる場所はわかるか? お前が造られたところだ」
「知ら・ナイ」
ユズハが首をふる。
「暗くて、おっきいトコロ。天井、低い」
「それだけじゃわからん」
このままだとユズハにまで当たり散らしそうな自分を、ゼルガディスは戒める。
ユズハは何も悪くない。
不意に舌足らずな声がした。
「剣士サマ」
ゼルガディスとユズハがいるのは、街の中心を東西に流れる河にかかっている橋の下だった。
人が通るはずはない。
案の定、ふり返ったゼルガディスとユズハの目の前にいたのは、ディスティが放ったと思われる人形だった。
「………ダレ。知らナイ」
ユズハが固い口調で呟く。
「ということは、新しい人形か………」
どうしてここがわかったのか疑問に思い、すぐにゼルガディスは顔をしかめた。
ユズハの存在自体が、探索の魔法の目標になっている。
いまに至るまで気づかなかったことに、もはや迂闊を通り越して自分に呆れるしかない。もっとも、知ったところでプロテクトの魔法を使えないので事態は変わらないだろうが。
夜の闇のなか、人形はカクンとこうべを垂れた。
「言づて、デス」
急にその口調が、なめらかな女の声へと変ずる。
「―――あなたの巫女のお嬢さんを返してほしいのなら、夜明け頃、河を西に下って街外れまでおいでなさい。その際にはユズハをお忘れなく―――」
ディスティの声が終わったことを確認して、ゼルガディスは人形を打ち砕いた。
もとより怒り狂っているのだが、さらに頭にくるのは壊されることをあらかじめ予想していたのか、人形がユズハのものとは違ってかなりの安物なことだった。
人をおちょくっているとしか思えない。
壊れた人形の首を河へ蹴りこんで、ゼルガディスは低く呟いた。
「だれが夜明けまで待つんだ。いますぐ動くに決まってるだろうが」
結構、頭は悪いらしいというのがゼルガディスの感想。
夜明けにはまだ、かなりの時間がある。
その間にアメリアが無事でいるのかどうか、わからない。
向こうがアメリアを人形にする気まんまんなのは明白だ。それがいつ実行されるのかはともかく。
卑怯な手口には卑怯な手口で対応させてもらうことにする。
「ユズハ、ついてこい」
短くそう告げると、ゼルガディスは歩き出した。
その隣りをとてとて走りながら、ユズハがゼルガディスを見上げて、首を傾げる。
「何だ?」
ゼルガディスが怪訝な顔でユズハを見やると、どこか神がかった表情でその答えが返ってくる。
「波動・が、ざわめいて・る」
「俺は怒っているだけだ」
「怒るって、ナニ」
少しばかり苦笑して、ゼルガディスは感情を持ち始めたばかりの精霊の頭をぽんと叩いた。
「いまのお前の"でぃすてぃ、キライ"と同じことだよ」
アメリアは目の前で微笑むディスティを睨みつけた。
わずかに怯えの色が混じっていることは自分でも認めざるをえない。
だって自分がいる部屋には、壁一面にある戸棚すべてにユズハと同じような人形が飾ってあるのだ。
これ全部が動き出すんじゃないかと思うと、ひたすらコワイ。
手首につけられた鎖が忌々しいこと、このうえない。
「一体何のつもりですッ」
ディスティが首を傾げた。
「ユズハを返してほしいの。ついでに新しい人形もほしいのよ。役立たずな信徒のせいで二体も壊されちゃって、いまはこのコしかいないの。失敗作は多いんだけれど」
ディスティが腕の中の赤毛の人形を撫でる。その瞳はユズハと同じ朱橙色。
アメリアは少しホッとした。とりあえず戸棚の人形が襲いかかってくることはなさそうだ。
だが、それよりも気にかかることがあった。
「信徒………?」
「そう。わたくしは教祖だもの。信者くらいいたっていいでしょう? もっとも、こんな格好しているから、最初はだれも教祖だなんて思ってくれないけれど」
嫌な予感がした。
「何を………崇めているんです………?」
クス、とディスティが笑った。
「わたくしを。そして、このコたちを。このコたちは魔族のお使いなんだそうよ」
「……… !!」
邪教だ。人は神もあがめるが、時として欲望に忠実に魔をもあがめる。この手の輩は増えはするが減りはしない。
「あの二人はどうしたんですか」
カクカクと腕の中の人形が首を動かした。
「もう、イナイ」
アメリアの顔が青ざめた。
ディスティが嬉しそうに人形を見やる。
「お利口ね、オルハ」
「どうしてそんなことをしたんです!」
「だって、役に立たないんだもの。もとからわたくし、この研究をだれかと分かち合う気なんかないし」
「最低ですッ」
「何とでも言って」
「どうして命在るものをわざわざ人形に封じこめるんですかっ。そんな研究、バカみたいです!」
ディスティの表情が初めて変わった。
どうやら自分のやってることをバカにされるのがとことんイヤらしい。
プライドの高い、典型的なタイプだ。
「このことを最初に研究していた魔道士は、不死の研究にこれを使うつもりだったようだわ。最終的には自分の人格を何かの無機物に転写するつもりだったみたいね」
「…………!」
「でもわたくしはそんなことはしない。不死になんか興味はないわ。だいたいオーブか何かに転写するより人形のほうが神秘的だと思わない?」
「思いません」
ディスティは軽く顔をしかめた。
「まあいいわ。わたくしの研究で、人間だけでなく、精霊やエルフも転写できるようになったの。個人差があるけれど、精霊やエルフだと人形でも強力な力が操れるようになるわ。それを勝手にみんなが崇めているだけよ。まあ、何かと便利だから好きにさせているけれど」
「いままで何人の人を犠牲にしてきたんですか!」
「道徳心なんか、いまさらわたくしに説かないで」
ディスティはあっさりそう言うと、腕の中のオルハを床に降ろした。
「とりあえず、お喋りはもうお終い。呪文を唱えられると困るもの」
その言葉を受けて、白い布を持ったオルハがスーッと床の上をすべってくる。
石の床だが、汚い床だ。天井も低い。
もとは何の目的で使用されていた部屋なのか全然わからない。
アメリアが周囲に目を走らせていると、目の前までやってきたオルハが布を口元に押しこんだ。
そのまま猿ぐつわをかまされる。
憤るより先に、ユズハよりもずいぶんとなめらかな動きをするオルハを見て、アメリアは感心してしまった。
………かなり呑気だった。
「だいじょうぶよ。明け方には王子サマに逢えるから。人形にするのはその後にしてあげる」
出ていく間際のディスティの言葉に、アメリアは少し首を傾げた。
布が邪魔をしていなければ、笑っただろう。
そのとき、後ろでアメリアに猿ぐつわをかませていたオルハが耳元にその小さな唇を寄せた。
アメリアが驚いている間に、その小さな作り物の背中はディスティの後を追って出ていってしまう。
やがて、濃紺の瞳がフッと細められた。