光の扉 (オープン・ザ・ゲート) 〔1〕

 森の小道の真ん中に、子どもが座っていた。
「あなた、だーれ?」
「………………………………」
 小首を傾げて訊ねられて、ゼルガディスはその場に突っ立った。
 頭上でさわさわと常緑樹の梢が風に揺れて鳴っている。足下では落葉樹の落ち葉がくるくると巻きあげられていた。
 森の中の、踏み分け道に近い、小さな間道である。森の中に用があったゼルガディスは、ちょうどよいとばかりにこの道を利用していた最中だったのだが、その道の真ん中に子どもがちょこんと座って通せんぼをしているのである。
 いったいこの状況をどうしろというのだ。
 しかも、この子どもはゼルガディスが『知り合ってしまった』存在に似ていた。
 金髪に赤目。
 現在はアメリアと共にいるはずの、炎の精霊と邪妖精の合成精神体であるユズハを彷彿とさせるような組み合わせである。
 元は炎の精霊であるユズハも、クリームブロンドとオレンジレッドの瞳の持ち主だった。
 年の頃も、出逢った当時のユズハと同じくらいに見える。
 ものの見事におちょくられていた過去も同時に思い出して、ゼルガディスは反射的に顔をしかめた。
 一応、理論的には何にでも化けられる存在ではある。だが、現在ユズハはアメリアに引き取られて王宮で暮らしているはずである。いくらなんでも、目の前の子どもがユズハであるはずがない。
 風の噂ではアメリアに持ち込まれた縁談の数々をぶち壊しているという。ゼルガディスが頼んだ記憶はない。
 そのユズハに似た赤い目でジッと見上げられて、ゼルガディスは憮然として少女を見おろした。
 まだ四、五歳ぐらいだろうか、一人でほったらかしておいていい年齢では決してない。季節的にも、ほったらかしておいていい時期ではなかった。そろそろ秋も終わりである。
 だが、あたりに保護者らしい人物の気配はない。
「………迷子か?」
 ようやくゼルガディスはそう言った。
 子どもは、ぶんぶんと首を横にふったあと、縦にふった。
「おい、どっちだ」
「かーさんとはぐれたの」
「なら迷子だろう」
 会話が微妙に噛み合っていない。
 ぺたんと地面に座りこんだ子どもが、上目遣いにゼルガディスを見た。
「でもかーさんはリアのところすぐくるから、リアはまいごじゃないよ」
 年の割には驚くほどしっかりした喋り方だが、所詮子どもである。話はブツ切れて飛躍しまくり、わけがわからない。
 だがそれとは別に、ゼルガディスは思わず眉間を押さえた。
「本当にこいつはユズハじゃないんだろうな………?」
 『リア』とは自分の名前なのだろうが、ユズハがアメリアのことを『りあ』と呼ぶのである。
 ますます目の前の子どもがユズハとダブって見える。
「あなた、だーれ?」
 肩のあたりで切りそろえられた見事な金髪を揺らして、子どもが逆に聞き返してきた。
「俺はゼルだ」
 嘆息混じりにゼルガディスは子どもに名乗った。フルネームはきっと発音しきれないだろう。
「どうしてこんなところで座りこんでいる」
「つかれたの」
 何となく放っておく気にもなれず(ユズハを思い出したせいかもしれない)、ゼルガディスは大まじめにリアと名乗る子どもに尋ねていた。
「村の子どもか? 森の出口まで送っていってやってもいい」
 来た道を引き返すことになるが、それはまあしょうがない。
 きょとんとゼルガディスを見上げて、子どもは地面から立ち上がった。
「ちがうよ。おうち、もりのなか」
「………家庭環境の理解に苦しむ子どもだな」
 ゼルガディスは呟いた。
 普通、人間は街か村に集落をつくって暮らしているものだ。森は人の立ち入る領域ではない。
「つれてってくれるの?」
「家がわからないんだろう? どうやってお前を連れていく?」
「あっち」
 子どもが左の森を指さした。
「だけど、わかんない」
「それじゃあ俺にもさっぱりわからんぞ」
 どうやら本格的に迷子のようである。
 母親はすぐに来ると言ったが、子どもの言うことである。普通、迷ったのなら真っ直ぐここに来るどころか、あちこち探しているはずである。
「………これはいったん村まで連れていくしかないな」
 出逢ってしまったのが運の尽きである。
「村までなら連れていける」
「ん、いく」
 言った子どもが当然のように子どもが両手を広げるのを見て、彼はいささか頬をひきつらせた。
「………自分で歩け」
「ヤ」
「なんでこんなところまでユズハに似ているんだ………」
 文句を言いつつ抱き上げて、歩いてきた間道を引き返していく。
 ゼルガディスの腕の中で、子どもは服の中から首にかけた紐を引っぱり出して、もてあそんでいた。
 何気なくその紐の先にあるモノを見て、ゼルガディスは思わず子どもを取り落としそうになった。
 深い脱力感のもと、ゼルガディスはやっとのことで子どもに尋ねた。
 否、突っこんだ。
「おい…………………………なんだそれは」
「んとね、おふだー」
「どう見ても違う物に見えるが」
「でも、なんとかふだだってかーさんいったもん」
 思わず空を仰ぐ。
 青かった。
「家庭環境の特異性がこれ以上はないほど良く理解できるぞ………」
 拾ってしまったのはある意味幸運なのか災難なのか。
 どちらにせよ、ものすごい確率なのは間違いがなかった。
 そうこうしているうちに、すぐ近くからドォンと音がして黒煙が上がり、ぎゃあぎゃあと鳥たちが逃げていった。
「あ」
 子どもが声を上げる。
 ゼルガディスは道をそれて、そちらのほうに歩いていった。
 近づくにつれ、腕に抱えた子どもの名前が聞き覚えのある声で連呼されているのがわかる。
「………相変わらずのようだな」
 腕の中の子どもが嬉しそうに声を上げた。
 子どもを抱きかかえて、空いた手で灌木かんぼくをかきわけると、栗色の髪を結い上げたかつての仲間が、魔族もたじろぎそうな目つきで辺りを見回している。
「おい、リナ」
「何よ !? いま取りこんで………ってリアっ」
 すっ飛んできたリナがゼルガディスの腕から子どもをひったくった。
「どこ行ったのかと思ったじゃないの。だめよ、一人で遠くに行ったら。レッサーデーモンとか出てきたらどうすんの………ってそこでふつーに帰ろうとしないでくれる、ゼル?」
「かえるダメぇ」
 リナの代わりに腕の中の子どもがゼルガディスのマントをぎゅむうっと引っ張っていた。
「子どもも届けたことだし、もういいだろう?」
「んなわけないでしょ。何年ぶりだと思ってんのよ」
 娘を抱いたリナが眉をつりあげた。
「ここであったが百年目ってやつだわ。絶対うち寄ってもらうわよ。話したいことも渡したいものもあるんだから」
「なんだ?」
 眉をひそめたゼルガディスの問いに、リナは娘を抱き直しながら意地悪く笑った。
「色々と。ユズハいわく『りあ』のこととかね」
「…………」
 ゼルガディスが黙っていると、リナの腕の中から声がした。
「かーさん、リアよんだ?」
「いまのはリアとは違う人よ」
 リアが母親譲りの真紅の瞳を輝かせた。
「リアとおんなじなまえ?」
「違うわよ。半分だけ同じ」
 完全に一緒ではないと知って、リアは興味の対象を「りあ」から目の前の人物へと移したようだった。リナに似て癖のある髪がふわりと揺れた。
「つれてきてくれてありがとー」
 リナが怪訝な表情で首を傾げた。
「そういえば、よくうちの子だってわかったわね」
 ゼルガディスは黙って子どもの胸元を指差した。
「首から魔血玉の呪符デモンブラッドタリスマンをひっさげて遊び回るような非常識な子どもは、お前のところのだけだ」
「…………」
「お前の子どもだとわかったとき思わず天を仰いで祈りを捧げそうになったぞ」
「どういう意味よソレはっ !?」
「言葉通りの意味だ」
「………あんた、ケンカ売ってんの?」
「安心しろ、冗談だ」
 どう見ても本心である。
「真顔で表情ひとつ変えずに言われても、全っ然説得力ないわよ、んっふっふっ………」
 微妙にこめかみを痙攣させながら、リナが引きつった笑みを浮かべた。
「それともゼルー? あんたも子どもを産むと魔力が落ちるなんてヨタ話信じてるクチ? 実際に試してみようか?」
「いや辞退しておく」
 リナが面白くなさそうに鼻をならすが、すぐにその表情も数年ぶりに顔を合わせるという事実の前に長くは続かない。
「んじゃ、改めて紹介しとく。リアよ」
「リア、です。こんにちわ」
 金色の頭髪を揺らして、リアがぺこりと頭を下げる。
 それを見たゼルガディスが、困ったように頬をかいた。
「………ひとつ言ってもいいか?」
 リナが眉をひそめてゼルガディスを見た。
「なに?」
「語呂合わせか?」
 リナの額に青スジが浮いた。
「韻よ、韻っ。こういうのは韻を踏んでいるって言うの! だいたい、あたしが名付けたんなら、こんなあたしとこの子のどっちを呼んでるのかわかんないよーな名前になんかしないわよッ」
 納得がいったようにゼルガディスがうなずいた。
「ならガウリイか。まさかとは思ったが、子どもの名前を覚えられなくて似たヤツにしたのか?」
「違ううううっ! 勝手に決めるなああぁッ。名付け親は郷里のねーちゃん! 女の子だってわかった途端に問答無用で"まさか私に名付け親になってほしくないなんて言わないわよね はぁと "とか言って命名権もってかれたの!」
 終いにリナは娘を抱いたまま地面にしゃがみこんで、何やらぶつぶつ言い始めた。
「あたしととーちゃんが涙だくだく流して止めてなければ、あの人自分がバイトしてるレストランの名前付けるとこだったわよ。冗談だって言ってたけどあれ絶対本気だった。きっとペットの名付け親になるのと同じ感覚になんだわ。どーせあたしの娘なんかスポットと一緒なのよぅぅぅ」
「スポット?」
「ディ………じゃない。ねーちゃんが飼っている『イヌ』。あれはイヌ多分イヌ絶対イヌ間違いなくイヌだから! ええそうよ、あの人がそう言うんだからイヌ以外の何ものでもあり得ないっ!」
「………事情がよくわからないんだが………いい、止めておこう」
 これ以上踏みこむのは非常にマズイような気がして、ゼルガディスは呟いた。
 リナの腕に抱えられたままのリアが、体勢がきついのかバタバタと手足を動かす。
「かーさん、おろしてえ」
「あ、ゴメン」
 苦笑しながらリアを降ろしたリナが、娘の首のタリスマンを手のひらでぽんぽんと弾ませた。
「言っとくけどこれ、本物じゃないわよ。ただのジュエルズアミュレット。まあ、あたしのお手製だからちょいとばかし強力だけど、〈探索〉の目印にするためにつけさせてるだけよ。ただの迷子札。いくらなんでも本物を、しかも一個だけ、誰がつけさせとくっていうのよ」
 怪訝な顔でゼルガディスはリナを見た。
 以前よりやや頬の描く輪郭が柔らかくなったような気がするが、細身なところも目の光も全然変わっていない。
 稀代の魔道士リナ=インバース。
「なんでわざわざイミテーションを作る必要がある?」
「イミテーションってわけでもないのよ。台座は本物だから。魔血玉デモンブラッドは―――砕けたわ」
 ゼルガディスは無言で表情だけを変えた。
 リナが後を続ける。
「そして、つい最近、その代わりが手に入ったのよ」
 同じ烈火の瞳の色を受け継いだ娘の手をひきながら、リナがゼルガディスを手招きをする。
「そのことについてもゼルに話しておきたいのよ。家に、来て―――」